シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ザ・タワー 超高層ビル大火災

ママーッ、この炎生きてるゥー!

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2012年。キム・ジフン監督。ソル・ギョング、ソン・イェジン、キム・サンギョン。

 

1700世帯5700人が居住するマンションや展望レストランなどの商業施設が併設された地上108階建ての超高層複合ビル「タワースカイ」で火災が発生。消火活動と人命救助に奔走する勇敢な消防士や、愛する家族を守ろうとする父親など、それぞれの人物の立場や思惑が交錯する様子を描く。(Yahoo!映画より)

 

おはよィーん。

それにしても結局あれだよ、率直に言ってLiSAの「紅蓮華」がどうこうってよりも、俺はしゃくりを多用するシンガーはあまり好みじゃないってだけの話だ。ジワジワしゃくり上げていく歌唱法よりも、パン!っと一発で高音が出た方が気持ちいいんだよな。

もっとも、昭和歌謡や演歌なんかはしゃくりとの相性がいいので、和田アキ子やザ・イエローモンキーは最高といえるがな。しゃくり自体が悪いことでは断じてない。そういう話を、俺はしたいんじゃない。

ともするとLiSAも、他の曲ではすばらしい名しゃくりを連発するシャクリストなのかもしらんが、少なくとも「紅蓮華」サビ前の「僕を連れて進め」における「進め~↓~→~↑~」のしゃくりはひどく私を苛立たせる。しゃくんなよ、と。この部分は石川さゆりの「天城越え」サビ終わりの「あまぎ~ご~え~↓~→~↑~」と理屈は同じなのだが、なぜか演歌だとしゃくることで情感が出る一方で、ハードロックではどうも迫力に欠くことおびただしい。あ、ちなみに「紅蓮華」はハードロックだと思ってます。シンプルながらも力強いリフがいいよね。まあ、フォーマットがSuperflyの「Force」なんだけど。

「Force」も超シンプルなハードロック・ナンバーよね。そも、この時代にハードロックの音を素直に鳴らせることからして既にエライ。よってLiSAもエライし、Superflyはさらにエライ。「愛をからだに吹き込んで」なんて、アレサ・フランクリンとジャニス・ジョプリンの奇跡的合流としか思えない祝祭音像空間だわ。というわけで、いっちょ愛をからだに吹き込むとするか。こういうのは大音量で聴かないと何も聴いてないのと同じだからな。もしもあなたがお手持ちのパソコンやスーマホのスピーカーを40%程度に設定しているのなら、とても残念だけど、あなたは国家によって正式に断罪されるべきだとおもう。それは。さすがに。

Superfly「愛をからだに吹き込んで」(YouTubeからパクってきました)

 

朝イチから活力を得ました。小手先なしの太い一撃が、グングニルのように我が心臓を貫きおるわ。

それはそうと、演歌でよく聞く「こぶしの利いた~」の「こぶし」を「拳」と思ってる人多すぎ問題というのも別件であるわな。拳じゃなくて「小節」な。ガッカリするだろうけど、まずはこの現実を受け入れていくところから僕たちの旅は始まっていくのだと思う。

 そんなわけで本日は『ザ・タワー 超高層ビル大火災』です。わりと元気です。

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◆バーニング・クリスマス!◆

タイトルどおり、高層タワーで火災が起きる映画である。それ以上でも以下でもないし、僕は僕のままで、そして君は君の人生を好きに生きればいいと思う。まあ、韓国版『タワーリング・インフェルノ』(74年)をやろうって魂胆だな。それがミエミエだ。

クリスマス・イブのソウル! 超高層ビル街の汝矣島(ヨイド)中心地にぶっ建つ「タワースカイ」は、A棟とB棟から成る108階建てのハイソな複合型マンションです。第一幕では、タワーに住む人々とソウル市の消防職員たちの日常が群像劇タッチで描かれていくよー。

 

テレビのお天気キャスターが滔々と気象情報を伝える。残念ながら、この年はホワイト・クリスマスにはならないんだと。

そしてイヴの朝。離婚歴を持つタワー施設管理チーフのキム・サンギョンは、幼い娘のチョ・ミナを連れて「今日はイヴだ!」と当たり前のことを言いながら出勤した。

さっそくタワーの点検に取り掛かったサンギョンは、料理場のスプリンクラーの故障や消火器の不足を室長のパク・チョルミンに訴えたが、「それがどうした。こっちはクリスマスパーティーの準備で忙しいんだ! チョルミン!」と取り付く島もなし。のちの大災害シーケンスにおける被害拡大フラグを早くもぶち立てていく。チョルミン♪

ちなみに、キム・サンギョンといえばポン・ジュノ監督作『殺人の追憶』(03年)におけるロッチ・コカドである。

特にポスター写真のキム・サンギョンがコカドにそっくりなのだ。『殺人の追憶』を観た者は、なぜ日本のお笑いコンビであるロッチのコカドが韓国映画に出ているのか…と訝しがったが、のちにコカドそっくりの俳優キム・サンギョンだったとを知る(他の出演作では大して似てないんだけどね)。

とはいえ、このサンギョン≒コカド問題はけっこう根深くて、私みたいに「一度コカドでインプットしたから、もうコカドとするか」と居直って、自らの誤認を修正しないままキム・サンギョンはもうコカドとしている怠惰な人間も一定数存在することを忘れてはならない。ゆえに本稿でもコカドと表記する所存だ。

f:id:hukadume7272:20201110013933j:plainドッチがコカド? ロッチのコカド? 右がコカド。コッチがコカド!

 

そんなコッチのコカドが秘かに憧れているのがタワー食堂マネージャーのソン・イェジン。かわいい。

彼女の方もわりとコッチに好意を持っており、コカドが働いてるときに彼の一人娘・チョの面倒を見てくれる子供好きの美人マネージャーである。

ソン・イェジンといえば『私の頭の中の消しゴムの上の崖の上の私のポニョ』(04年)みたいなタイトルの難病美化映画で知られる韓国のトップスターだ!

また『私のポニョの頭の中の崖の上の消しゴム』以外にも、『猟奇的な彼女』(01年)を代表作に持つ恋愛だいすき変態おじさんことクァク・ジェヨンの悲恋美化映画『ラブストーリー』(03年)や、ペ・ヨンジュンとの不倫美化映画『四月の雪』(05年)などでもたいへんな人気を博したゼロ年代韓流ブームの立役者。38歳の現在も楚々とした魅力は色褪せず、去年日本で社会現象をブチ起こした『愛の不時着』でも健在ぶりをアピールしたんだって!

ゆえに本稿では不時着と呼ぶことにする。

f:id:hukadume7272:20201110011454j:plain不時着とチョ。

 

一方、ソウル市の消防署では署長アン・ソンギと隊長ソル・ギョングが新人消防士のシャワータイムを見計らってニセ出動要請を出す…という傍迷惑な洗礼を浴びせていた。

アン・ソンギとソル・ギョングは『シルミド』(03年)で共演したベテラン俳優だね。2003年の『冬ソナ』に始まった韓流ブーム以前から韓国映画で活躍している両人。特にアン・ソンギは1957年に5歳でデビューしてから68歳の現在に至るまで60年以上もの芸能キャリアを持つスーパー重鎮(※ただし韓国芸能史そのものの沿革が極めて浅いため、日本の芸能史に置き換えるなら彼のキャリアは30年ほどに圧縮されるだろう)。

一方のソル・ギョングは日本でも馴染深い俳優だ。現代韓国でただ2人だけ「鬼才」と呼びうる映画作家の1人、イ・チャンドンの『ペパーミント・キャンディー』(99年)『オアシス』(02年)での主演ほか、日韓合作の『力道山』(06年)、ハイボール女こと吉高由里子と共演したオムニバス映画『カメリア』(10年)、映画ファンにやたらウケた『殺人者の記憶法』(18年)などで多彩なキャラクターを演じてきた映画一本の俳優である(韓国の俳優にしては珍しくTVドラマにはめったに出ない)。

本稿ではソル・ギョングのことを力道山と呼ぶことに今決めた。気分で。

f:id:hukadume7272:20201110011556j:plain力道山隊長。

 

その他、タワースカイの会長チャ・インピョをはじめ、高層ビルの中には年頃の息子に煙たがられてる家政婦、上階に住む嫌味なセレブ、恋人にプロポーズしたばかりのお調子者の調理師、なんでもかんでも神頼みの司祭など、さまざまな人間が犇めいています。

そしてイヴの夜。インピョ会長がヘリコプターによる人工降雪でタワー住人をウットリさせたのも束の間……不意の強風に殴りつけられ、ヘリコがタワーに激突、火災、爆破炎上!

ホワイト・クリスマスは瞬く間にバーニング・クリスマスと化したのでありました。

あまつさえスプリンクラーは絶賛故障中。消火器も不足中!

 インピョ会長  「かなりまずインピョ」

チョルミン室長「どうなっチョルミン」

こうなる思っタワー。

 

◆スーパーマリオとアルマゲドン◆

演出については後述するが、まあそれなりに手堅い作品です。

ヘリコの衝突でパニックになった人民が一斉にエレベーターに詰めかけたところ、真っ先に異変を感じ取った不時着が「逃げてぇー!」と叫んでエレベーターから離れた瞬間に扉が爆発するというシーン。ここでは、熱でギュ~っと膨張する扉のズームアウトと、それを見てサァーっと青ざめる不時着のズームインがよく利いている。

「逃げろ」というのに逃げなかった人民数名が景気よく吹き飛ばされて丸焼けにもなるので、まさにパニック映画の開幕セレモニーに相応しい滑り出しだ。

f:id:hukadume7272:20201110011241j:plain“予感”のズームイン…からの引きで爆破。韓国映画はこういうトコ真面目よね。

 

そんなわけで、中盤以降は爆破炎上するタワー内での「困っタワー」「参っタワー」の連呼による避難・救助活動がたっぷりめに描かれる。

この手のパニック映画で私が注目したいのは我先にと他人を押しのける浅ましき人間のエゴが容赦なく抉り出されているか否かという点なのだ! ここに関しては韓国映画が大得意とするところ。

だが、本作ではタワーに取り残された人々の醜さよりも、消防隊にムチャポコな指示を出す局長、およびタワーの命運を握るインピョ会長の冷酷な采配…といった権力者の汚さにフォーカスするばかりで、ちょっぴりガッカリだったな…。だって権力者を悪く見せるのって一番カンタンだからね。これなら『タイタニック』(97年)の方がよっぽど生臭い人間描写してたわ。A棟を巻き込むまえに倒壊寸前のB棟を爆破しようとするインピョ会長の「小の虫殺し」や、最上階の裕福層から優先的に救助せよと指示する消防局長の「大の虫助け」など、あらかじめ用意された憎まれ役が憎たらしいことをするってだけの予定調和、悪の受け皿、その退屈味。

他方、ちょっぴり魅力的だったのは司祭率いるキリスト教徒のグループだ。避難することよりも主に祈りを捧げることを重視するキリスト教徒らの滑稽味は、なまじ祈りが通じたのか、あまりに都合よく危機を回避できたことで却ってその風刺が際立つ…という技ありのブラックユーモアで。

 

とはいえメインキャラクターは力道山、コカド、不時着、チョの4人。この4人が燃え盛るタワー内で離れたり合流したり…を繰り返しながらちょろちょろと出口に向かいます。

ここでは力道山が超人的な活躍を見せる力道アクションが大きな見所で、ドアを盾にして爆破は防ぐわ、高所からジャンプして暴れ回る消防ホースに飛びつくわ…とヘラクレス顔負けの益荒男ぶり。そのサマは消火活動というより炎とのプロレス合戦であった。

これに負けじと、炎サイドも意思があるとしか思えない動きで力道山たちをピンポイントで襲うの。ゴォォォって。力道山が右に行ったら炎も右に行く。力道山が左に行ったら炎も左に行く。

ママーッ、この炎生きてるゥー!

パパも来てェーッ。ただの炎が明確かつ堅固な意思を持って自律行動をしているゥゥゥゥ!

f:id:hukadume7272:20201110014235j:plain 決死の消火活動。

 

そんな力道アクションと並行するのがコカドサスペンス。

別棟を経由して脱出を急ぐコカド一行は、A棟とB棟を70階でつなぐガラス張りの渡り廊下を通過せねばなりません。あまつさえ爆破炎上の衝撃でヒビが入りつつある上に、真下がよく見えるガラス張り。怖すぎるわけであります。

力道山いわく、ダッシュすると底が割れて落ちて死ぬる…というので、なるべく衝撃を与えぬよう慎重に歩いて渡らねばならない。まさに薄氷の上を歩く綱渡りサスペンス。

しかし、のろのろ歩くコカドたちを見かねたチョルミン室長は「いい考えが閃いた。すごい速度で走って、床のガラスが割れる前に渡りきればいい!」とスーパーマリオブラザーズみたいな持論を展開。「このチョルミン走りを見よ! このチョルミン走りを見よ!」などとゴチャゴチャ言いながらBダッシュをしていると、ものの見事に足元のガラスが割れて「チョルミーン」と叫びながら奈落の底に消えていきました。テレッテテレッテテン♪

f:id:hukadume7272:20201110014450j:plain今にも割れんばかりの渡り廊下のガラス。

 

このほかにも、常設型ゴンドラを使った死亡アドベンチャーや、ブレーキ不能のエレベーター落下アトラクションなど、数々のアミューズメント要素が豊富な活劇とキャラクターの訃報を彩ってゆく。

そしてクライマックスでは、わざと貯水タンクを破壊し、その水圧を利用して排水路に待機させたコカドたちを漢江(ハンガン)まで押し流す「ウォータースライダー作戦」が描かれる!

しかしここでトラブル発生。貯水タンクに首尾よく爆弾を仕掛けたはいいが、力道山が起爆装置をなくしてしまうのだ!!

なんでなくすん。

したがって手動で爆破せねばならず、死を覚悟した力道山は、部下にコカドたちを任せてタンクもろとも木端微塵になるンである!

2010年代にもなってまだこんなことやってるの?

『アルマゲドン』(98年)以来、何百何千と見てきた自己犠牲メロドラマの花形的シチュエーションを今さらどうもありがとうだよ!

主人公が起爆装置ポチり係になって、号泣しながらポチりを志願する部下たちに「ええねん。おまえは生きや…」みたいな顔して隕石もろとも爆死するという必殺のパワーコードね。

しかし『アルマゲドン』に比して本作がやや滑稽なのは、力道山が自爆せねばならない状況に陥った原因が当の本人が起爆装置をなくしたからにほかならない。自分でミスって自分で責任を取る…という潔いまでの自己完結ぶりは、観る者の心にこれといって何の余韻も残さなかった。

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ブルース・ウィリスの役を買って出る隊長・力道山。

 

◆韓国映画論あれこれ◆

ここからは『ザ・タワー 超高層ビル大火災』の評論ではなく現代韓国映画を見通した大雑把な試論を申し上げる。たまにはこういう話もいいだろう。

『ザ・タワー』は、なんだかんだ言いながらも最後までしっかり楽しめる作品だ。スカイタワーの巨大セットやスペクタクルシーンのVFXも実に見栄えのいい出来で、いやが上にも日本映画との資金力と技術力の差を見せつけられてしまう。

とはいえ(ここからが今日の本題なのだけど)、前章の頭に「手堅い演出」と言ったが、これは全くもって誉め言葉ではなく、むしろ退屈なまでの手堅さによって一定水準を超えた“ほどほどの良質映画”の量産体制の中でしか成立しえない韓国映画産業の本質的な弱さを皮肉った言葉として受け取って頂きたいのであります。

10年くらい前から「韓国映画やばい! 良質揃い!」といったプチ・イデオロギーが韓流文化圏を取り巻いているが、私としては「韓国映画やばい!」とむやみに口にすることの方がよっぽどやばいと思っている。

まずもって韓国映画は南北分裂や民主化運動といった様々な政治的要因によって映画史が築かれなかった…という一風変わった文化位相を持つ。そも、現在韓国に保存されている最古の劇映画が『青春の十字路』(34年)なんだもの。1934年でっせ。すでに溝口やチャップリンの全盛期よ。

一般的には、その国の政治を参照→消化→吸収しながら築かれてゆくのが映画史というものだが、こと韓国に関しては日韓併合や朴政権下での映画検閲制度や経済難から映画産業は長らく栄えず、文化的土壌を持たないまま70年代に突入。しかし1973年には経済復興の一環として映画振興委員会=映振委が発足され、民主化宣言により映画法が改正されたことも手伝って、急に「さあ映画作りましょう!」というムードになった。

そんな映振委が1984年に設立したのが、皆さんお馴染みのポン・ジュノやホ・ジノといった386世代を輩出したことで知られる韓国映画アカデミー。映振委の資金援助と386世代の台頭によって90年代にようやく歴史を歩き始めた韓国映画が、その直後に巻き起こる韓流ブームを前に急拵えで映画のノウハウを摂取したのは言うまでもありません。

 

「だからこそ」と言うべきか、韓国映画がすごいのは、諸外国より周回遅れで“映画”を始めたにも関わらず、わずか20年足らずで追いついてみせる驚異的な進化速度だ。これはマジでいかつい。

それこそ韓国映画アカデミーのような職業訓練施設で叩き込まれたであろう超合理的な理論研究と実技実践は、さまざまな現代韓国映画を横断的に見ていけばよく分かる。テーマやシナリオの面で作家性を打ち出すことはあっても、映像面でのテクニックはほとんど横ばい(画一的)なんだよね。これが「手堅い演出」である。

本作『ザ・タワー』でも、エレベーター爆破シーンにおけるズームイン/アウトを始め、ほぼ全ての演出が“映画の教科書”に即していて、たとえば現代韓国映画を観ながら「次は肩ナメ逆打ち」なんて思っているとその通りの画面が来る。そんな定石通りの“正しい画面”を気持ちいいと取るか退屈と取るかは観客次第だが、私なんかは退屈に一票を投じるもので、なんというか最良とされる方法で事務的に撮られただけのマシーンのような良質映画という風に感じてしまうの。そのような映画は何本観ようが記憶には残らないし、関心こそすれど感動はしない。高得点を狙ったカラオケ歌唱法のように「上手いけど、ただ上手いだけね」という感じ(正確には「上手い」ではなく「正しい」だけど)

その意味では単に“良質であること”は良質ではない。

このパラドックスに揉みくちゃにされてる私がここには居ます。どこまで伝わってるかしらんが、ここの理解はもう読者に委ねるわ。レネやクレマンなんて、間違いだらけだけど良質揃いじゃないですか。

だからこそ私には、ホン・サンスやキム・ギドクのような“正しい画面を撮らない作家”が貴重に思えるわけ。

おそらく彼らは「韓国映画にショットなど存在しない」ということに早くから気づいていたのだろう。あるいは馬鹿のクァク・ジェヨンも、自作では意識的かつ戦略的にわざと20年遅れで日本映画の文化風俗(バブル期ファッションや主婦向けソープオペラ)をなぞっているので、馬鹿は馬鹿なりに“手堅さ”に抗っているのかもしれない。

私は、こうした“手堅さ”には無頓着に、ただ“驚異的な進化速度”だけで「韓国映画やばい! 良質!」と騒ぐことに対してその「良質!」が問題なんだけどね…と常々思っているのよね。

 

 

そんなわけで『ザ・タワー』はほどほどに良く出来た映画ではあるけれども、ほどほどに良く出来てるがゆえに、その「ほどほど」を良しと取るか悪しと取るかによって評価が変わってくる映画です。

もう、こうなってくると言い方次第なのよ。悪く言えば『タワーリング・インフェルノ』の下位互換。だけど『タワーリング・インフェルノ』が好きな人は必見!

これぞダブルスタンダードの鬼。

f:id:hukadume7272:20201110015539j:plain不時着ファンも必見!