「こりゃあ参るダーTOP3」からは漏れたが十分参る古典ノワール。
1944年。ビリー・ワイルダー監督。フレッド・マクマレイ、バーバラ・スタンウィック、エドワード・G・ロビンソン。
保険会社の営業マン、ネフは自動車保険の更新に出向いたディートリクソンの家で美しい後妻フィリスと出会う。彼女は夫に知られずに傷害保険をかけたがっていたが、犯罪の匂いを感じたネフはそれを拒否。だが彼女の魅力に抗しきれないネフは、倍額保険を手に入れるための完全犯罪を考えつく…。(Yahoo!映画より)
ういー、ご機嫌ちゃーん。
先日めかぶの美味しい食べ方を募ったけど、おまえらは無視したよな。
評の最後に「『シネマ一刀両断』ではめかぶの美味しい食べ方を募集しています。奮ってご応募ください」とまで呼びかけたのに、一通たりとも応募がないばかりか、コメント欄ではやなぎやさんから「めかぶをやめて米を食べなさい!!」と叱られる始末。えぇ…。めかぶの美味しい食べ方を訊いただけなのに叱られる世界線とかあるん?
この無視&折檻を受けた凶悪事件は「めかぶショック」として私の中で記憶されることになったが、なんと昨日、mixi時代からの知己、ツルコフ女史から嬉しいコメントが!
「めかぶ好きです。納豆や豆腐といっしょにどんぶりで食べちゃう。すりおろし生姜やミョウガ、ねぎ、韓国のりなど、トッピングがあるとより美味しい。」
まさにそういう話が聞きたかった!
ツルコフさんは有力な情報提供に成功されました。まさにめかぶの未来を担う、めかぶコメンテーター、めかぶコンサルタント、めかぶアンバサダー。あとそうね、めかぶ…めかぶブリーダー。
ステキな情報をどうもアリス。めかぶの国のアリス。
とはいえ、あの後すぐめかぶに飽きたので当分食べることはないのだがな。
そんなわけで本日は『深夜の告白』です。久しぶりに映画論と呼べるレベルの話をしてるので、読み応えは割にたっぷりだよ。
◆保険金殺人モノの草分け的ノワール◆
数年前、映画好きのおじさんと知り合いになり「ビリー・ワイルダーはいいよね」、「いい、いい」なんて話をしていて、ワイルダーのお気に入り映画3本、通称「こりゃあ参るダーTOP3」を決めることになった。以下がその結果。
おじさんの参るダー
1位『サンセット大通り』(50年)
2位『お熱いのがお好き』(59年)
3位『アパートの鍵貸します』(60年)
わたくしの参るダー
1位『麗しのサブリナ』(54年)
2位『第十七捕虜収容所』(53年)
3位『情婦』(57年)
お互いダブらないように選んだので忖度の宮殿みたいなランキングになったが(本当は私だって『サンセット大通り』を入れたかった!)、それにしても計6作品も挙げておいて『深夜の告白』が入らないとは恥ずべきことである。
私はおじさんが挙げると思ってあえて入れなかったのだが、おじさんの方も私と同じことを考えていたようで、その結果、双方から素通りされた『深夜の告白』は栄えあるランキングに引っかかることなく埋没。このようにして名作映画は忘れ去られていくのだろうか。
そんなわけで今回は、ワイルダー初期作にしてフィルム・ノワールの古典的名作『深夜の告白』を大フィーチャア!
ある保険外交員が人妻と恋に落ち、彼女の夫を事故に見せかけて殺害し倍額保険をせしめようとする話である。夫に気付かれぬよう傷害保険に加入させた2人は、巧妙な計画のもとに偽装殺人を成功させたが、主人公の同僚である敏腕調査員が死因を怪しんで調査を始めたことで次第に二人の計画が崩れていく…。
本作最大のトピックは、名匠ビリー・ワイルダーと文豪レイモンド・チャンドラーによる共同脚本である。脚本家としても一流のワイルダーが、独自のハードボイルド小説で米文学界に絶大な影響を与えたチャンドラーとチームを組み『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で知られるジェームズ・M・ケインの原作小説『倍額保険』を翻案。今でこそありふれた題材だが、本作は保険金殺人を扱ったその後の映画・ドラマのロールモデルとなった。まさに鬼に金棒ならぬ鬼にギムレットだっ。
「ギムレットには早すぎる」でお馴染みの『ロング・グッドバイ』(73年)をはじめ、様々な小説が映画化されているチャンドラー作品。
キャストも非常によく、人妻と不倫した果てに夫殺しに加担する外交員を『アパートの鍵貸します』(60年)でもヒロインと不倫していた当代随一の不倫俳優フレッド・マクマレイが演じる。身長が195センチもあるので見ているだけでドキドキしてくるのだが、顔はデニス・クエイドを引き戸に挟んでタテに潰したといった塩梅である。
美貌の人妻に扮するのは『群衆』(41年)や『教授と美女』(41年)でもさんざっぱら褒めたバーバラ・スタンウィック。元気印のちゃきちゃき娘だが、本作では凄艶な妖気をまとう非情のヴァンプ(毒婦)を演じており、ファム・ファタールのロールモデルとしてその名を映画史に刻みつけた。どの映画を見ても形状不明のよくわからない髪型をしてるのが玉に瑕。
さあ、数々の疑わしい保険請求を退けてきた敏腕調査員を演じたのは『犯罪王リコ』(31年)、『飾窓の女』(44年)、『キー・ラーゴ』(48年)などを代表作に持つあいつ。フィルム・ノワールやギャング映画には欠かせない大スター、エドワード・G・ロビンソンだ。なにも知らない人は彼をちんちくりんのミートボール野郎と思うだろう。なんて酷いことを思うんだ! 彼はロバート・デ・ニーロとアル・パチーノとジョー・ペシを合体させたような大俳優なので敬意を払って頂きたいと思います。ミートボールとかドラえもんとか言うな。
左から順に、引き戸にデニスなフレッド・マクマレイ、形状不明ヘアーのバーバラ・スタンウィック、ちんちくりんミートボーラーのエドワード・G・ロビンソン。
◆チャンドラーのモノローグ術◆
深夜に保険会社の前で急ブレーキをかけた外交員のフレッドが這う這うの体でオフィスに入り、テープレコーダーに向かって親友の保険調査員エドワードに宛てた口述、もとい『深夜の告白』を始める。
ここから大量のモノローグを用いた回想形式でストーリーが進行するので、いわゆるところの倒叙ミステリ、要するに最初から保険金殺人の犯人がフレッドだと明かされてるわけだが、このワイルダー流の倒叙法は6年後の『サンセット大通り』で爛熟を迎えることになる。プールに浮かんだウィリアム・ホールデンの死体が“死に至った経緯”をモノローグ付きで回想する…という反則スレスレのストーリーテリングで映画脚本の常識を根底から覆すことになるわけだ。いわば『深夜の告白』はその習作。
ワイルダー然りヒッチコック然りプレミンジャー然り、テリングに重きを置いた映画作家たちは“何を語るか”という説話内容よりも“いかに語るか”という説話形式を模索している。
開幕、フレッドによる深夜の告白。
どうやら深手を負っているらしいフレッドは、レコーダーに向かってバーバラとの馴れ初めから語り始めた。溶暗。
さて、回想パートは数ヶ月前にフレッドが自動車保険の更新を勧めるべくバーバラの夫トム・パワーズの豪邸を訪れるシーンに始まる。チャンドラーが手掛けたであろうモノローグは舐めるように画面の細部を語り尽くす。
「グレンデールへ出かけた帰りに自動車保険の更新の件を思い出し、その客の家まで行った。昔流行った洒落たスペイン風の家だった。3万ドルはしただろう。ローンがなければの話だが…」
やかましいな。
一事が万事この調子である。事あるごとにモノローグ…つまり“フレッドが心の中で思ったこと”が音声化されるわけだが、今回2度目の鑑賞となる私はこのモノローグが単なる独白ではないことに気がついた。チャンドラーの書いたモノローグはワイルダーの映像と緊密に絡み合い、観客の瞳を巧みに誘導し、画面を補完していたのだ。な…なんていうことなんだ!
使用人からパワーズは留守だと言われたフレッドは、二階から「どなた?」と呟いたバーバラに用件を伝え、一階のリビングでしばらく待たされる。リビングを練り歩くフレッドはまたしてもモノローグに耽るわけだが、その内容は以下の通りである。
「居間の空気は淀み、葉巻の臭いがした。ブラインドの隙間からは陽が射している。ピアノにパワーズ氏と娘の写真が飾られていた。テーブルの金魚鉢には赤い金魚。金魚なんてどうでもよかった。保険の更新のことさえも…」
一聴する限り、別になんてことのないモノローグのように思える。ただリビングの様子を簡単に素描しているだけの内容なのでつい聞き流してしまいそうになるが、実はすべてのワード、すべてのセンテンスがその後の劇展開を暗示してるんだよ。
まず「葉巻の臭いがした」とあるが、のちに殺害されるパワーズとその死を調査するエドワードはともに葉巻を好み、逆に共謀者のフレッドとバーバラは紙煙草を吸っている…という対比構図によってキャラ分けがされてゆく。また“喫煙時に使うマッチ”が演出の小道具として何度も出てくるのだが、これについては後述するね。
次に「ブラインドの隙間からは陽が射している」。これは映画全編にそのものずばりが視覚化されていて、ブラインドから射すまだらな光が保険金殺人に手を汚した二人を告発するように闇を切り裂く。この演出は後年のノワール作品における古典的な陰影法となり、最近観た中だと『リチャード・ジュエル』(19年)でイーストウッドが嬉々として同じことをやってたわ。
ハイ次。「ピアノにパワーズ氏と娘の写真が飾られていた」とあるが、これが意味するのはバーバラがパワーズの後妻だということにほかならない。ちなみに映画終盤ではこの写真の娘…つまりパワーズと先妻の間に生まれた一人娘ジーン・ヘザーが継母バーバラの破滅の流転劇に一丁噛みしてくるので、ジーンの存在をこの開始8分のファーストシーンで仄めかしたテリングは恐ろしいまでに経済的といえる。
ほい次。「テーブルの金魚鉢には赤い金魚。金魚なんてどうでもよかった。保険の更新のことさえも…」はそのまんまの意味で、このファーストシーンで早くもフレッドがバーバラに惹かれていることを窺わせる。
要するに、不倫に走った二人が保険金殺人を暴かれるまでの顛末が、この“なんてことのないモノローグ”の中で既に暗示されていた…ということだ。
「金魚や保険の更新のことさえどうでもよかった」と思えるほど強く結ばれた二人が「葉巻の臭い」をさせる人間を殺し、また別の「葉巻の臭い」をさせる人間から怪しまれ、「パワーズ氏の写真と一緒に飾られた先妻との娘ジーン」の存在が決定打となり「ブラインドの隙間から射した陽」によって罪が暴かれる物語…。
さすがはレイモンド・チャンドラーと言うべきか。いやいや、そのモノローグを映画に還元したビリー・ワイルダーこそさすがと言うべきか!
いずれにせよ『深夜の告白』は文学的知性と映画的知性が結婚した薫り高いフィルム・ノワールのようである。
それでは皆さん、ご一緒に。
こりゃあ参るダー!!
はい楽しいね。
まだらなブラインドの陽が罪を暴く。
ここで一丁、バーバラ・スタンウィックのヴァンプぶりについて。
エロティスムの化身みたいなエヴァ・ガードナーやラナ・ターナーに比べればずいぶん可愛いものだが、そうした印象はキャッチライトに映える健康的な瞳を持っているためであろう。ヴァンプを演じる時はなるべく目を細めて扇情的な眼差しを作るものだが、彼女の場合はクリクリしたお目めをクリクリさせたまま芝居に臨んでいて、その無造形的な芝居がいかにも天衣無縫(唇がきらりと艶めく瞬間も見逃さずにおけ!)。
第一、ヴァンプというのは愛人をそそのかして自分の夫を殺させるような性悪女だが、その点バーバラは息の合った連携プレーでフレッドの偽装殺人をあくせくと手伝っている。その辺のヴァンプに比べれば幾らか温かい心を持っています。
ノワールの定型におさまらない本作の柔軟性は彼女のチャーミングなキャラクターにもよく出ていて、夫殺しを成功させたあとにエドワードから嗅ぎ回られたことで「しばらく会わない方がいい」とフレッドに言われたバーバラは「イヤ!」と反撥する。イヤなん?
つまり彼女は、同じ秘密を共有するうちにフレッドのことを本気で愛してしまったわけだ。
「愛し始めちゃった…」
愛し始めちゃったん?
フレッドを愛し始めちゃったバーバラ。ヴァンプなのにやたら純情。
私が気に入っている場面はパワーズ殺害後のある一幕!
フレッドがバーバラとの逢瀬を楽しむべくアパホテルに赴くと、バーバラより先にエドワードが部屋にやってきて「やっぱりパワーズは事故死やあらへん。あのバーバラとかいう後妻が怪しいな。ワシの勘がそう言っとんにゃ!」と名推理を開陳。そこへバーバラが「今日は楽しいアパ不倫♪」と鼻歌まじりに現れたが、室内から漏れてくるエドワードの声に「アパアパアパ…」と周章狼狽してドアの裏にサッと隠れた。もし姿を見られたらフレッドとバーバラが共謀してパワーズを殺したことが露見する。そうなったらアパどころかあじゃぱーである。
この危機一発のニアミスは実にサスペンスフルだが、と同時にどこか愛嬌もあって、ようやく帰るかに見えたエドワードがエレベーターの前で葉巻をくわえ「ちょ、火ィ貸してぇな」と言いながら再びドアに近づいてくるシーンに至るまで隙がない。
こっち来んじゃねーよ、ミートボール!
危機一発のドアサスペンス。「こっちくんな、こっちくんな」と願うバーバラ。
◆メロドラマの覚醒者とノワールの続行者、その愛の果て◆
エドワードがパワーズの死を保険金殺人と断定したことで二人は迂闊に会えなくなり、いよいよバーバラの中の西野カナが発動。会いたくて会いたくて震え始めたのである。だが西野カナを発動されるとエドワードに疑われる…と危惧したフレッドは、ついに禍根を断つべくバーバラの抹殺を決意する!
それに勘づいたバーバラは、真夜中に家にやってきたフレッドを銃でパキューンと撃って左腕を奪ったが、どうしても二発目が撃てなかった。なぜなら彼を愛していたからさ…。そして銃をフレッドに渡し、無償の愛を訴えたのである。
このバーバラの“愛の告白”がノワール史に刻まれるべき名場面である理由は明々&白々。
ヴァンプがヴァンプたりうる身振りを放棄したからに他ならない。
ここでのバーバラは純情可憐な恋する女。彼女が無償の愛を訴えかける行為は、いわばノワールを終わらせてメロドラマを覚醒させる身振りなのだ。
しかし、その甘美な覚醒は、あくまでノワールの続行を望むフレッドによって「悪女の言葉なんて信じられないね」という冷酷な言葉のもとに否定され、渡した拳銃から放たれた弾丸によって儚くも打ち砕かれてしまうのだ。
かかる悲劇の誘因は保険金殺人を共謀した2人の動機がものの見事にすれ違っていたことだろう。バーバラの当初の動機は保険金目当ての夫殺しという「欲」だったが、やがて共犯者として利用したフレッドを「愛」してしまう。一方のフレッドは「愛」ゆえに夫殺しに加担したが、やがては邪魔な女を消して完全犯罪を成し遂げたいという「欲」のためにバーバラを殺害した。
ようやく愛に辿り着いたと女と、ついに愛を見失った男ォーッ!!
なんとも皮肉! いかにも悲劇!
そして時は現在に戻り、撃たれた左腕の出血多量で今にも失神しそうなフレッドは“深夜の告白”を終え、オフィスに駆けつけたエドワードに見守られながら死んでいく。
最期に煙草をくわえたフレッドにマッチの火を近づけてやるエドワードの格好良さは筆舌に尽くしがたい。何度も「火ィ貸してぇな」と言ってフレッドにマッチをねだっていたエドワードが、友の最期の一服のためにマッチを擦ってやったのだ。しかもその友は自分が追っていた殺人者だった…。
このラストシーンを見れば、人は二度とエドワードのことをデブでよろよろの醜いミートボール野郎とは言えないはずだ。
なんて酷いことを言うんだ!!!
フレッドとミートボール野郎の友情。弱く小さな火はフレッドの命運を照らしてもいる。
パワーズ殺しのトリックも面白いが、まあこれは書かずにおくとして、その殺害現場となるロサンゼルス駅での生々しい夜間撮影は後のヌーヴェルヴァーグへと受け継がれたのではないか、ってオレ睨んでる。
そういえば、こないだ友人2名とグループ通話をしていて「モノクロ映画は色がないから―…」と言った友人に「ばか言え。モノクロ映画はカラー映画よりも色彩豊かなのだぞ!」というような説教を延々して大いにイヤがられたのだが、本作のロサンゼルス駅での夜間撮影は少しボヤけていて液状のベタッとした黒味を画面に湛えていたわ。これは(スタジオ撮影なら人為的にパキッとした黒味を出せるが)ロケ撮影だと実際の街の灯りをそのままカメラが吸い込むためである。
ほかのシーンはほぼスタジオ撮影なのでぜひ見比べてほしいのだが、一口に暗闇と言っても濃かったり淡かったり…乾いてたり湿ってたり…と千差万別なのである。怒ってたり笑ってたり…。
で、話題は「こりゃあ参るダーTOP3」に戻るのだが、本作がワイルダーベストから漏れた理由はズバリ色調なんだよなぁ。
私は映画の好みが“物語”や“演出”ではなく“色調”によって決まるので、墨のようにベタッとしたロサンゼルス駅での暗闇や、白飛びするほど強烈なトップライトが多い本作はあまり好みではない。同時代のノワールなら『ローラ殺人事件』(44年)や『三つ数えろ』(46年)のように、白黒だけで多色表現するようなドラマティックな陰影を好むものなのさ!
墨のようにベタッとしたロサンゼルス駅での暗闇。
また、きったねえ夜間撮影をする連中というのは当時も大勢いた。まあ誰とは言わないまでも『エヴァの匂い』(62年)のジョゼフ・ロージーとかな。
ミケランジェロ・アントニオーニのモノクロ映画も全部ひどいが、キャリア中期の『赤い砂漠』(64年)からは「おれモノクロ向いてねーわ」と気付いてカラーで撮り始めたのでまだ聡明だった。
畢竟、カラーかモノクロかという問題は撮る映画次第ではなく撮る人間の素質によって決まるというのが私の持論だ。たとえばヒッチコックなんかはカラー撮影がとてつもなく下手くそだったわけだが……って、話がすごく脱線してるゥー!
まあ、『深夜の告白』は大変よい作品なので、観たらいいのとちがいますか。カスみたいな画質でよければAmazonプライムビデオにも上がってるで。