シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

コーヒーが冷めないうちに

「過去は変えられない」という原則自体を大胆にも変えていくタイムパラドックスまみれの大ウソつき映画。

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2018年。塚原あゆ子監督。松重豊、ほか多数。

 

時田数が働く喫茶店「フニクリフニクラ」には、ある席に座ると自分が望む時間に戻れるという伝説があった。「過去に戻れるのはコーヒーをカップに注いでから、そのコーヒーが冷めてしまう間だけ」といったいくつかのルールがあるが、過去を訪れたい人たちが次々と来店する。(Yahoo!映画より)

 

はい、ご苦労さん。

暇人のみんなに素材提供します。ジブリの人気ヒロインをたくさん描いたので、加工してシールにするなり引き伸ばしてポスターにするなり、好きに使ってください。

楽しみ方は無限大。

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きみだけのオリジナルグッズをつくっちゃおう。

 

まあ、こんな絵を描いてるオレがいちばん暇人か。

そんなわけで本日はアイスコーヒーくらい冷めきった心でお送りする『コーヒーが冷めやらぬうちに』です。時間の無駄なので読まなくていいですよ。

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◆その面倒臭いルール、全部覚えなきゃいけないの?◆

はいはい、有村架純がタイムトラベルの案内人を務める喫茶店映画ですよ。喫茶店映画といえば宮迫と仲里依紗の『純喫茶磯辺』(08年)がおもしろったなぁ。

まあそんな話はいいとして、彼女が務める喫茶店では特定の席に座るとタイムトラベルできるらしいのよ。そこには幾つものルールが存在するのだけど、劇中キャラクターが自ら口にしているように設定が面倒臭い。

ファーストシーンでは店先の看板が大映しになる。そこにはこのような文言が書かれております。

 

1.過去に戻ってどんなことをしても現実は変わらない。

2.過去に戻ってもこの喫茶店を出ることはできない。

3.過去に戻れるのはコーヒーをカップに注いでから、そのコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ。また、コーヒーは冷めないうちに飲み干さなければならない。

4.過去に戻れる席には先客がいる。席に座れるのは、その先客が席を立ったときだけ。

5.過去に戻ってもこの喫茶店を訪れたことのない人には会うことができない。

 

まあ、観客に対してルール説明をしてるわけだね。

それにしても七面倒臭いうえに分かりづれぇな。

みんなのためにザッと説明すると、まず「先客」というのはタイムトラベルができる席にいつも座っている幽霊・石田ゆり子のこと。タイムトラベルするには彼女が陣取ってる椅子に座らないといけないので、この幽霊が席を立ってトイレに行ってるときしか利用できないらしい。椅子取りゲームかよ。

「そもそも幽霊ってなに…?」と思うかもしらんが、俺に聞かれても知らねえよ、そもそも要るんだよ、なぜか幽霊が。

で、その席について有村架純がマズそうなコーヒーを淹れるとタイムトラベルが始まるのだが、過去に行けるのはそのコーヒーが冷めるまでの時間だけ。その間にコーヒーを飲み干さないと永久に過去に囚われてしまい、石田ゆり子みたいに幽霊になってこの席に座り続けるハメになるんだと(その場合、石田ゆり子は幽霊化を解かれて現世に復帰できるらしい)。

ちなみに、タイムトラベルした先では過去に一度でもこの店を訪れたことのある人間としか会えず、またトラベル中は店外に出ることもできない。つまり戦国時代に飛んで織田信長に会ったりすることはできないわけ。

で、いちばん大事なルールは、飛んだ先の過去で何をしようが未来…つまり現在に起きた出来事は決して変わらないということ。すなわち過去に飛んで死んだ人間の運命を変えることはできない。

以上をもちましてタイムトラベルのルール説明と代えさせて頂きます。

 

めんっ…どくさ。

手前勝手な独自ルールや、踏まえるべきポイント多すぎ。頭の片隅に留めておくこと多すぎ。

正直…こんな面倒臭いルールに乗っかることでしか楽しめないストーリーなら別にもう楽しめなくていいわー。

もう神の視点からモノを言っちゃうと、こういう“映画内ルール”とか“物語設定”って作り手の都合なんだよな。我々はのっけから5つも映画内ルールを覚えさせられるけど、これってつまり後のストーリー展開にとって都合のいい設定であってそれを事前に敷いてるだけの話なんだよ。

おそらく脚本段階では、設定からエピソードを広げるのではなく、まずエピソードありきでハナシを作って、それが破綻しないための設定を後からゴチョゴチョ付け足してる。で、そのゴチョゴチョを“映画内ルール”として最初に提示してるだけのこと。

ある意味では設定というよりツッコミ封じだな。後からヤイヤイ突っ込まれないための予防線をびっしり敷いてるわけさ。だからまず長ったらしいルール説明から入ってるわけ。観客対策がすごいよ。

f:id:hukadume7272:20200709013214j:plain妻と話す松重豊。

 

このルール説明を受けて、私は根本的かつ圧倒的な疑問を感じたんだよね。

それがルール3。

「3.過去に戻れるのはコーヒーをカップに注いでから、そのコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ。また、コーヒーは冷めないうちに飲み干さなければならない。」

もしコーヒーが冷める前に飲み干さないと永久に過去に囚われ、幽霊として席に座り続けることになるので、いわばこのタイムトラベルは命懸けなのである。

そんな生きるか死ぬかのチャレンジなのに…「コーヒーが冷めるまで」とか曖昧な表現でいいの?

「冷める」の基準を設けないとさ、「もう冷めた」か「まだぬるい」かなんて人によるだろ。

しかしまあ、有村も同じことを考えたのか、映画後半ではマグカップの中に温度計を突っ込んでコーヒーが冷める直前にアラームで知らせてくれるように工夫するんだよね。そこはちょっと笑ったけどね。最初からしろよと。

あと、「それでは始めます」とかなんとか言って有村が淹れてくれたコーヒーは地獄みたいに熱くて、湯気とかムッファーってなってるのにさ、いざタイムトラベルが始まって過去に飛ぶとすでに常温に戻ってるんだよ。

イカサマやん。

なにこの怖いコーヒー。なんで急激に冷めていってるん…。

過去に戻ったトラベラーたちは会いたい人と再会できた喜びを噛みしめる一方、信じられない早さで温度が急低下していくコーヒーに「ごっつ冷めてもうてるやん」とドン引きします。イカついことしよんな、有村。トラベラー殺す気か?

ちなみに、有村は“過去に戻れる”ことばかり強調してるけど、実はこの喫茶店には“未来にも行ける”という裏メニューが存在するようです。…どうせこれも「後のストーリー展開にとって都合のいい設定」なんでしょ? と思いながら観てたらドドンのピシャだった。詳しくは次章でお話しするね!

f:id:hukadume7272:20200709011525j:plain緊張をする松重豊。

 

◆最初に覚えさせられたルールはウソだった◆

物語はタイムトラベルする4組のエピソードを順繰りに描いていくでー。

恋心を伝えられないまま離れ離れになってしまった林遣都波瑠。認知症の妻・薬師丸ひろ子に対して自分が夫だと言い出せない松重豊。事故で死んだ妹・松本若菜にもう一度会いたいと願う吉田羊。そして4組目はチャラチャラした大学生・伊藤健太郎と付き合ってミスって妊娠した有村架純。

母になる不安に苛まれた有村は、自らタイムトラベルして過去の母に会いに行こうとするが、実はその母親というのが過去から戻ってこれなくなった幽霊・石田ゆり子なんだよねえ。

しかし魔法のコーヒーを淹れられるのは直系の女だけなので、有村自身が過去に行くにはまず女の子を産み、家業を継げる歳になるまでコツコツ育てて、その子から直接コーヒーを淹れてもらうしかないのだ。少なくとも15年ぐらいはかかりそう。考えただけで気が遠くなる。

ここで満を持して“未来にも行ける”という裏メニューが活用されるわけ。有村とデキ婚した伊藤は、まず自分が15年ほど先の未来に行って、立派に育った娘を15年前の同じ日に送り込み、そこで有村にコーヒーを淹れてやることで有村を母が囚われた過去まで飛ばす…という死ぬほど回りくどい手口でゆり子ママンと再会させてあげるのだ。

あれ…? 待たれよ、待たれよ。よく考えたら有村が妊娠してる時間軸に娘が行っちゃったら起源消滅して因果律崩壊するだろ…なんてことも思っちゃうのだが、まぁ、そこらへんはテキトーに流すべきか。別にこんなもん、高校生の客を騙せるだけの“それっぽいことやってる感”さえあればどうとでもなるのだ。

 

それよりすごいのは松重豊のエピソード。

松重は、かつて妻から貰いそびれた手紙を過去で受け取って現在に持ち帰る…という荒業を成し遂げるのだ。

「1.過去に戻ってどんなことをしても現実は変わらない」んじゃなかったのおおおおおおおお?

過去には干渉できず、そこで何が起きても現在にはいっさい影響を及ぼさない、というのがルールだったのに……ウソじゃん。

平然とウソぶっこいてんじゃん。そっちで勝手にルール作っておいて、さんざん観客を縛りつけて、僕の純情を弄んで…。挙句それがウソだったとはな!

事程左様に「過去は変えられない」という原則自体を大胆にも変えていくタイムパラドックスまみれのシナリオ。「…バカしか居なかったのか?」と思うほど製作側のクルクルパーが超速回転しているが、シナリオのほかにも、映像、演出、構成と、あらゆる面においても稚拙で、現在の日本映画クオリティが火を噴き散らしております。

f:id:hukadume7272:20200709013416j:plain松重豊の笑顔。

 

まず、コレ…、群像劇風に見えるけど群像劇じゃなくてオムニバスなのよね。

1組のエピソードを完結させては次の1組のエピソードが始まるので一話完結型のTVドラマとまったく同じ構成。無関係な人たちが繋がったり交差したり…といった有機的な人間模様をハナから突っ撥ねてて、すべての登場人物が“対有村”の形でしか動いていかないのよ。波瑠と有村。吉田羊と有村。松重豊と有村…。

というわけでホスト役の有村架純が完全主役なのだけど、惜しむらくはこのキャラクターにぜんぜん魅力がない。たぶん本人的には“不思議な力を持ってる物静かなカフェ店員”を演じてるんだろうけど、ただただ無感動で辛気臭いロボットにしか見えないの。ロボットならロボットで最後までそれで通してくれればいいんだけど、物語後半では恋愛したり妊娠したりと急にケータイ小説みたいな展開が火を噴くんだよなー。話の展開と有村のキャラクターが齟齬をきたしてるわけ。

f:id:hukadume7272:20200709013630j:plain有村ではなく松重豊です。

 

あと、タイムトラベルの演出は私以外にも違和感を覚えた人が多かったようで。

有村がコーヒーを淹れると、ムッファーとあがった湯気が天井を湿らせて水滴がポタポタ落ちてくる。するとトラベラーが水中にドボンと落ちて、ハッと我に返ると戻りたかった過去にいるっていう。

「はあ?」みたいな。

まあ、この水中は心象風景っていうか、ただのイメージなんだけど、それにしてもイマジネーションがねえ…。ショボい。コーヒーと水中の取り合わせも全くピンとこないし、どっちも液体なのでイメージもダブってるし。

あと、トラベラーが過去に戻るたびに、店内で働いてる有村が「来たわね…」みたいな目でチラッと見るのはどういうわけ? トラベラーが未来から来たことを有村は認識できてるわけ?

それにトラベラーが未来からやってきた瞬間って店内のほかの人たちの目にはどう映るわけ? それまで空席だったテーブルにパッと現れるわけ?

そもそもこのタイムトラベル現象ってどこが発生源なわけ? 有村の家系に不思議な力があるのか、それとも店自体が魔法の喫茶店なのか、あるいはコーヒーに秘密があるのか? 謎が火を噴く。

この辺でやめておくけど、ほかにも考えれば考えるほどモヤる案件が11個ぐらいあります。なぜなら作り手が何も考えてないから。

謎が火を噴き散らかしております。

f:id:hukadume7272:20200709012823j:plain水中に叩き落される松重豊。

 

◆出来ることを楽しめばいい? うるせえ◆

あまりに出来がぬるくて気持ちが冷めてしまったが、最後の章は撮影/演出の面からじっくり見つめていこうと思う。

タイムトラベルするたびに全てがスローモーションになり、とびっきりダサいストリングスが大袈裟に鳴り響き、「コーヒーが冷めないうちに…」という決め台詞が繰り返される(これから観る人は音楽に注目して。ぶっ飛ぶほどダサいから

このように、最初に固めた演出を繰り返す…という作法からしてTVドラマなんだよね。

説明的な台詞と、説明的な音楽と、説明的な芝居。画面は主にバストショットの単調な切り返しでとりあえず映ってればいいというもの。身体表現や空間設計など望むべくもなく。

もちろんTVドラマならそれでいいんだけどさ。TVドラマちゅうのは人物の心理や物事の状況を最短距離で伝えるための説明に特化した映像媒体だし、それがいちばん美しい形なんだけど、残念ながら本作を手掛けた塚原あゆ子さんは映画とドラマが似て非なるものであることを正しく理解するところから出発せねばなりません!

コーヒーが冷めきる前に飲み干さなきゃいけない…という設定も、具体的にあと何秒で冷め切るのかが分からないからタイムリミット・サスペンスがまるで利いてない。温度計のアラーム音が少しずつ早くなるといった演出をつけるだけでも随分違っただろうに。

あと、妻からの手紙を涙目で読みふける松重豊をド正面から撮ってるアップショットには「何事だ、これは」と思ったよね。「YouTuber松重豊か?」と。

f:id:hukadume7272:20200709012443j:plainアップショットに収まる松重豊。

 

ついでにラストシーンがゲボ出るぐらいサムかったことを付記しておく。

物語がハッピーエンドを迎えたあと、タイムトラベルを体験して各自いい感じに未来を切り拓いた波瑠、吉田羊、松重豊の三人がカメラ目線のやたら晴れやかな表情で“気づき”や“まなび”を観客に向けて語り掛けるシーンだ。

 

波瑠「私が考えなきゃいけなかったのは、絶対に失いたくないのは何かってこと!」

 

吉田「私は幸せになるって決めた。周りの人も全部、まとめて幸せにする!」

 

松重「たとえ妻が認知症でも、まだ夫婦二人で出来ることがある。出来ることを楽しめばいい!」

 

うるせえよ。

なんでぼくは妙に達観した登場人物から教訓めいた言葉を聞かされているのだろう。マンツーマンで。

そんなわけで、映画としては悪質、三流、粗末の極みだが、人気女優を主演に据えて「4回泣けます」というコピーさえ付ければ簡単に興収15億円を突破するのだから、真剣に表現と向き合っている映画人たちはコーヒーどころか情熱まで冷まされる思いであろうことは想像に難くないが、まあ、挫けずにがんばってください。

とりあえず私はこの映画を観る直前の時間軸にタイムトラベルして他の映画を観たいと思った。コーヒーが冷めないうちに。

f:id:hukadume7272:20200709012537j:plain「出来ることを楽しめばいい」と説く松重豊。

 

(C)2018 映画「コーヒーが冷めないうちに」製作委員会