シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

魔女がいっぱい

無心で映画を求道した結果「観客を必要としない映画」が出来ちゃったよーっていう。

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2020年。ロバート・ゼメキス監督。アン・ハサウェイ、オクタヴィア・スペンサー、ねずみ各位。

べらぼうに怖い魔女は、ボウヤをネズミの姿に変えてしまった。おのれ!
ボウヤが悔しい思いをしていると、何処からともなく「おあいにく様!」。デブネズミが仲間に加わった。だが二匹では魔女に太刀打ちできぬ。すると何処からともなく「おあいにく様!」。女の子ネズミが仲間に加わった。まさにネズミ講。
3匹は力を合わせて魔女に対戦をいどむ! いま始まる、窮鼠魔女を噛む齧歯目ファンタジー冒険譚! アン・ハサウェイの美しい脇も存分に楽しめる一作。


そろそろ来る~カメレオン! 見えつ隠れつ変幻自在…
うわ、うわ! ピンクレディーの「カメレオン・アーミー」を歌ってる間に始まってた。急にびっくりさせんとってよ。まだ着替え終わってないのに試着室のカーテン開けるみたいな…そんな…。
まあ、始まったってことは始まったってことだから始めるけどさ、僕は昔からJ-POPの歌詞に対して並々ならぬ疑問を持ってるんだよね。
挙げ出したらキリがないけど、たとえば浜崎あゆみの「SEASONS」とかさ。たしか、こういう歌詞なんだよ。

「今日がとても楽しいと  明日もきっと楽しくて」

裏技みたいなこと言ってる…。
なんで今日が楽しかったら明日の楽しさも保証されるん。
屁理屈こねるようで申し訳ないけど、これ、ずっと思ってるのよね。この曲がリリースされた2000年からこんにちに至るまで、ずっと思ってるよ。22年間。なんで今日がとても楽しいと明日もきっと楽しいんって。
だって、その理屈で言ったら未来永劫楽しいじゃん。どっかで一発「楽しい日」を迎えたら一生楽しいままってことだよね。だって“日付けが変わると楽しさ持ち越し”の理論が適用されるんだろ? ずる。永久に味が持続するガムやん。ずる!
浜崎あゆみファンのみんな、ごめんね。

あとドリームズカムトルゥーの「何度でも」っていう曲の歌詞にも疑問を持ってるよ。

「10000回だめでヘトヘトになっても10001回目は何か変わるかもしれない」

たぶんアカンのちゃう…?
試行回数1万回で全部アカンかったら1万1回目も多分アカンやろ。確率論として。
もっとも、この歌詞が1万分の1で当選する宝くじについて歌ったものであれば確かにその通りかもね。確率は収束していくから。1万1回目だしそろそろ当たりが来てもおかしくないよねーって。
そもそもさ、1万回もミスを重ねる前に「このままじゃ埒あかんな。何かやり方が間違ってたんだろうな」ってことに気づきなよ。一度立ち止まって深く内省すれば1万回だめでヘトヘトになることも無かったと思うのだけど…。
ドリームズカムトゥリューファンのみんな、ごめん。

最後は私の大好きなザ・イエローモンキーのデビュー曲「Romantist Taste」

「夢を喰らうスパイダー  爬虫類のコネクション(サイケニューロン!)
奇抜を抱いた  吠え面のスピーカー(ギーミヤーネック!)
モラリストが泣いてすがる  イデオロギーはこけおどしさ
色メガネを踏み潰して  テンプテーション」

何を言ってんださっきから。
ず~~っと難しいこと言ってるぅ…!
ええっ。「奇抜を抱いた吠え面のスピーカー」ってどういう意味。訳わからん…。モラリストが泣いてすがるイデオロギーはこけおどしなん!?
色メガネ踏み潰すーん!?
しかもそのあと、脈絡もなく「いつかくれた謎のクローバー  火で燃やし」って歌詞が唐突に出てきて、その訳のわからなさが一層わたしを追い詰めます。
なんで燃やすん。
べつに燃やすことないでしょ。せっかくもろた謎のクローバー、なんで火で燃やすん!
ていうか謎のクローバーって何ィイイイイイイイイイイ。
ザ・イエローモンキーファンのみんな、わかるだろ?

 

そんなわけで本日は『魔女がいっぱい』です。早々に結論が出たので1章で終わらせてます。

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◆ワシだってディズニーやスピルバーグくらい出来るもん◆

 当ブログのヘヴィ読む者にとっては、去年7月に疾風怒涛の3連投稿で読者を怯ませたことでお馴染みのピーリカピリララポポリナペーペルト型アニメーション『おジャ魔女どれみ』に多大な影響を与えたことでお馴染みのロアルド・ダールの代表的な児童文学作品としてお馴染みの『魔女がいっぱい』を、あの忌々しくもお馴染みの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85年) 『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94年) の監督としてお馴染みのロバート・ゼメキスが「えいっ」とかたぶん言いながら鋭意映像化したことでお馴染みの本作『魔女がいっぱい』
世にもおぞましい魔女をアン・ハサウェイが、そして聖なる祖母をオクタヴィア・スペンサーが演じた!

 まあ、さすがに気の毒な作品だと思う。
撮影中にクルー同士が争い、片方が首にナイフを刺されるという一撃必殺の傷害事件が巻き起こったほか、アン・ハサウェイ演じる三本指の魔女が「身体障害者への揶揄!」としてパラリンピック委員会からルッキズムを指摘されるなど猛批判に遭う始末。あまつさえ新型コロナウイルスの影響によりVOD配信を余儀なくされ世界興収はババ滑り。
「運が下がるデバフ呪文でも重ね掛けされたんか?」としか言いようがないほど間が悪い。極めつけはレビューサイトを中心とした酷評のハリケーン。悪口のタイフーン。
まぁ~~評判悪いですね。


 確かにつまらないという意見はわかる。
実際、本作は「おもしろい」か「つまらない」で言えば金メダル級につまらない。表彰モノだ。
両親を事故で亡くしたボウヤが祖母(オクタヴィア・スペンサー)の家に引き取られ、毎晩祖母から子供嫌いの魔女の話を聞かされる。ある日、家の近くで魔女と接触してしまったボウヤは、祖母とともにリゾート地のホテルに避難する。そこに現れた魔女集団。その総大将がアン・ハサウェイ。世界中のガキというガキをネズミに変えて一掃することが目的らしい。

ここまでが既に30分。だいぶ悠長です。

魔法の薬でネズミの姿に変えられてしまったボウヤは、同じ境遇のネズミ仲間2人と出会って魔女集団に対決を挑む。だが対決といっても、魔女集団にネズミ薬を飲ませるべく薬瓶を盗み出す…といったスケールの小さいマクガフィン争奪戦がおこなわれるだけで、舞台も終始ホテルのみ。お話的にも映像的にもえらくセコい攻防がちょこちょこと描かれて、これといった山場も愁嘆場もなくたった104分でスパッと終わっちまう。

で、その割には描写が下品でやけにロいよん。
頭皮にウジがたかる坊主頭のアン・ハサウェイ。ネズミ薬を飲まされたときのガクガク痙攣&皮膚ボコボコからの、すごい屁ェしたみたいに宙をぶっ飛ぶ謎描写。魔女の鼻の穴がCGで膨らむ嗅覚表現の小っ恥ずかしさetc。
「あの…全部スベってますよ…」という我々の声は届かないのか、制作陣のブラックユーモアだけが加速度的に露悪化していきます。

f:id:hukadume7272:20220103001606j:plain画像下はネズミ化する前のボウヤ。ボコボコしながら屁ぇこいてぶっ飛ぶ。

信じ難いほどにセンス無(な)っ。

ジジイまじかオマエこれ…。
まあでも、『抱きしめたい』(78年) とか『永遠に美しく…』(92年) のダイアローグを思い返せばわかると思うが、ロバート・ゼメキスってある程度の腕はあっても絶望的なまでに感覚の鈍い監督で。
およそ「粋」や「妙」とは程遠くて、もうなんか…その辺にいるかなりレベルの低いおっさんぐらいの感性しか持ってない。オヤジギャグすら思いつかないオヤジなんだよ。


まあ、そんなことは本人がいちばん自覚してるからこそ、ゼメキス作品って割とカタい映画が多くて、そのカタさがうまく嵌ったのが『コンタクト』(97年) でもあるわけじゃん。
そんなゼメキスが珍しく図に乗っちゃったのが本作。スピルバーグが『BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』(16年) を撮ったのなら自分は『魔女がいっぱい』だとばかりにロアルド・ダール作品で勝負をかけてしまいました。
結果、批評/興収ともにコテンパンのスッテンテンにされちゃったわけだけど、どうも私は「実は勝ってんじゃねえか?」という密かなる試論を破棄できずにいるんだよねえ!
そもそも『BFG』は大した映画ではないので。

 というのもこの映画、「お話」としてはつまらんし「商業作品」としても滅法しょぼいが「活劇」としてはなかなかの出来栄えなのじゃよ。
なかなかどうしてなのじゃよ!
魔女が集うホテルの宴会場に紛れこんだ主人公がネズミに変えられたのをこれ幸いとばかりに通気口から脱出を試みるシーン。ここでは画面の奥行きを存分に活かした逃亡劇がしつっこく描かれる。
バルコニーから階下に垂らした毛糸をつたってアンの部屋にチュウチュウ言いながら侵入を試みるミッション:チューポッシブル。ここでは俯瞰と仰角を利かせたサスペンスと“掴む/放す”の所作がたいへんにスリリンでグー。ネズミ視点のローポジションも忘れない。
魔女たちが注文したスープの中にネズミ薬を混ぜるべく厨房に侵入してスープ鍋の真上から薬をポチョンと垂らそうとするッチョン:厨ボッシブルも然り。
そしてアンとの一大決戦ではネズミ捕りをテコに使った大跳躍が勝敗を分かつのです。

…という風に全編活劇化によるサスペンスの手引書たる本作。
さながらディズニー…どころかバート・ランカスターやジャン=ポール・ベルモンドの活劇映画を観てるような。「ワシだってディズニーやスピルバーグくらい出来るもん」とでも言うかのようにゼメキス御大がアクセルべた踏みで張り合ってきた。

ジジイの矜持。
ジジイの矜持だけが狂奔してる映画。

f:id:hukadume7272:20220103001831j:plain可愛さではスチュアート・リトルに軍配があがる。

もう「お話としての面白さ」とか「まとまり」とか、そういうのは全部捨ててるよな。
ただ無心で映画を求道する“表現への執着”だけがスクリーンの全域に広がってるが、当然こんなものはウケるはずもなく。
映画なんて、世間一般では「おもしろい」か「つまらない」の二元論だけで価値判断されてしまうのだし。
ショットとか活劇とか言っても「なにそれ~。受ける」って奴らは笑うのだし!
…と同時に、本作もまた観客を必要としない映画なので、ここには孤独とさえ言いうるほどに“映画と観客”の相関性が欠落している。

そんなわけでこの映画、全く以てつまらんが嫌いじゃない。二度と見ないが嫌いじゃないよ。
ロバート・ゼメキスはがおもしろい。
このおっさんのキャリアハイは2010年代以降である。だってこんなただ技巧に狂っただけの糞つまらない映画を撮るんだぜ。まったく、目が覚める。
技巧に走って正気を失う67歳の珍ベテラン。
この場合ベテランの「ラン」は「乱」と書くのが適当なのかしらん。しらん。

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