シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

オリ・マキの人生で最も幸せな日

ボクサーなのにやる気オキナイコ過ぎてボクシング全然ヤラナイコ。

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2016年。ユホ・クオスマネン監督。ヤルコ・ラハティ、オーナ・アイロラ、エーロ・ミロノフ。

 

1962年夏、パン屋の息子でボクサーのオリ・マキは、世界タイトル戦でアメリカ人チャンピオンと戦うチャンスを得る。準備はすべて整い、あとは減量して集中して試合に臨むだけというタイミングで、オリはライヤに恋をしてしまう。フィンランド国中がオリに期待し、周囲が勝手に盛り上がる中、オリは自分なりの幸せをつかむためにある行動に出る。(映画.comより)

 

ウッフー!(ウッフッフー!)

というわけで最近みんなどう。僕はいつもエネルギーをセーブしながら生きてます。

RPGゲームでもHPの管理にはかなり慎重なタイプで、回復アイテムやセーブポイントをちゃんと確認してからでないと洞窟に入れないのよね。洞窟って一度入ると出口に辿り着くまで消耗戦じゃないですか。回復施設がないうえ、どうせ道に迷って同じところをグルグルして無為な戦闘で消耗することになるので、あらかじめ回復アイテムをたっぷり蓄えてからじゃないと洞窟に入れない。

この洞窟論は実人生にも反映されていて、たとえば大事な予定がある日に寝不足だったりすると「あーもう無理」って一切合切を諦めちゃう。それってパーティ全滅しかけてる状態で洞窟に入るようなものじゃん。だから僕はいつもエネルギーをセーブしています。HP満タン状態じゃないとハナから戦う気がしない。そんなことをウダウダ言ってるから僕はいつまで経っても屑なのです。HP満タンの屑。やがて夜空の星となれ。

つうこって、今回は少し変わった構成でお送りするね。

私ふかづめ、元気100パーセント坊ちゃん、キャサリン・キャサリン・ランデブーの3人でそれぞれにレビューを寄稿。よく言えば三者三様の多様性。悪く言えば映画をたらい回しにしてるだけ。そんなわけで本日は『オリ・マキの人生で最も幸せな日』です。

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◆キャサリンの寄稿◆

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カモォ~ン、キャサリンよ!

さて皆さん、『オリ・マキの人生で最も幸せな日』はもうご覧になられたかしら? なに、まだ観てない? 野郎~~。観てない奴はヒールで踏んづけちゃうんだから!

この映画はフィンランド発の素敵なガールズムービーです♡

女子力を磨いてるそこのアナタ! 乙女心にキョーミがあるそこの男子! 観なきゃ損、損、孫正義ってな具合だわよォ~~~~う。

はい、ここまでがテンプレートね。

これ、どういう映画かというと、ボクサーのヤルコ・ラハティが世界タイトル戦の懸かった大事な時期にオーナ・アイロラ演じるステキな女の子に恋しちゃうって話よ。オーナとの時間を大事にするあまりトレーニングや減量にいまいち身が入らないヤルコにトレーナーのエーロ・ミロノフは怒り心頭。登場人物は3人だけで、タイトル戦までの数日間が淡々と描かれていくのだわ!

この映画をフィンランド版の『ロッキー』(76年)だと言う人もいるけれど、それには待ったを掛けたいの。待ったを掛けさせて。ロッキーは恋とボクシングを両立させてたけど、ヤルコはオーナとの恋に夢中でボクシングがおざなりになってて、エーロからも「おまえ、状況わかっていますか。全国民が注目してる大事な試合なんやで」って叱られちゃう駄目ボクサーなのよ。

ていうか全員名前が卑猥だわねぇ。ヤルコ、オーナ、エーロはないでしょ。

卑猥といえばボクサーたちがシャワーを浴びるシーンがあるんだけど、性器が丸見えになっているのよ。ヨーロッパの映画ってさも当然かのように性器を露出させているけど、まあでも、あれは卑猥と思うから卑猥なのよね。

きっとあっちの国の人たちはリンゴの木を見るように、とても自然に性器を見つめているのだと思う。

それにしてもこの映画は画面に映ったリンゴの数が多いけどね。

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だもんで、ウブな女子にはちょっぴり刺激が強いかもしれないし「これのどこがガールズムービーなんだ」と言われそうだけど、性器が映ってるぐらいなにさ。たしかに主人公は男性のヤルコだし、よく全裸になりもするけれど、とはいえこの映画はオーナちゃんありきなのよ。ぷくぷくしてて可愛いオーナちゃん!

彼女はヤルコの合宿に付いて来たけど、自分のせいでヤルコがヤル気オキナイコになったんだと反省し、トレーナーのエーロに気遣って先に一人で故郷に帰っちゃうの。すばらしい判断だわね。試合が終われば好きなだけヤルコと居られるんだから、今は彼のためにも我慢しようってわけ。

それなのにヤルコはスポンサーとの会食をすっぽかしてオーナの故郷に行っちゃうのよ! 汲めよ、オーナの気持ちを。なに夜行列車の切符買ってんだボケ!

オーナの故郷にノコノコ現れたヤルコは「ボクシングは?」と訊かれて「明日から本気出す」とか言ってんの。まったくフザけた野郎だわ。で、そんなこと言い続けて一向に練習しないまま迎えたクライマックスの世界タイトル戦…。

アメリカの王者にめちゃめちゃシバかれて3ラウンドTKO負け!

超笑ったわ。

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◆坊ちゃんの寄稿◆

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どうも、元気100パーセント坊ちゃんです。

『オリ・マキの人生で最も幸せな日』は1979年生まれのユホ・クオスマネンの長編第1作目で、デビュー早々に第69回カンヌ映画祭の「ある視点」部門でグランプリを受賞しました。まるで60年代の映画を観てるようなザラついたモノクロームが持ち味の作品であります。16mmのリバーサルフィルムを使ってるので粒子は粗いですが発色が非常にいいんですよ!

物語の時代設定が1962年の夏で、ヤルコとオーナはよく川べりを散歩したり湖で石切りをするんですが、水面がきらきらと輝いていて、ああ、いいなぁ、という気持ちになりますね。ヤルコが若干はげていたりオーナが少しふくよかだったりするのが妙に生々しく、決して美男美女のカップルには出せない素朴さがうまく映像に絡んでいて。そうした庶民的な感覚が『ロッキー』の記憶を呼び覚ますのかもしれません。

もっとも、ロッキーほどのファイトがヤルコには無いんですけどね。

ヤルコという名前ですがヤラナイコなんです。ボクシング全然ヤラナイコ。

彼はボクシングで勝つことよりもオーナと乳繰り合っていたいという気持ちを大切にしています。そもそも性格からしてボクサーに向いてなかったのでしょう。

 

それにしても、全編を覆うヌーヴェルヴァーグへの郷愁は凄まじいものがありました。

やはりヨーロッパでは未だにヌーヴェルヴァーグの力は根強くて、影響というよりは讃歌として多くのフィルムに刻まれてます。近年だとギョーム・ブラックの『女っ気なし』(13年)、ヤン・オーレ・ゲルスターの『コーヒーをめぐる冒険』(12年)、あとフィリップ・ガレルの『ジェラシー』(13年)などがそれに当たりますが、そうした作品からはヌーヴェルヴァーグの記憶を絶えず呼び覚ますことで映画を生かし続けてるような印象を受けますね。

それにやっぱりお洒落なんです。ヤルコとオーナの会話ひとつとっても簡単にはカメラが切り返さないんですよ。音のずり上げ/ずり下げも執拗なぐらいやる。出演者の多くは素人で、その計算されてない佇まいがヌーヴェルヴァーグの味。粗くて力づよい被写体。ことにオーナ・アイロラなんて本業は歌手でありますから、決まった芝居のないショットでは実に所在なさげです。

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◆ふかづめの寄稿◆

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どうもおはよう、ふかづめやで。

『オリ・マキの人生で最も幸せな日』は闘志なきボクサーが恋にうつつを抜かすあまり周囲の人々に大迷惑をかける話である。

観てて超イライラしたわぁ~。特にプロモーターとトレーナーを兼任しているエーロが不憫すぎる。だってそうだろ? 隙あらばオーナのもとに行こうとするヤルコを注意することは「二人の恋を邪魔するヤな奴」というヒールを演じることでもあるのだからよおおおおおおおおおおおおおおおお! その心労は察するに余りありすぎたっ。

本作はヌーヴェルヴァーグを意識した作りなので登場人物の感情はスッパリ排除されていて、それがためにヤルコが何を考えているのか分からない。通常のヌーヴェルヴァーグ、もしくはヌーヴェルヴァーグ風の作品であればそれでいいのだが、それにつけても本作は妙に全体が湿っていて、メロドラマを破棄しながらもどこかでそれが生起しそうな予感に満ちている。なにしろヤルコとオーナの恋模様が話の中心なんだからな。だが、それこそが私やキャサリンをイライラさせる理由なのだ(われわれ以外にもヤルコに苛々した観客は多数というッ)。

とどのつまりは、映画を観終えたあとに改めて内容を思い出そうとした人間の頭に「世界タイトルマッチの懸かったボクサーなのに練習しないで女の子に夢中」というイメージが先行しちゃう時点でこの映画の負け。われわれの瞳が“キャラクター”に注がれてしまった以上ヌーヴェルヴァーグとしては落第なんである。『勝手にしやがれ』(59年)のジャン=ポール・ベルモンドに誰も苛つきはしないようにな。

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とはいえ貶すばかりの作品ではないから一応フォローもするけども、『オリ・マキの人生で最も幸せな日』誰かの人生で最も幸せな映画になる可能性を僅かばかりに残している。

やはり坊ちゃんが言ったように「お洒落」なのでヌーヴェルヴァーグを知らずとも(むしろ知らない方が)楽しめるし、捉えようによっては可愛らしい恋。キャサリンが言ったように「観なきゃ損、損、孫正義」なのかもしれないなあ…。

何よりも“ヌーヴェルヴァーグ風”の映画を作り続けることは単なる懐古主義ではなく現在の映画史を延命させうる最後の手立てでもあるので、出来はどうあれこういう映画は作り続けられねば困るわけです。いち映画ファンとしても、映画史にとっても。

映画史など映画が作り続けられる限り放っておいても続くモノ…というのは大間違いだ。たとえば日本やイタリアのように、ふとしたことで「ハイ、もうおしまい。この国の映画史はここで息絶えました」とばかりに寸断されてしまう。それこそTKOである。

残念ながら日本もイタリアも試合中にタオルを投げられてしまった。半世紀後のウィキペディアの「日本映画の歴史」には2010年代以降の記述はわずか数行でまとめられていることだろう。だが「フランス映画の歴史」では2010年代以降の記述に「この頃のフランスではヌーヴェルヴァーグを模した作品が多く作られており云々~」と続くはずだ。

こと映画に関しては結局最後にフランスが勝つだろう。それも、とびっきり地味な勝ち方で。これぞヤルセナイコ。

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