シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

キャッツ

オンチな歌とめまいのする踊りでハリウッドを翻弄した変態パラノイア集団。その謎に包まれたベールとは? ~第1章ですべてが終わる短期決戦レビューのゆくえを見届けろ~

f:id:hukadume7272:20200731000817j:plain

2019年。トム・フーパー監督。フランチェスカ・ヘイワード、ロビー・フェアチャイルド、ジェニファー・ハドソン。

 

人間に飼いならされることを拒み、逆境の中でもしたたかに生きる個性豊かな「ジェリクルキャッツ」と呼ばれる猫たち。満月が輝くある夜、年に一度開かれる「ジェリクル舞踏会」に参加するため、街の片隅のゴミ捨て場にジェリクルキャッツたちが集まってくる。その日は、新しい人生を生きることを許される、たった一匹の猫が選ばれる特別な夜であり、猫たちは夜を徹して歌い踊るが…。(映画.comより)

 

はい、おはようねェ。その昔、将棋がハチャメチャに強い親戚との対局において初手降参により男らしさを見せつけた孤高の棋士、ふかづめです。

皆さんは絶対に真似してはいけないよ。初手降参は人間のクズがすることだからね。

思えば私は生まれながらにして闘争意識が欠落しているため、ゲームをしていても「絶対に勝つぞ」というファイトが足りなく、マリオカートでは1周離された時点で戦意喪失してコースを逆走したのち車ごと身投げ。町内会のビンゴゲームではぜんぜんビンゴの気配がしないから飽きて帰宅。人生初の魚釣りでもぜんぜん魚が釣れないのでスーパーで普通に魚を買って食べるなど、ありとあらゆる闘争から背を向けてきた。

そんな私が唯一ファイトを出せることがあるんだけど、何か知りたい?

教えてあげないよ!

そんなわけで本日は『キャッツ』です。いつもは3章構成でお送りしてますが、今日はまったく書く気がないのでたった1章ぽっちで勘弁願います。長けりゃいいってモンでもないからね、こういうのは。

f:id:hukadume7272:20200731000924j:plain

 

◆あっちもキャッツ! こっちもキャッツ! 地獄の餓鬼道ここにあり。トム・フーパーが生み出した珍奇生命体に全米混乱! 外道どもの狂乱は夜っぴて続く◆

『英国王のスピーチ』(10年)でアカデミー賞作品賞ほか4部門を受賞し、その後『レ・ミゼラブル』(12年)が全世界で大ヒットしたことで「俺には才能がある」とハデに勘違いした無才の凡愚トム・フーパーが遂にやらかしてしまいました。

同名ブロードウェイミュージカルの映画化『キャッツ』は、その年の最低映画を決めるゴールデンラズベリー賞で6部門の最多受賞を果たし、興収まったく振るわず80億円近くのメガトン級大赤字を叩き出すことに成功。全米メディアや批評家からは「ここ10年で最大級の災害」「ヒゲの生えた『バトルフィールド・アース』(00年)「不愉快な苦悩の毛玉」と縦横無尽のレトリックで評され、名実ともに2010年代のアメリカ映画を象徴する超大作ミュージカルとなった。

まさに現代の『クレオパトラ』(63年)として映画史にその名を刻むであろうし、今後その名は「『キャッツ』のようなー」とか「『キャッツ』じゃないんだからー」と比較対象に挙がることで人々の記憶にいつまでも残り続けることだろう。

f:id:hukadume7272:20200731022520j:plain歌えや踊れやの変態乱舞 ~今宵あなたは気絶する~

 

CGIで半人半獣と化した世にもおぞましいキャラクター群味もそっけもないVFXで作られた吐瀉物の結晶体のごとき醜いロンドンを背景に、妙にオンチな歌めまいのする踊りを繰り広げること110分。その拷問とも呼べる内容は、舞踏会候補者たちの自己紹介ミュージカルが全体の8割近くを占めるという悠長ぶりで、画も話もまったく動かない。まったくだぞ!

では肝心のミュージカルはどうか。照明はまとめてデジタル処理したものだし、トム・フーパー愛用の広角レンズもボケボケなので、どれだけダンサーたちが頑張っても視覚にメリハリがない。縦の構図はなく、横の構図も活用されず、奥行きに至っては完全に死んでる状態。しかも忙しなくカットを割る。あまつさえカット割りがパターン化していて「あれ? よく見るとさっきから同じこと繰り返してるだけだなコレ」と気付いてしまい、すべてが阿呆らしくなった。

近い将来、この程度の映画ならコンピューターで自動生成できる日がくるぞ。

f:id:hukadume7272:20200801011019j:plain
歌うことをするキャッツ。

 

10ページもあれば事足りるであろうビニ本よりも薄い台本に明らかなように、どうやらトム・フーパーはこれがミュージカル“映画”ということを失念しているらしく、完全に“ミュージカル”を撮ってらっしゃる(まあ、それすら技術的な意味では「撮れてない」んだけど)。

同じように、『レ・ミゼラブル』でもミュージカル“映画”ではなく“音楽”を撮ることに腐心したトム・フーパーの救いがたい愚かしさは、158分というバカげた長丁場をやたら被写界深度の浅いクローズアップ(つまり歌ってる人の顔面)のみで押し通そうとした映画の殺害と呼ぶほかない犯罪的身振りに顕著だが、それでも『レ・ミゼラブル』は傲慢なクローズアップによって映し出されたヒュー・ジャックマンやアン・ハサウェイらの熱唱が予期せぬメロドラマを生み、結果的には世界中の人民が“役者の力”に呑まれた。

翻って本作にはもはやそれすらない。

トム・フーパーが生み出した猫とは名ばかりの怪物どもは、その熱演が薫り高いメロドラマとして人を興奮させるにはあまりに薄気味悪く、とりわけ立ったまま皿に顔を突っ込んでミルクをうまうま舐めていたイアン・マッケランに至っては涙が出そうだった。偉大なシェイクスピア俳優がなんてザマだ。

他方、撮影前にアキレス腱がぶっちぎれたジュディ・デンチはただ突っ立って話してるだけの役。たぶんコートの中には松葉杖。Charaぐらい声量のない掠れた歌声はところどころキーを外してもいた。

そしてレベル・ウィルソンが見せたゴ〇〇リの踊り食いミュージカル。果たしてこのシーンを見たことで誰が得をするのだろう。誰の明日が輝くというのだろう。

f:id:hukadume7272:20200801011041j:plain
踊ることをするキャッツ。

 

まさにしっちゃかとめっちゃかのワルツ。

『キャッツ』というパラノイアは、我々のもとに忌々しい悪夢として毎晩蘇り、世にもいかがわしい舞踏会を繰り広げました。

無名の主演フランチェスカ・ヘイワードがすばらしい光彩を放っていただけに今後オファーが来ないのではないかと心配してしまうが、どうか関係者各位におかれては『キャッツ』は『キャッツ』、フランチェスカはフランチェスカとして考えて頂きたい。

というわけで終わる。時間のむだ。

f:id:hukadume7272:20200801010741j:plain
徒党をくむキャッツ。

 

(C)2019 Universal Pictures. All Rights Reserved.