『黄金の七人』つってんのに実は8人いるという裏ぎり。
1965年。マルコ・ヴィカリオ監督。ロッサナ・ポデスタ、フィリップ・ルロワ、モーリス・ポリ。
泥棒グループがスイス銀行に眠る金塊を狙うべく一世一代の強奪作戦を決行すんにゃわ。
皆、おはよう。
最近バタフライナイフをチャッチャッチャってやる敵出てこないよなー。
昔はマンガや映画でよくいたよねえ。主人公に絡むチンピラといえば、バタフライナイフをチャッチャッチャってやりもって「へへ」と笑いながらにじり寄る。これがチンピラなりの作法、流儀、鉄則、アチュアチュ…アチュチュード。
私はそういう雑魚キャラが好きなので、誰か、バタフライナイフをチャッチャッチャってやる敵を見かけたら「バタフライナイフをチャッチャッチャってやる敵事務局」までご一報ください。
そんなわけで本日は『黄金の七人』です。
◆AYAKARI◆
パクり大国イタリアが放つB級ケイパームービーの金字塔『黄金の七人』。
『007』の世界的ヒットにあやかって作られた便乗映画の鑑である。また『007』だけでなく、当時60'sファッションの発信地だったスウィンギング・ロンドンにもあやかっている。
本作は高い娯楽性と新鮮な感覚から大いに受け、このヒットにあやかって作られたのがシリーズ2作目『続・黄金の七人 レインボー作戦』(66年)だ。さらには2作目のややウケにあやかって作られたのがシリーズ3作目『新・黄金の七人 7×7』(68年)。
極めつけにシリーズ全体の人気にあやかった日本の配給会社は、同シリーズとは無関係にも関わらず、監督が『黄金の七人』のマルコ・ヴィカリオだからという理由だけでヴィカリオの最新作に『黄金の七人 1+6 エロチカ大作戦』(71年)という邦題をつけた。
また、モンキーパンチの漫画『ルパン三世』は本作にあやかって作られたというのが通説であり、かの人気キャラクター・峰不二子は本作の主演女優ロッサナ・ポデスタにあやかって生み出されたキャラクターと言われている。ちなみにアニメ版の峰不二子のデザインは『あの胸にもういちど』(68年)のマリアンヌ・フェイスフルにあやかっている。
つまり『黄金の七人』はあやかり映画でありあやかられ映画でもあるのだ。
先人にあやかったり、後人にあやかられたり…。そうして世界は回り、歴史は作られてゆく。このような世界の原理をAYAKARIと呼ぶ。
あの峰不二子もあやかったロッサナ・ポデスタ。
さて、仲間とともに銀行強盗カマすという豊かな中身を誇ってやまない本作。典型的なケイパームービー(仲間を集めて詐欺強奪を働く犯罪映画)だな。昔は深夜帯によくBSで放送していたので少しばかり懐かしい一本であります。
ケイパームービーという物語類型を確立させたのは正確にジョン・ヒューストンの『アスファルト・ジャングル』(50年)で、そこから『オーシャンと十一人の仲間』(60年)や『トプカピ』(64年)が生まれて現在の『オーシャンズ11』(01年)や『グランド・イリュージョン』(13年)などに繋がっちょるわけだが、もちろんこの手の犯罪映画ではシリアスな物語とスリリングな演出が肝心、肝要、すべての肝!
にィィィィも関わらず! 本作はなんとも間の抜けた映画で。深刻さも緊迫感もまるっきり存在しない弛緩パレード。脱力・脱臼必至の放屁映画のベストドレッサーなのであるるる。
だがファッションは一巡する。今となっては「オシャレな良質ケイパームービー」として普通に持て囃されてるんだから、まったくもって不思議といえるよなぁ。
この映画がちょっぴり面白いのは、ケイパームービーには付き物の「仲間を集めて作戦を立てる過程」をすっ飛ばしていきなり強奪作戦から始まるという驚きの開幕だ。
まず、映画が始まるとシャバダバ・スキャットが流れる。結構むかつく音楽です。顎の弱そうな男女が神経に障る裏声でシャバダバ、ダバダバ、シャッバドゥバダバ♪
するとガス工事の作業員に扮した6人の男がスイス銀行の前にスイース…と工作車を停め、白昼堂々マンホールをマンホー!とこじ開けて地下工作をさくさく始めちゃうんである。シャバダバ、ダバダ♪
銀行に臨むホテルの一室には「教授」と呼ばれる計画発案者のフィリップ・ルロワと、なにやら彼と肉体関係にあるらしいロッサナ・ポデスタが6人の進捗状況を無線で確認している。その間もBGMはダバダバとうるさい。
そうなのだ! 『黄金の七人』という映画は、司令塔の教授と6人の実動部隊、そして補佐役のロッサナを合わせた8人組の男女がスイス銀行の巨大金庫からスイッと金塊を盗み出そうとする物語なのだ!
『黄金の七人』だっつってんのに8人いるという裏ぎり。
ちょっと数えてごらんよ。教授に、ロッサナに、ほか6人。タイトルは『黄金の七人』。でも足したら8人。
ほな8人やないか。
はてな、これはどうしたことだろう。邦題をつけた人間のカウントミスなのか? そうではない。そうではないのだ!
私が思うに、ケイパームービーの源流が『七人の侍』(54年)と見做されていることから「無理くり『七人』と付けてやろう」という剛腕配給の悪だくみがおこなわれているのだ!
現に当時の外国映画の邦題にも『荒野の七人』(60年)とか『戦場の七人』(60年)とか『駅馬車の七人』(66年)のように何かにつけてすぐ「七人」とつけてみるイズムがあった。
それに本作の場合は「教授が率いる7人の男女」という数え方もギリ出来るっちゃ出来るため、制作サイドにしてみれば「もし数の間違いを指摘されたらそう言い返してやろう」ぐらいの易い気持ちで『黄金の七人』と邦題したのだろう。盗人猛々しいわ。
こういうの、なんて言うか知ってる?
そうなのだ。数のゴマかしと言うのだ!
駄目ダバじゃん。
本当は8人いるのに7人と言い張ってみる精神。
◆あってもいい映画◆
それにしても金塊強盗シーケンスの退屈なことよ。
地下を潜って金庫の真下に辿り着いた6人がけったいなドリルでコンクリートをチリチリ削るパートと、ホテルで進捗状況を確認しながら「うんうん」みたいな顔してる教授パートが延々続き、そこに被さるドゥッバドゥビバダミュージックの鬱陶しさが観る者のスットストレスにハックハクシャカを掛けてゆきます。ダッバドゥビダバ。
6人チリチリ、教授はうんうん、バックでダバダバ♪
きゃー。楽しなってきた!
ストレスの果てにあるハッピネス。その境地に辿り着いた者はこの映画の催眠術にかかって気がヘンになってるから一度病院で診てもらうことをおすすめする(俺も診てもらった)。
しかしだなぁ。その間セリフはほとんどないため、かつてBSに洗脳されてた時期に初めて本作を見た私は開幕30分で居眠りをしてしまったのです。そして今回観返したときも睡魔に襲われうつらうつらしてしまったことを素直に告白しておく。
そのあと首尾よく銀行から金塊7トンを強奪した頃にはすでに映画は60分。本作のランタイムは95分なので、早くも3分の2が終わっちまったというわけちゅん。
本当にヘンな構成だよねぇ。起承転結でいえば、いきなり転から始まって、しかも転だけで60分も使ってるわけだからさ。転! 転! 転! って。なんぼほど転がるというのか。さすがイタリア映画。とことん転がることを良しとする、この精神。
6人チリチリ。
どっこい、本作がおもしろいのは金塊強奪後のラスト30分なのだ。
ここでは教授とロッサナが共謀して6人を出し抜くのだが、実は銀行の支店長と通じていたロッサナは教授を裏切り、そこへ6人が二人の足取りを追う…という内部分裂の三すくみがコミカルに描かれるの。一丁前にコンゲームしちゃって~。
物語の結末部は書かずにおくが、けばけばしいほどにポップな展開とキッチュな極彩色の映像感覚に塗りたくられたコテコテのイタリア商業映画が花開いております。一言で要約すると低俗。
そして終盤に至ってはドジに次ぐドジ。「マジ?」ってぐらいドジ。それを裏打ちするごとく6人の実動部隊は揃いも揃ってどんくさい顔。そして全シーケンスが燦々たる太陽のもとに“犯罪映画”の影を奪われ、一時たりとも夜が描かれないという稀有な体質をB級映画史の祝福さるべきサンプルとして見事に保存せしめているウっ!!
結句、この映画はその特殊な造形/構成ゆえにまったく優れちゃいないが、その特殊な造形/構成ゆえにあってもいい映画として、人々に、そして映画史に歓待されたのであります。
どれだけ完成度が高くてもなくてもいい映画というのは星の数ほど存在するからね。
モノクロ映画の衰退とニューシネマの夜明けに挟まれた1965年にあって、ヌーヴェルヴァーグを横目にいささか決まりが悪そうにファッションに徹したイタリアB級映画の隘路は、先述のとおり「ファッションは一巡する」現象によって現代に息を吹き返し、「ロッサナかわいい」、「いま見ると超おしゃれ」というド軽薄な賛辞によって再評価されている。
…で、それこそがファッション映画の生存戦略でもあるのよね。あの頃まいた種は、いま、見事に回収されたわけであります。
いま見ると一周半しておしゃれな映画。
追記
『続・黄金の七人 レインボー作戦』も鑑賞したが、あまりに低次元すぎてまったく内容が理解できなかったので評は見送ることにする。
なんか…ジェットパックで空飛んどったわ。