シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

引くな千代子、そのレバー引いたら時空が歪むんや!

私はよく建物の前でただ漫然と立ち尽くすことがある。誰だって多かれ少なかれ建物の前でただ漫然と立ち尽くすことぐらいあるだろうが、とりわけ私は建物の前でただ漫然と立ち尽くすことがよくあるのだ。

立ち尽くして何をしているのかといえば、べつに何もしていない。強いていうなら思索に耽っている。思索に耽るには建物の前でただ漫然と立ち尽くすに限る。もしもあなたが何かすばらしいアイデアを閃きたいなと思えば、建物の前でただ漫然と立ち尽くしてみるとよい。きっと何かが起きたり、起きなかったりするはずだ。

そんなわけで、今日日も私は建物の前でただ漫然と立ち尽くすために、建物を探し求めた。立ち尽くし甲斐のある建物を。人をして「この建物なら立ち尽くしてしまうよな」と思わしむるような、そんなファンタスティックな建物を。

あった。割と近所にあった。

外観といい雰囲気といい、なかなかの立ち尽くし甲斐レベルと見た。コンクリートが実にいい感じだった。見たところ、どうやらこの建物はアパルトマンらしい。こんなすばらしいアパルトマンに住めたら、きっと私はひねもすアパルトマンの前で立ち尽くしてしまうだろう。そして神がかった閃きを得続けることだろう。

しばらくそのアパルトマンの前でこれでもかとばかりに漫然と立ち尽くしていると、私の背後の壁に張り紙が掲示されていることに気がついた。そして我が足元には、いくつかの鉢花が置かれていた。

張り紙には以下のような文句がしたためられていた。

 

「花を荒らしたり、盗むのはやめてください。花は見るものです。」

 

おそらく、せっかくこのアパルトマンの管理人が世界平和とかイギリスのEU離脱撤回とかを願って置いた鉢花を、どこかの不届き者がたびたび荒らし回ったことに業を煮やし、 警醒の張り紙を掲示したのだろう。

「花を荒らしたり、盗むのはやめてください。」という文言を読むにつけ、あまつさえこの不届き者、花を荒らすだけでは飽き足らず、遂には花をパクっているようである。鬼かこいつ。

これは始末に負えない。なぜ始末に負えないのかというと、結局のところ、この不届き者は花が好きなのか嫌いなのかが判然としないからである。

花が嫌いなら鉢花を荒らすだけで目的は達成できるだろうし、花が好きならパクるだけで目的は達成できるからだ。しかしながら、この小癪な不届き者は、「荒らし」と「パクり」を同時並行で完遂している。このことから不届き者が、花に対する愛憎相半ばするアンビバレントな想いを内に秘めた、少々ややこしい精神構造の持ち主であることが推測されるのである。

あるいは一切は私の深読みで、この不届き者はただ単に人民に対する嫌がらせとして「荒らし」と「パクり」の二刀流を演じたのかもしれない。しからば、より悪質といえる。邪悪といえる。魂の汚濁といえるだろう。

なんとなれば、「荒らし」と「パクり」という行為が、アパルトマン全体に対する脅迫としてのメッセージを包含しているからである。「荒らし」というのは端的に破壊行為を意味し、「パクり」というのは略奪を意味する。すなわち不届き者が鉢花におこなった悪質な悪戯には、このアパルトマンの住人に対する「おれはこの建物を焼きつくし、あなた方の儚い命を簡単に奪うことができますよ」という、デスメタルのごとき邪悪なメッセージが含まれているのではないか。

これら二通りの考察をアウフ…あふあふ…アウフヘーベンした結果、私はこの不届き者の正体を「花にすげえ固執するメタラー」であると結論した。だが、果たしてそんな奴がいるのか、この京都に。あふあふ。

…アパルトマンの前に立ち尽くしている間、おおよそ私はこのようなことを思惟していた。しかし、私が何より引っかかったのは不届き者の正体ではなく、この張り紙の文句である。「花を荒らしたり、盗むのはやめてください」つって、花への悪戯に警告を発したのち「花は見るものです。」と締めくくる一言。

「花は見るものです。」

必ずしもそうじゃないんじゃない?

「嗅ぐもの」でもあるだろうし「贈るもの」でもあるだろうし「摘むもの」でもあるだろうし。華道家にとっては「生けるもの」でもあるだろうし。花は絵画のモチーフにもよく使われるので画家にとっては「描くもの」でもあるだろうし。かぶき者にとっては「食べるもの」でもあるだろうしさ…。

花との向き合い方なんて人それぞれなのに「花は見るものです」と言い切ってしまうのは強弁だと思った。強弁という名の花弁をつけた傲慢な花だと思った!!!

 

~今日の一枚~

あの鐘を鳴らす大御所。

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