シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

魔女見習いをさがして

ビックリ ビックリ BIN BIN!としか言いようのない状況が渦まきに渦まく。

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2020年。佐藤順一、鎌谷悠監督。アニメーション作品。

教員になる自信をなくしている大学生の長瀬ソラ、職場になじめない帰国子女の会社員・吉月ミレ、彼氏に振り回されながらも絵画修復の道を目指しているフリーターの川谷レイカ。住んでいる場所も性格も違う20代の彼女たちは、アニメ「おジャ魔女どれみ」に登場するMAHO堂で出会い、「おジャ魔女どれみ」ゆかりの地をめぐる旅に出る。(Yahoo!映画より)


おはようございます。
2日ほど前から、Wi-Fiには繋がってるのにインターネットが頻繁に途切れる…という奇術に掛かっているふかづめです。連日続く大雨のせいか? はたまた罪多き渡世の報いか! いまは只まんじりともせず事態を静観することしかできません。ネット回線ごときがこのオレを翻弄しやがって。
ちゅか、インターネットが使えないとVODで映画を観ることも、批評を書くこともできないじゃないか。あんまチョケとったら電波しばいたんぞ。今すぐこの奇術を解け。オレを元の世界に帰せ。
 ひとしきり嘆いたところで、本日は『魔女見習いをさがして』です。張りきっています。

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「おジャ魔女カーニバル!!」はハードロック

 MAHO堂の前で出会った長瀬ソラ吉月ミレ川谷レイカのうち、リアルタイムで『おジャ魔女どれみ』を見ていたのは最年長のミレだけであった。
『おジャ魔女どれみ』の20周年記念として作られた『魔女見習いをさがして』は、おジャ魔女を見て育った3人の女性を主役にしたアニメーション作品である。『どれみ』にゆかりのある地を巡っていた初対面の3人が聖地巡礼するうち、大人になったことで忘れてしまった大切なものを見つけ出していくんである。
ミレと同じく私もリアタイ勢で、本作のOPで「おジャ魔女カーニバル!!」が流れた瞬間に目頭を熱くした、くらいにはファンです。推しはナニワのチャキチャキ娘、妹尾あいこ。TVシリーズ第1期の放送が1999年ですから、もう22年前ですわ。ちょっと歌ってみましょうか。

どっきりどっきり DON DON!
いつの間にかチカラがわいたらどーする(どーする!)
びっくりびっくり BIN BIN!
柳腰って具体的にはどういう腰(どういう腰)
きっと毎日が日曜日 学校の中に遊園地
ヤな宿題はぜーんぶゴミ箱にすてちゃえ
教科書みても 書いてないけど
子猫にきいても あっち向くけど
でもね もしかしてほんとーに できちゃうかもしれないジョ!?
大きな声でピリリピリ辛
はしゃいで騒いで歌っちゃえ
パパ ママ 先生 ガミガミおじさん
「うるさーい!」なんてね 火山が大噴火

「おジャ魔女カーニバル!!」 MAHO堂(YouTubeより)


もっと歌ってもいいのですが、そろそろ遠慮しておきましょう。
私はこの曲が大変なお気に入りで、特にイントロとサビ前の「ギュインギュインギュイ~ン」というギターのアーミング。私のロックギター原体験は「おジャ魔女カーニバル!!」だったのだ。以来「おジャ魔女カーニバル!!」はハードロックという持論を頑なに唱え続けている。
どうでもいいけどOP映像のどれみの笑顔が妙にかわいいの。にっこりとしていて(作画崩壊が吉と出た)。

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にっこりとしている春風どれみ。

 当時、おジャ魔女のタッチや世界観が大好きで、周囲の友達が『爆球連発!!スーパービーダマン』を視聴しているとき、私は日曜の朝8時半、妹の隣でまんじりともせず『おジャ魔女どれみ』を視聴していた。コーンフレークを食べながら。友達からは「魔法少女アニメなんて甘いぜ。男はビーダマンだよ」なんて言われたが、うるせえ、このフカヒレ野郎。ビー玉まき散らかして何が楽しいんだ。
そっちがビー玉ならこっちは魔法玉じゃバカタレ。

 あと懐かしいのは、スーパーのお菓子売り場で手に入る「おジャ魔女ドレスアップ」ね。税別100円でキャラクターカード1枚と着せ替え用シールが1枚付いたラムネ入りの玩具菓子である。
しかもカードに載ってる「お花のマーク」を擦るといい香りがするというギミック付き!
つまりプレイヤーは……プレイヤーっていうか消費者は、お花のマークを親の仇みたいに擦り倒したあと、いい香りを随意に楽しみながら黙々と着せ替え遊びをおこなうのだ。もっとも今にして思えば、キャラクターカードに描かれたどれみ達は下着姿のうえ、この商品のコンセプトである擦る、嗅ぐ、着せ替えるという営みが変態の身振り以外の何物でもないという点だけが気にかかるが、ラムネもしっかり食って税別100円。安い!

 原作を持たない『おジャ魔女』は、去年アン・ハサウェイ主演で映画化もされたロアルド・ダールの『魔女がいっぱい』に着想を得たオリジナルアニメ。小学生の春風どれみに魔女であることを見破られたために魔女ガエルになってしまったマジョリカを魔法で元の姿に戻すべく、親友の藤原はづき、妹尾あいこと共に魔女見習いになったどれみ達が「MAHO堂」という魔法グッズ店のお手伝いをしたり魔女見習いの昇級試験を受けながら一人前の魔女をめざす…といった充実のストゥーリーである。

 魔法少女モノとしてのおもしろさは全能性の否定にあるとオレは睨んだね。どれみ達が使える魔法は決して万能ではなく、あくまで問題解決のヒントをくれる程度で、そこから先は自力で解決しなければならない。いわんや、見習い劣等生のお邪魔な魔女=おジャ魔女である彼女たちは魔法の失敗率も高く、魔法をかけるのに必要な魔法玉にも限りがある。
そんな彼女たちが直面するのは学校生活や家庭環境の中で起こるさまざまな問題で、子供向けアニメにしてはいささかパンチの重すぎる、虐め、離婚、差別、不登校、育児疲れ、賃上げスト、戦争、好きな娘のリコーダー舐め事件…といった深刻なテーマが扱われている。
つまり、どれみ達が立ち向かっているのは空想上の敵ではなく、まさに今この瞬間、視聴者の身にも大なり小なり振りかかっている社会問題なのだ。

そして、それを解決するために必要なのは魔法ではなく意思と行動。『おジャ魔女どれみ』は魔法少女アニメに逆行した魔法少女アニメであり、“絵空事に対する逆説”を絵空事でパッケージしたポップセンスが、きらり、光りたる作品だってことがいえるわけ!!!
おそらく私は22年前に『どれみ』を通して高度な情操教育を受けたからこそ美しい心を持った人間になれたのだと思います。イェイ。

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おジャ魔女の面々。

◆「こん、なんすのん」は困惑の呪文◆

 さて。思い出を語りすぎたことの反省も終えたし、そろそろ批評に移ろう。
主な内容は、ソラ、ミレ、レイカによる聖地巡礼の物見遊山に、3人が人生の隘路から脱却するサブエピソードがピッとくっ付いたロードムービー…といった感じなのだけど、色々と中途半端です。

 まず、3人がそれそれに長期休暇を取ってどれみツアーに出たのは現実生活に行き詰ったから。教員志望のソラは教育実習先で発達障害の子から嫌われてしまい自信喪失。商社勤務のミレは帰国子女ゆえに思ったことをズバズバ言いすぎてプロジェクトから外されてしまい、絵画修復士を目指すレイカはバイトで溜めた留学資金をヒモの彼氏に吸い上げられる毎日。『おジャ魔女どれみ』から夢や希望をもらっていたころの自分は色褪せ、心のスキマを防腐剤で埋めながら日々摩耗していく一方なのであった。

 そんな3人が『どれみ』という共通言語で知り合い、ともに聖地巡礼の旅をするのだから、半ば当然のなりゆきとして“ストレス発散の女子会”へと傾倒していくわけです。観光スポットとご当地料理がスクリーンを覆い尽くし、画面の中の3人はすこぶる楽しげ。だけどそこには『どれみ』要素はなくて、作劇的にもマァ単調きわまりない。
もっとも、新幹線の中で『どれみ』トークに花を咲かせたり、本家おジャ魔女6人の声優陣がさり気なくモブキャラの声を当てていたり…なんてファンサービスはあるのだけど、果たしてこの程度の目配せが「おジャ魔女どれみ最新作」という正史の品格に耐えうるものかって言われると…。もちろん本作は現実世界が舞台だから、どれみ達も出てこないしねぇ。

ここで「いや、そうじゃないんだ」と監督佐藤は息巻く!
この作品は『おジャ魔女どれみ』に底流するエッセンスを継いでるので、たとえ『どれみ』要素が表面上には顕れなくても「どれみの新作だ!」とファンなら思ってくれるはず、と確信して作ったんだって。
モノ作りをする上でいちばん危険な発言をしてる気もするが、まあ分からなくもないですよ(私自身、この作品はとっても楽しみにしていたので汲み取れる部分は汲み取ってあげたいしね。…モノを批評する上でいちばん危険な発言をしてる気もするが)。

 先にも申し上げた通り、私が思う『どれみ』のエッセンスとは“現実との対峙”。いわばファンタジーの世界とは正反対の“現状認識”に長けたアニメだと考えているのだけど、そのエッセンスらしきものは3人のエピソードにも散見されるのですよ。
ただ、その描き方がけっこう雑。
国語の時間に作文用紙にラクガキした子を注意したことでその子から嫌われてしまったソラは自信を失い教師の道を諦めかけるが、この件に関してはソラが思ってるほど深刻ではなかったらしく、数日後に会えば何事もなかったかのように、その子、「ソラ先生ー! こないだはごめんねー!」って駆け寄ってきて仲直り。杞憂、ご苦労、取り越し苦労。
なんですのん、それ。

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教員志望のソラ。『おジャ魔女どれみ』ではどれみ推し。

 次は、上司に疎まれてプロジェクトから外されたミレ。どうやってイヤミな上司の鼻を明かすのかと思いきや、せんど悩んだ末に「吹っ切れた!」とか言って辞表を叩きつけ会社を辞めます。
なんすのん、それ。
『モテキ』(11年) で主人公にフラれた上にリリー・フランキーにヤリ逃げされた麻生久美子が吉野家で牛丼かき込んで「吹っ切れた!」なんつって勝手に前向きになるシーンを思い出さずにはいられないほどのなんすのんそれ度を叩き出してるやん。
え、それだけ? それで解決…? って。
ま、本人にとっては気持ちの上でケリをつけられたからスッキリしてるのだろうが、観る者サイドからすれば全然スッキリしないし、根本的には何も解決してないよねっていう。

f:id:hukadume7272:20210424083208j:plain帰国子女のミレ。はづき推し。

 そして最後が一番厄介なレイカ。
「あの笑顔に弱くて、つい…」と言いながらヒモの彼氏に金を貢いでるバカ女で、うっかり渡した部屋の合鍵を取り返せずにいる優柔不断ガール。
そんなレイカが一体どうやって気持ちに踏んぎりをつけて彼氏に別れを切り出すのかと思いきや、以前からこの男を快く思ってなかったミレが「このダメ男!」って背負い投げして終わり。
キュ~っと伸びた彼氏のポッケから無事合鍵を取り戻したレイカは「二度とウチに来ないで!」と言って一方的に別れを突きつけた。

なんすのんこれ。

いやいや…。それが出来ないからレイカは今までそのヒモ男とズルズル付き合ってたんじゃな~~いのぉぉおおおおおお?
ダメな関係と知りつつも「あの笑顔に弱くて、つい」金を貢ぎ続けていたレイカが、ミレの背負い投げを機に急に踏んぎりがついたのはなんで。
ていうか、背負い投げすべきはレイカ自身なんだけどね、本来。
自分の問題なんだから。なんで友達のミレがしゃしゃり出てきて丸く収めちゃってんの。ここも作劇を誤ってて、なーんかストーリーテリングが鈍感なんだよな。

レイカのエピソードはもうひとつある。
母子家庭に育ったレイカは、長年捜していたパッパが入院中だと知り「父さん、レイカです。あなたの娘です!」と病室に突撃して挨拶をカマしたが、余命幾ばくもないパッパはすでに新たな家庭を築いており、再婚相手の手前「こんな子、知らない…」と一世一代の知らんぷりをしてレイカを深く傷つけるんである。
で、このエピソードはそれで終わり。

終ワチャタヨー。

ビックリ ビックリ BIN BIN!としか言いようのない状況が渦まきに渦まく。
まあ、この話に関しては、ショックを受けて号泣したレイカが入院先を突き止めたミレに「ミレさんのせいでこんな事に…。有難迷惑なのよ!」と逆上して2人を仲違いさせる展開に持っていきたかったから誂えただけなんだろうけど、その後の親子関係とかパッパの病気に関しては何のフォローもなく話が流れていくので、観る者は思わずこう呟かずにはいれないわけです。

こん、なんすのん。と。

ただただレイカが不憫で、ただただ死にかけのパッパが鬼畜で、ただただ胸糞が悪いだけの迷エピソードでありました。どうもありがとう。

f:id:hukadume7272:20210424083225j:plain貢ぎ女のレイカ。あいこ推し。

◆「いるじゃん。出してんじゃん」の槍が降り注ぐ!◆

 まあ、私やレミさんのようなおジャ魔女世代にとって、ファンアイテムとしての本作は適度に旧懐と戯れることができる“居心地のいい91分”を約束してくれるし、事実、昨今の国産アニメは居心地のいい環境の中で作り手とアニメファンが黙契を結んで共に怠惰らしきものを飼い慣らす…という方向に進んでいるので、そういう意味ではこれぐらい温くて湿っている方がいいのかもしれない。実際、表面上は終始楽しく賑やかだし、そうした祝祭的ムードの陰で何かが棚上げされてるような違和を覚えながらも黙ってそこに蓋をして…って楽しみ方ね。

 それはそうとこの作品、ラストシーンでどれみ達が登場しちゃうのよね。
まあ、登場すると言っても、本作はどれみ達が存在しない現実世界が舞台なので「たまたま3人が同じ幻を見ていた」というあまりに苦しい体(てい)で処理されているのだけど。
これに関してはファンの間でも賛否あるようで、「そりゃファンとしては、出ないよりは出てくれた方が嬉しい」という感情おもんじ勢「いやいや。出ないことが前提の世界観でここまで来たんだから最後まで出さない方がよかったのでは」という理性おもんじ勢が日夜各所で激突しているんだって。
私のアティチュードを発表すると、うーん…私も後者かな。だってファーストシーンには悩める3人の頭上を魔女のシルエットがヒュッと駆け抜ける…という素晴らしい演出があったのですよ。「えっ、今のどれみ!?」って。
この「えっ!?」という感覚こそが本作の醍醐味だと思うんだけど、いくら集団幻覚の産物とはいえ、ラストでモロ出ししちゃったら「えっ!?(期待)」が「あっ!(確信)」に変わるのよ。「あっ、いるじゃん!」って。
それをしないからこそのメタ設定だったのに「いるじゃん! 出してんじゃん!」って。

f:id:hukadume7272:20210424075531j:plain集団幻覚という体で登場するどれみ達。

まあ、「どれみ出す出さない問題」に関しては正直な所どうでもいい。どちらの選択も一長一短だし、むしろ“作り手が出す方を選んだ”ということ自体がポイントでもあるのだから。

それ以上に、私が最後まで本作にノレなかった理由はもうひとつのラストシーン。3人のエピソードの落とし所である。
結局、ソラは発達障害の子供支援センターに興味を示し、ミレはフェアトレードの雑貨屋を、レイカはパッパと同じように画家を目指すのだという。ステキじゃん。ここまではステキじゃん。
ほいで、それぞれの夢を実現するためにMAHO堂によく似た建物を買って3人で複合店みたいな商売を始めるの。
雑貨屋と支援センターとアトリエが一緒になったみたいな、MAHO堂もどきみたいな建物…。
まあ、MAHO堂を切り盛りしていたどれみ達に倣ったのだろうが、それにしても“今までの仕事をぜんぶ諦めて新しい未来へ大舵を切る”という、この試み…。ともすれば現実逃避とも人生の再選択とも言えるが、どちらにしても前に進んでいく話ではないよね…っていう。
要するにこれって、『おジャ魔女どれみ』に背中を押してもらって現実に立ち向かったり未来を切り拓くような物語ではなくて、むしろ『おジャ魔女』の思い出とともに過去へ過去へと埋没しながら「私たち3人、ずっと一緒よね?」って閉じた世界に引きこもっちゃう話なんだよね。

『おジャ魔女どれみ』ってそんなアニメだっけ?

そんなわけで、大人になっても『おジャ魔女』から卒業できない女たちがお送りする仲良しこよしの珍道中…という、少々甘ったれた世界が描かれているのだけど、先に申し上げたように『おジャ魔女』の世界に甘えたいのがファンの生態なので…少なくとも利害は一致している(商業作品としてはアリ)。
なかなかズルい作り方だが、俺はあまり満足していない。
よし、こうなったら劇場版の『おジャ魔女どれみ』を見て口直しするしかあるまいから、ちょっくら行ってくるわ。パメルクー、ラルクー、ラリロリーポップン! としか言いようのねえ状況が俺を取り囲っているゥー。

f:id:hukadume7272:20210424082659j:plain(C)東映・東映アニメーション