空っぽのローマでお留守番。孤独を飼い慣らすディアーヌちゃんのカルボナーラ・ラブに刮目するのよォ~~。
2012年。エリザ・フクサス監督。ディアーヌ・フレリ、ルカ・マリネッリ、エルネスト・マイエ。
夏休みで閑散としているローマ郊外の町を舞台に、歌を教えたり犬の世話のアルバイトをして過ごす孤独な若い女性ニーナの日常を、スタイリッシュな映像で切り取ったヒューマンドラマ。(映画.comより)
おはよう、被保険者のみんな。どんな保険に入ってる~?
それにしても何だな、ここ最近のシネトゥはちょっと酷いな。ドラゴンボール作文、ホラー映画鑑賞会、劣悪大喜利、ポケッツモンスツーとやりたい放題の様相。でもまぁ、夏だかんな~~。
こういうのは反省してもしょうがないから、いっそもう一発やりたい放題やっていこうということで…今回はキャサリン回です。
ついこないだ登場したばかりなので有難みはゼロだけど、まぁラジオ等にありがちな2週連続ゲストと思ってください。「またキャサリンかぁ~…」じゃなくて「やった! またキャサリン回かッ!」って反応を、しなよ。
だって、どうせ記事の内容は変わらないんですよ。私はキャサリン回をアップするんです。そうなると後は読者サイドの気の持ちようっていうか…そっちが変わるしかないよね。
最大限歩み寄ってきて下さい。
そうでもしないと僕たちはもう終わりだよ!? いいの? よくないね。じゃあ…分かるよね?
そんなわけで本日は『ニーナ ローマの夏休み』です。記事の最後にはうれしいニセ予告つき!
◆ファーストサマー・キャサリンの登場◆
カモォ~ン、おまえたち~。キャサリン・キャサリン・ランデブーよ!
9月の暑さに負けてやしないかしら!?
私は大丈夫なんだけど、元気100パーセント坊ちゃんが夏バテしちゃったらしいの。自宅のバスタブに水を張ってひねもす浮かんでるらしいわ。水死体にならなきゃいいけどね。
ふかづめさんはここの所ずっとバグにやられてて更新意欲が減退してるというし。ちゃきちゃき更新しなさいよ、まったく。
そしてインタビュアー純は家に引きこもって映画修行をしてるみたい。もっと映画に詳しくなってシネトゥでの出番を増やしたいんだって。
ま~、どいつもこいつも結構なことね。かくいう私は気分を変えて常夏モードに大変身よ!
ファーストサマー・キャサリンとでも呼んで頂戴!
ファーストサマー・キャサリン。夏っぽくサッパリとしている。
さて、おまえたち。『ニーナ ローマの夏休み』はもうご覧になられたかしら? なに、まだ観てない? しめじ野郎~~。観てない奴はヒールで踏んづけちゃうんだから!
この映画はイタリアを舞台にした素敵なガールズムービーです♡
女子力を磨いているそこのアナタ! 乙女心にキョーミがあるそこの男子! 観なきゃ損、損、損保ジャパンってな具合だわよォ~~~~う。
この映画は、ローマ郊外でだるだると日々を過ごしてるディアーヌ・フレリちゃんの夏のひとときを描いたサマームービーなのだわ!
独り暮らしのディアーヌちゃんは、憧れの中国で新しい生活を始めるためにアルバイトしていて、お金持ちのおばさんから犬の世話や歌のレッスンを頼まれてるの。そんな日常の中にさまざまな出会いと別れがあるんだけど、特になにが起きるわけでもないのよ。
映画は、鬱病の老犬オメロ(おとなしい)を預かったディアーヌちゃんの夏休みをここぞとばかりに見つめていくのだわ。朝ジョギングしたり、カフェでケーキ食べたり、アパートで腹筋したり、犬の散歩をしたり、書道を極めたり、鍼灸でリラックスしたり。人々がバカンスに出かけた留守のローマで、ひとり気ままに夏を謳歌するのよ!
ここだけ聞いても、きっとあなたは「眠そう。中身ないじゃん」なんてアンモラルなことを言うでしょうね。すぐにそうやって勝手な印象論をまき散らしやがって、クソヤロー!
まだ魅力を語ってもいねえのに「中身ない」と決めつけたオマエの発言こそ中身がないことに一刻も早く気づけェェ――——ッ!
ディアーヌちゃんと鬱犬オメロ(おとなしい)。
『ニーナ ローマの夏休み』は一応イタリア映画なんだけど、舞台はローマ郊外にあるエウル地区という所なのだわよ。
ここはムッソリーニがローマ万博に向けて1935年に建設した新都心地域らしいんだけど、第二次大戦の勃発によってローマ万博は中止になっちゃったのよね。今となっては歴史に取り残された人口1万人にも満たないロンリネス・シティとしての様相を呈しに呈しているのよ~。
とはいえ現代美術の粋を集めた美しい建築と、過疎がもたらしたシュールで奥ゆかしい雰囲気には曰く形容しがたい魅力があるの!
私たちがよく知る猥雑で温かみのあるイタリアのイメージとは正反対の、幽玄で無機的な近未来都市エウル! そこにショートカットの溌剌美女とおとなしいワンちゃんが組み合わさるというのだから、これはもう極上のポップアートたりうるこの夏一番のバカンス映画と言えるのだわ! 8年前の映画だけど!
エウルのシュールな風景。
◆すぐ自分のペースに人を巻き込んだり妖しげな駆け引きを駆使することで乙女心の牙城を突き崩さんと企む恋のイロハ履修野郎がノートを隠す(返せ)◆
わざわざこんな郊外に家を構えるような奴らというのは本物の金持ちだけ! そういう奴らは夏になると長期旅行に行っちゃうので、なんというか都市全体が生きてないのよね。目を見張るほどエレガンスな街並みなんだけど、街が人に根付いてない…って言うのかしら。ビジネスホテルみたいに素っ気ない佇まいをしているの。
まさに虚栄の、虚栄の……虚栄の何がしか。
そんな街にもぽつぽつと人はいて、まずディアーヌちゃんが出会うのがアパートの子供管理人、ルイジ・カターニ。ルイジくんはマスターキーで勝手にディアーヌの部屋に入ってくるようなこじ開け100パーセント坊ちゃん。だけど一人ぼっちの彼女の横にいつもちょこんと座って話し相手になってあげてるの!
おもしろいのは、まるでルイジくんとの会話がディアーヌちゃんの自問自答みたいになってるとこ。ややもするとこの二人は同一人物かも…って読みもできそうね。服装の相似性もさることながら、肩を並べて話すときの構図がいっつも同じなのよ!
お次は中国文化に通暁した教授(エルネスト・マイエ)。
ディアーヌちゃんは週に何度か教授のアパルトマンで書を習うんだけど、半紙に「志」と書いてきたディアーヌちゃんに「あなたに“志”は書かせません!」とか意地悪なこと言って彼女の志を潰していくのよ! ちっきしょ~。この中国かぶれのゴロツキが!
書の練習を終えたディアーヌちゃんは、オメロ(おとなしい)を連れてオープンカフェで日光浴をしながら中国語の勉強に精を出します。すると向かいの席の色男、ルカ・マリネッリがディアーヌちゃんを凝視してくる。いくらイケメンでも人の顔をまじまじ見てくるヤツって気持ち悪いわよね。
しかもルカったら、ディアーヌちゃんが急にどこかへ行ったオメロ(おとなしい)を追いかけてる隙に彼女の鞄から日記やノートを盗んで立ち去っちゃうの!
それクライム(犯罪)よ!
どうやらこの男はチェロで生計を立ててるチェリストらしいけど、私に言わせればただのクリミナル(犯罪者)よ。
別の日の晩、スケを連れて街を練り歩いてるルカを発見したディアーヌちゃんは「こないだノート盗ったでしょう。返してよね」って言ったらば「返してほしかったら毎晩ボクを捜してごらん。るるおー」とか言いながら夜の闇に消えちゃうの。しかもランニングで。
つまり、会うたびに一冊ずつノートを返す…っていうゲームに彼女を付き合わせることで接点を作ろうとしてるわけ。
そういうのいいから今すぐ返せボゲ。
ちょっとイケメンだからって図に乗りやがって、このオレ様カルボナーラめぇ~~。
果たしてディアーヌちゃんは、このすぐ自分のペースに人を巻き込んだり妖しげな駆け引きを駆使することで乙女心の牙城を突き崩さんと企む恋のイロハ履修野郎との関係性をどのようなものにするのか!
薄暮のエウルのみぞ知るカルボナーラ・ラブの顛末に刮目するのよォ~~。
※劇中にカルボナーラは一度も出ないわよ。
すぐ自分のペースに人を巻き込んだり妖しげな駆け引きを駆使することで乙女心の牙城を突き崩さんと企む恋のイロハ履修野郎と。
この映画、やっぱりディアーヌちゃんの面構えがいいのよね~。
主演で、しかも出ずっぱりだから、映画まるごと彼女の“顔”に懸かってると言っても過言じゃないわ。
やっぱり主演俳優の顔というのは大事で、言ってみりゃあ 2時間この人の顔を見ていたいか?ってことがモロに問われるわけじゃない。どんなにカッコよかろうが美しかろうが“退屈な顔”じゃあ落第なのよね。観る人にとって良い顔かどうか…ってことよりカメラにとって良い顔かどうかが大事なのよね、きっと。
その点、ディアーヌ・フレリは格別よ~~!
素朴なんだけど個性があって、笑顔がステキだけど少し寂しそうでもある。日々たゆまずに心身を鍛えてるけど、ランニング終わりにホールケーキを買って一人でぱくぱく食べちゃうキュートな一面もあるのだわよ。今ドキ女子にありがちな“甘ったるさ”はなく、ショートヘアとタンクトップで街をびゅんびゅん走るの!
いいわね~、この娘。『ただひとりの父親』(08年)にも端役で出てるんだって。へえ! 観てないけど。
私イチオシのディアーヌちゃん!
◆招かれざる客 ~ア・ベター・フューチャー~◆
この映画は眺めてるだけでも楽しくて、映像がすっごく洒落てるのよ。
なんというか、アーバンでソフィスティケートされたノンバーバルなマニエリスムって感じよ。ね。わかるでしょう!
アンビエントでインダストリアルにコンポジションされたパーマネントな空間デザインが実にコンテンポラリー。ね?
シュルレアリスティックなデペイズマンがモータルなアレゴリーのカタストロフィとしてクリーピーなイシューのプレゼンスとなっているの! イシュウ!
だめね、ぜんぜん伝わんない…。うまく言葉にできないからふかづめさんを呼ぼうかしら。
???「あいや、待った!」
フー!?
インタ純「来たんだぜっ!」
インタビュアー純(第二形態)映画修行の果てにスーパーサイヤ純に変身した。
※ここからはファーストサマー・キャサリンを赤色で、スーパーサイヤ純は緑色で表記するわよォ~~。
ちっす、おらサイヤ純。純のイントネーションに注意してくれよ。映画修行をしたらこんな姿になってしまいました。
あらら、ずいぶん張り切ったのねぇ。体中から気なんか出して。
キャサリンも大した変わりようだな。いったいこの夏に何があったんだ。
それはそうと応援に駆けつけたぜ。『ニーナ ローマの夏休み』の映像のステキ味について語ってたんだろう?
応援はありがたいんだけど、あんた、大して映画語れないでしょう?
だから修行を積んだのさ。いまのオレは一味も二味も違うぜ!
キャサリンが『ニーナ』評を担当すると知って、オレもこの映画を観てきたけど、なるほど、キャサリンが言うように映像がすごかったよな。
まず超ロングショットがものすごく多い!
通常、超ロングショットは場面転換後のシーン始めに使うことで物語の舞台やキャラクターの位置情報を示す場合が多いけど、この映画では閑散としたエウルの街そのものが主役だからむやみやたらに連発されている! その奥行き豊かなパースペクティヴや、オブジェなどを配置した幾何学的な立体感が見ものと言えるだろう。その源流にはアラン・レネの『去年マリエンバートで』(61年)があって、本作に多大な影響を与えたものと思われるんだぜ!
なんか通ぶったこと言ってるゥー。
そして水平・垂直構図のショットが大部分を占める! 人物は横スクロールで移動し、建物はシンメトリックに画面を飾る。その源流にはスタンリー・キューブリックの『突撃』(57年)や『バリー・リンドン』(75年)があって、本作に多大な影響を与えたものと思われるんだぜ!
うーん。言ってることはわかるんだけど、あんたが言うとなーんか胡散臭いのよねぇ。理解はできるけど納得はできないというか。
でも確かに、空間造形に対する神経症的なまでのこだわりは窺えるわね。まさにキューブリック監督を思わせる規則性へのオブセッションとでも言うのかしら。
あっ、「規則性へのオブセッション」ってクールな表現だな~。いいな。オレが言いたかったなあ!
ちなみに監督のエリザ・フクサスの父親は世界的建築家であるマッシミリアーノ・フクサス。東京にある「アルマーニ銀座タワー」を設計した人だ。父の影響か、エリザの中にも建築家の血が流れていたのだろう! 故郷ローマの忘れられた地・エウルを抜群の感度でカメラにおさめた建築学的サマーバケーションガールズムービー。
それが『ニーナ ローマの夏休み』だとキャサリンは思うのかっ!
なにいってんだこいつ。
どうよ、かなり詳しくなっただろ? オレはこの夏、映画の専門書をいっぱい読み漁ったんだ! しかもぶあっつ分厚いやつ。これで坊ちゃんの座を狙うんだぜ!
読書もいいけど、修行期間中に映画は何本観たの?
1本も観てねえ。
そういうのを生兵法っていうのよ。
たしかに修行の成果は見せてもらったわ。以前よりも映画に詳しくなったかもしれない。
だけど今のあんたは耳学問しただけのスノッブな半可通なのよォォ~~~~。
経験の伴わない付け焼刃の知識と戯れてはそれっぽい技術論を言って悦に入ってます風カルボナーラ1290円! それが今のオマエ!
なにいってんだオメー。
映画にのめり込んだ者特有の小生意気なムーブね。小手先のレトリックを弄しても映画を語ったことにはならないのよ!
私に言わせればふかづめと坊ちゃんも同じ穴のムジナだけど、サイヤ純、あんたに欠けてるのは“映画に向かう衝動”だと思うわ。
たとえ難しい専門書を何冊読もうが、フィルムとともに生きた1本の映画の前にはケツを吹く紙も同然!
本や知識なんて後回しでいいから、まずは映画を楽しみなさい!
な、なるほど。オレは自尊心という怪物に操られていた…。そのために観てもいないキューブリックを引き合いに出して「○○は△△に影響を与えた」なんてテキトーなことを言ってしまっていた。シネトゥでの出番を増やしたいという欲望に駆られ、手っ取り早く映画に詳しくなろうとラクな道を歩んでしまっていたのだ!
でもそれはどこにも辿り着かない道…。“逃げ道”だったんだ!
だからオレは、もと来た道へUターンして初心に帰らねばならない。心のコンパスが示した未来に向かって。ア・ベター・フューチャー。
なにいってんだこいつ。
叱ってくれてありがとう、キャサリン。おかげで自分の現在地がわかったぜ。心の樹海にいたんだ…ってね。もう一度『ニーナ』を観ることにするよ。今度は曇りなき目でな!
ええ。次に観たときはまた違った見え方がするはずだわよ~。
『ニーナ』は派手な映画でも特別な映画でもないけれど、かと言ってアート映画と呼ぶほど人を突き放した作品でもないのよね。コーヒーでも飲みながらまったり観れば、気持ちよく心を引っ掻かれること請け合いのステキなイタリア映画でした♡
じゃあね、みんな。バイビ~!
ていうか、何でオレこんなに怒られたんだろ。
???「とんだ茶番ですね…」
物陰から一部始終を見ていた元気100パーセント坊ちゃん!
しかし、その変わり果てた姿は中華鍋のせいか!?
次回「鋼鉄児童、防御100パーセント坊ちゃん現る」。お楽しみに!
(C)2012 Magda Film, Paco Cinematografica