シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

女系家族

次から次へとナンボほど出てくるのか遺言状! 女たちの遺産争奪戦が今始まるゥー! るる

f:id:hukadume7272:20200828084718j:plain

1963年。三隅研次監督。京マチ子、鳳八千代、高田美和、若尾文子、中村鴈治郎(2代目)。

 

代々女系の家筋を続ける大阪船場の繊維問屋で当主が急死し、 残された三人の姉妹の間で、遺産をめぐる醜い争いが起こるが、さらに大番頭や、故人の愛人、長女の恋人などがからみ、紛争は一層エスカレート…。伝統の船場と女権家族を背景に、物欲に狂奔する人間のエゴと執念を鋭くえぐる人間ドラマ。(KADOKAWAより)

 

ちょりちょりーす。

突発的に自部屋でリセッシュを吹き散らかして空間全域を清めたくなることって…あるよね?

でもそれをすると微量のリセッシュを鼻から吸い込んで「ゴッホ! ゴーギャン! マネ、ルノワール!」って…咳き込むよね!?

「ドガも!」つって…咳き込むよね!!?

咳き込む咳き込む。咳き込みご飯。

…というようなヒドい前書きで今回は勘弁して頂いて、本日は『女系家族』です。がっつり書いたので8000字です。でもいざ読み始めると体感速度がギューンってなるから、感覚的にはいつも通りの4000字です。うわあ、自分でハードル上げてもうたわー。ごめんて。

f:id:hukadume7272:20200828084746j:plain

 

◆遺産争奪コンテンツの金字塔だと人は言うよ!◆

はいよ、そら来た『女系家族』。原作はこないだ取り上げた『女の勲章』(61年)と同じく山崎豊子の同名小説だい。

この原作はテレビ界にやたら重宝されてる長寿作品らしく、1963年版、70年版、75年版、94年版、そして米倉涼子、高島礼子、香椎由宇、瀬戸朝香らによる2005年版と、これまでに延べ5回もドラマ化されてきた女系コンテンツの決定版だというのだ。

あ、そう!

 

主な内容は、女系が続く老舗問屋・矢島商店の当主が死んだことで三姉妹が遺産相続争いを繰り広げ、そこに叔母や番頭が漁夫の利を狙って悪事を画策。果ては死んだ当主の愛人が現れたことで泥沼の遺産相続争いがますます混迷を極めていく…といったもの。

三姉妹を京マチ子鳳八千代高田美和が演じ、秘密めいた愛人を若尾文子がヌルリと魅せる。

また、女系転覆を狙う番頭役には人間国宝の歌舞伎役者・中村鴈治郎(2代目)、がめつい叔母役には関西の性悪ババアを演じさせたら右に出るババアはいない浪花千栄子…と大映きっての猛打者がコチコチに脇を固めた鉄壁布陣!

監督は『座頭市』シリーズ『子連れ狼』シリーズ『剣三部作など数々の代表作を持つ時代劇の名匠・三隅研次。撮影は溝口健二と黒澤明を世界的巨匠に押し上げた大映が誇る天才キャメラマン・宮川一夫。そして脚本は『スターウォーズ』のヨーダのモデルとして知られる依田義賢が手掛ける。

f:id:hukadume7272:20200831063247j:plain

 

映画が始まるとクラウチングスタートで当主死亡→告別式と、目にも止まらぬスピードで物語の下準備が済まされる。

当主=死ぬべき人物を即抹殺する三隅の超合理テリングに惚れ惚れするが、三隅研次がえらいのは告別式参列者の中にキャワオ(のちに物語を支配する最重要人物)の顔をワンショットだけ捉えたところだよねー。このショットを撮る/撮らないが一流と二流の分水嶺。その意味では大船に乗ったつもりで身を預けられる作品であり、開幕から「いーね」てな具合である。

番頭・中村鴈治郎の手によって当主の遺言状が開かれ、総額数億円にも上る遺産の分配が発表されたが、長女の京マチ子が「ちょいマチ子!」と異を唱え「あては不満です!」と声明を発表。するとカエルが輪唱するみたいに次女の八千代、末娘の美和も「あてらも不満がおます!」と次々声明を発表。困り果てた一同は遺産分配を一ヶ月遅らせ、その間に話し合いで円満解決することにした。

ところが一難去ってまた一難。鴈治郎が思わぬ声明を発表したのだ!

鴈治郎「実はもう一通、お預かりしてるモノがおます」

マチ子「もう一通…?」

鴈治郎「遺言状パート2でおま!」

一同 「遺言状パート2!?」

まあ、遺言状にパート2があっても不思議ではなかろう。プレイバックにPART2があるように。未来予想図にもPART2があるように。

第二の遺言状で発表された声明は、まあ簡単に意訳すると「実はワシには長年関係を持ったスケがいる」ということと「スケにも何がしらの物を分け与えたってくれや」というものであった。

一同、騒然からの激憤および慨嘆。

と言っても、亡き母に隠れて妾を作っていた父のチャランポラリズムに怒ったのではない。

この期に及んで新たな相続人が現れたことで自分たちの取り分が減ってしまうことに騒ぎ、怒り、嘆いたのだ!

f:id:hukadume7272:20200831070602j:plain遺産争奪戦の火蓋が切って落とされた!

 

この20分に渡る親族会議シーケンスは“掴み”どころか“握り”と呼ぶべき映画握力を誇っており、有無を言わせぬおもしろさで観る者の心を握ってゆく!

本邸の和室にて横一列に揃った顔面のイメージがシネマスコープのサイズにピタッと収まる一方で、廊下の奥から中庭がちらり顔を覗かすヌケのいい構図が窮屈な画面にほどよく風を送り込んでもいて。べつにジーン・ネグレスコや山田洋二を批判するわけではないけれども、シネスコの室内劇にはロクなものがない中、三隅研次と宮川一夫はやはり別格と断じざるをえない。

大勢の親族が集う和室において朗々と遺言状を読み上げるだけの20分に渡るシーケンスを単調平坦に堕すことなく、縦・横・奥行き軸のすぐれて戦略的なサイクルによって説話的磁場を環境化する、その映画作家としての三隅研次の慎ましやかな態度に私は感動したああああああああん。

f:id:hukadume7272:20200831063540j:plainシネスコは横に長ーい(空間感覚に長けてないと画面が間延びして持たない)。

 

◆欲と欲のおしくらまんじゅうなのさ! これがね!◆

あ、そうそう。今さらだけどメーンキャラクターを紹介しとくわ。

 

末娘・高田美和

花嫁修業に余念のないモダンガール。

三姉妹の中では最も財欲とは無縁だが、父の遺言状により株券と骨董類を相続する予定。

とはいえ相続法に関してはずぶの素人なので叔母の浪花千栄子が専属サポーターに就任。だが浪花ババアは美和を懐柔して養女に迎えんと媚びを売る。美和の相続財産にたかる算段なのだ。このババア!

高田美和は1960年代にチョロチョロと活躍した大映の清純派女優。代表作は『大魔神』(66年)。日活ロマンポルノの『軽井沢夫人』(82年)ではスッポンポンになった。どこが清純やねん。

f:id:hukadume7272:20200831061436j:plain美和&浪花ババアのチーム。

 

次女・鳳八千代

暖簾を継ぐ気で婿養子を迎えたので出戻りの長女・マチ子とは仲が悪く跡継ぎ娘の座を争う間柄。父の遺言状により店舗と営業権を相続する予定だ。

相続争いにおいては銭勘定を得意とする夫が専属サポーターに就任。

鳳八千代は宝塚出身の女優であり、退団後はフリーの女優として日本映画界をチョコマカと跋扈した。代表作は日伊合作の『蝶々夫人』(55年)や、松本清張の成長が感じられた『眼の壁』(58年)など。

f:id:hukadume7272:20200831061508j:plain八千代&夫(俳優名わからんごめん)のチーム。

 

長女・京マチ子

出戻りながら総領娘の座を主張するズケズケ女。

綺麗さっぱり三等分では総領娘としての立場がないと言い張り、妹たちより一銭でも多く遺産を分捕りたいと願っている。

父の遺言状により貸家五十軒を相続する予定だが、店舗営業権という打ち出の小槌を手にした八千代や、時価や言値でどうとでもなる骨董類を手にした美和とは違い、もともと値のついた貸家の相続を「損」と取り、共有相続財産にある山林をわが物にしようと画策する。不動産に明るい友人・田宮二郎が専属サポーターに就任した(またオマエか!)。

京マチ子の説明は今さら莫迦臭いので割愛する。真打ちの登場だよ。

f:id:hukadume7272:20200831061546j:plainマチ子&田宮のチーム。

 

故人のスケ・若尾文子(キャワオ)

愛人という立場から本宅遺族たちの心情を慮って遺産相続を辞退するが、彼女を釣餌に漁夫の利を狙う鴈治郎から「あんたにも相続権はあるのやさかい、取れるだけの物は取った方がよろしおます」と諭され「うーん…でもなー」と逡巡する。

キャワオといえば男を騙す小悪魔女優だが、本作では欲なき聖女を淑やかに好演している。ところがどっこい、クライマックスでは吃驚仰天のキャワオ無双が火を噴くぞ!

キャワオの説明は今さら莫迦臭いので割愛する。とりあえずキャワイイんだよ。

f:id:hukadume7272:20200831061700j:plain今回は聖女役のキャワオ。

 

遺言執行人・中村鴈治郎

亡き当主に遺言状の執行を一任され、今度の遺産分割・相続を取り仕切ることになった胡乱な番頭。

幾十年に渡って老舗商店に奉仕してきたのに自分にはビタ一文も入ってこないと怒りに打ち震え、三姉妹の骨肉の争いに漬け込んで遺産をごっそり頂いちゃうもんね、ウシシ、と企むジャイアントキリンガー。最初こそ同情の余地もあったが、のちに売上げのピンハネ、商品の横流し、山林の無断伐採と悪行の限りを尽くしていたことが発覚する。

中村鴈治郎といえば、パチカスマロニー女優でお馴染みの中村玉緒のリアルパパンである。『浮草』(59年)『東京おにぎり娘』(61年)での頑固オヤジ役も似合うが、やはりこの男の本領は『鍵』(59年)『女経』(60年)での卑しい役にあり!

f:id:hukadume7272:20200831061800j:plain暗躍する鴈治郎。

 

ほな本筋に戻ろか。

相続会議の紛糾と、妾キャワオの発覚。これにより三姉妹の友情は木っ端微塵のスクラップのプと化し、しばらくは互いに牽制し合う日々が続いた。

マチ子は田宮の助言を受けて貸家の山林に目をつけ、八千代は夫と組んで店を株式組織に切り換える策を取り、美和には叔母が後楯となって姉二人の動向を監視した。そして蔵からは雪舟の掛け軸が消える…。果たして誰が盗んだのだろうか。

過日、弔意を示すべくキャワオが本宅に現れたが、深々と頭を下げる彼女をマチ子と浪花ババアが激しくなじる。そのなじり方が結構えげつないのよねぇ。

「妾でありながら本宅伺いとは、こりゃまた下世話なことで」

「あんさん、お仕事は? 温泉芸子? おっほ! 温泉芸子でおますか!?」

「ていうか、父から生前贈与でも受け取ってるんとちゃいまっか?」

「雪舟の掛け軸、パクった?」

猛烈な虐めに遭うキャワオ。

果ては彼女が身重だと見抜いた一同は、たとえ妾の子でも認知さえあれば半分の相続権があることを知り、鬼の形相で堕胎を強要する。キャワオがそれを拒否すると婦人科医を呼んで力尽くで診察してもらい、本当に当主の子かどうかを確かめようとするのだ。あ…悪魔…。

そのうえ診察中にわざと襖を開けて、好奇の目でキャワオを見下すという悪意の身振り!

ババア「ほっほーん。ええ足しとるやないけ~」

マチ子「おっほーん。父さんはこのカラダに惚れたんやなぁ」

  キャワオ 「あ…あんたら女やないのか? 恥知らずっ。出てっておくんなはれ!」

 一同  「やーだぽーん」

f:id:hukadume7272:20200831062641j:plain

キャワオがキャワイそうすぎ。

 

これを機に親族一同は“財産横取りモンスター”をお腹に宿すキャワオ=最大にして共通の敵をまえに固く同盟を結んだ。キャワオがベイビーを産めばそれぞれの取り分がごっそりイかれてしまうので、ヤツが出産する前に親族会議を開き、各自やさしみを持ち寄って円満解決を図ろうという算段である。以前までのマチ子は妹たちより一銭でも多く取ろうとしていたが、事ここに至ってそんな悠長なことも言ってられぬ。

一同「とっとと財産目録を作って遺産を分けっこじゃいー」

至急「仲直り親族会議」が開かれ、妥当な分配に落ち着いた一同は「皆、おめでとう」、「おめれとー」と声明を発して仲直りしたが、途端! キャワオが産まれたてのベイベーを抱いて緊急訪問!

一同は険しい顔をすると同時に、ちょっぴり戦慄もした。

 

挨拶もそこそこに、当主が遺した認知書と、役所で受け取った出生証明書を提出したキャワオの顔はやけに晴れがましい。心なしかベイベーの顔も晴れがましい。それと反比例するように一同の顔は青ざめていく…。

キャワオ 「実はもう一通…、皆さんにお見せしたいモノがおます」

マチ子「嫌な予感がする」

キャワオ 「遺言状パート3でおま!」

一同 「遺言状パート3!!!」

うむ。遺言状にパート3があっても不思議ではなかろう。アニメ『ルパン三世』にPART3があるように。ドラマ『大都会』にもPART3があるように。

キャワオだけに託された第三の遺言状での声明は、まあ簡単に意訳すると「非嫡出ベイベーにもなんか相続させたったりーや」ということと「山林とその伐採権はキャワオにあげちゃう」ということ。極めつけに「爆誕したベイベーが男子たるときは成人を待って商店の跡取りにすんにゃで」とも…。

誰よりも山林ゲットと跡取りの座を狙っていたマチ子は、絶望のあまり「マチ子まいっちんぐ」と低級ジョークを言った。この状況でそんな低級ジョークを口にするということは相当精神が参ってるらしい。

もともとキャワオは愛人の身ゆえの後ろめたさと申し訳なさから相続権を放棄するつもりでいたが、亡き当主やお腹のベイベーの尊厳まで踏みにじるような悪質極まりないイジメを受けたことで親族一同を“遠慮するに足らない俗物集団”と判断、鼻をあかすために今度の奇襲戦法を決行したのである!

f:id:hukadume7272:20200831072718j:plain半べそのマチ子VS反撃モードのキャワオ。

 

キャワオが出した第三の遺言状が場を凍りつかせるクライマックス。

マチ子「ゆ…言うときますけどなっ、遺言状は一日でも後に日付が入った方が有効でおますのやで!?」

つまり当主は、キャワオがベイベーを産んだ場合と産まぬ場合とを想定してツーヴァージョンの遺言状をしたためていたのだ。したがって姉妹に託された第一の遺言状と、キャワオに託された第三の遺言状がその有効性をめぐって真っ向勝負する!

両者はトレーディングカードゲームみたいに遺言状をフィールドに出し、クリーチャー「当主」を召喚。

マチ子「あてらのクリーチャーは12/10の戦闘力! パワーが12で、タフネスが10や!」

つまり遺言状の日付が12月10日と言っているわけである。

キャワオ 「甘いっ。わたくしのクリーチャーは12/20。タフネスが20やさかい、パワー12で攻撃されても耐えられます。そして反撃っ。撃破ぁ!」

つまり遺言状の日付が12月20日と言っているわけである。

どうやらキャワオのカード…もとい遺言状の方がレアリティが高かったようだ。かくして三姉妹の遺言状はキャワオの遺言状によって綺麗さっぱり打ち消されてしまった。

マチ子「まいっちんぐー」

どう考えても“ウケしろ”のないギャグを尚も執拗に繰り返すということは、それだけマチ子の精神が参ってるということだ。

そのうえ、さらにキャワオから特別サプライズが…。トドメに彼女が出したのは当主が遺した秘密の手紙だった!

いわば遺言状PART4。

これは流石にしつこい。仏のPARTも4つまで。

そこには商店の蔵から消えた掛け軸が鴈治郎の自宅にあること、また同氏が長年にわたる商品の横流し、立木の無断伐採、および無断売却・着服していることを暴露する内容がしたためられていた。これにて鴈治郎の人生、終了!

キャワオが「ほな、これにて」と言ってお暇し、親戚一同も帰ったあと、サッと和室を通った風が遺言状を虚しく舞わせ、もはや何の意味もなさないその紙切れを見つめて茫然自失する三姉妹の虚脱フェイスをバックに「終」と浮き出た字が皮肉なダブルミーニングを形成する。

映画の終わりと、商店の終わり。

やあ見事。

f:id:hukadume7272:20200831072120j:plain負けて悔しい、はないちもんめ。

 

◆君よ、イモムシであれ。イモムシであれよ!◆

三隅研次の映画はとにかく厚塗りだ。

画面も物語も分厚く、さまざまのモノが幾重にも塗り重ねられているので、そのぶん見応えがあるというわけだ。

音声上ではひとりの人間がゆるりと喋っているのに、あたかも周囲の人間たちと丁々発止の掛け合いをしているように感じられるので活気満点。リズムもある。本作での三隅はコマ単位で編集を指示したらしいが、おそらくその賜物なのだろう。

宮川一夫の撮影も火を噴いてたなぁ。

この時期の宮川は溝口を失って久しく、市川崑や吉村公三郎の下でカメラを回し続けていたけれども、誰の目にも監督とカメラマンの立場が逆転しているのは明白で、市川の『炎上』(58年)でも、小津の『浮草』(59年)でも、もちろん黒澤の『用心棒』(61年)でも、同作品群を傑作たらしめたのは監督ではなく宮川のカメラである。

本作ではスリリングな視線劇、それに肩ナメを用いた対峙のイメージが慎ましくも駆使されていて、いわゆるシネフィルが大喜びするようなキラーショットの不在が却ってその熟達ぶりを示している。妙にうまぶって“分かりやすく技巧的な美景”とか“これ見よがしな長回し”なんぞを得意げに披歴してる内はまだまだ二流だからねぇ。

そして、何といってもマチ子とキャワオがそれぞれの遺言状の日付を見比べる日付確認サスペンスな。

日付を確認するだけでこんなドキドキすることがオレの人生にあったん!? みたいな。

f:id:hukadume7272:20200831071909j:plain遺言状すらサスペンスの発生領域。

 

役者も皆うまく、悔しけりフェイスがよく似合う京マチ子や、鴈治郎&浪花ババアの卑近なニタニタ笑いが泥沼ストーリーにイヤ~な粘り気を与えていたけれども、こういう時ほど注目したいのはメーンキャラクターを引き立たせるためにあえて没個性な貌におさまった次女役・鳳八千代と末娘役・高田美和!

そうさな、たとえば米国のオールスター映画でも「この人、そないスターちゃうやんけ」と思うような中途半端な栄光クラスの役者がキャスティングされているけれども、言ってみれば「オールスター」なんていう惹句は言葉の綾であって、本当に大スターだけで固めてしまうと画がうるさくてかなわない。あまねく作品にはメリハリというものがあるように、映画にも主役・端役があり、端役が主役を引き立たせ、また主役がいてこそ脇で輝くのが端役…てな具合に、いっさいは調和のもとに緊密化されたバランスの上にこそ映画は成り立っておる。

私が小学生の時分、教室の黒板の隅に「一人ひとりが主人公」という死ぬほどくだらないスローガンが貼られていたけれども、こんな紙を貼るようなヤツは本当に死んでしまえばよいのだ。事実、その年の学芸会でわれわれのクラスが発表した『バグズ・ライフ』において端役も端役のイモムシ役を熱演した私は、よっぽど本番の舞台上で「一人ひとりが主人公じゃなかったのおおおお!?」と絶叫してやろうかと思ったほどだ。

何が言いたいかというと立派にイモムシを演じた鳳八千代と高田美和は最高! ということだ。なめんなカス。

f:id:hukadume7272:20201006063320j:plain
私が学芸会で演じたクソみたいなイモムシ。

 

f:id:hukadume7272:20200831072902j:plain脇役ながら慎ましく輝く、イモムシとしての八千代と美和(左2人)。

 


そういえば、こないだ草彅剛の主演作『台風家族』(19年)を観た。

本作と同じく財産分与をめぐる兄妹喧嘩を描いたソリッド・シチュエーション・コメディで、わりに楽しみながらもなんとなく書く気になれなかったので評は見送ることにしたが、今回『女系家族』を観たことで、なぜ『台風家族』を書かなかったのか…ということがはっきりしたため、その理由を申し上げます。

“骨の数”が少なかった為だっ。

『台風家族』のように、たとえ映画の総体としてはおもしろくても、「おもしろい」というのは印象であって、すぐれた映画は印象ではなく表現という形で「おもしろさ」の根源にある技術/意匠の類が絶えず内側から露出している。これが“骨”である。

したがって批評活動の意義というものが「作品から露出した技術/意匠の評価および解説」である以上、すぐれた映画の「おもしろさ」を紐解いた批評は自ずと力が入るし、またその甲斐もあるというわけだ。尤も、それだけ骨が折れるんだけどね(骨だけにね)

これすなわち裏を返せば、いかな「おもしろい」映画であろうとも、すぐれた技術/意匠に裏打ちされてなければ、筆が乗らない、熱の高い文章が書けない、むしろ批評すること自体に意味を見出せず、且つモチベーションにもならない、ちゅわけ。いわば骨のない魚を食っても「ああ、魚を食った!」という歯応えがしない…ちゅうことになるわけだ。

何が言いたいかというと……うーん……何が言いたかったのかなぁ…。

「おもしろさ」にことさら価値を置いたモノの見方には限界があるということかもしれない。難しいことはわからん。

f:id:hukadume7272:20200831072946j:plain