アシャアアアアアアアア!
「語り代」のない映画の評なんて見送りじゃあ!
今回は、そんな黙殺の対象にされた罪なき映画群の魂を救済すべく、まとめて寸評していこうっていうむちゃむちゃ雑な企画の第2弾です。
評を見送ったぐらいですから大体は悪口に終始しており、 ましてや寸評ゥ、オブラートに包む紙幅なんてないのでスパッと冷淡に斬ってます。一太刀のもとにね。
ていうか、急に冒頭で「アシャアアアアアアアア!」って叫んでごめんね!!?
↓ 第1弾はこちら。それでは参るわ。
『可愛い配当』(51年)
『花嫁の父』(50年)の正統続編。遂にベイビーを産んだ長女エリザベス・テイラーに、頑固親父のスペンサー・トレイシーが「お爺ちゃんになりたくない。ワシはまだ若い」とダダをこねるといった未熟な中身だ。
もはやS・トレイシーのかわいさを確認するためだけの映画と化していた。フィルムを延命するためにストーリーの接ぎ穂を足しており、もうひとつ歯切れが悪い。以上。
『十代の性典』(53年)
百合描写、家庭崩壊、望まぬ妊娠…と、十代の性愛をペシミスティックに描いた保健映画の走り。
とはいえ少女時代の若尾文子を一目見ておくためのアーカイブ的役割を超える値打ちはない。島耕二も島耕二だ。大人しく『銀座カンカン娘』(49年)のような喜劇だけ撮っていればいいものを、どうしてこの時代の監督は撮れないと分かっていながら撮ろうとするのだろう。そこに美学を見出すのはスポーツの領域である。島耕二はスポーツ選手なのだろうか?
『洲崎パラダイス 赤信号』(56年)
むやみに批評すべきではない映画というのがこの世には存在する。とはいえ、3033字書いたところでギブアップしたっきり下書き状態のまま記事管理ページの藻屑と化した幻の評は果たして完成するのだろうか。書けども書けども川島雄三の意匠に言葉が追いつかんのだ。
渡るためではなく渡らないための橋。あるいは新珠三千代と三橋達也が間借りした飲み屋の二階で仰向けで寝っ転がるショットの微妙。この構図、果たして二人は堕ちてるのだろうか、昇ってるのだろうか? 仰向けの横臥は“落ちた人の姿勢”だが、二人がいるのは建物の二階…。感覚のパースがいがむわぁ。
あ、「いがむ」って関西弁だっけ。
『眼の壁』(58年)
テリングそのものが清張しすぎ。
いくら松本清張の原作小説だからといって松本清張のように撮るヤツがあるか、ばかっ!
『金色の眼の女』(61年)
密室での痴話喧嘩をアーティスティックな映像感覚で切り取った、おフランス丸出しのスノッブ映画。「映像美! 映像美!」といって評価するのは自由だが、その座談会にオレは出席しないだろう。オレの分のオレンジジュースは誰かが飲むといい。
なんというのか、“マリー・ラフォレのカメラをも嫉妬させる異教的な貌”の命綱がすごい。
「武器はこれ一個で、あとは成り行き」って感じで撮り始めたんだろうな。だとしたらナメんな。おまえのオレンジジュースはオレがもらう。
『続・黄金の七人 レインボー作戦』(66年)
レインボー作戦が何なのかをまず説明してくれ。頼むから。
ロッサナ・ポデスタが前作では見せなかった乳をついにほっぽらかしており、これが続編商法か…と妙に感心した。しかしケイパー映画としても、乳ほっぽらかし映画としても落第。
前作の『黄金の七人』(65年)は近日取り上げます。おれは嘘はつかないよ。
『影の車』(70年)
妻帯者である加藤剛がシングルマザーの岩下志麻とバッキバキに不倫。「もっと違う設定で もっと違う関係で 出会える世界線 選べたらよかった」とかなんとか言いながら愛し合っていると、志麻ちゃんの6歳の息子が加藤剛に殺意を向ける…といったサスペンス不倫劇である。
加藤と志麻ちゃんがプリテンダーなら、さしずめこのガキはサスペンスを巻き起こすサスペンダーというわけだ。最終的には志麻ちゃんとグッバイするわけだが、加藤はガキの術中にハメられ、殺人容疑で逮捕されてしまう。まあ、これが宿命だったのかもな。
評は途中まで書いていたが、いかんせんOfficialギャグ男dismと化しすぎてグチャグチャになったのでボツにしました。
『隣のヒットマン』(00年)
ごみ。
『ペパーミント・キャンディー』(00年)
『アオシス』(02年)や『シークレット・サンシャイン』(07年)なんかは、頭にAEDを当てられてバコン!と電気を流されるような衝撃があったが、この映画にはそれがなく、だけど倒叙法で紐解かれるソル・ギョングの過去には『メメント』(00年)や『アレックス』(02年)のような形式主義の薄っぺらい時間逆行モノとは比べないものにならない業の深みやドラマの厚みはあるのだが、イ・チャンドンは、もっとこう…あと一回転イケるだろうと高望みしてしまうほどにはおもしろいヘンな人なので、なんだか本調子じゃないときのジミー大西を見たような残尿感に襲われて、うーん…まあまあでも…いや…うーん…って感じ。
それにしてもソル・ギョングはいい人間だ。
『劇場版ポケットモンスター 水の都の護神 ラティアスとラティオス』(02年)
歴代ポケモン映画の人気投票で見事1位に輝いた作品らしいで。ヴェネツィアをモデルにした水上都市を舞台に、あほのサトシが伝説ポケモンのラティ兄妹とスキンシップを取るといったよくわからない中身。
異国情緒の漂う美景と、可愛らしきラティ兄妹。内容は薄いので、まあ観光映画だ。ラティオスはクライマックスで死亡する。
タイトルがみだりに長い。
『劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 裂空の訪問者 デオキシス』(04年)
2004年といえば、ゲーム版の第3世代『ルビー&サファイア』のマイナーチェンジ版『エメラルド』が発売された年だ。定価は3619円。第3世代は総じて面白くなかったが、新ポケモンのアブソルには心惹かれたものだ。見た目の神々しさから、ゲーム発売前には伝説ポケモンではないかと囁かれていたが、蓋を開けてみれば野生で現れる一般ポケモンであり、しかも攻撃力以外がすべて低いという極端なステータスゆえに戦闘では非常に使いづらい。
だがオレは、かれこれ16年間アブソルを使い続けている。妹の友達と通信対戦したことは素晴らしい思い出だ。その娘はカイリュー先発で、初手「竜の舞」。こちらはアブソル先発で、初手「剣の舞」。互いに積み技で攻撃力を高めているので、先に殴られた方が一撃で沈む。このスリル。ベビベビベイベベイベベイベベイベ。これは布袋寅泰のスリル。次のターンは読み合いが生じるわけだが、俺はその娘が「不意打ち」を警戒して「竜の舞」を二積みしてくると読んで「剣の舞」をもう一度積んだ。読みは当たった。そのあと「不意打ち」でカイリューをしばくことに成功した。カイリューは死んだ。そのあとアブソルで3タテしたんだ。
年下の女の子を負かして、俺は大喜びした。アブソルは、なんて最高なんだ。
ああ、映画の話か。タイトルがみだりに長い。
アブソルがだいすきです。
『ポケモン・ザ・ムービーXY 破壊の繭とディアンシー』(14年)
家族連れにチケットを複数枚売りつけようとする魂胆がミエミエのテンプレ展開と、手癖だけの描画・演出。客をなめた殿様商売とはこのこと。
タイトルの長さはやや改善。
『サラブレッド』(17年)
ちょっと凝りすぎてて私にはしんどかったが、こういうものがいいと思える感性を私はいいと思う。ネクスト・ジェネレーションたちの清き成長ぶりを垣間見た。
あと、アニャ・テイラー=ジョイのパノラマ撮影みたいな地球儀顔もいいと思っている。この娘の顔ってすごく3Dチックだよね。
『ロング,ロングバケーション』(17年)
認知症のドナルド・サザーランドと末期癌のヘレン・ミレンがキャンピングカーで夫婦水入らずの旅に繰り出して最終的に自殺しちゃうっていう映画。
2人の共演はすばらしく感動的だったが、どうも狙いが定まりきってない。暗い未来へ向かう明るいロードムービーという矛盾。この矛と盾の衝突をいかにひっくり返すかが前提なんでしょう? 何してるの。
『バッド・スパイ』(18年)
ミラ・クニスとケイト・マッキノンがバディを組んだスパイアクション・コメディの登場。
『デンジャラス・バディ』(13年)に機先を制された感はあるが、まあ気にしなや。記憶にも記録にも残らない凡作だが、こういう映画はどんどん作られるべきだ。 何より二人が楽しそうなのがいい。
『ある少年の告白』(18年)
実在したゲイ・レズビアン矯正施設の実態を暴いたLGBT映画の登場。新星ルーカス・ヘッジズの両親役にはニコール・キッドマンとラッセル・クロウ。ジョエル・エドガートンが監督・出演の二足の草鞋を履いた。
とにかく画面が暗い、汚い、単調。
ジョエルは言う。「この問題を世界に知らせるべきだ」。
こういう、ご立派な動機でカメラを回し続けてるうちは映画は撮れない。
『マスカレード・ホテル』(19年)
群像劇とオムニバスを履き違えた『グランド・ホテル』(32年)。
長澤まさみがペーパーウェイトを正す挙措。お話的には伏線なのだが、映画としては全く伏線になってない。
反面、わざとらしくなく、下品でもないセットの魅力。木村拓哉と長澤まさみの掛け合いの楽しさ。チェックイン!
『見えない目撃者』(19年)
韓国映画の演出法に思いきり寄せた日本映画だが、それだけに露呈してしまう編集の鈍さとショットの貧しさ。
影の作り方に気合いが入ってるのはわかるし、吉岡里帆も他作品よりは遥かにいい。せめて貧乏くさいカラコレだけでもどうにかなればと思うのだけど(なんで緑なの?)。
盲導犬はいい働きをしていた。
『翔んで埼玉』(19年)
愛嬌があるので、好きになりたい映画ではあるのだけど。終始言葉にぶら下がり、画面も台詞も途切れがち。終盤はバテてた。事あるごとに現代パートに戻る時制処理もストレス。
とはいえパロディ1点賭けの作品であり、そこに関しては気品すら漂う作品だ。銀魂の人とは突進力が違う(もう名前も忘れたわ)。
あと、真木よう子が旗にされてた。
『オズランド 笑顔の魔法おしえます。』(18年)
地方遊園地に配属された波瑠がイヤイヤ働いてるうちに上司の西島秀俊から社畜としての喜びを教わって少しずつ洗脳されていくっていうブラック企業応援映画。
たとえ悪質なクレーマー相手でも必死こいて機嫌取って笑顔で帰ってもらうのが彼らの仕事なんだって。
だとしたら、こういう映画に対して「ここはディズニーランドじゃねえんだ」と中指を立ててやるのがオレの仕事だ。
おととい来い。
『犬鳴村』(20年)
ヤケに評判が悪いが、うーん、ビジュアル的には結構おもしろいものの…いや、でも確かにねー…って。
「逆にアリ」とした清水崇の実験的演出が、世間の人には「普通にダメ」と受け取られたんだろうな。分かってもらえなかったパターンか。
『ラビット・ホラー3D』(11年)を観たときに思ったが、清水崇はわざと打たれにいってる作家なのでは。じゃないと『魔女の宅急便』(14年)なんて撮らないでしょう。
また、同コンセプトの『樹海村』(21年)の公開が来年控えており「へえ」と思った。
おわり。