シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

哀愁

暗い過去を引きずりながら明るい未来には進めないという厳しい論理。アアー!

f:id:hukadume7272:20201009071539j:plain

1940年。マーヴィン・ルロイ監督。ヴィヴィアン・リー、ロバート・テイラー。

 

第一次世界大戦下のロンドン。空襲警報が鳴り響くウォータールー橋で出会った英国将校クローニンとバレエの踊り子マイラ。ふたりは瞬く間に惹かれ合い、翌日には結婚の約束までも交わすほどその恋は燃え上がった。しかし時代はそんなふたりを引き裂きクローニンは再び戦場へ。健気に彼の帰りを待つマイラ。しかしそんな彼女に届いた報せはクローニンの戦死を伝えるものだった…。(Yahoo!映画より)

 

おはようございます、俗世の民たち。

サボり過ぎてしまいました。

えらいもんで、電撃大外刈が決め手となり、まさしが勝ってから12日も経つのか~。それに、最後の映画評からは1ヶ月も経ってやんの。定期的にアクセスしてくれた俗世の民たちには申し訳なく思っているよ。

とはいえ、この1ヶ月間いたずらに馬齢を重ねたわけではない。映画を観たり、評を書いたり、お酒を飲んだり、鍋料理を作ったり、寝たり、など多岐にわたる活動をしていたのだ!

そんなわけで本日から再開するシネトゥ。復帰第1弾シネマは『哀愁』です。「もっと新しい映画やれ!」と思う俗世の民もいるかもしれませんが、それは黙れ。じっくり語りたい作品なので8000字オーバーです。

f:id:hukadume7272:20201117234558j:plain

 

◆これぞ哀愁。さよなら、さよなら、さよなら!の巻◆

もはや映画好きに知らぬ者はいないと思うが…と言いつつも、内心では「意外と大勢いるんだろうな」と思うほど映画好きの現代人は古典映画を見ておられないようなのでイチから順を追って説明すると…といった読み手を挑発するような書き方をすることで「そうだなぁ、古典映画も見ないとなー」と思ってくれるごく一握りの読者のためにこそ続きを書くが、『哀愁』は悲恋の代名詞的傑作として未だに根強い人気を誇るクラシック名画の金字塔であるん。るるん。あるるん。
るるん。

主演はヴィヴィアン・リーロバート・テイラー

ヴィヴィアン・リーは第二次大戦下で人々に夢を与えた伝説の美女だ。ちなみに私は美しすぎて逆に美しく感じないという美的感覚の麻痺者であり、ヴィヴィアン・リーの美しさを正しく認識するまでに丸10年かかった(ことによると未だに認識できてないかも)。
※勿論ここでいう「美しさ」とは顔面造形だけを指すものではない!

ヴィヴィアンは「美しさが邪魔をしているくらい完璧な女優」とも評され、翡翠のごとき美貌は時に女優としての枷にもなったが、その憎らしいまでの魅力はついに映画の神をも降伏させ、芝居に対する異常なまでの求道心から生じた双極性障害と30代から発症した慢性結核による53年の生涯と引き換えに永遠の光輝を手にした、ある意味では映画という名の呪いに愛されてしまった因果な女優である。

ローレンス・オリヴィエとの十余年にわたる壮絶な恋愛とその悲劇の結末についてはあえて語らないが、炎のように命を燃やし、残酷な夢の楽園ハリウッドにその名を刻みつけたヴィヴィアン・リー。代表作は、言わずと知れた名画オブ名画『風と共に去りぬ』(39年)『美女ありき』(41年)『欲望という名の電車』(51年)

あと『無敵艦隊』(37年)も忘れたくないね。

f:id:hukadume7272:20201009072924j:plain運命の恋人ローレンス・オリヴィエと。

 

その相手役を務めたのがロバート・テイラー。

ケーリー・グラントやグレゴリー・ペックにも引けを取らない二枚目で、水も滴るいい男オブ水も滴るいい男としてジョーン・クロフォードを始め数々の大女優と共演。代表作はグレタ・ガルボとの大恋愛を演じた『椿姫』(36年)、エリザベス・テイラーと共演した『黒騎士』(52年)など。

私生活では当くそブログでもたびたび取り上げたバーバラ・スタンウィックとの結婚に成功。そのあと離婚に成功した。

1947年の赤狩りでは「非米活動委員会に仲間を売った裏切り者」と非難され順風満帆のキャリアに暗い影を落とす。1969年に肺癌でこの世を去ったあとも同業者の誹りを受け続けたが、その後少しずつ余栄が築かれつつある。

f:id:hukadume7272:20201110072722j:plain一緒に映ってるのは『ジョニー・イーガー』(41年)で共演したラナ・ターナーかな。違ってたらすんまそ。

 

語ッ!

英独開戦に揺れる1939年のロンドン。ウォータールー橋に佇むひとりの老人がビリケンのお守りを片手に遠き日に想いを馳せていた。

時は空襲警報が鳴り響く第一次大戦下のロンドンまで遡る。明日には戦地フランスへ赴くテイラー大尉が若き踊り子のヴィヴィとウォータールー橋で出会い、一撃で結ばれた。彼女が道に落としたビリケン人形が恋の始まりだった。

その日の夜にレストランで待ち合わせた二人は、初対面とは思えぬほど楽しい一時を過ごし、閉店間際に演奏されたAuld Lang Syne(蛍の光)」に合わせてくりくり踊った。それはもう、くりくりと。

だが、ヴィヴィは浮かない顔で「もう二度と会えない気がする。私の直感はよく当たるの」とつぶやいて別れを惜しんだが、テイラーはポジティブシンキング・キングなので「直感なんて信じないね。僕たちはきっとまた会える」といって口づけを交わした。

翌日、テイラーのフランス行きが2日延期になったと知ったヴィヴィは「直感は間違っていたわ!」と大いに歓喜した。小躍りすらした。当然くりくりと。

ヴィヴィを抱きしめたテイラーは藪から棒に結婚を申し込み、ヴィヴィも「オフコース」と即答したが、突然の招集命令によりテイラーはロンドンを発つことになり、ふたりは式を迎えることなく離れ離れになってしまう…。

それではお聴き下さい。オフコースで「さよなら」。

 

さよなら さよなら さよならーアアー!

もうすぐ外は白い冬

愛したのは たしかに君だけ

そのままの君だけ…

さよなら さよなら さよならーアアー!

オフコース「さよなら」

f:id:hukadume7272:20201117221729j:plainヴィヴィとテイラー。

 

傷心のヴィヴィは、同じバレエ団の親友ヴァージニア・フィールド…通称バフィーにマイ・ブロークン・ハーツを慰めてもらったが、劇団の規則である恋愛禁止令を破ったことで団長マダム・マリアの逆鱗に触れてしまい、ヴィヴィを庇ったバフィーともども解雇されてしまう。

職を失った二人はボロボロのアパルトマンで暮らし始めたが、間もなく貯金も底をついた。にも関わらず華美なコートに身を包み、毎日食料を抱えて明け方に帰ってくるバフィーに疑問を覚えたヴィヴィだったが、「生きる為には仕方ない…」という言葉ですべてを察した。バフィーは兵隊相手に身体を売っていたのだ。

過日、テイラーのママンと茶をしばくことになったヴィヴィは、ママンを待っている間にふと目を落とした新聞の戦死者欄にテイラーの名前を発見。失神した。すべてに絶望したヴィヴィはバフィーと同じ道を辿ることを決意し、ひとり佇むウォータールー橋で声をかけてきた男から金を受け取り、ついに娼婦へと身を堕とす。

f:id:hukadume7272:20201117221713j:plain兵隊さんを駅で漁る闇堕ちヴィヴィ。

 

数ヶ月後、いつものように駅で客を探していたヴィヴィの前にテイラーが現れた。夢かと思ったが、現実だった。テイラーはバリ生きてた。戦地で認識票を落としたせいで戦死者と勘違いされたのだ。テイラーはあわてんぼうだったのである。

再び幸福を手にしたかに見えたヴィヴィだったが、彼女の心を自責と後悔が襲う。てっきりテイラーが死んだものだとばかり思っていた彼女は、その絶望感と生活苦から身を穢したのである。そして、そのことを彼は知らない…。

再会を大喜びしたテイラーは、今度こそ結婚しようと故郷のスコットランドにヴィヴィを連れていき家族に紹介したが、テイラーファミリーの優しさに触れれば触れるほど、今の自分が娼婦だということを告白できずに苦しむヴィヴィ…。

だが肥大した罪悪感に耐えきれなくなったヴィヴィは、「あなたのように心の美しい娘になら息子を任せられる」といって自分を娘のように可愛がってくれたテイラーママンだけにすべてを打ち明け「期待にお応えできなくて…」と涙ながらに謝罪。決してこの真実をテイラーに伝えないとママンに約束させ、愛を綴った置手紙を残して彼の屋敷からピューッと立ち去ってしまう。

翌日「ヴィヴィがいない! 何がどうなっテイラー?」と混乱したテイラーは慌ててロンドンに向かい、顔なじみのバフィーとともにヴィヴィを探したが、バフィーが向かった“心当たりのある場所”を巡るうち、次第にテイラーはヴィヴィが自分から去った理由に気づき始めた。そして直感するのだ。もう二度と会えないと。

そのころヴィヴィは、初めてテイラーと出会ったウォータールー橋を虚ろな目で漫ろ歩き、短くもすばらしい愛の日々を懐かしみながら軍用トラックに身を投げ出した。再び道に転がったビリケンのお守り…。

時はファーストシーンに戻り1939年。短くもすばらしい愛の日々を懐かしんだ老テイラーは、今も大事に持ち歩いているビリケンのお守りを握りしめ、ウォータールー橋を後にする―…。

f:id:hukadume7272:20201117221702j:plain思い出のなかでヴィヴィの亡霊を追い続ける老テイラー。

 

◆親友バフィーと女一匹最後の意地!の巻◆

ロマンス映画を見るとどうしても感情論で語ってしまいたくなるのだが、私にとってこの映画は前半50分はムカつき散らし、後半60分は悲しみ抜く、情緒不安メロドラマの金字塔なのだ。

ムカつきの発生源はテイラーと結ばれて有頂天になったヴィヴィの身勝手さだ。いくら出征を見送るためとはいえ無断で舞台をすっぽかし、解雇を言い渡したマダム・マリアを鬼ババア扱い。映画の側もマダムを憎まれ役として描いているが、「人様からお金を頂く以上それに見合ったバレエを見せる。それがプロというものです」「恋愛ごっこがしたいならよそでどうぞ」とか、言ってること自体は正論なんだよね、この鬼ババア。

そのうえ、親友バフィーはヴィヴィを庇ったがために二人ともども解雇され生活に窮したというのに、ヴィヴィときたら自分の幸せのことばかり考えてやんの。

テイラーが戦地から贈った花束にヒャーッと舞い上がるヴィヴィに対して、やや遠慮気味にバフィー、「嬉しいのはわかるけど、今の私たちはパン一斤も買えない身。花を売ればお金になると思うんだけど…」と提案してみたが、狂喜乱舞するヴィヴィの耳には何も聞こえていなかった。

また、ヴィヴィが「来週テイラーママンと茶をしばくの。新しい服を買わなきゃ!」と欣喜雀躍したときは「服を買う金なんてないわ。…気が引けるだろうけど、今の状況を正直に話して少しお金を工面してもらうべきじゃない…?」と提言してみたが、今のヴィヴィには馬耳東風。「貧乏がバレたらイメージが下がっちゃうでしょ。将来わたしのお義母さまになる人の前では完璧でいたいの!」なんつって埃だらけの部屋でくりくり踊る始末。こんなとこでバレエすんな。

まったく頭にくるなぁ、このワガママ女…。ヴィヴィアン・リーじゃなかったらド突いてるぞ。

(ヴィヴィアン・リーだからド突かずにいるんだぞ!)

f:id:hukadume7272:20201117223026j:plainヴィヴィを庇ってマダム・マリアに楯突くバフィー。

 

それでも夢に生きるヴィヴィと現実を戦うバフィーの共同生活がうまくいっていたのは、ひとえにバフィーがいじらしいほどに親友思いであり、テイラーが戦死したと思って精神崩壊を起こしたヴィヴィのために二人分の生活費を稼ごうと自ら娼婦になったためである!

われわれはバフィーを単なる脇役と軽んじてはいけないと思いますっ!!

彼女のすばらしさがよく出ているのは、テイラーが劇場の人間に預けたヴィヴィへの手紙がマダム・マリアの悪意によって破棄されたあと、バフィーがテイラーのもとに駆けつけてヴィヴィの返事を代弁するシーンだ。まさに恋の伝令兵。

そのあとバフィーが「ヴィヴィはすごく純情な娘よ。だから―…」と言い淀むと「よくわかるよ」とウインクするテイラー。ややあって「じゃあね、大尉さんっ」と敬礼してちょらちょら駆けていくバフィーの笑顔…そのチャームを見逃さずにおきたい。見逃さずにおきたいんや!

当然「だから―…」のあとには「遊びのつもりなら手を出さないで」と続くのだろうが、テイラーを一目見たバフィーは彼なら大丈夫だと確信したがゆえに「だから」の続きを言い淀んだ…というより言うことをやめたのである。

親友への深い愛情と、その親友が恋した男への信頼。わずか1分に満たないシーンの中でバフィーの魅力が炸裂する。

バフィー超いいやつ。

f:id:hukadume7272:20201009073121j:plain
いっそバフィーがヒロインならよかったのに。

 

物語後半ではテイラー戦死の誤報と行き詰った極貧生活ゆえにヴィヴィが闇堕ちしてしまうが、ここからがヴィヴィアン・リーの本領である。

キラキラモードだった前半部では乙女さながらの輝きを放っていたヴィヴィが、愛する人の死(誤報だけど)を受け入れようとする中盤では儚い女性としての影を見せつけ、ついに全てに絶望して娼婦に堕ればニヒルな女の妖しさがフィルムの全域を侵しきる。そしてバリバリ生きてたテイラーとの再会後は悲惨そのもの。人生の袋小路に立たされた者特有の虚脱フェイスで、かりそめの幸福に人生最後の喜びを見出すのだ。

再会に喜ぶテイラーは「僕と離れ離れになってた時期に何があったか知らないが、キミにどんな過去があってもすべて受け入れる」と誓ったが、それでもヴィヴィは我が身の堕落を告白することができなかった。ちなみにレビューサイトには「テイラーもそう言ってるんだから、思いきって打ち明けたらいいじゃん」という意見もあったが、そういうこっちゃない。

これは運命の恋を自ら穢してしまった“ヴィヴィ自身の問題”なのだ!

たとえテイラーが「僕は気にしないから」と言っても、それは男性サイドの言い分に過ぎないことに早く気づけぇぇええええシバくぞおおおおおおおおおおおお。

 

また、皮肉にもテイラーの叔父の温かい言葉がヴィヴィを失踪へと至らしめたのが実にやるせない。踊り子という職業に偏見をもつ親戚一同の前でヴィヴィにダンスを誘うことで彼女の尊厳を示してみせた粋な叔父は「キミなら家紋を守ってくれると信じている」といってヴィヴィを家族に迎え入れようとしてくれたのだが、その言葉が意図せぬ重圧となってしまい、ヴィヴィの秘密にぐさりと刺さる。そして一層の自責へと彼女を追い詰めたのだ。

あまつさえこの時代は娼婦への風当たりが強いうえ、テイラーは由緒正しい名家の子。また、真実を隠そうとするヴィヴィに賛同したバフィーは二人の結婚を祝福しながらも「のるかそるかね…」と唾を呑んだ。娼婦であることが露呈すると今度こそ食いっぱぐれて野垂れ死にするかもしれないからだ。

暗い過去を引きずりながら明るい未来には進めない、という厳しい論理!

だからこそヴィヴィは純情を演じ抜き、美しい姿を保ったままテイラーの前から立ち去ることで女一匹最後の意地を辛うじて貫き、自ら捏造した幻想のなかで愛と尊厳を永遠のものとしたのであるる!

テイラーママンだけに真実を打ち明けた夜、廊下ですれ違ったテイラーに「おやすみ」ではなく「さよなら」と言った場面がすごく切ない。

テイラー「なんでさよなら」

ヴィヴィ「ほんの少しの別れなのに永遠みたいなんだもの…」

テイラー「明日も明後日もずっと一緒さ!」

ヴィヴィ「そうね…。さよなら(マジトーン)

テイラー「ほい、さよなら!(ジョークトーン)

それっきりヴィヴィは行方をくらまし、テイラーは二度と彼女に会うことはなかった。ヴィヴィの言った「さよなら」をおセンチなジョークと受け取ったテイラー渾身の失態といえるが、彼がその過ちに気づいた時には後の祭り。あの夜、彼女のサインに気づいていれば…!

この時のことを幾年も悔やみ続けたテイラーは、今日も今日とてウォータールー橋にひとり佇み、彼女が遺したビリケン人形を握りしめる。

…もっぺん聴いとく?

 

 さよなら さよなら さよならーアアー!

もうすぐ外は白い冬

愛したのは たしかに君だけ

そのままの君だけ…

さよなら さよなら さよならーアアー!

オフコース「さよなら」

f:id:hukadume7272:20201117230643j:plainテイラーは瞳の奥の悲しみに気づけなかった。

 

◆この哀愁はアメリカさんにはわからんのや!の巻◆

映画としておもしろいのは、ヴィヴィが後生大事にしていたビリケン人形の往還である。

空襲警報時にヴィヴィが橋で落としたビリケン人形をテイラーが拾ってやったのが出会いの始まりだが、そのあとヴィヴィは戦地に赴くテイラーに「これを持っていれば被弾しない」とか非科学的なことを言ってビリケンを託す。そのビリケンは二人が廊下ですれ違った夜に「やはりこれはキミが持つべきだ」といって再びヴィヴィの手の中へと返されるのだが、そのあと彼女が橋で自殺したことによって最終的にテイラーが所有することになったのである。ビリケンとは幸運の神様の像であり、そのお守りを渡したり返したりするところに互いを想い合う二人の愛があったわ。

『哀愁』がすぐれた恋愛劇である理由は、見つめ合う男女がぼそぼそと愛を語り合ったり、接吻/抱擁といった直接ラヴのはしたないイメージを焼き付けることよりも、互いが知らないところで互いを想い合う間接ラヴの慎ましやかな身振りがメロドラマの発生領域をほとんど全シーン全ショットにまで押し広げたからにほかならないわけ。

出会って2日目、雨に打たれながら寮の前にぽつねんと佇むテイラーを窓越しに発見したヴィヴィが「彼よ! また会えた!」と絶叫し、バフィーの手を借りながら大慌てで服を着替えるロングテイクの躍動感はどうか。喜びと驚きがひしひしと伝わるではありませんか。これがフィルムの感覚です。

戦場から帰還したあとに駅でヴィヴィをみとめたテイラーも然り。やつれきった帰還フェイスにジワーッと笑みが広がったあと、それまでダンディだったテイラーが途端に結婚連呼のウレションボーイと化すのだ!

f:id:hukadume7272:20201117230206j:plain

 

恋愛特有の“はやる気持ち”を生き生きと描き出すことで『哀愁』は豊かな共感性を携え、今となっては“時代を超えた恋愛映画のマスターピース”と目されているが、本国アメリカでは日本ほどマスターピース感はなく「まあ、ええんちゃうけ?」みたいな若干ズサンな評価に落ち着いている。なんとアメリカ最大手の映画レビューサイト「ロッテントマト」でさえわずか5件の評しか寄せられていないのだ(日本ではFilmarksに282件、Yahoo!映画でも146件と相当な人気ぶりが窺える)。

このことから、おそらくヴィヴィとテイラーのすぐれて演歌的な悲恋は「心の襞」とか「人情の機微」に対してビビッドに反応する我が朝ジャポン国のピーポーにこそよく染み渡るのだろう。神経症的な役を得意とするヴィヴィアン・リーの人気も、役のイメージや波乱万丈の私生活から、本国アメリカよりも日本でこそ神話化されているようだし、猶のことジャポン的な琴線に触れるのかもわからない。

実際、今井正の『また逢う日まで』(50年)や大庭秀雄の『君の名は』三部作(53-54年)は本作に着想を得ているというのだし。

ちなみに当のヴィヴィアン・リーも自身の出演作の中では『哀愁』が最も気に入っているとの声明を発表した。むべなるかな。いち女優としてマイ・ベスト・アクトに選びたいのは『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラよりも『哀愁』での役よねぇ。ヴィヴィアン・リーの貌が余すところなくパッキングされたヴィヴィアン・ムービーの金字塔なんですもの!

f:id:hukadume7272:20201009074212j:plain2020年の黒人差別抗議デモを受けてワーナー系列のVODで一時的に配信停止されたことでお馴染みの『風と共に去りぬ』忖度と共に停めぬとはよく言ったもの。


そんなわけで本作。撮影がどーした演出がこーしたという偉そうな話をしてもいいのだが、やはり真に語るべきは物語上のロマンスだと思ったのであえてしませんでした。

…というのは実はウソで、正味のところは“映画”を観ることを忘れてヴィヴィアンとテイラーのロマンスにうっとりしてしまったがために技術的な話ができない…という有様なのだ!

ただでさえ本作を見るのは二度目なのに、どうしても主演カップルの恋路へと視線を注いでしまう、この“名画の求心力”ともいえる不可抗力ッ。

監督は、本作と双璧を成すロマンス映画の金字塔『心の旅路』(42年)マーヴィン・ルロイ。ギャング映画の嚆矢『犯罪王リコ』(31年)や、4度目の映画化『若草物語』(49年)の監督としてもよく知られている大家であります。

それにしても、カメラマンを務めたジョセフ・ルッテンバーグただ正確なだけの退屈な撮影も、もっぱら主演男女を際立たせていればよい本作では一周回って効果をあげている。おばはんのムームーみたいに何度も使い回されるウォータールー橋とビリケン人形の露骨なまでのモチーフの活用も、今となってはウォータールー橋=この映画といった代名詞的な認知におさまっているので、良くも悪くも40年代ハリウッドの大らかな演出だった…と見ていいのかもしれない。

人は今こそヴィヴィアン・リーを見つめ直すべきなのかもしれないし、べつに見つめ直す必要はないのかもしれないが、まぁ、できれば見つめ直した方がいいだろうな。

f:id:hukadume7272:20201117235136j:plain