シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ターミネーター:ニュー・フェイト

『俺のターミネーター』から『俺のパワーパック』へと伝説は昇華する…。

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2019年。ティム・ミラー監督。リンダ・ハミルトン、アーノルド・シュワルツェネッガー、マッケンジー・デイヴィス、ナタリア・レイエス。

 

人類滅亡の日である「審判の日」は回避されたが、まだ危機は去っていなかった。メキシコシティで父と弟とごく普通の生活を送っていた21歳の女性ダニーのもとに、未来から最新型ターミネーター「REV-9」が現れ、彼女の命を狙う。一方、同じく未来からやってきたという女性戦士グレースが、ダニーを守るためにREV-9と壮絶な戦いを繰り広げる。何度倒しても立ち上がってくるREV-9にダニーとグレースは追いつめられるが、そこへ、かつて人類を滅亡の未来から救ったサラ・コナーが現れる。(映画.comより)

 

みんな、おはみんご。ミスチルの歌詞にありがちな“てんだ口調”に関する考察を申し上げるわ。

ミスチルの隠れた名曲「Simple」の「君となら何だって信じれる様な気がしてんだとか、ヒットシングル「光の射す方へ」の「僕らは夢見たあげく彷徨って空振りしては骨折ってリハビリしてんだといった歌詞に顕著な“てんだ口調”

本来なら「してるんだ」になるはずだが、歌メロの都合からどうしても4文字しか入らない場合に「してんだ」と砕けがち。

ミスチル以降、ついに“てんだ”は一人歩きを始め、さまざまな歌手が「待ってんだ」「分かってんだ」「期待してんだ」「燃えてんだ」などと思い思いの“てんだ”を打ち出すようになった。

だが、この“てんだ”にも歴史はあり、恐らく起源は「がってんだ」ではないかと思われる。承知した、納得した、という意味で使われる「合点だ」。

そして、この「合点だ」を応用したのが志村けんの「だっふんだ」である。

そこから「だっふんだ」を改良したのがミスチルで「~してんだ」という言い回しを発明。これを応用したのがOfficial髭男dismの「プリテンダー」というわけだ。

つまり……

がってんだ→だっふんだ→してんだ→プリテンダー。

 このようにして言葉は進化していく…ということが分かったところで、本日は『ターミネーター:ニュー・フェイト』です。ターミネッテンダー!

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◆俺のターミネーター◆

映画プロデューサーの元妻ゲイル・アン・ハードに1ドルで譲ったせいで『妻のターミネーター』と化した『ターミネーター』(84年)の権利は、約30年間もさまざまな映画会社を渡り歩いたことで『皆のターミネーター』となったが、ようやく2019年に創始者ジェームズ・キャメロンの手元に戻ってきた。

したがって28年ぶりにキャメロンが関与したシリーズ6作目の本作を『ターミネーター:ニュー・フェイト』と人は呼ぶが、キャメロン本人にとっては『俺のターミネーター』なのである。

キャメロン「久々のターミネーターで腕が鳴るわー。監督は『デッドプール』(16年)ティム・ミラーに任せるけど、プロデューサーも製作もオレ。いいね? これは『俺のターミネーター』なんだからね!?」

しかしティム・ミラーも意思の強い監督らしく「僕が監督する以上は『僕のターミネーター』でもあります!」と口ごたえしたらしいが、そんなティムにキャメロンは「おどれガキ…! 俺のターミネーターじゃあ!」と権威を振りかざして圧殺!!

その結果、ティムは映画完成後に「もう僕は拗ねてしまいました。二度とキャメさんとは仕事しない」と言って袂を分かったそうな。キャメロン…『殺人魚フライングキラー』(81年)の時に自分がされたことを後輩にすなよ…。

 

そんなわけでキャメロン悲願のプロデュース作品『俺のターミネーター』だが、キャメロンが関わっていない『T3~5』なかったことにして、自身が手掛けた『ターミネーター2』(91年)の正式な続編だと言い張っているようにオレさま解釈がすごいわけ。

一般的に「ターミネーター3」といえばジョナサン・モストウが手掛けた『ターミネーター3』(03年)のことを指すが、キャメロンにとっては本作こそが真のシリーズ3作目、通称『真T3』なのである。

ただし“キャメロンにとっては”ね。

われわれのような非キャメロンにとって、本作は紛うことなきシリーズ6作目に当たるわけだが、キャメロンの中ではアカの他人が勝手に作った『T3~5』はなかったことになっているので、まさに“過去を修正しすぎてワケがわからなくなったSF映画”という当シリーズ最大の売りをキャメロン自らが体現してのけたのだ。

いわばこの最新作を『T2』公開後の過去に送り込むことで『T3~5』を抹殺して歴史を改変したのである。

キャメロン、おまえがスカイネットだよ!

 

サラ・コナー役のリンダ・ハミルトンが満を持して登場する『真T3』もとい『俺のターミネーター』だが、やってることは『T2』の焼き直し。

人工知能・スカイネットを破壊して“審判の日”を回避したジョン・コナー少年が開幕早々に未来から送られてきたT-800に殺害されてしまい、そこから22年経ったあとの2020年のメキシコシティが今作の主舞台となる。設定はややこしいが内容はシンプルだ。“リージョン”という新たなAIが送り込んできた新型ターミネーター・REV-9が地の果てまで追いかけてくる…という毎度お馴染みの鬼ごっこ。ただそれだけである。

REV-9の抹殺対象は、将来レジスタンスのリーダーとなるメキシコ人の少女(ナタリア・レイエス)。そしてナタリアの命を守るのが“スカイネットが存在しない未来”から送られてきた女性兵士(マッケンジー・デイヴィス)と、息子ジョンを失ったあと22年もターミネーター狩りを続けてきたサラ・コナー(リンダ・ハミルトン)だ。

移民問題に揺れる南米を舞台に、人種も世代も異なる女性3人が未来を変えるためにREV-9に立ち向かうというディズニーばりに色んな方面に配慮したSF忖度映画『俺のターミネーター』。

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ナタリアを守る女性兵士マッケンジー・デイヴィスは改造手術を受けた強化人間なので、いわばターミネーチャンだ。

身体はターミネーターだが心はネーチャンで、数十年後の未来で自分の命を救ってくれた救世主ナタリアのために全力で彼女の命を守るが、どうも燃費が悪いようで、少し戦うとすぐガス欠を起こして卒倒する。

そんな彼女に先輩風を吹かせるのが歴戦の勇士サラ・コナー(以下サラコ)。生身の人間なので腕っぷしではターミネーチャンに敵わないが、ターミネーターとの戦い方やスカイネットに関する色んな設定は熟知してるのでやたら老巧ぶるあたりが見もの。

もちろんアーノルド・シュワルツェネッガー演じるT-800もばっちり登場する。今回のシュワちゃんは『T2』ラストで溶鉱炉に落っこちたT-800とは別個体の同型。とは言え『T2』でさんざん守ってきたジョンを開幕早々にぶっ殺してしまうので『T1』『T2』本作という流れで観るとズッコケること請け合いだ。

しかもこのT-800、ジョンを殺したことに色々と思うところがあったようで、そのあと情緒や倫理の概念を学び、人間の女性と結婚して山奥で木こりしながら呑気に暮らしているという家庭持ちである(妻は彼がアンドロイドということを知らない)。

そんな一同を追いまくるのがガブリエル・ルナ演じるREV-9。

なぜか錦戸亮の外皮を纏った液体金属の新型ターミネーターだ。

ジャニーズ退所後にリージョンに所属したのだろうか?

f:id:hukadume7272:20200702221835j:plain錦戸亮のハリウッド進出作を見逃すな。

 

◆「ダダンダンダダン」を背負いきれてない◆

はっきり申し上げてこの映画は私の心をターミネートするほど破壊的にどうでもいい作品だった。鑑賞中なんて、もう半分虚脱しながらただ画面を観続けるだけの機械と化していたわ。

このシリーズが持つ“コンテンツとしての本質”はタイムスリップSFや視覚効果ショーといったモノなのだろうが、“映画としての本質”はそのどちらでもなくサスペンスなので、そこを演出できてなければどれだけファン心理をくすぐられても「映画として全然ダメね」と唾棄してしまう私にとって『T2』以降は完全なる同人映画だったが、今回も相変わらずターミネーターが好きで好きでたまらない人たちが作りましたというような亜流の域に留まっていた。

レビューサイトに吹き荒ぶ悪評の中には「今回で見切りをつけました」とか「もはやこのコンテンツからは何も新しいモノが生み出されない」といった捨て台詞が散見されたが、き…気づくの遅くない…?

結局のところ、キャメロン自らがメガホンを握るまでは永久に蘇生しないコンテンツなのだ(やっぱり本家が撮るべき…みたいな精神論ではなく、サスペンスや特殊効果を理解したそれなりに腕のある作家にしか正しく撮れないという意味)

 

画面に流れている空気はどこまでも軽く、スローモーションや音楽の用法もハリウッド・マニュアルに忠実。つまり退屈。

最初にナタリアが錦戸に襲われる自動車工場のロケーションは何故あんなにつまらないのか。もっといい工場は他になかったのか。メキシコの自動車産業ってこの工場ひとつで成り立ってるのか。

とはいえサラコの登場シーンにはいたく感動した。といっても、28年ぶりに姿を見せたリンダ・ハミルトンが御年62歳とは思えないほど逞しくシェイプアップした肉体や、あのサングラスで散弾銃をぶっ放す姿に感動したのではなく、このシーンの舞台に白昼の高速道路を選んだことに感動したのだ。

あのロケーション、まじイイね。『T2』のロサンゼルス川でのチェイスとかラストシーンを引き合いに出すまでもなく、“一直線の道を一台の車がひた走る”というイメージこそがターミネーターなのだとすれば、あの高速道路でのチェイスシーンはまじイイじゃん。

f:id:hukadume7272:20200702222020j:plainロケットランチャーを操る62歳。

 

だがその後はダルッダルに弛緩したロードムービーを見せられるので悲しい。夜間シーンはローキー過ぎて画面が真っ黒に潰れてて悲しい。あとナタリアの弟が無意味に死んじゃって悲しい(男はいらない宣言?)。

もう現状“28年ぶりにカムバックしたリンダ・ハミルトン”の命綱だけでどうにか画が持ってる感じだが、よく見るとその他の役者は軒並みナシだよ。ターミネーチャンの長い手足から繰り出されるしなやかなハードアクションは素晴らしいが、その容貌はナタリア同様に“何者でもない貌”。

ちなみに私は『T2』原理主義者なのだが、『T2』はサスペンスをスペクタキュラーに見せた映画の最高峰という点以外にも、とにかくいい貌が揃ってるのだ。シュワちゃん、リンダ・ハミルトン、エドワード・ファーロング、ロバート・パトリック。あと「ひぃひぃふう」の呼吸リズムで爆死したジョー・モートンも。一度観たら二度と忘れないでしょう。

そういう貌がひとつもない。

錦戸役のガブリエル・ルナも然りで、私なんかは彼が出てきた瞬間に「ああ、この貌を良しとしてしまえるセンスなのね、今回の作り手は」と思って、その時点で希望の翼を叩き折られてしまったわ。

なにせ怖くないのだ。錦戸が来てる、錦戸が追ってきてる、錦戸が車にしがみついてる、錦戸のくせに飛行機にしがみついてる…という追跡の恐怖=サスペンスがまるでなく、むしろジャニオタであれば「錦戸ぉー」と両手を広げて歓迎するようなアイドル性すら振り撒きながらちょこちょこ追いかけてくるので逆に可愛いとさえ言っていけるんだ。

f:id:hukadume7272:20200702223011j:plainT-800と錦戸が激しくぶつかる。

 

で、肝心のシュワちゃんがジジイ丸出しでしょう?

前作から発生したシュワちゃんの老いをどうやってカバーするか問題に対して「内骨格は変わらないけど皮膚は人間だから老いるのは当然」とかグダグダ言い訳してるのが微笑ましかったが、嫁はんと子供たちに囲まれてヘラヘラしてるT-800はあまりに悠長すぎて(同人感)。

随所にはターミネーターらしい見得やお約束が散りばめられていて「おー、ターミネーターっぽい!」とは思うが「ぽい」がつく時点で同人なのよね。何しろショットが軽い。貌が薄い。演出がマンガ。あの「ダダンダンダダン」というテーマ曲の重みに映画が耐えきれてない。

「ダダンダンダダン」を背負いきれてない。

キャメロン版ターミネーターがリフをザクザク刻んだヘヴィメタルだとすれば、本作は耳心地こそいいが何となく聞き流してしまうシティポップ。重金属とは程遠い。

アクションシーンでの技斗やVFXは部分的にいいところもあり、錦戸相手に3対1で襲い掛かるターミネーター・アッセンブルに関してはもはやターミネーターである必要がないけど映像処理としては格好いい

反面、飛行機内での戦闘シーンは誰が何をしてて何が起きてるのか誰にも説明できないぐらいぶっ壊れていて放送事故だと思った。いずれにせよ、キャメロン版との比較を抜きにしても好意的に評価するのは相当厳しい。

f:id:hukadume7272:20200702223423j:plainこれがターミネーター・アッセンブル。というかタダの乱射。

◆結局パワーパック。結局パワーパックなんだよ◆

最後の章で書くことは批評ではなく感想です。物語上の設定につっこむのは私の流儀ではないけれど、それにしても「やったもん勝ちやな…」と思うほどむちゃむちゃなので、その悪行をじっくり見つめていこうと思う。

まずもってT-800が人間の感情を学んだという設定に根本的な疑問が噴出するし(それをやらないからターミネーターなんでしょ?)、もっと言えば人間の感情を学ぼうとした意思がある時点でもう人間じゃねえかという因果性のジレンマにも苦しんでみたい。

それでいえばターミネーチャンの存在自体がそもそも疑問なのだが…

強化人間ってなにいいいいいいいい!?

『T4』(08年)のマーカス・ライトみたいなこと?

これは個人的な願いなのだけど、やはりターミネーターというコンテンツは機械と人間の二項対立であってほしいので、半分機械で半分人間みたいなややこしい中間色をまとったキャラクターはあまり出すべきじゃないというか、出したとしても一回こっきりの切り札であってほしいのね。だって、そういう主題は『ブレードランナー』(82年)『攻殻機動隊』の領域だから。その敷居を跨いだらターミネーターがターミネーターである意味がなくなってしまうじゃない。

空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降るのに、機械と人間のあいだには今日も強化人間が降ってくるというのかー。世知辛い。

f:id:hukadume7272:20200702224712j:plainサラコとターミネーチャンは犬猿の仲。

錦戸もイマイチだったなぁ。

こやつは金属でできた内骨格の上から液体状の外骨格を纏っていて、皮膚と本体でふたつに分離(イメージとしては分身)できるのだが、その性質が活きる場面もなく、こちらが「えっ、いま分離しちゃえばいいじゃん」と思うところで分離しないという宝の持ち腐れ野郎としてくたばってしまいました。ターミネーターにも関わらず“人間を装える”という擬態能力もまったく印象に残らないし。設定の飼い殺しだよ。

で、物語終盤。何をどうしても錦戸が倒せないと知ったターミネーチャンは、自分の胸に埋め込んだ動力源“パワーパック”を使えば錦戸を破壊できるといってナタリアにパワーパックを外させるが、なんで今までそれ黙ってたんだよ。

ナタリアからパワーパックを顔面に押しつけられた錦戸は「すっごいビリビリするー」と言って呆気ないほどすぐ死んだ。

まあ、パワーパックを外すことはターミネーチャンの死を意味するし、それはとても残念なことだけど…とはいえそんな簡単な手続きで錦戸が倒せるなら最初に提案しろよ。

自分は、こういう言えば済むハナシ系の映画に人一倍アホらしさを感じてしまうのだ。「それ最初に言ってくれればこんなに苦労しなくて済んだじゃん」みたいな。

ていうか、このパワーパックを量産すればリージョンとの戦争なんてすぐ終わるでしょ。人類にとって必要なのはナタリア(未来の救世主)じゃなくてパワーパックだよ。

結局パワーパックがモノを言う世界なのだとキャメロンは説く!!!

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パワーパックのことをずっと黙ってたターミネーチャン。

 

そんなわけで『パワーパック:ニュー・フェイト』の感想はこれにてお仕舞い。すばらしい映画をありがとうございました、キャメロンさん。結局『俺のパワーパック』というところに落ち着いた。

あと本作はフェミ・ポリコレのゴリ押しもすごいのだが、これに関しては快刀乱麻を断つごとくGさんがぶった斬っていて、それがあまりに爽快なので今さら私が何を言うこともあるまいって思ってる。

最後にGの記事を一部援用するが、評としても実に痛快なので是非こっちも読んでよ。

「半分マシンになったグレイス(ターミネーチャンのこと)や、感情を覚えたターミネーターといったように、ロボットと人間の境界を曖昧にした多様性と、不法入国したメキシコ人女性を未来のリーダーの座にして『戦う女性』を主人公に男性がサポートに回ったりするフェミニズム…という新時代を象徴するイマドキの二大ポリコレ映画になってはいるけれど、皮肉なことにポリコレを提唱すればするほど映画が凡庸になっていく現象を芸能界は一体どう考えているのですか!

『ミセスGのブログ』より

 

Gが荒れております。

f:id:hukadume7272:20200702225104j:plainこれがターミネーター・アッセンブル。というかタダの剛腕。

 

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