シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

グレタ GRETA

グレた老婆の正体バレタ ~いつの間に情報モレッツ?~

f:id:hukadume7272:20210115083000j:plain

2018年。ニール・ジョーダン監督。イザベル・ユペール、クロエ・グレース・モレッツ、マイカ・モンロー。

ニューヨークの高級レストランでウェイトレスとして働くフランシスは、帰宅中の地下鉄で誰かが置き忘れたバッグを見つける。そのバッグの持ち主は、都会の片隅でひっそりと暮らす未亡人グレタのもので、グレタの家までバッグを届けたフランシスは、彼女に今は亡き母への愛情を重ねていく。年の離れた友人としての親密な付き合うようになる2人だったが、グレタのフランシスへの行動は日に日にエスカレートし、ストーカーのようなつきまといへと発展していく…。(映画.comより)


どうも、おはようございね。
最近、はてなブログの仕様が変わったようで、改行した際の文字幅がむちゃむちゃ広くなる…というですね、ドブさらい記念バーゲン泥水180円(強炭酸)、みたいな糞くだらない現象に見舞われております。コンピューターからだとさほど変化を感じないのだけど、スマホやiPodのようなデバイスからだと特にケンチョで、ただ改行しただけなのに、一行あけた、ぐらい文字幅が広くなっちまう。これじゃ女子高生のホムペだ。芸能人のブログだ。

↑ わかる? この空間!
ちゅこって、本稿では試験的に文字幅をギュッと狭くしてみたので、いっぺんコレで読んでみてけろ。「読みづらいから女子高生に戻して」とか「人生って苛烈だな」といったご意見があれば、僕に言って。
そんなわけで本日は『グレタ GRETA』です。

f:id:hukadume7272:20210115085936j:plain

 

◆グレた老婆の正体バレタ◆

 特に待ち望んでいたわけでもないニール・ジョーダンの最新作は、フランス映画の最後の砦イザベル・ユペールと、子役時代に米メジャーシーンに萌えを振りまいたクロエ・グレース・モレッツという、本来なら決して交じり合わないであろう二人が何かのジョーダンとしか思えない巡り合わせで共演した、ごく慎ましやかな作品である。
先に種を割っておかないと語るに語れない内容なのでアウトラインだけは説明させてほしいのだが、本作は昔懐かし『ルームメイト』(92年)『ゆりかごを揺らす手』(92年)のような気を許した相手がストーカーだった系スリラーである。
 1年前にママンを亡くしたばかりのクロエは、腸内洗浄に並々ならぬ関心を示す親友マイカ・モンローとルームシェアをしながら高級レストランで働いている。ある日、電車内で誰かが置き忘れたバッグを拾ったクロエは、中に入っていた身分証明書から住所を調べて持ち主の家まで届けてやるという老婆心を見せた。すると玄関から現れたのは本当の老婆(イザベル・ユペール)だったというわけだ。よく出来たジョーダンだろう?
 バッグを届けてくれたお礼にコーヒーを誘われたクロエは、40歳以上も歳の離れたユペールと意気投合。ママンを亡くしたばかりのクロエにとって、親切で包容力のあるユペールは心の隙間を埋めてくれる第二のママン、つーこった。腸内洗浄に並々ならぬ関心を示すマイカは、あれ以来ユペールにべったりのクロエに「あの婆さん、アカの他人でしょ? 殺人鬼かもよ」と、かなり真っ当な忠告をした(ついに念願の腸内洗浄もおこなった)
マイカは見るからに頭の悪そうな腸活系ギャルだったが、その忠告は正しかった。
ある日の夜、ユペールから食事会に誘われたクロエは、彼女の家のクローゼットから大量のバッグを発見したのだ。それはクロエが拾ったものと同じ銘柄で、それぞれのバッグには見知らぬ女性の名前と電話番号を記したメモが入っていた。つまりこのバッグは寄せ餌。ユペールは電車内で故意にバッグを落とし、親切な女性が拾って届けてくれるのを虎視眈々と待ち続けていた怪奇・釣りばばあだったのである!
 ゾッとしたクロエはその場から逃げ、それきりユペールとの交流を断ったが、いちど網にかかった魚はそうそう逃げられない。電話、メール、LINEは引っ切りなしに鳴りまくり、ついに職場のレストランにまで押しかけてきたユペール…。
「白ワインとマダイを下さいッ!!」
爾来、ユペールのストーカー行為は輪をかけてエスカレートしてゆくゥ!

f:id:hukadume7272:20210115091118j:plain
イザベル・ユペールさん。

はい。そんなこんなの本作。
ちなみに題の『グレタ GRETA』とはユペールの役名である。グレた老婆の正体バレタとはよく言ったギャグだよなー。
 個人情報がモレたクロエ・モレッツは「いつの間に情報モレッツ…?」と戦慄したが、純粋にクロエと仲良くしたいだけのユペールは実害を加えてくるようなストーカーではなかったので、次第にクロエとマイカは「マーイーカ」と事態を軽んじるようになるのだが、徐々にユペールのクロエ愛は倒錯(結局ストーカーだった)。しまいには敵意剥き出しで襲い掛かってくるんである!
…ギャグばっか言ってごめんな。でもそういうブログだから、ここ。

f:id:hukadume7272:20210115083531j:plain

 

◆サスペンスとは“話題”じゃなく“話術”◆

 ニール・ジョーダンは1980年代に頭角を現したアイルランドの監督だ。私の評価としては昔ポンコツだったけど最近イイ感じ。
 この人の監督作では、脱獄囚のロバート・デ・ニーロとショーン・ペンが神父に扮した『俺たちは天使じゃない』(89年)や、トム・クルーズ、ブラッド・ピット、クリスチャン・スレイター、アントニオ・バンデラスら、90年代セクスィメンズが一堂に会した18世紀末吸血鬼譚『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(94年)が有名だが、この時期は救いようもなく大雑把なハリウッド映画しか撮っておらず、ハリウッド業界に多い“物語を映像にした”というだけの職業監督に過ぎなかった。ちなみに2014年に私が主催した『ひとりアカデミー賞』では「首を絞めたい監督賞」に輝いてもいる。
しかし、ゼロ年代後半からは作風をがらりと変え、ジョディ・フォスターの『ブレイブ ワン』(07年)やシアーシャ・ローナンの『ビザンチウム』(12年)などで手堅い演出とシャープな映像を志向するように。この時の変化には大層驚いた記憶がある。“物語を映像にする”ことしかできなかった男が“映像で物語る”ようになったからだ。
 余談だが、このニール・ジョーダン……ジャック・ニコルソンにまだ良心が残ってた頃みたいな顔をしてらっしゃいます。

f:id:hukadume7272:20210115083105j:plain
ニール・ジョーダンさん。

 そんなジョーダンの最新作『グレタ GRETA』を批評していくわけだが、きっとシネトゥを読み慣れたヘヴィ読む者たちは「どうせ今からヤカラみたいなツッコミフレーズを連発して貶しまくるんでしょう?」と思っているかもわからない。
無念だったな!『グレタ GRETA』は穏当にして良質のサスペンス映画でした!
これまでに数多くの作品をズタズタに貶してきたニール・ジョーダンをほとんど全面的に褒めることに抵抗がないといえば嘘になるが、『ビザンチウム』以来6年ぶりとなる本作にこの男の“勤勉さ”を見た以上は素直に祝福せねばなりません。当記事は元愚才のニール・ジョーダンへと捧げられたセレブレーションなのだ!
 開幕では、謎の女(ユペール)が地下鉄を降りてホームを歩く後ろ姿のフォローショットに『GRETA』のタイトルバック。カットが入ると舞台はレストランで、店内を歩く若いウエイトレスの後ろ姿を類似構図から捉え、そのウエイトレスが弧を描くように客のテーブルに回り込んで料理を運んだことにより顔が露出し、クロエ・モレッツだと分かる。

f:id:hukadume7272:20210115085822j:plain

 このたった2つのショットによって、何ら接点のない素性不明の女とウエイトレスのクロエが、のちに一心同体または共依存関係になることが構図/同線の反復によって示唆されているだけでなく、ユペールの顔をあえて秘匿し、クロエの顔をすぐに露出することで加害者=被害者の図式までもを予期させる演出の手つき。まったくソツがない。何しろファースト・ショットとカット一回だけで両者の関係性と職業、そしてこの映画が何らかの事件へと発展する犯罪劇であろうことが分かるんだからな。いわば“だろうサスペンス”だ。
 さて。次のショットでは、地下鉄で家路につくクロエが降車際にバッグを発見するさまが不穏きわまりない構図=逆構図で描かれ、駅の遺失物センターが無人だったことから一度自宅に持ち帰り、バッグの中の財布から金をガメようとする同居人の腸活者マイカを咎める…といった日常風景へと推移してゆく。
 映画はまだ3分しか経ってないが、並の米メジャー映画が10分かけるセットアップは既に万端。オーライ。「おそらく誰かのバッグを拾ったウエイトレスのクロエが、その持ち主とうっかり接点を持ってしまったことで何らかの事件が起こり、同居人のマイカをも巻き込みながら事態が悪化していくのだろう」というストーリーラインまで見えた。そしてそれは一切の説明も通達もなく、もっぱら演出によってのみ語られた映像言語としてわれわれに理解される。映像言語だけで緊張感を作り、客を宙吊りにしながらストーリーを進めていく。これがサスペンスってもんだろ?
 サスペンスとは“話題”ではなく“話術”なんだからよ。
何を語るかという「話題(ジャンル)」ではなく、いかに語るかという「話術(演出)」によって規定されうるものだ。要するに詐欺・殺人・ストーカーを扱った内容だからといって必ずしもサスペンス映画になるわけではない、ちゅこった。ふざけるな。

 ファーストシーンでは映されなかったユペールの顔は、当然ながらクロエがバッグを届けに彼女の家のインターホンを鳴らした直後にスクリーンの全域を支配することになる。ドアを開けて白々しく感謝を述べるユペールに「コーヒーはいかが?」と誘われたクロエが笑顔で足を踏み入れた瞬間から、われわれは開幕3分に予期した“だろうサスペンス”の確認作業に緊張の面持ちで立ち会うことになるわけよ。たぶんこのあとロクなことにならないだろう、と。
 このシーンでドアから姿を現したユペールは、のちに連なる扉の奥に誰がいるかというサスペンスとも緊密な共犯関係を築いた最重要モチーフであり、現に(これは物語後半で明らかになることだが)ユペールの家の中には拉致した女性を監禁する隠し部屋があり、さらにその隠し部屋の中には“しつけ用の箱”まであるのだ。この多重構造化された扉によって、映画後半で監禁されてしまったクロエは外部との連絡手段を一つまた一つと失ってゆき、懸命に捜索する父親や探偵にも気づかれない全き行方不明者と化すのである。
 ちなみに、この扉を使ったサスペンスは、地下鉄の車内と車外を隔てるガラス越しの二人の視線劇や、レストランの前に佇むユペールをドア越しに警戒するクロエ…といったシーンにも応用されとるで。

f:id:hukadume7272:20210115083709j:plain物語後半は監禁/脱出スリラー。

 …と、あれこれ演出論を解説してきたが、「だからすごい!」と褒めてるわけではなくて、むしろ本作のニール・ジョーダンは商業映画として当たり前になされるべき演出を当たり前にやってのけただけであり、私はその当たり前の演出を当たり前に説明したまでのこと。
だけど本来はこれがベーシックなんだよ!
なのに、この水準にすら達してない映画があンン…まりにも増えたために、この程度の演出でも意を尽くして解説すれば“褒めてる風”に聞こえるのが現代映画批評の限界であり、現代映画のヌルさでもあるのよねぇ(こんな当たり前のことを当たり前に書いた批評記事に対してアホみたいにスター=イイネがつくことこそが、当ブログがスター機能を廃した秘密の理由でもあるのです)
 『グレタ GRETA』は、ここ10年の映画にしては珍しくコッテコテの古典サスペンスである。コテンペスである。「古典をきっちりやろうという態度」のほぼ一本だけで成立している映画といっても差し支えないし、私としては好感度100点なのだけど、「だからすごい!」に結びつくかと言われると、それは…ねえ?
だって、ユペールの必殺技であるコーヒーに毒を盛って麻痺させるというアイデアからしてベタベタでしょう。言うまでもなくヒッチコックの『汚名』(46年)をやってるわけですよ(その気概は好きだけど)。
 話は逸れるが、おバカな某評論家が「本作にはユペールの過去作『ピアニスト』(01年)への目配せがあるゥ~~」とか言ってたけど、いやいや、それで言うならシャブロルの『甘い罠』(00年。ユペール主演作)ね、って。
どこまでも程度が低いな、日本の映画批評は。
 

だからこそ、そんな“当たり前の演出”すら出来ていなかったニール・ジョーダンが、ようやくこの域に到達したことそれ自体がセレブレーションに値するわけぇぇええええええええ
 他方、当たり前でない演出にも目を向けてみると、“チューインガム”がすごくいいわけね。ユペールと親睦を深めたクロエが「私はチューインガムって呼ばれてるの。一度くっ付いたら離れないよ♡」と豪語したものの、のちにストーカーと化したユペールから「なんで無視するの。くっ付いて離れないんでしょう?」と皮肉を吐かれた挙句、本当にチューインガムをペッと顔に吐かれちゃうっていう。よく出来たジョーダンだ。
それでもクロエに無視され続けたユペールは、夜遊びに出かけた腸活同居人のマイカを尾行し、その盗撮写真をクロエのメッセンジャーに連投しまくる。クロエが矢継ぎ早に送られてくる写真を手掛かりに「危ない、マイカ! 真後ろにババアがいるから逃げて!」と電話で実況しながらマイカに逃走ルートを指示するスマホ・サスペンスもおもしろかったな~。古典演出にはなかった、SNS時代ならではの新しいサスペンスの形をニール・ジョーダンはやりました♡
 尤もこのシーケンス、「ユペールが瞬間移動をしてるみたいで非現実的だ」とか「マイカが振り向いた時だけ都合よくユペールが消えるの、ありえない!」といったツッコミが物理警察から上がっているが、そういう手合いに私から言えることはひとつだけ。
現実の運動力学を重んじるなら映画など観てないで物理学者になるといい。
益々のご活躍をお祈り申し上げときまーす。

f:id:hukadume7272:20210115090404j:plain「ありえない」などという何の力も持たないワードで野暮なツッコミをするポップコーン勢は学者を目指すべき。

◆持つべきものは友◆

 映画後半には、想像を絶しながらも想像の範囲内におさまるサイコスリリンなサプライズ展開が待ち構えている。人をブッ殺したユペールがバレエみたいな爪先立ちでテケテケ歩きを楽しんだり、料理用の型抜きで小指を切断されて「ヒャーハー!」と叫んでみたりと、現代フランス映画を支える65歳の大女優とは思えないハジけっぷりで大騒ぎの様相を呈します。
あと、クロエの方もグッチョグチョのガックガクになるのでお楽しみに。

 ネタバレしない範囲でご紹介するが、私的ヒャーハーポイントはサブキャラの運用である。
次なる犠牲者を求めて同じ手口で“寄せ餌”をまいたユペールのもとにバッグを届けに来たのは、何を隠そう、ウィッグとサングラスで変装した腸活者マイカなのであった!!
クロエを捜索していたマイカは、ユペールの手口を思い出し、毎日地下鉄に乗りまくって遂にバッグを発見、わざとその餌に食らいついたのである。すべては魔女の家を探し当て、親友を救い出すために…。
マイカ・モンロォォォォウ!!
執拗に腸イジりしたことを正式に謝罪したいほど、終盤のマイカは格好よかった。普通、この手のスリラー映画ではまったく役に立たないor真っ先にブッ殺されるであろうマイカ=サブキャラが、天下無双のユペール様に一矢報いただけでなく王手までかけるのだ!
冒頭のクロエと同じように「コーヒーはいかが?」と誘われて家の中に迎えられたマイカは、ユペールのコーヒーに薬を盛って無力化する。まさに毒をもって毒を制す。盛られたら盛り返す…毒返しだ!
思えば、この女優は『イット・フォローズ』(14年)のファイナルガールなのだ。そう簡単にはやられないし、決して諦めないガッツがある。ファイトがある。腸もきれいだ。親友を救い出すために捨て身でユペールと対決する姿はかくも美しい!
 そんなわけで、事の顛末は各自家のテレビジョンで見届けてほしい。ここでは紹介しきれなかった演出・伏線・ツイストも多分にあるからな。
 あえてひとつ指摘するなら、『キャリー』(13年)でも思ったけど、クロエ・モレッツはいかり肩なので被害者役にはあまり適さない。『グレタ GRETA』も、本編を観るまではまさか彼女がこういう役柄だとは思わなかったナ。
まあ、ヒット・ガールからの脱却は難しかろうが、当ブログはクロエ・グレース・モレッツを応援しています。

f:id:hukadume7272:20210115083812j:plain
クロエとマイカの熱い友情も見物です。

 (C)Widow Movie, LLC and Showbox 2018. All Rights Reserved.