シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

空の青さを知る人よ

よくわからない点が多いが、S(それは)M(もう)S(そういうもの)として飲み込むべし。

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2019年。長井龍雪監督。アニメーション作品。

 

ミュージシャン志望で17歳の高校生・相生あおいは、両親を亡くして以来、恋人との上京を断念し親代わりに自分を育ててきた姉のあかねに負い目を感じていた。あるとき、あかねの元恋人で上京してから音信不通になっていた金室慎之介が音楽祭のために町へ戻ってくる。同じころ、13年前の過去から時間を超えてきた18歳の慎之介・しんのがあおいの前に現れる。(Yahoo!映画より)

 

嫌いな言葉はビリーブ!

どうもおはよう、納税者のみんな。脱税してても…まぁ、おはよう。

ようやくあの忌々しい「帰ってきた昭和キネマ特集」が終わったので、本日からは「どっこいアニメ特集しょ!」を華やかに開催します。通称「しょ」

そしてなんと、本日から始まるアニメ特集「しょ」のラインナップは…たったの3本。すぐ終わるよ!

しかも内2本が酷評回という、誰の心にハッピーをもたらすでもない、まさに無情を絵に描いたような…そんな限りなく虚無に接近した特集となっている。読む者の心に虚無を残せたらな、って。

そんなわけで本日は『空の青さを知る人よ』です。

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何かが足りない超平和バスターズ

『空を青さを知る人よ』は、アニメ監督の長井龍雪、脚本家の岡田麿里、キャラクターデザイナーの田中将賀の3人からなるアニメーション制作チーム「超平和バスターズ」による最新作だ。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(11年)『心が叫びたがってるんだ。』(15年)に続く“秩父三部作”の最後を飾る作品だっていうんだ。

3人が初めて組んだテレビシリーズ『とらドラ!』(08年)はゼロ年代アニメ史のマスターピースとして深く記憶されていて、自称アニメ警察だった私も結末部を除けば大いに楽しんだクチである。

しかし『あの花』の大ヒットを受け、メディアミックスの一環として映画興行に首を突っ込むようになってからはやや残念な状態が続いている。

『あの花』『ここ叫』もアニメファンからの評価は高いが、私は映画ファンですから「劇場版と銘打つからには映画として見ますよ」というスタンスで見るわけだけど、そうした場合、やはりテレビシリーズでは適正とされてきたアニメ演出も映画では不適正という具合にメディア閾値ゆえの齟齬が生じるわけです。

 

たとえばテレビアニメの『あの花』

この作品は、幼少期に結成した仲良しグループ「超平和バスターズ」の一員・めんまの死をきっかけに疎遠になっていた元メンバーの5人が中学卒業後に再び集い、それぞれが積年の苦悩と向き合いながらめんまの亡霊を成仏させる…というハートウォームな内容である(個人的には貰い泣きコンテンツの病巣として嫌忌している)

ところがテレビシリーズの1年後を描いた劇場版(13年)は、すでに成仏した幼馴染・めんまに向けて5人の親友が手紙を書きダメ押しで成仏させようとするひでえ内容だ。テレビシリーズの安いダイジェストに“申し訳程度の新作カット”と“既存カットの描き直し”を加えて客から金をむしり取るというヤクザまがいの商法も悪辣きわまりないと思った。

演出面でも、現在の5人をひとりずつ見せながらも時おり5人全員に1年前の各々の姿を回想させる(つまりダイジェストを挟む)という非効率的な作劇法のため物語は遅々として進まないうえ、人称の不一致も甚だしい。あまつさえ、めんまが死亡した日の忌わしい出来事の回想まで何度も挿入される。そうなると“回想の回想”であり、作品の時系列はめたくそに破綻。

つまり劇場版とは名ばかりの総集編。ダイジェスト商法が火を噴いたのである。

f:id:hukadume7272:20201017021917j:plain明石家さんますら夢中にさせた『あの花』

 

次に発表されたのがアニメ映画『ここ叫』

この作品は、声を封印された内気な女子高生がタイプもカーストも異なる3人の同級生らと共に「地域ふれあい交流会」の実行委員に任命された挙句ミュージカルの主役までやるハメになる…といった学園群像だ。

ヒロインが言葉を話すことができないのでコミュニケーションツールはもっぱら携帯電話でおこなわれるEメール(Cメールかもしれない)。そのこまごまとした文面は反映画的と呼ぶほかなく、雑多な文字情報が興を削ぐことおびただしい。というより、携帯電話を使えば饒舌に語れるのなら“声の封印”という枷はそもそも必要か? それに喋ろうと思えば喋れるけど、喋るとお腹が痛くなるって、なんだそりゃ。

また、草木も雲もモブも動かない、環境音がない、動態の省略など、その不活性なアニメーションには「これアニメの意味あるのかな…」の感あり。

f:id:hukadume7272:20201017022023j:plain実写映画化すらされた『ここ叫』

 

反面、作品内の空気はとても心地よく、どのアニメ会社とも異なるフレッシュな作風は前途洋々だが、何かが足りない、何かが足りない「超平和バスターズ」。はてさて『空青』はどうなのかしら、つって、ピュッと見た。

作風としては『あの花』『ここ叫』と同じく、遠き日の後悔や負い目に囚われたまま歳を重ねた少年少女たちが過去の自分と決別して大人への一歩を踏み出すさまをノスタルジックに描いた喉越し爽やかな青春群像である。毎回これやないか。

 

舞台は山に囲まれた埼玉県・秩父市。河原でベースの練習に励むニヒルな女子高生・相生あおいは幼いころに両親を亡くし、市役所で働く姉・あかねと二人で生活している。
あかねは非常におっとりした女性で、現在31歳。同じ職場で元ドラマーの中村正道からは想いを寄せられている。

そんなあかねは高校生のころにギター弾きの同級生・金室慎之介と交際していた。ああ、忘れじの13年前。慎之介や正道らのバンド練習の拠点は近くのお堂。慎之介は底抜けに明るく、いつもおにぎりを差し入れしてくれるあかねをいつか絶対お嫁さんにするのだと発奮していた。あかねにしても同じ将来を思い描いていた!

一方、姉に連れられてお堂に入り浸っていた幼少期のあおいは、そんな慎之介に感化されて音楽に興味を持ち、のちにベースを手にすることになるわけだ。

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チビのあおいにベースを教える慎之介。

 

しかし、あかねは「東京でビッグなバンドマンになるから一緒に来てほしい」という慎之介の告白をにべもなく断り、高校卒業後に慎之介はひとりで上京。爾来、あかねは地元に留まり、小中高とレベルアップしていくあおいの成長を見守りながら独身を貫いている。

妹を育てるために恋人との将来を諦めたのだ!

なんて悲しい女なのか!

時は戻って現在。

町おこしのために音楽フェスを誘致したあかねは、大物演歌歌手のバックバンドの中に慎之介の姿を認めたが、13年ぶりに再会した慎之介は荒みきったドロドロのオヤジになり下がっていた。

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現在の慎之介。

 

一方のあおいはお堂のなかで13年前の慎之介と出会う。

慎之介が2人いるぅー。

それを知るのはあおいだけ。かかる怪現象に混乱する中、バックバンドのベースとドラムが食中毒でぶっ倒れたという報せが入り、その代役をあおいと正道が務めることになった。果たして音楽フェスは成功するのか? いやいや、そんなことより現在の慎之介と高校生の慎之介が同一の世界線上に存在してるのはどういうわけ!

…みたいな中身である。

クソややこしいわ。

劇中では現在の慎之介を「慎之介」、過去の慎之介を「しんの」と呼び分けていたので本稿でも同じシステムを採用する。

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◆ややこしい話をたっぷりしてます◆

キャラクターたちの“感情”が主体化した作劇は岡田麿里シナリオの常套手段だろう。

何かしらの出来事を起点にストーリーが動き出す…という活劇性はゼロに近く、迷い、悩み、傷つくキャラクターたちの複雑な心的変化を詩情豊かに描きだす…いわば“絵”よりも“思い”をアニメートするタイプの作品なので、必然的に文芸色の強い心理ドラマが主軸となっていく。

最近この手のアニメをチラホラ見かける気がする。『響け!ユーフォニアム』(15年)とか『映画 聲の形』(16年)とか。ゼロ年代まではライトノベルを原作とした「萌え」や「セカイ系」のようなアニメ独自のコンテクストと戯れた自閉的作品が「深夜アニメ」という不思議なマーケットを形成していたけれども、ここ数年はそうしたアニメ村だけのお約束を取り払った裾野の広さが非アニメオタクにぐさぐさ訴求している。

やっぱり『君の名は。』(16年)で業界のビジョンがガラッと変わったんだろうな。最近だと『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? 』(17年)とか『ぼくらの7日間戦争』(19年)なんかがアニメリメイクされたけど、そのさまは私にゴールドラッシュを思わせたわ~。どいつもこいつも目の色変えて、金脈に群がる採掘者のように。でも柳の下に前前前世は転がってないという。

 

て、そんな話はどうでもいいン。

「感情の優位性がすげえ」ってところまで話しましたね。では一人ひとりの感情を追っていこうと思うのだけど、まず主人公のあおい。

彼女はぶっきらぼうだけど姉想いの女子高生で、自分の為にあかねが地元に縛りつけられていると考えて大学には進学せず上京をめざす。現在の慎之介の変わり果てた姿に失望し、お堂に閉じ込められた過去のしんのと協力してあかねと慎之介をくっつけようとするが、徐々に心にびっくりの変化が訪れる。

なんとしんのを好きになってしまうわけ! つまり過去の慎之介ね。

だが、しんのはあかねにゾッコン。以降あおいは禁断の恋に苛まれながらも姉がいちばん幸せになれる道を選ぼうとする。

f:id:hukadume7272:20200925030452p:plainあおい(右)とあかね(左)の姉妹。

 

一方、過去からタイムスリップ(?)してきたしんのはお堂に閉じ込められており、外に出ようとしても見えない壁に衝突してしまう。31歳になったあかねを見てもなお純愛の火は弱まるところを知らないが、一方で大人になったもう一人の自分(31歳の慎之介)は夢に挫折した情けなさからあかねとの愛を半ば諦めかけていた。ここで二人の関係が終わってしまうと誰も幸せにならないので、協定を結んだあおいとしんのは、あかね×慎之介の13年越しの恋路を応援することに。

そして当のあかね。慎之介への想いは変わらないが今のやさぐれた姿には失望しており、たとえ結ばれたとしても“あおいを進学させる”というのが一番の望みなので地元を離れるつもりはないらしい。ちなみに彼女はしんの存在に気づいてない。気づかれると話がややこしくなると考えたあおいは、決して姉をお堂に近づけないよう工作するのである。なるほどなぁ。

ってクソややこしいわ。

4人の感情が複雑に交錯する岡田印の繊細ストーリーがすこぶるややこしいです(まあ、4人と言っても内2人は同一人物だが)。

でも何だかんだで姉妹愛についての物語なんだと思うわ、これ。言外の思いやりに溢れたハートウォーミング・シスターズ・アニメーションの金字塔といえるのかも。

f:id:hukadume7272:20200925030817j:plain13年前の姉妹。両親を事故でなくし、あかねは一人で幼いあおいを育成した。

 

◆SMS…それは諦めの呪文◆

で、ここからは批評というか感想をクネクネと綴っていくのだが、まずは『ここ叫』でも目立った“不活性なアニメーション”はあまり変わらず。巧緻を極めた田舎町の背景画はとても綺麗だが、草木も動かなければ風も吹かず、またキャラクターの動態にも一抹の寂しさあり。

…と思っていたらクライマックスで不意にアニメし出したわ。

遂にお堂から出られたしんのがあおいの手を取って大空を舞うという超人描写である。

スーパーヒーローのごとき跳躍力で森を駆け抜け、しまいには重力から解放されて空を飛ぶ。いかなアニメとはいえ、いささか突拍子のない…というより節操のない描写に若干トホホではあるが、とはいえアニメである以上、動かないよりは動いた方がいいので、ここはひとつ消極的肯定をしてみたい。

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また、あおいの持ち歌としてゴダイゴの「ガンダーラ」が何度も歌われたり、飲食店の有線からは松田聖子の「赤いスイートピー」がうっすら流れるといったレトロ趣味が横行するが、だからといって物語の時代設定が昭和というわけではない。なんじゃそら。 

しっとりとした文芸タッチはなんとなく心地いいのだけど、ともすれば繊細な感情表現が単に面倒臭い人間関係の磁場にしかなってないような気もする。キャラクターの心情変化を弄くり回すさまなんて故意に話を複雑化しているようでもあり、岡田脚本の『キズナイーバー』(16年)というロクでもない作品を想起させるには十分すぎるほど岡田岡田していた。まあ、キャラクター造形がいいから一応は飽きずに見ていられるのだけど。

 

それはそうと、しんの周りの作品内ルールがいまいちストンとこないのが気持ち悪い。

しんのがお堂の外に出られない理由を、劇中では「地縛霊のようなモノだから」で片づけていたけど…こじつけ感がすごいっていうか…そんな説明で丸め込まれるオレではないっていうか。

結局のところすべては作り手の都合なわけで、百歩譲ってしんのが地縛霊のようなモノなら第三者にも目視できて実体もあることの説明はどう付けるの?って話なんだけど、ハナから説明を付ける気なんて作り手にはなく、それは、もう、そういうもの…通称SMSとして受け入れるしかないンである。

アニメ鑑賞における基礎リテラシー。それは、いかな怪現象や謎設定に疑問を抱けど、S(それは)M(もう)S(そういうもの)として飲み込むべし。

SMS…それは諦めの呪文。

f:id:hukadume7272:20200925034307j:plainしんのは地縛霊のような存在ゆえに「見えない壁」によってお堂の中に閉じ込められているが、なんと終盤では気合で壁を突破します。それは、もう、そういうものなの…。

 

それはそうと、「あかねと慎之介が結ばれるとしんのが消えてしまう!」というあおいの言い分もよくわからん。

いや、ま、頭では分かるんだけどさ。要はあれでしょ。しんのは「上京には付いていけない」と断ったあかねへの未練から13年後の現在にタイムスリップしてきたので、そこで未来の自分と現在のあかねがくっ付けば成仏する(過去に帰れる)みたいなニュアンスなんでしょう?

でもそれって観客が歩み寄って酌んであげなきゃいけない部分だったりして、説話としてはかなり不親切だと思うわ。だからこそ頭では分かるんだけど、それ以前に目で分からせてくれるのがアニメなんじゃないの? って思うわけ。開幕20分にしても人物相関図わけわかんねえし。

そして最大の疑問は、あおいがしんのに恋愛感情を抱いたのはいつなの? っていう。まさか…これもアレか。SMSか。

ちなみに、あおいは慎之介らと共に演歌歌手のバックバンドとして音楽フェスに出ることになった…というのは先ほども紹介した通りだが、なんとフェスシーンは描かれません。ェス当日を迎える前に物語は終わってしまうのです!

やらへんのかい。

f:id:hukadume7272:20200925034635j:plainせっかく「ガンダーラ」練習したのに。

 

そんなこんなで、フェスするする詐欺アニメ『空の青さを知る人よ』

エンドロールで紐解かれる3人の数年後の姿には少しホロリとしちゃいました。何より絵がいいよ、超平和バスターズの作品は。絵がいい。

主なキャストには吉沢亮(慎之介/しんの役)、吉岡里帆(あかね役)、松平健(演歌歌手役)など豪華声優陣が目白押し。また、豪華マリーゴールド歌手のあいみょんが書き下ろしスペシャルソングを2曲も歌い散らかすという大盤振る舞い!

というわけでハイ出ました総評。

雰囲気は100点。

f:id:hukadume7272:20200925035230j:plain果たしてあかねと慎之介は結ばれるのでしょうか。

 

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