シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

劇場版ツルネ はじまりの一射

ピュンピュンピュンピュン…いつまで経ってもぉおおおお! 命中率0%ぼうやの矢はいつ中るのか!? ~的は外したがオレの心には刺さったSP~

2022年。山村卓也監督。アニメーション作品。

弓道に打ち込む高校生たちを描いた京都アニメーション制作のテレビアニメ『ツルネ -風舞高校弓道部-』の劇場版(とはいえ総集編)。
矢をいっぱいピュンピュンする中身。


みんな~。映画館に行ったとき、いつもどの辺の座席におっちんしてる?
映画を観るときのベストポジションって人によって大きく違うよね。
「ワシらの時代は最前列の取り合いだったんじゃ。迫力を優先じゃあー!」というご年輩方もいれば、現代では「スクリーンが大きすぎてもアレだから…。あえて後列の真ん中で程よく楽しむーん」という人も多い。
あるいは「後ろに人がいない最後列こそ一番落ちつける…」という人もいれば「うんにゃ。端の方が落ち着くし、おしっこも行きやすい」と、あえて隅っちょを選択する人も!

本日は、そんな皆さんの座席選択心理を見抜いた私が「映画館の座席でわかる性格診断」という表をこさえてみました。
映画好きに悪い人はいない。そんな皆さんのステキな性格をピタッと言い当てるよ!
各々これを見て「ああ自分ってそうなのか」と思ってくれたらウレシイな。

~これであなたも座席マスター! 映画館の座席でわかる性格診断~


うん。
そんなわけで本日は『劇場版ツルネ はじまりの一射』です。またアニメやね。
ざんねんでした!!!



◆命中率0%の伝説の射手が何回ピュンピュンやっても的を外し続けるアニメ◆

 京都アニメーションが制作した『劇場版ツルネ はじまりの一射』は、TVシリーズ後半を再編集したものに新規カットを織り交ぜた総集編として世に送り出されたぁー。
TVシリーズの『ツルネ -風舞高校弓道部-』は2018年に放送されたが『Free!』ほど大きな反響を呼ばなかった。あちらが動ならこちらは静。そも、弓道というテーマ自体がたいへん地味であるし腐女子要素も控えめなので爆発力に欠けるのも当然なのだが、私の見立てだと最たる原因はキャラの薄さにある。
勘違いすなよ。
昨今のアニメにおいて“キャラが薄い”ということは“より生身で等身大の人物造形をもつ”ということだ。
さまざまなファンの性癖に刺さるようにタイプ分けされたキャラクター達がそれぞれの“記号”で過剰なまでに“役割”を全うするアニメ群とは異なり、『ツルネ』に登場するキャラクターはあくまで薄い。すなわち必要以上の濃さをもたない。
そこに京アニの美意識と文芸性が乗るのだから、こりゃもう大人の醤油ラーメン。
『Free!』もドラマチックで楽しかったが、私の好みはポエティックな『ツルネ』。
じゃあ、TV版おさらいしていこっか!?

 物語は、まあ『Free!』とほぼ一緒やよ。
鳴宮湊は中学最後の試合で「早気」を起こしたことで弓から遠ざかっていたが、入学先の風舞高校で小学校時代の友だち山之内遼平と再会し弓道部に誘われる。遼平の傍らには竹早静弥。幼馴染みの湊と弓道をしたいがために風舞高校に入学してきた。
湊「僕はもう弓は引かないっ!」
頑なに入部を拒否していた湊だったが、静弥に「部活説明会だけでも参加せいや」と説得され、そこで新入部員の如月七緒小野木海斗と出会う。
過日、たまたま通りがかった夜多の森弓道場で一万射チャレンジをしている胡乱な男・滝川雅貴(通称マサさん)の射に魅せられた湊は、早気を克服したマサさんからすてきな言葉をもらったことで俄然発奮。早気という大きなハンデを背負いながらも風舞高校弓道部に入部するのであった…。
以降、早気との向き合い方や、部内での複雑に絡み合う人間関係、それに県大会に向けての特訓を通じて5人が団結していくさまが青春群像譚として煌びやかに描かれていく。


ちなみに早気(はやけ)とは弓引きにとってのイップスのようなもので、的中欲しさや失中を恐れるあまり「会」が不十分なまま矢を放ってしまう癖のこと。一度かかるとなかなか抜け出せないらしい。
そして会(かい)とは、射型に入ったあと全身の筋肉をじわじわと伸ばしながら的に狙いを定める超集中タイムのこと。

早い話が、湊はロクに狙いが定まらぬうちから矢を放ってしまう病に罹っており、もちろんそんな状態で的を狙ったところで100発100失中。そんな命中率0%の伝説の射手が復調するまでのリハビリアニメこそが『ツルネ』なのである(違うかも)
余談だが『ツルネ』というタイトルは、矢を発したときに弦で弓を打つことで鳴るといわれる美しい音色―弦音(つるね)から来ている。ほら、矢を放つときに「カキン!」とか「ガチョーン!」とか鳴んじゃんよ。
じゃ、登場人物見ていこっか!!?


鳴宮 湊(みなと)
団体戦の立ち順は落ち(トリの5番目)。
早気にかかったことで命中率0%ぼうやと化すが、本来は皆中(全発必中)必至の凄腕なだけでなく、人の心を動かす弦音を鳴らすことができる神童。中学最後の試合で早気を起こし、惨敗を喫したことで弓道から離れていたが、高校入学時にマサさんと出会ったことで弓を引く意味を思い出していく。
小学生のときに弓引きの母親を交通事故で亡くしてもいる。

 


竹早 静弥(せいや)
団体戦の立ち順は中(3番目)。
湊の幼馴染み。刀身のように凛とした射型で正確に的を捉える、冷静の子。
小学生のとき、横断歩道を渡っていた鳴宮親子を後ろから呼び止めたことで湊ママンが事故死したのだと自分を責め、爾来、その負い目から湊に対しては神経質なほど過保護になっている。

 

山之内 遼平(りょうへい)
団体戦の立ち順は二的(2番目)。
争いを好まぬ大らかな性格で、部内における人間関係のよき緩衝材を担っている。湊と静弥とは小学校時代の友人。小学5年のときに転校したが風舞高校で再会する。弓道に関しては中学の選択科目でかじった程度のニワカ。よく的を外すヤツだが思いきりだけはいい。

 

如月 七緒(ななお)
団体戦の立ち順は四的(4番目)。
愛嬌だけで全部どうにかしてきた、ちゃめっけの子。校内にファンクラブが存在するほど女子人気が高い風舞高校きってのアイドルで、「メッハ~」というオリジナル挨拶の乱用者。その人気を利用して弓道部説明会には多くの女生徒を動員したが、七緒とニコイチの小野木海斗が怖すぎるという理由で結局入部希望者は現れなかった。

 


小野木 海斗(かいと)
団体戦の立ち順は大前(1番目)。
ストイックに弓道と向き合うあまり、一度は弓道から逃げた湊のことを認めていない。協調性がなく部内でも険のある言動が目立つツンツンボーイだが、実はめっぽう情に脆い。敬愛するマサさんの前でだけは素直になるが、ぽっと出の湊が最近マサさんを師と仰ぎ出したことにジェラシーを覚えている。七緒の従兄弟でもある。

 

滝川 雅貴(マサさん)
湊たちからは「マサさん」の名で親しまれている歴戦の弓引き。
かつて湊と同じように早気になったとき、弓の師匠だった祖父から心ない言葉を浴びせられ、爾来祖父を憎むようになる。「俺はあんな弓引きにはならない」。
そんなマサさんが風舞高校弓道部のコーチに就任したのは“祖父への復讐”のためだった。祖父を反面教師に、湊たちの良き師として教え導くことで祖父を否定し、その呪縛から解き放たれようとマサさんはしてるわけ!

 


花沢 ゆうな妹尾 梨可白菊 乃愛
風舞高校弓道部の女子部員。
本作は男の子たちの青春譚なので女子部員はほぼ空気。

 


藤原 愁(しゅう)
団体戦の立ち順は落ち。
桐先高校弓道部のエース。湊と静弥とは中学時代のチームメイトだったが、高校を別にしたことで県大会では決勝戦で激突。格別に美しい射型から「貴公子」の名を欲しいままにする弓道界の羽生結弦。
その他、詳細不明(来年1月にTVシリーズ2期が始まるので、そこで詳らかになる確率は高い)。

◆お母さん、これ誰?◆

 いやー。面食らったし、未だに混乱してるわ、この劇場版。
というのも、総集編のくせにエピソードや時系列がかなり激しくシャッフルされているのだ。TVシリーズ全13話というパズルを一度バラバラにしてゼロから新たな図像を作り上げてるので、なまじTVシリーズの一連の流れを頭に入れたまま鑑賞すると却って混乱するというヘンな仕掛けが施されているんだ。

…私がそう感想すると、TVシリーズの存在さえ知らないままイキナリ今回の劇場版を見た知人は「混乱します? 僕は普通に見れましたけど」と澄まし顔。
そゆことってあんのよ~。
なまじ知ってるがゆえに「知ってる奴」がわからなくなって「何も知らない奴」が何も知らないからこそすんなり理解しちゃうっていうパラドックスがねええええええ。
ただでさえ『ツルネ』って、カットというよりイメージに近い詩的な画が多いので、物語や時系列が解体されちゃうと原画展みたいになっちゃうのよね。
もうテレンス・マリックだよ。
決して線にならぬ、点としての美術をひたすら見ていく展覧会。
だもんで、『ツルネ』少し気になるぞって人は、よく注意されたい。なまじTVシリーズを予習していくと俺みたいなザマになります。先にこの劇場版を見て、興味を持ったらTVシリーズを掘る…とした方が賢明なのかもしらん。
このダイジェスト動画で大掴みするぐらいが丁度いいのかもしらん


6分でわかる『ツルネ』(YouTubeからパクってきた)

それを差し引いても編集は散文的だったわ。
現在時制のあとに回想シーンを挟むことで一見さんへの物語理解をアシストする構成になっていて、ほとんどこのパターンだけで進行していくんだけど、ま~時間軸がブレて仕方ないよね(混乱を招いた最たる原因じゃねーの?)。
エピソードの拾い方も、偏り…というか癖があって。本作はTVシリーズの総集編だが、厳密にはTVシリーズ“後半”の総集編で、弓道部の5人が団結する“関係値はぐくみ期”の前半部をスッ飛ばしてるため、前半でこそキャラが立ってた海斗をはじめ、ただでさえ当番回を持たない遼平と七緒に至っては、一見さんをして「おか…お母さん、これ誰えー?」と言わしめるに十分な存在感の薄さを誇っていた。
皮肉にも褒め言葉としての“キャラの薄さ”が、ここでは仇となる。

「これ誰ぇー?」ってなりがちな遼平、七緒、海斗。

その意味では、いみじくも現代アニメの村社会性が炙り出された好例といえるのかな。
せっかく卓越した世界的技術を持ってるのに、それが一部の層だけに向けられていて「ファンなら分かるでしょ?」って共犯関係のもとに記号化された世界の中だけで共有され、消費されてしまう自閉的な文化位相。
ANIME。
尤も、家畜小屋でブタに餌を撒くがごとく、アニヲタが好むもの(記号)を麻薬のように供給し続けては知能低下を促すだけの文化的屠殺アニメとは比ぶべくもない地平にそそり立っているのだけど。『ツルネ』は。
それだけに、この劇場版の間口の狭さは惜しい。

◆邂逅! 新規カットハンターにありがとっ◆

 さてさて、もう少し喋りますか。
本作。ただの総集編なら観るつもりはなかったが、総集編ではなく再構築であるという前評判と、鑑賞者が異口同音に「とにかく音がいい」というので、その為だけに観ました(映画の評判はいっさいアテにならんがアニメの評判はだいたい真実なので有用)
なんといっても『ツルネ』は音を見るアニメでもあるのだからね。競技シーンでは5人全員がそれぞれに異なる弦音を発するのよ。その音色をよりよい音響で楽しむには劇場に行くしかない。
紙幅がやべーから多くは語らんが、贅沢な音響体験にこの身を委ねたわ~。


音といえば本作、アフレコも全編新録されてるのでセリフの聴こえ方がまったく違う。具体的には抑揚や語尾…いや、言葉そのものが強かった。
そも、本作はTVシリーズのエピソードをかいつまんだ総集編なので、“流れを追って追ってようやく理解に辿りつくキャラクター心理”という見せ方が封殺されてる状態。だから、たとえばTVシリーズにおける「苛立ちと憧憬」が入り混じったような複雑なセリフの表情が、この劇場版では「苛立ち」のみに一元化されるわけ。そうしないと総集編として話が流れないし、初見さんが見たときに何のこっちゃの金太郎になるからである。
いいか、一度しか言わないからよく聞けよ。

総集編とは物語を削る作業ではなく“表現の幅を削る作業”だ。

わかるか。自壊寸前まで技法を単純化するってことだ。それでいて矮小化してはいけない。そしてアニメの場合、矮小化を防ぐ手段のひとつに「新規カット」がある。
新規カットはTVシリーズを見倒したファンを飽きさせないという効果のほかに、イメージの新陳代謝を図り、作品の筋肉をほどよく伸ばしてくれる。細胞の入れ替えっこだ。
そして本作は新規カットがヤケに多い。とはいえ新規カットなんてTV版を何周もして全カット記憶でもしないと気づけないもんだが、私が鑑賞した上映回では隣に2人組のツルネキが座っており、映画が始まると先輩ネキと思しき女が「ここ! 今の新規カット!」と連れの後輩ネキに小声で解説してやっていた。
新規カットハンターがいた。
普段であれば「シーッ、やで?」と注意していたところだが、TVシリーズを1周しかしてない私にとって新規カット情報は存外ありがたく、「ああ、今のとこが新規カットなのね~」なんて、ハンターの実況解説が鑑賞の一助となりました。
おおきに、おおきに。

新規カットハンターの薫陶を受ける私。

さーて、クライマックスは県大会団体戦!
「TVシリーズを見てるから当然結末は知ってるがー」という枕言葉は無粋である。別にこちとら結末を知るために映画やアニメを見てるわけではないし、『ロッキー』(76年) だって俺はこの先も観ていく。
およそ弓道ほど静態きわまる武道はない、などと浅慮していたのは俺だけではないはずだし、俺と同じくらいイジワルな奴なら「弓道がアニメ映えするとは思えなーい!」と叫んでいたはずだ。どう?
まったくの間違いだった。
胴造りや打起しの美しさ。会に入ったときの緊張感。離れのダイナミズム。鳴り響く弦音。そして残心の余韻と、重なる射手の思い。
なんと映画的な主題か。
お母さん…! 弓道って…最小の動作だで映画たりうる主題でしたああっ!
(ぼろぼろ泣く)

愁、痛恨のミスショット。

『ツルネ』は、そこから更に大技を仕掛けてくる。
乱暴にいってしまえば、弓道とは「射手が的に向かって矢をぶっ放す営み」なので、これを画面構図に置き換えた場合、射手から的へと向かう平行構造が主になるわけだが、本作で描かれるのは5人1組の団体戦。
落ちに抜擢された湊は準決勝で早気を起こすが、その原因は“自分の後ろに仲間がいない”という不安感だった。かつて湊は「なぜ自分が落ちに選ばれたのか。その理由がわかったとき、お前たちはもっと上手くなるはずだ」とマサさんに言われたが、ようやくその意味がわかった。
仲間の背中を見てなかった。
中てることだけに執着し、的だけを見ていた湊は視野狭窄に陥り、団体戦の意味を見失っていたのだ。だが今は、4人の背中が雨上がりみたいによく見える。最後尾の落ちだけが見ることのできる景色だ。
そこから、湊の視界は開けた。

「大丈夫だ。俺はもう揺るがない。
俺が外したらみんなが中ててくれる。
誰かが外したら俺が中てればいい。
だから、みんなでやる意味がある。
俺がここにいる理由がある」

湊が的ではなく仲間に目を向けた途端、水平構図に奥行きが加わる。


湊の「バガチョン!」という素晴らしい弦音に「はう!」と驚く一同(奥行きを活かした構図の見事)。

そして愁が落ちを務める桐先高校との決勝戦。
湊の視界は至ってクリアだ。もう迷わない。仲間の背中もばっちり見えてる。

「海斗が先陣を切る…。行く手を示し、あとの4人が続く」

ビスコッ!

しっかり中てていくゥーッ!
さすが斬り込み隊長、海斗。
しっかり中てて流れ作ってくゥ!

「遼平が海斗の勢いを受け取り…明るく照らす…!」

すこたん!

遼平が外していくゥ~~~~!
さすが遼平!
せっかく作った流れ断ち切っていくゥ~ッ!


「静弥が冷静に中盤を引き締めてくれる…」

ササルン!

静弥がどうにかしていくゥ!
静弥が遼平の負債チャラにしていくゥ!

「七緒が落ちに向けて再び盛り上げて…」

メッハァ!

えらいぞカワイイぞ七緒ー!
ばっこり中てていくゥウウウウ!

「そして、俺は―…」

葉っぱの幻覚使ってくゥ!

この演出いいよね。完璧な一射が出たときの確定演出として「イメージの葉っぱ」が風に舞うという、クライマックスに相応しい爽やかな視覚効果。
この葉は、揺れ、落ち、再び舞う湊自身でもあるわけで、メタファーとしても綺麗だわ。


話は逸れたが、要するに湊の心的変化とともに水平構図から奥行き構図へとアニメーションの動態も変化していくってわけ。
そこに豊穣な美術と薫り高い文芸性が加わった『劇場版ツルネ はじまりの一射』は、TVシリーズ2期を待つに十分な弓力をもった渾身の一射といえる。

「美しい射が中るとは限らない。
…が、正しい射はたいがい美しい」
byマサさん

(C)綾野ことこ・京都アニメーション/ツルネ製作委員会