シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

新幹線大爆破

『鬼滅の刃』と間違えて『爆破のダイヤ』を観た(でもある意味『無限列車編』だった)。

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1975年。佐藤純弥監督。高倉健、千葉真一、宇津井健。

線路の上をスピーディに走る新幹線「ひかり109号」に爆弾が仕掛けられた! この爆弾には、スピードが80キロ以下に減速すると自動的に爆発するトリックが秘められていたんだ!  いま、警察と国鉄のドリームタッグによる「どうにかする作戦」が幕を開ける!

 

 ちすちすちす。おふおふ。
元来、私には“気配”というものがないのか、背後から話しかけるとすごく驚かれてしまう。
こないだも東急ハンズの店員さんに「あの…」と話しかけたら「うわああああ!」と驚かれたし、去年は清楚な文学女子に「時にキミは…」と話しかけたら「ぎゃああああ吃驚した!」と猫みたいに飛び上がっていた。猫だったのだろうか?
そして必ず言われてしまうのだ。
「急に話しかけないでよっ」と。
うーん。急に話しかけるなと言われても困っちゃうな。話しかけることに予告も通知もありはしないというのに。では何か。5メートル先から電話やメールで「これからあなたに話しかけます」と一報入れたあとに話しかければいいのだろうか。

 ちゅか、気配ってなんだろう。たぶん足音なんだろうな。世の中で言われてる気配というやつは、とどのつまり足音や物音の事だと思う。「気配を感じる」とかいうけれど、そんな能力ないですから、人間に。
思い返せば、私には足音がないのよ。昔っから足音を殺して歩く癖がある。その場でジャンプしても、着地音は「ドン!」やないからね。
「スッ…」やからね。
無駄にコツコツ鳴るような靴はすべて捨ててきたし、他人の足音にも敏感で、足に全体重を乗せるようにしてドシドシ歩く人が大嫌いだ。ブーツやミュールを履いてカツカツ足音を鳴らしてる人を見ると「ばかじゃないかな」と思ってしまう。
なんというか、いたずらに足音を鳴らす行為に対して、ある種の傲慢さを感じてしまうのだ。我がの存在を広く世にアピールして「僕というかけがえのない存在がここにいるよー」と叫んでいるような。自己顕示欲の音色。それが足音だ。ド厚かましいです。
 その点、慎ましやかな私は「足音立てたら即死」ぐらいの心持ちで日々歩いてますから、たとえば『クワイエット・プレイス』(18年)の「音を立てたら怪物に殺される」って世界観なんかも、私にしてみれば割とフツーっていうか、むしろ「そのつもりで生きてます」って感じなのよね。
もしかしたら忍者なのかもわからない…。オレの中の忍者がそうさせてる可能性を、前向きに考慮していきたい。
あした、天井に張りつく練習しよ。
手裏剣とかも、投げてみたいって思ってたし。昔から。
アマゾンで買お。

そんなわけで本日は『新幹線大爆破』です。ロクな画像がなかったので自分で描きました。

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◆むちゃむちゃ人死んだ挙句に千葉真一が全部どうにかした◆

 1964年の開通以来、人々を豪速で目的地まで運んだ、夢の人運びマシーン…新幹線。それは高度経済成長期の象徴であり、人々だけでなく“日本の未来”をも運んでいたのであった。
そんな新幹線に爆弾を仕掛けし3人の男。己が苦境を社会のせいにする、へそ曲がりの革命家もどき。ねじ曲がりの被害者きどり。
彼らは周到な計画のもと、時速80キロを下回るとセルフで爆発する「ひとりでできるもん爆弾」を新幹線・ひかり109号に取り付け、爆弾解除の特別指導と引き換えに500万ドルを国鉄に要求した。

ひかり109号には1500人の乗客がいる。もちろん特別指導を受けたい国鉄サイドは、政府サイドにおねだりして500万ドルを用意してもらい、犯人サイドの要求を呑んだ。水面下では当局サイドが犯人を見つけ出そうと必死の形相であったが、刑事のひとりが金の受渡し時にヘマをやからし、犯人の織田あきらを死なせてしまう。
織田は散った。
「捕まえるつもりが死なせちゃいました」
しっかりせえよ。

その後、聞き込み捜査から犯人の素性が割れ、2人目の犯人・山本圭が街で発見されたが、警察の猛追もむなしくあっさり逃げられた。あまつさえ追跡中に山本の足を撃ち抜いたにも関わらず、だ。
「捕まえるつもりが逃げられちゃいました」
しっかりせえて。
なにを逃げられることがあるん。びっこ引いてる犯人になんで駆けっこで負けるん。その余地がどこに?

さて。ようやく突き止めたアジトに踏み込んだはいいが、追い詰められて興奮した山本はパトカーめがけてダイナマイトをぽんぽこ放った挙句、警察が「わあ。煙すごい」とか「前見えへん」とか煙のことばっか言ってる間に「わー」言いながら自爆。
山本は散った。
「捕まえるつもりが死なせちゃいました」
死なせすぎやろ。

逮捕するつもりの容疑者、今んとこ全員死んどるぞ。あと新幹線の中では妊婦さんまで死産しちゃうしね。
みんなダメになっちゃうじゃん。


で、3人目の犯人(リーダー格)が高倉健なんだけど、仲間2人を失った悲憤から警察当局に怒りの公衆電話をかけ「死なせすぎやろ」と指摘した。その通りだよ。
その後、警察は500万ドルの受渡しに成功。約束通り、健さんは爆弾の解除方法を記した図面を封筒に入れて喫茶店の店員に預け、警察サイドに喫茶店の住所を教えた。さっそく封筒を取りに行こうとした刑事だったが、目的地が近づくにつれて人だかりが目立つ。不審に思って通行人に訊ねると…
「ついさっき、そこのサテンでボヤが起きたというよ!」

たまたま火事で喫茶店全焼してやんの。

爆弾解除の図面、思っきり焼失してやんの。

バカじゃねーかな!
なんちゅう天文学的な確率や。いま日本でいちばん火事が起きてほしくない場所で火災が発生するという運の悪さ。うんにゃ。間の悪さ。うんにゃ。都合のよさ。
デウスもびっくりのエクス・マキナぶり。いくらなんでもこの脚本はひどい。話できすぎ。ピンポイントの神様ほほえみ過ぎ。

ほいで、ラストシーンでは運転士の千葉真一自力で爆弾解除に成功しちゃう。
「イケたっ。これで爆弾は止まったぞ!」
自力で爆弾解除に成功したらダメなんだって。
「ほなサテン全焼のくだり何やったん」ってなるから。「そもそも自力では解除できないから犯人に金渡して解除方法を教えてもらうっていう映画なのに?」ってなるから。プロットの前提が爆破されとる。
一方、空港に追い詰められた健さんは包囲網のえじきとなり、撃たれて死にます。
「捕まえるつもりが…」
また死なすぅ~~~~~~。
そやってすぐ~。
なんなん、その「死なし」のチャンス。すぐチャンス掴むやん。
これって、死なせそうな奴はことごとく死なしていく大会だっけ?

そんなわけで、乗客1500人の命は助かったものの、乗客以外の人がバタバタ死んでいく映画『新幹線大爆破』
もう新幹線も大爆破も関係あらへん。ただ乗客以外の人がバタバタ死んでいくだけの映画や。そういう大会や。


◆爆破のダイヤ 無限列車編◆

 先に褒めどころを挙げておくと、無節操なまでの豪華詰め合わせキャスティングだろうね。
犯人役の高倉健、運転士の千葉真一、運転指令長の宇津井健をはじめ、カメオ同然のチラッと出演で丹波哲郎田中邦衛北大路欣也川地民夫志村喬渡辺文雄らが画面を横ぎる。新幹線みたいに。しかも晴れがましいほどに全員おっさん。
このむさ苦しいまでのおっさんパワーによって熱を帯びたスクリーンは、それなりの迫力とそれなりの加齢臭を漂わせながら手に汗握る鉄道サスペンスに耐えてゆく。


次におもしろいのはプロットの着想。
スピードを落とせば爆発するという筋書きはヤン・デ・ボンの『スピード』(94年) にも影響を与えたナイスアイデアだ。
チーム健さんの犯行は、運転士が信号を無視したり制限速度を超えたりすると緊急停止するATC(自動制御装置)のシステムを逆手に取った巧妙な手口であり、プロットとしても“絶対に列車を止めてはならない状況”“絶対に列車を止める装置”の対照的な仕掛けがピッタシ噛み合っている。
乗客を守るための装置が却って脅威になる…という皮肉もピリッとスパイシー。

f:id:hukadume7272:20210912062747j:plain爆弾を乗せた新幹線のようす(下のラクガキは気にしなくていい)。

ま、こんなもんだ。ここからは堪忍袋大爆破のお時間です。

 まず映画としてのウィークポイントは構図に乏しいこと。それだけは言えていく。
とにかく鉄道公安職員と警察当局が「あれせえ。これせえ」、「どないすーん? こないすーん?」つって指令所でぺちゃくちゃ喋ってるクローズアップが上映時間の大部分を占めちゃう。映画全体が会話劇に従属してるの。ましてや画面はおっさんのドアップ。右も左もおっさん。前も後ろもおっさん。

なにこのファブリーズ必携の作。

画面越しに送り込まれたおっさん臭に、観る者は除菌消臭意欲を掻き立てられずにはいれまい。それもこれも、ぜんぶ単調な構図のせい。
当ブログでは過去に『ザ・ファン』(96年) 評でも軽く触れたが、どうも本作は「現場と指令室」の映画理解が頓珍漢だ。描かれるのは指令所でのお喋りばかり。「指令室」ばかり描き込んでサスペンスとは、あはん、笑わせる。

f:id:hukadume7272:20210912062851j:plain指令所でずっと喋ってる。

本作における「現場」は、500万ドルの受渡しが描かれる“町”と、パニックに陥った“列車内”の2つが存在するわけだが、製作側が比重を置いたのはあろうことか“町”。つまり東映の看板スター・高倉健のパートである。ここまで顕著なスターシステムの弊害もないぜ。
事実、チーム健さん周りのエピソードはやたら尺を取って描き込まれており、弟分の山本圭&織田あきらとの出会い編~友情編を語るべく回想シーンまで設ける始末。『鬼滅の刃』かよ。
なんしか、犯人側の愁嘆場がうるさくて。犯人サイドにも事情があるんです~、根っからの悪人じゃないんですゥ~のパワーメロドラマ。同情の押し売り。涙のテロリスト。
出てるよっ。日本映画のダッサいとこ、出てるよ!
されど、しょせんは反体制グループによる確信犯的凶行に過ぎないので同情の余地なし。というか、せんど尺取ったわりには人物描写に奥行きがなく、物語に犯行の動機が追いつけてない。薄っすい味噌汁。まっずいカス汁。これが本当のミソッカス。そいでもって上映時間152分
ふざけろ。
なんやそれ。ふざけ倒せ。クリストファー・ノーランの方がまだマシだわ。『バットマン ビギンズ』(05年) の列車シーンの方が遥かによう撮れたある。それだけは言えていく。
まさに本作そのものが大作主義の暴走列車。『爆破のダイヤ 無限列車編』だよ、こんなもん。満員御礼や。
時速80キロを下回ることなく、スター絵巻ショーを続けること。
すべてが映画会社のロジックで動いてる。

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制作期間:3分 画材:ぺん

 そんなわけで、かかる暴走列車は現場のサスペンス不在というデッドゾーンに突入します。脱線してまうで。
とにかくこの映画、“爆弾付き新幹線”が主役なのに、肝心の列車内のドラマが全くないんである。パニックに陥った乗客1500人はぎゃあぎゃあ騒いでるだけ。ただの“数”であり、“個”が見えてこない。
『サブウェイ・パニック』(74年) にせよ『カサンドラ・クロス』(76年) にせよ『新感染 ファイナル・エクスプレス』(16年) にせよ、この手のパニック映画では最低限の乗客数名をピックアップしてサブキャラクターにするやん? 乗客らの人柄や過去を深掘りすることで、観る者をして「ええ奴っちゃ。大好きや。ぜひとも助かって欲しいな。ハッピーなって欲しいわ」って応援さすわけやん?

     不在。

そういうサブキャラが一人もいない。ただヒス起こしてるだけの烏合の衆がワラワラ描かれてるだけザッツオールなのだ。
だもんで、いくら正義漢の指令長・宇津井が「乗客の命を救うのが最優先です!」と叫んでみたとて、その対象が不快な声で騒ぐばかりの記名性なき集団なのだから、観客感情としては「いっそ爆破すればサッパリするだろうな。うるさいし」と辟易するだけ。
つまり“言葉”なのよ。
劇中に存在するのは乗客1500人ではなく乗客1500人」という言葉だけ。
「一刻も早く乗客を~」、「1500人が犠牲になってしまいます~」ブラ~ブラ~ブラ~…。そんな実態なき「乗客」なる語だけが犇めく、ひかり109号。
ひかりも希望もあったもんじゃねぇ。

◆誰の為のこれ◆

 まあ、70年代の日本映画メジャーなんて大体こんなもんだが、本作はその象徴だ。
一流は作品のために、二流は観客のために、そして三流だけが会社のために映画を撮る。
当時最も華やかだった新幹線に目を付け、そこにありったけの東映スターを投入した、広告オリエンテッドな商業映画にも悖る宣伝映画(あげく大爆破したのは新幹線ではなく本作の日本興収だった。※海外では割にヒット)。


業界斜陽化による無環境(見栄えのしない退屈なロケ/スタジオ撮影)的な70年代日本映画にショットを求めるわけではないのだけど、それにしても素人目にすら「全てのショットが間違ってる」と分かるほど、もはや故意としか思えないような汚い画面の連鎖は「いかに撮るか」の方法論ではなく「なにを撮るか」の選択論によって強固に繋がれており、かかる被写体選定の論理は、自ずから東映の切り札・高倉健を中心としたスターシステムの力学の名のもとに茶番と化す。

社長・岡田茂を始めとした東映上層部による壮大な茶番劇。

これって、つい最近のアレね。東京2020の開会式を見てるかのような「誰の為のこれ?」感だよ。
※奇しくも監督の佐藤純弥は「当時の東映ってのは企画も非日常、バカバカしい大騒ぎするようなことを出していかないといけないムードでね。今でいうなら『東京オリンピック爆破』くらいのことね」と当時を振り返っており、図らずも70年代東映の体質を遡及的に証明することに成功した。

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