シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖

このご時世にロメロ評を載せるという粋なはからい。

f:id:hukadume7272:20210404040203j:plain

1973年。ジョージ・A・ロメロ監督。W・G・マクミラン、レイン・キャロル、ハロルド・ウェイン・ジョーンズ。

アメリカの田舎町で、男が突然発狂する殺人事件が発生。そして町には防護服の軍隊が訪れ、伝染病が発生したとの情報を流す。しかし、人々の発狂の本当の理由は墜落事故により流れ出た細菌兵器のせいであった。(Amazonより)


人生を頑張ってる皆、おはよう。
近ごろは戦後の日本映画を観ています。ということは、つまり…? そう。あいつが帰ってきます。『昭和キネマ特集』という名の、ごく一部の「ヘヴィ読む者」の間でしか評価されていない、逆名物コーナーがねええええ!
でも正味の話、私は思うンです。『昭和キネマ特集』のファンほど「映画好き」に近い人達だろうなって。
というのも、今の日本人が見る映画の多くは「外国映画」であって、日本人ほど自国の映画を知らず、逆に外国人の方が日本映画に通じており、たとえばオズやクロサワの話をするにしてもフランス人と話した方が、よほど実のある映画トークがでけるのである。
まあ、フランス人と話したことなんて一度しかないけれど。
数年前、アホみたいな顔して四条河原町を散歩してると、目の前からやってきたフランス人女性から「ムシュムシュムッシュ~」と訳の分からないゴタクを吐かれ、「なんや、おまえ。誰や。何言うとんねん」と丁寧に返答。女性はスマホの地図アプリを私に見せながら「ムシュムシュムッシュ~」と言うので「なんや、おまえ。ここに行きたいんかいな。せやったら、この道を真っすぐギューン行って、信号2つ先のどん突きを右にギャーンや。わかるか?」と丁寧に返答したところ、女性、可愛らしき笑顔で「ムシュムシュ~」と言いながら、すぐ目の前の道を右に曲がっていった。
もう道まちごうてるやん。
まずは真っすぐギューン行けっちゅうのに、右にギャーン行ってるやん。なんも話聞いてへんやん。まあ、そのあと上にギューンって行ったら辻褄合うんだけどね。「どうか上にギューンってして辻褄合ってくれ」と願いながらの散歩の継続は、少しくもどかしかったよ。

あー。で、何の話だっけ。そうそう。まだ1ヶ月ぐらい先になるけど、『昭和キネマ特集』を近々やるよっていう告知です。ぜひ読めね。
そんなわけで本日は『ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』です。エブリリトルシングを聞きながら書きました。

f:id:hukadume7272:20210404042434j:plain

◆ロメロ見る者、総池上彰化現象◆

 ジョージ・A・ロメロ作品の生理が好きだ。なぜかはわからん。雑に撮られたショットでもそれが映画の呼吸になってしまうし、雑は雑でも雑味を感じず、むしろそれがある種のペーソスとして(彼が扱うことの多い)終末世界に一層の悲壮感をもたらしているから…かもしらん。こんなところでいいか?

 それはそうと、ゾンビ映画の開祖として知られるロメロの作品は“物語設定”や“制作意図”といったコンテクストで語られることが非常に多く、ロメロファンでさえロメロ作品を映画として語ったためしが殆どない。
例えばそうだな、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(68年) を語るとなると公民権運動がウンタラカンタラ、『ゾンビ』(78年) だと物質文明や大量消費社会がドーシタコーシタと社会論じみた繰り言を呟くばかりで、待てど暮らせど映画論に辿り着かんのだ。

かくいう私も、批評ごっこを始めた14年前は「主人公たちが籠城するショッピングモールは大量消費社会の縮図であり、そこに群がるゾンビたちは現代人のメタファー。あるいは縮図! つまり主人公たちはゾンビの縮図。メタファー!」などとアホ錯綜みたいな駄文をてめぇのホームページに書き殴ってたわ。
あの頃…「縮図」と「メタファー」という2単語だけですべてを乗り切ろうとしていた季節が確かにあったよね。

 でもさ、スクリーンには目もくれず、もっぱら“意味”ばかり読み込もうとするのは初級者あるあるなのよ。映画の沼に片足つっこんだ初級者は、とかく「メッセージ性」とやらに作品価値を置きたがる。アホだから。この監督は何を伝えようとしているのか?…なんて映画を観るうえで一番どうでもいい些事に拘泥しながら、やがては沼に溺れて死んでいくのである。そういう奴らは。アホだから。
その意味で、ロメロ作品は初級者ホイホイといえます。
だって、社会論、カッコイイものなあ。『ゾンビ』観て、ドヤ顔で「この映画は物質文明に警鐘を鳴らしているっ」なんて、言ってみたいものなあ~。映画を語るときの池上彰みたいに。それで人から「かしこいなー」って、思ってもらいたいものなあ!!

些事!!!

キング・オブ・些事だわ。そんなもん。消えろ。悪霊退散だ。池上彰ごっこも結構だが、映画なんだからまず画面を見ましょうよってことがオレは言いたいわけぇ~~。わかってェ~~~~ん。
…ってことを鼻息荒くまくし立てる価値があるほどにはロメロ作品の“映画としての面白さ”は無視しがたいものがある、っていう話!!!

f:id:hukadume7272:20210404043736j:plain
ジョージ・A・ロメロ(2017年没)。


はいよ。本作は『ゾンビ』の5年前に撮られたロメロの初期作で、細菌兵器の蔓延により田舎町の住人が次々と発狂していく…といった意味内容のパンデミック映画である。
 軍によって町が封鎖される中、消防士のW・G・マクミランと身重の恋人レイン・キャロル、その友人のハロルド・ウェイン・ジョーンズの3人が安全地帯を目指して逃走する…という大筋なのだが、その一方ではさまざまな人物もまた東奔西走しており、映画はセミ・ドキュメンタリーによる群像劇に仕上がってございます。
ワクチンを開発する博士、住民を隔離/収容する米軍、感染した娘を連れて封鎖線からの脱出を図る父親…。防護服に身を包んだ兵士たちは感染者を隔離施設に連行するが、やがて射殺した方が手っ取り早ぇということに気付き始める!!!
感染拡大中の細菌兵器「トリクシー」は、数週間前に墜落した軍の輸送機から川に流出したことで近隣住人に感染したのだが、軍上層部はその事実を揉み消そうとし、果ては核兵器の使用許可まで得てしまう。住人には事態の状況/原因を一切説明せず、発狂症状が出た感染者は即座に射殺…。
一概に絵空事とはいえない昨今のコロナ禍を鑑みるに、死して尚こんにちにも警鐘を鳴らしまくるロメロ御大、その映画予知の確度たるや空恐ろしいものがあるよなぁー…って、ほかならぬ俺自身が些事にこだわって社会論を開陳しちまった。
いやぁ、スカタン、スカタン。

f:id:hukadume7272:20210404042504j:plain「どうしてこんな役者を使うんだ」と思うようなボサッとした顔ばかり。

◆十人十色の狂気◆

 映画は闇夜の惨劇に始まる。ある家の少女が激しい物音で目を覚まし、恐る恐る居間に行くと、いかにも温厚そうなパパンが「どるあ。どるあ」と絶叫しながら椅子を振り回して家中を破壊していた。やばー。
こうして文章にするとひどく滑稽に思えもするが、実際、シチュエーションとしては相
当こわい。少女視点のローポジションという構図も手伝って、かなり不気味でシュールだ。
「どるあ」で目が覚めて起きてきた弟に「ビー、クワイエットよ」と言った少女はママンを起こそうと寝室に行くが、布団をペロンとめくってショック。喉を真一文字に切り裂かれたママンは既に冷たくなっていた! やっば~。
一方、ひとしきり破壊作業を終えて満足したパパンは、こんだ灯油をまいて家に火を点けます。むちゃむちゃしよんな、このパパン。ここで消防士の主人公、W・G・マクミランの登場だ。決死の消火活動は夜通し続いたが、少女は焼死体で発見され、弟は全身火傷の重症に。唯一無傷でパトカーに乗せられたパパンは「家に帰してくれ!」と泣き喚いた。あー、やっと正気に戻って家族のことを心配したのかな、と思いきや…
「ガレージに車がある! 大事な車なんだ! 燃えちまうよ!」
燃えるべきはおまえ。
こうなった原因、全部オマエだろうが。このカスが。
のっけから胸糞悪くなるオープニングだ。娘ちゃんまで死んじゃって…。意地悪なロメロがピュッと顔を出した。まあ、パパンの奇行はトリクシーによる発狂症状なのだが…何ともやるせない幕開けだわ~。

f:id:hukadume7272:20210404043032j:plain
娘ちゃん焼死のオープニング。やるせない。


 この映画のおもしろさはトリクシーに感染したことで生じる発狂症状である。
一口に発狂といっても症状は十人十色で、べつに誰も彼もが「どるあ。どるあ」と絶叫しながら暴れ回るわけではない。オリジナリティ溢れる発狂を見せつけていくんである。2人ほど紹介しましょう。

【発狂ファイル01 縫物ばばあ】
住民一斉隔離のために民家に押し入った兵士のひとりは、ロッキングチェアに座ってコソコソと編み物をしていた老婆に殺害された。「ヘロ~ゥ?」と挨拶して笑いながら近づいてきた縫物ばばあに棒針で刺し殺されたのである。
慌てて駆けつけた仲間の兵士が部屋に踏み込むと、縫物ばばあは先刻同様にロッキングチェアに揺られ「あひゃひゃ。すべてが楽しい」と笑いながら編み物を再開していた。
この見上げたマイペースぶり。

f:id:hukadume7272:20210404042351j:plain
何かを縫う者。

【発狂ファイル02 箒おばさん】
次に特筆すべきは箒おばさんであろう。
見晴らしのよい丘のうえで一斉発狂したドルア勢が「どるあ。どるあ」、「どるあ」と叫びながら兵士たちに襲い掛かり、迎撃のマシンガンでバタバタ倒れていく中、約1名、箒でせっせと地面を掃いてるおばさんがいる。悲鳴と銃弾が飛び交う地獄絵図のさなか、一心不乱に地面の落ち葉を掃き続けるという、この見上げた衛生観念ぶり。
銃撃戦の最中でさえ丘をキレイにしようとする、このおばさん。綺麗好きが高じすぎとしか言いようのない状況が巻き起こっている。
そもそも、いつ終わるんだよ、その掃除。

f:id:hukadume7272:20210404042337j:plain丘を掃く者。

畢竟、真の狂気は静なる態度に宿る。
わかるか。ギャーみたいな顔して、ギャー的状況に「ギャー!」と叫ぶのは狂気ではない。単に騒いでるだけだ。縫物ばばあや箒おばさんに顕著なように、異常な状況下なのにヤケに落ち着いてるヤツの方が却って狂気的に見えるのである。
そんなわけで、このあまりに不気味なエキストラ2名には、賞品として蜷川実花が監督を手掛けた『Diner ダイナー』(19年) のブルーレイが贈られます。ギャーみたいな顔してギャー的状況に「ギャー!」と叫ばせることで“狂気的なキャラ”を表現しているさくひんなので、ぜひお楽しみ頂ければと思います。奇抜な格好で目をひん剥いて奇声を上げる…の一点張り。これが今の日本映画のレベルです。
 その他、ガソリンを被って瞑想座法のまま焼身自殺したティック・クアン・ドックもどきや、幼児退行メルヘンガール、一心不乱のピアノ弾きなど、色とりどりの狂人が町を染め上げていきます。難儀なことだよなー。

◆ロメロは「不要なもの」ほど撮る◆

 あ、本作の見所? 見所ねぇー。少しずつ細菌兵器に蝕まれていく人々と、それをヤケッパチのように惨殺する軍隊との支配構造にでもあるんじゃないの。
どちらがより人間として恐ろしいか? どちらがどちらを支配しているのか?
この見解次第で物語を見る視座が180°変わってくる…という逆さ絵のようなトリックが『ゾンビ』同様によく利いている。人を殺してるという点では軍隊側も感染者側も等しく非道だが、その触媒として“悪意”が介在しているか否か…というのがロメロ作品の大いなる文脈なのだろう。
まるで大義を掲げるような白の防護服に身を包んだ兵士たちは、抵抗する感染者に憎悪と侮蔑の眼差しを向け、時にゲーム感覚で銃弾をばら撒き、あまつさえ死体の財布からマネィを抜き取り「儲かったぜ」とへらへら笑いながら火炎放射器で遺体を焼き払う。ベ…ベトナムの悪夢やぁ…。
そうした悪意の数々を70年代特有の渇いた映像に乗せ、あくまで“エンターテイメント”としてお届けするロメロ御大は、まるでこの遊戯感覚にささやかな悦楽を覚える観客に「なぁ、おまえも楽しんでるんだろ?」と共犯関係を黙契せしむるよう。空恐ろしいじじいだ。

 そうそう。評のはじめにロメロ作品に惹かれる理由を自問自答して見事に敗れた私だが、エブリリトルシングを聞きながら本稿を書くうちに答えのようなものが見つかった気がするわ。
たぶん私はロメロ作品からとめどなく溢れる露悪趣味に惹かれているのだと思う。
「これで楽しんだらオマエも共犯だぞ」と黙契を結ばせる非道徳のショット、およびそこから放たれる残酷な蜜の香り! その免罪符として用意されたような人形まるだしのボディダブル。あるいは、それなりに同情を寄せながらも「死ぬところも見てみたい…」とよからぬ好奇を抱かずにはいられない役者陣の顔選び。期待を煽るオープニング・シーンは、観る者の「なるべく悲惨なことになれ」という邪悪な願いを目一杯に吸い込み、のちに相応の惨劇を吐き出していく。
だって、森を逃げる主人公たちが追手のヘリコプターをライフルで墜落せしめて大喜びするシーンなんて、セオリーに即していえば絶対に不要なんだよ。これによって正義漢の主人公が非情な男に見えてしまうからね。
されどロメロは不要だからこそ撮る。
感染した美少女が惨たらしく射殺されるシーンも然りだ。省略の美学など無視して撮る。それを「見たい」と秘かに望む観客は、だから何も言えんのだ。“要らぬショット”や“雑なショット”を技術的瑕疵として指摘する前に、自ずからを我々はそれを望んでしまっている。なんとなれば、今日も今日とて、我々はゾンビ映画やゾンビゲームなどを消費しているではないか。
ブタにも劣るゾンビたる我々。欲望のままに彷徨いませう!

f:id:hukadume7272:20210404043330j:plain