競馬映画だからかフィルムも走ってらぁ。
2019年。レイチェル・グリフィス監督。テリーサ・パーマー、サム・ニール、スティービー・ペイン。
10人兄妹の末娘として生まれたミシェル・ペインは生後間もなく母を亡くすが、残された家族と助け合いながら育つ。ペイン家は調教師の父、そして兄妹のほとんどが騎手という競馬一家で、ミシェルも思春期を迎えるころには騎手を目指すように。やがてデビューを飾るミシェルだったが、落馬によって騎手生命にも関わる大けがを負ってしまう。(Yahoo!映画より)
礼子、おはよう。
全読者のうちの「礼子」だけにピンポイントで挨拶するというパーソナル直撃型ブログ『シネマ一刀両断』がゆくりなく始まってゆくのです。
それはそうと「グリーングリーン」の歌詞がさっぱり思い出せない。この曲はシャワー中におこなう「ふかづめ鼻歌祭り ~お湯と恋にはのぼせるな~」の選曲率が高いので、かれこれ何百回も歌っているのだが、いかんせん歌詞が出てこないのだ。かといって調べるのも癪なので、いつも思いつきでテキトーに歌っているのだが、それを続けていると“間違った歌詞”が“自分にとっての本当の歌詞”みたいな錯覚に陥ってくるから不思議だよね。一応ふかづめバージョンの「グリーングリーン」を発表しておきます。
ある日パパと二人で 語り合ったさ
この世に生まれた意味とか
なんかそこらへんのこと
グリングリーン! 青空には小鳥のつがい
グリングリーン! 見せつけられる ララ パパとのちがい
ある日パパが言ったさ 僕を膝に乗せ
しぶとい虫ほど意外と
ラララ 一撃でしずむ
グリングリーン! 青空には不気味なけむり
グリングリーン! 丘の上には ララ 小鳥のしがい
これで歌ってます。もう定着してしまった。脳に刷り込まれてしまった。今さら変更はできない。もう後には引けない。俺の「グリーングリーン」はもうコレだ。
そんなわけで本日は『ライド・ライク・ア・ガール』っていう競馬映画だわ。近ごろ友人が取り憑かれたようにウマ娘というアプリゲームをプレイしている。次は鹿オトコが流行るかもしれない。
◆映画が好きな俺たちはクソ回避能力が磨かれている◆
シネトゥ読者の中にひそむ“ヘヴィ観る者”なら大なり小なり身に覚えがあると思うが、楽しみにしていた映画が思ったほど見応えのないものだった、という経験は映画歴を重ねるにつれて少なくなってくる。観る映画を何千回…何万回…と選択するうちにクソ回避能力が磨かれるからである。まず60秒トレーラーを見ればショットが撮れているか否かは大体判別できるし、トレーラーではわからない演出の有無/技量も制作陣の名前を見れば高い確度で判断できるからだ。なにより、パッケージ全体から醸されるある種の高貴さやインチキ臭さに対して勘のようなものが働くので、映画歴1年目のころに比べればジョーカーを引いてしまう割合は自ずと少なくなる…というのは至極当然の帰結。
逆に、俗世の下馬評を鵜呑みにして、他人がいいと言った映画だけを観るような意思薄弱の夢遊病野郎はいつまで経っても鑑賞眼が養われないのでクソ回避能力も育たず、その生態はまるで温室育ちのチワワ。山に放り出されるや否やクソまみれと相成り一夜にして死ぬるのである。ひどいこと言ってんな俺。
競馬映画の『ライド・ライク・ア・ガール』は、ポスターデザインを一瞥しただけで「こりゃあ、いい!」と直感した。なんかわからんが、心に強く訴えかけるものがある。きっと素晴らしい映画に相違ない。こういうとき、私の勘はよく当たる。
で、観た。
素晴らしくなかった。
別にひどい映画ではないけれど、なんというか、ペガサスだと思って一点買いした馬が実はまあまあの凡馬で何ともいえない着順だった、みたいな気持ちがした。競馬なんてしたことないけど。
内容としては、オーストラリア競馬界最高峰のレース「メルボルンカップ」を制した女性初の優勝者ミシェル・ペインの半生を描いた伝記映画である。
ミシェルを演じたのは『ウォーム・ボディーズ』(13年)や『きみがくれた物語』(16年。未見)で近年じわり…じわ…じわりと注目されている遅咲き女優テリーサ・パーマー。もっとも、映画好きの読者には無名時代のデビュー作『明日、君がいない』(06年)のメインヒロインと言った方が分かりよいだろうか。
いきなり話は逸れるが、『明日、君がいない』は割とお気に入りの映画で、コロンバイン高校銃乱射事件をモチーフにしたガス・ヴァン・サントの『エレファント』(03年)に着想を得た校内群像劇なのよね。ある日の午後 2時37分に学校内で誰かが自殺するんだけど、物語はその日の朝に遡って、生徒たちのインタビュー映像を挟みながらメインキャラクター7人の一日を描いていく…という疑似ドキュメンタリー調の学園ムービーで、いったい誰が、そしてなぜ自殺したのか…という真相に迫っていくわけ。面白そうでしょ?
それはそうとこの女優。テリーサ・パーマー。顔立ち、髪質、体格、雰囲気と、そのすべてがクリステン・スチュワートと瓜二つである。ただしクリステンは分かりやすくアメリカ人で、テリーサの方は典型的なオーストラリア人って感じなのだが。
クリステン・スチュチュ… テリーサ・パーマーさん。
で、そんな彼女を男手ひとつで育てたパパン役がサム・ニール。
今やすっかりケビン・コスナーやデニス・クエイドのようなパパ役が板についたが、今年73歳と知って仰天。見た目が若いよね。63歳と言われても信じるよ。
代表作は『ポゼッション』(81年)や『ジュラシック・パーク』(93年)だが、当ブログでは一時期『イベント・ホライゾン』(97年)が風神みたいにアクセス数を荒稼ぎしていた。
また、本作の監督レイチェル・グリフィスは『ベスト・フレンズ・ウェディング』(97年)や『シャンプー台のむこうに』(00年)で知られるオーストラリア・メルボルン出身の女優なんだと。鑑賞後に知った。
サム・ニールさん。『イベント・ホライゾン』では誰ニール状態。
◆駿馬のごとき大阪カットと爆走テリング◆
物語は、緊張に包まれたメルボルンカップの発馬機でスタートの合図を待つテリーサのアップショットに始まり、そこから時間は幼少期に逆行。10人兄妹の末娘として調教師・パパニールのもとで馬と触れ合いながら健やかに育つ児童期が描かれ、多くの兄妹が騎手デビューを果たしながらも満足のいく結果が残せないまま引退していくさまをダウン症の兄スティービー・ペインと憂う思春期、そしてパパニールの実家を飛び出してアマチュアからプロへと掛け上げっていく成熟期を経て現在時制のメルボルンカップへと戻ってくる。ほいで優勝するというストーリーだ。
なお、ダウン症の兄を演じたスティービーは本作のモデルとなったミシェルの実兄。つまり本人が本人役を演じている。
映画としてはあまり褒められたものではありません。
ハリウッド式のサクセスストーリーとしては非常に観易い作品なのだが、いかんせん観易すぎて逆に観づらいというパラドックスが生じていた。フィルムが走ってるのよ。
というのも、ストーリーテリングがディープインパクト並みの駿足で、これといってドラマティックな演出/展開もないままに幼少期から成熟期、そしてクライマックスの聖杯優勝までがビャ~~ッと一筆描きで語られちゃう。まるで映画自体が何かとレースしてるかのように、エンドロールという名のゴールに向かって脇目も振らずに疾駆してるのね。無駄に馬力すげえ。
兄スティービーはとても愛らしい奴(のちに一流の調教師となった)。
なにしろカット(編集)が大阪人みたいにせっかちなのである。
「運ちゃん、急いでっさかいタクシーはよ出してんか! 高島屋や高島屋。そこのイカついパチ屋グゥーン曲がったら大通りに出るさかい、三つめの角曲がってギューン行ったらしまいや。何しとんねん今信号いけたやんけ、メーター上がってまうやろシバくでほんま、けったくその悪い。ほれ青や青や行ったらんかえ!」みたいな。
まさに大阪カット。
競馬映画だからフィルムの速さも追求する…というテマティックな構造自体は割と好みなのだけど、あまりに忙しないもんだから個々のエピソードが浸透/消化する前に次のエピソードに行っちゃって。これでは伝記映画というよりダイジェストだ。否!走馬灯だ。
『ライド・ライク・ア・ガール』はミシェル・ペインの走馬灯。
また、大阪カットゆえに主人公の困難や葛藤もなんだか浅薄で。姉が落馬事故で死亡したり、自身も落馬して下半身不随になったり…と凄まじい不幸が続くのだが、次のカットでは約10年も時間が経ち、完全復活したテリーサが馬をぎゅんぎゅん乗り回す海辺のショット。そこに「3200戦、落馬7回、骨折16回の後…」というキャプションがつく。
いつの間に3200戦もしたん!?
しかも骨折16回て。噛み分けたなぁ、酸いも甘いも…。
まるで『ロッキー』(76年)中盤の精肉工場で肉ぶっ叩いてるシーンから『ロッキー4/炎の友情』(85年)でドラゴと戦うシーンまで一気に飛ばされちゃったようなジャンプカットの荒ぶり。アポロ戦やクラバー戦まるまるカットみたいな。
てなこって、総じてドラマの粒立ちが悪く、ストーリー全体が起きた出来事の羅列で出来上がっているので、まるでミシェル・ペインの半生をウィキペディアで読んでいるような事務作業きわまる知的体験に終始していたのが残念でありました。
本作の98分はあまりに短すぎた。さらに言うなら製作総指揮10人以上はあまりに多すぎた。もう少し集めたらレースできるやん。
肝心の競馬シーンもガチャガチャとした接写の連鎖で、お世辞にも丁寧とは言いがたい。もっとも、多くの馬が入り乱れて並走するさまは撮りづらいと思うのだけど。
1~5頭程度なら十分に身体性を捉えることもできるが、西部劇と違って競馬では20頭前後の馬が“犇めくように”走行するため、どうしてもモンタージュに頼らざるを得ない部分が出てくるのよね。だから『シービスケット』(03年)や『夢駆ける馬ドリーマー』(05年)のように特定の馬をスローモーションで抜く手法がセオリー化したわけだけど、裏を返せばそれが競馬映画の限界なのかもしれない。今のところは。
なんにせよ、“馬を撮ること”と“競馬を撮ること”はまったく別次元の試行だということです。実際、復帰後のテリーサが馬に跨って海辺を走る空撮などは手放しに誉めていい。
◆名言工場長パパニール◆
とはいえ、先に述べたように決してひどい映画ではないので、フィルムの細部からあふれ出る瑞々しい美点にも触れておきたいと思います。
たとえば、男性社会の競馬界における女性騎手の苦境(軽視やセクハラの対象)が閃光のような視線劇の中にさり気なくも鋭利に描かれる瞬間。あるいはテリーサ・パーマーの画持ちのする貌を随所に突き刺していく必殺のアップショット。映画が進むにつれて「あ、これは馬の映画じゃなくて主演女優の貌の映画だ」ということが分かってきます。
極めつけはパパニールとの父娘のドラマ。
サム・ニールが演じたパパニールがとにかく素晴らしいキャラクターで、主人公周りのドラマを一身に背負っている。10人兄妹のうち1人を落馬事故で亡くしたことでテリーサのプロ入りを反対するんだけど、彼女がレースに出場するたびにテレビやラジオに齧りついて人知れず応援している…という良きパパンで。
競馬のことなんて何も知らない私のような門外漢にレースのロジックを教えてくれたのもパパニールでした。
初レースの前日にテリーサを誘ってコースを散策したパパニールは、芝の湿ってる部分と乾いてる部分を手で確かめて「コースプランを組み立てろ」と助言する。湿ってる所はスピードが落ちるから、なるべく芝の乾いた所を走れと説くのだ。また、地面の窪みも失速の原因になるのでコース全体を頭に叩き込めと説く!
パパニール「戦い方は地面に書いてある」
なるほどね!
さらにパパニールは、たとえ周りの馬に囲まれても決して焦るなと説く。敵が疲れを見せ始めると目の前にパッと隙間ができる瞬間があり、その隙間こそが活路なのだと説く!
パパニール「囲まれても諦めるな。突然、目の前に隙間が空く。隙間はあっという間に閉じるから、神の声をよく聞くんだ」
なるほどね!!
そしてレース直前、テリーサに向かってこんなことを説く!
パパニール「馬は肺で疾走し、心臓で耐え、気持ちで勝つ」
なるほどね!!!
名言工場長かよ。門外漢にとっては非常に分かりやすいパパニールの手解き。こういう駆け引きをチョロッと教えてくれるだけで勝敗にロジックが生まれるので、私みたいなモンでも無知なりに楽しめるんだよね。
そんなわけで手放しに誉めることは難しいけれど、なかなか爽やかにして駿馬のような作品だったわ。
(C)2019 100 to 1 Films Pty Ltd