糸とホイールと段ボールからなる工作SF怪奇映画! ~溜息、腰痛、辟易、肩こり。さあキミが見せるリアクションは何か?~
1959年。エド・ウッド監督。グレゴリー・ウォルコット、ヴァンパイラ、ベラ・ルゴシ。
アメリカ各地で空飛ぶ円盤が目撃される。それは、軍拡競争で自滅の道をたどる人類に警告するため、外宇宙からやって来た宇宙人たちだった。宇宙人は合衆国政府に接触を図るが、軍上層部は彼らのメッセージを理解できずに拒絶、攻撃してしまう。宇宙人は墓場から死者をよみがえらせて人間たちを驚かせ、地球を征服する「第9計画」を発動する。(映画.comより)
やあ。まあ、 程々におはよう。
幼き頃に童話、絵本、児童文学の類にまったく触れてこなかったのが未だに悔やまれる人生をおれは送っているわー。『星の王子さま』とか『クリスマス・キャロル』とか、グリム童話とか。そういうステキ味の高いメルヘン話にはてんでついて行けないのが自分の弱点だって思ってる。でも、わざわざこの弱点を突いてくる人もいないので、特に対策の必要もないかなって思ってるんだ。
私がいま何の話をしてるか、分かるでしょうか。私には分かりません。なぜなら泥酔しながら書いてるからです。今から残酷なことを言わねばならないのだけど、心の準備はよろしいでしょうか。
前書きというのは意味のあることを書く必要はなくて、とりあえず文字を羅列してればいいんです。
内容の質とか量はどうでもよくて、誰が見ても「あ、これは前書きだな」と分かってもらえる程度の文字の塊がそこにあればいいわけです。ためしに書籍を開いてごらんなさい。筆者の前書きなんてほとんど意味をなさない繰り言です。前書きという名の能書きです。読み飛ばす人も多いです。基本的に、人は、本編を読みたいので、前書きなんていちいち読まないわけです。だから何を書いてもいいわけです。「昨日コンビニのサンドイッチ食うたら美味かったわー」とか、その程度の内容でも十分通用するのです。
その意味では前髪と同じです。
前髪というのは、本人にとってはヘアーデザインをする上でたいへん気を配るポイントであり、整髪料とかクシとか使って一生懸命作っているけれども、はっきり言って、人はあなたの前髪なんていちいち見てやしません。人が見ているのは髪型全体の“イメージ”であって、前髪の細かい調子とか、そんなものは誰も気にしちゃいないのです。そういう話を、私は今しています。
そんなわけで本日は『プラン9・フロム・アウタースペース』です。いつも読んでくれている皆さんには、お歳暮としてアリスセットを贈りたいと思います。セットの中身は追ってご報告します。
◆最低映画の金字塔が満を持して復刻! ~早く終わらねえかな、この映画~◆
あの伝説の映画『プラン9・フロム・アウタースペース』がHDリマスターで蘇ったとあらば“観ない”という選択肢から逃れることのできる人間もそういまい。
言わずと知れた「最低映画」の頂点に君臨し続けるゴミの中のゴミ。芝居も脚本も学芸会レベルとされ、公開から61年が経っても今なお語り継がれる駄作ぶりはまさに神話。あまりに酷い内容から買い手がつかず劇場未公開。テレビ局に二束三文で権利を投げ売りしたが、あまりに酷い内容から1980年代に「ゴールデン・ターキー賞」の歴代最低映画に輝いたことでカルト的人気を博した。
本作は『死霊の盆踊り』(65年)の脚本を手掛けたエド・ウッドが自信たっぷりに撮りあげた恐ろしくチンケな映画である。どこからその自信がきたのかと問わずにいられない素人芸と、全ショット全モチーフが弛緩した究極の脱力ムービー。映像も脚本もすべてが浅ましく、いっさい演技指導を受けていない役者陣はただ突っ立って台本通りにセリフを喋るのみ。作品としての佇まいにはどこか映画というものを冒涜したような雰囲気さえ漂っている。
わたしは開幕5分で貧乏揺すりが出てしまい「早く終われ、早く終われ、終われ終われ終われ」と呪詛のように唱えていた。ものの5分でこんなことになるのか、と自分でも驚きだった。そのあと居眠りしてしまい、目覚めた後に「ああ、もう一度観返さなきゃ」と思って、少しだけ死にたくなった。
どういった中身かと言うと、ある日、空飛ぶ円盤に乗って地球に現れた宇宙人が人類に戦争を止めさせるために政府にメッセージを送ったが無視されたので“第9計画”を実行する…という中身だ。
“第9計画”とは宇宙皇帝が部下にくだした指令で、墓場からゾンビを蘇らせて人間を驚かせることで自分たちの存在をアピールするといういささか意味不明な計画のこと。しかも彼らが蘇らせたゾンビはたった3人ぽっちである。
映画が始まると『死霊の盆踊り』よろしくインチキ霊能者のクリズウェルがカメラ目線で観客に挨拶をカマし、ちらちらとカンペを見ながら「今からご覧いただく恐ろしい物語はすべて真実です」と大ボラを吹く。相変わらずしらこい。
クリズウェルは「あなたはこの衝撃の真実に本当に耐えられますか!?」とヤラセ番組の語り部のような胡散臭い態度でわれわれを煽り、得意げな笑みを浮かべて闇の中に消えていく…。
まだ開幕1分しか経ってないが、早くも人は思う。
「早く終わらねえかな、この映画」と。
『世にも奇妙な物語』のタモリ枠。
本編が始まると、墓から蘇った怪奇・吸血ゾンビが人々を殺していくのだが、ゾンビの行動範囲は主人公の家の裏手にある墓場だけ。そこにやってきた農民や警察官が、やたら緩慢な動きで迫ってくるゾンビに抵抗するでも逃げるでもなく、ただ直立不動で「わ、わあー」と発声してるうちに首元をかじられる…の繰り返し。
怪奇芸人のヴァンパイラと大男のトー・ジョンソンがゾンビを演じているが、やはり特筆すべきは元祖ドラキュラ俳優のベラ・ルゴシ。
ベラ・ルゴシはサイレント期から怪奇映画で活躍した伝説的スターだ。しかし本作のクランクインからわずか2週間で死去してしまう。
よって本編ではルゴシの出演シーンを何度も使い回したり、代役がマントで顔を隠しながら同役を演じるなど苦し紛れにもほどがあるダマシ演出でルゴシの不在を埋める。『死亡遊戯』(72年)かよ。
画像上はヴァンパイラ(左)とトー・ジョンソン(右)。画像下はベラ・ルゴシの代役。
◆段ボール! ホイール! チャチな電気銃! 小道具に懸けた涙ぐましい努力が実を結ぶ ~あるいは太陽爆弾の謎~◆
その後も最低映画の名に恥じぬハイパーチープな描写のオンパレード。セット、小道具、SFXと、どれを取っても学祭レベルの工作がわれわれの度肝を抜き散らかす。
劇中に何度も出てくる墓石はぺらぺらの段ボール製。しかもキャストが地面に倒れた震動でピョンと跳ねちゃう。それに宇宙船の中にはカーテンと机しかない…など、果てしなく安っぽいセットもセットなら視覚効果もまた酷く、空飛ぶ円盤として出てきたモノがどこからどう見ても車のホイールだったり、思いきり糸で吊るしてるのが目視できてしまったりと、全シーン、全ショットがトホホの極地に到達したスーパーZ級映画が観る者の瞳を淀ませるのだ。
特筆すべきは空間設計。この宇宙一情けない映画は、全部で5つほどのしょぼくれたセットで撮影しているのでキャストが動かないのである。セットAからセットBまでの“移動”が描けないので、観る者はただでさえボディランゲージに乏しいキャスト陣がセットの真ん中に突っ立った状態でぶつぶつセリフを喋り続ける…という世にも退屈な場面構成を耐えねばならない。
未確認飛行物体とのこと。
物語中盤では第9作戦なる未だによくわからない作戦を実行した宇宙皇帝の浅い思想がモッタラモッタラと描かれる。
宇宙皇帝の目的は、人間たちに核実験をやめさせて地球を救う…という高邁な精神に基づいたものだが、そのメッセージをアメリカ政府に無視されたことに腹を立て、墓場からゾンビを蘇らせて皇帝の力をアピール(これが第9作戦)。しかし地球救済を掲げながらゾンビたちに人間を襲わせては本末転倒だろう。
しかも皇帝が蘇らせたゾンビたちは誰彼構わず攻撃するので部下たちが電気銃を使ってゾンビを制御するのだが、その制御方法というのが銃口をぐりぐり押し当てるというもの。銃の発射描写があるとVFXを使わねばならないが、ただ押し当てるだけなら特殊効果が要らず製作費が浮くので、そうしてるわけだ。果てしなくセコい。
この中盤シーケンスでいちばんクソなのは、皇帝側近の女性隊員タンナが電気銃をぐりぐり押し当ててもゾンビを制御できないというハプニングシーン。なぜか動かない電気銃を仔細に点検したタンナが驚きの故障原因を口にする…。
「詰まってるわ!」
詰まってるん?
一体なにがどこに詰まっているというのか。
というか、この宇宙人たちは死者をも蘇らせることができるのに詰まりが原因で銃が故障するような文明レベルなのだろうか。
そうこうしてるうちに仲間の隊員がゾンビに襲われ、「やめろ、ばか!」と揉み合った拍子にタンナが電気銃を床に落とし、それを拾い上げて見事にゾンビの鎮静化に成功する。
「落としたら直ったみたい」
ふむ…。
何かが詰まるとすぐ故障するけど、床に落とせば易々と直る電気銃…というわけか。いったいどのような仕組みなのだろう。興味は尽きない。
電気銃を詰まらせたり直したりするタンナ。
わずか79分の作品なので物語は早くもクライマックスを迎えるが、もちろんクライマックスという語に耐えうる山場など存在しない。空飛ぶ円盤を最初に目撃した機長とその協力者である軍人と警部が宇宙船に乗り込んで皇帝をやっつけるのだが、このクライマックス(仮)が最も退屈なのだ。
宇宙船内でおこなわれる棒立ち状態での長ったらしい会話劇がとにかく苦痛で、居眠りしては巻き戻し、また居眠りしては巻き戻し…というエンドレス不毛タイムに突入してしまった私は「あかん、パターン入った」と嘆き、すっかり生きる気力を失ってしまった。
どうやら皇帝は、人類がゆくゆく太陽爆弾を作ることを危惧しているらしく、もしそれを作れば全宇宙が吹き飛ぶのだと力説する。
すると、本作の主人公である機長が「太陽爆弾を作ればより強大な国になれるじゃないか」と眠たそうな目で発言。それを聞いた皇帝は「強大? ほら見ろ、愚か者め!」と大喜びで機長を侮蔑する。
皇帝「愚か者。バーカ!」
機長「バカは貴様だ、まぬけ野郎!」
頬を殴りつけられた皇帝は「ハイ、手を出した。すぐそうやって手を出すあたり! これだから人間は野蛮なのだ」と批判。警部に押さえつけられた機長は鼻息荒く興奮している。
このような中学生レベルの喧嘩が延々続く中、ついに軍人が根本的な疑問を口にした。
「そもそも太陽爆弾とは何だ!?」
軍人がわれわれ観客の気持ちをズバッと代弁してくれた。と同時に、機長は太陽爆弾の何たるかも知らずに「太陽爆弾を作ればより強大な国になれるじゃないか」と知ったかぶりで発言したことが露呈した。
軍人の質問を受けた皇帝はよくぞ聞いてくれましたとばかりに意気揚々と説明する。
「ガソリン缶だ。つまりガソリン缶を太陽と考える。そこから細い線が地球に延びている。そこを伝わるガソリンが太陽光の粒子だ。地球は太陽光というガソリンで充満している。そこに点火すれば炎は一瞬で地球を周り、線を伝わって、缶、つまり太陽に燃え広がる。やがてその爆発は太陽光の届くすべての場所に拡大する。全宇宙が消滅するのだ!」
なにをいってるかもうひとつわからない。
3人も終始ポカンとした顔で説明を受けていたが、皇帝の話が終わるや否や、刑事が根本的な疑問を口にした。
「こいつバカか?」
宇宙皇帝(左)による太陽爆弾講座。
一方そのころ、宇宙船の外では巨体のゾンビがボーッと突っ立っており、草陰からそれを見ていた警官2名がゾンビ打倒作戦を練る。ゾンビは銃で撃っても死なないことを踏まえた上でなぜか角材を手にした警官。打倒作戦を発表した。
「こっそり近づいて後ろから頭をブッ叩く」
銃が効かない相手に殴打で挑みかかるという無謀スタイル。これぞ蛮勇。まさにヤンキープレイ。
ところが勝負は意外な結末を迎えた。後頭部をパコーンと叩かれたゾンビは普通にぶっ倒れて死亡したのだ!
「こっそり近づいて後ろから頭をブッ叩く」が正解だったんだ…。
角材で後頭部をど突かれて死んだゾンビ(トー・ジョンソン)。
◆大人しく『エド・ウッド』を観た方が身のため◆
所変わって宇宙船。なぜか皇帝と機長が「ばか」と言い合いながら激しく揉み合っており、皇帝が船内の特殊機器を投げつけたことでカーテンに引火、機長たちが脱出したあと宇宙船が爆発して映画は終わる。
ようやくこの悪夢から解放されたことを手放しに祝福したい。
しかし本編が終わったあとにクリズウェルが再び出てきて「皆さん! いま見たことはすべて事実です!」と観客にしつこく訴えかける。キョロキョロとカンペを読みながら。
「事実じゃないと証明できますか!?」
鼻折ったろか、こいつ。
あくまで事実と言い張るクリズウェル。
ちなみにティム・バートンが手掛けた自伝映画『エド・ウッド』(94年)の中では本作の完成がラストシーンに当たり、エド役のジョニー・デップが「ついに最高傑作が出来た」と言って感慨に浸る…という心温まる結末なのだが、わたしは『エド・ウッド』の方を先に観ていたので「へえ。いい場面だなー」と普通に感動してしまっていた。『プラン9・フロム・アウタースペース』とはさぞかし良い映画なんだろうな、と思っていたのだ。
で、蓋を開けたらコレでしょ。
感動を騙し取られてしまいました(ざんねん)。
長きにわたる睡魔との戦いの果てにようやくエンドロールに辿り着いた観る者は「この映画をもういちど観るぐらいなら死んだ方がマシだ」という思いを強くしながらDVDを取り出し、忌々しそうにパッケージに仕舞うであろう。それくらいのレヴェルの話を私は今しています。
このたびTSUTAYA発掘良品から発掘された『死霊の盆踊り』と『プラン9・フロム・アウタースペース』は互角のゴミ成分を誇るゴミの双璧、ゴミの龍虎、ゴミの両横綱だが、今後このゴミ処理に勤しむ前途あるゴミ清掃者たる読者のために双ゴミのパラメータを付記しておこうと思う。参考にされたい。
『死霊の盆踊り』
不毛レベル…★★★★★
破綻レベル…★★★
熟睡レベル…★★★★★
ダメ総合力…★★★★★
まとめ………可燃ゴミ
『プラン9・フロム・アウタースペース』
不毛レベル…★★★★
破綻レベル…★★★★★
熟睡レベル…★★★★
ダメ総合力…★★★★★
まとめ………可燃ゴミ
『プラン9~』よりティム・バートン×ジョニー・デップの『エド・ウッド』を観ましょう。