シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

LAMB/ラム

鎧くらい分厚い見たことないセーター着てるぅ~~~~。

2021年。ヴァルディマル・ヨハンソン監督。ノオミ・ラパス、ヒルミル・スナイル・グドゥナソン。

羊飼いの夫婦が羊の出産に立ち会ったところ、すごいのんが生まれた。


しゃあやろか。
さて。以前チョロッと予告していたように、明日から当分の間は無期限活動休止に入りますからね。だだをこねてもムダです。当ブログは息をひそめ、ローブをまとい、まるでモロッコの市場の影でうずくまる痩せた男みたいに存在感をそっと消すのさ。
とはいえ、もとより不定期更新のブログなのだから、2日後に新記事をあげようが半年後にあげようが形式の上では同じこと。そうだろう? 不定期なんだから。不定期ってそういうもんだろ。ンーフーン? ほんとは不定期更新のブログに「無期限活動休止」なんて概念はねえんだよ。だって、「週2本、水曜日と日曜日に記事あげまーす」なんて決まりは俺は作ってない。そんなマニフェストは、ついぞ掲げたことがない!
いつあげるかわからないから不定期更新なんだろ? お?
そして不定期更新だからこそ、次の記事は当分先になるかもわからない。かといって、その間は「休止」とはいえない。まあ、運営者である私が「休止」と言えば休止になるのだが、言わなければただの「次の記事までのえらく長い空白期間」に過ぎないのだ。
わかるか、このりろん。
とはいえ、だ。
「休止」と宣言しなければ、一部生息する餓えたヘヴィ読む者たちが今日か今日かと記事の新着を期待してはまだかまだかと苛立ちの円舞曲をおどる。右へ左へ器用にひらひらと手をさせて!
それじゃなんだか悪いってんで、いっそ「無期限活動休止」と銘打ったっちゅーわけよ。あえてな。潔いだろ。
これがオメェ、広告をベタベタ張ってるPV稼ぎ野郎だとしてみ? 「明日から無期限活動休止します」なんて言っちまったら「じゃあ当分こなくていいな」と読者の方も訪問を休止しちまうだろ。だから当面は更新するつもりがなくても「明日更新するかも顔」をするんだよ。奴らは。PVを稼ぎたいから。魂が邪に染まってるから。
そんなに広告収益がほしいか? 0.2円、0.2円…とかの積み重なり! 汚いやり方で読者に円舞曲をおどらせて、見にくい広告で我がのブログをよごして。それで得た小銭で買ったジュースは美味しいのかー!!
何味なのかあーッ!!!
このシャバ僧がっ。
すぐ広告広告! インターネットインターネットつって、どさくさに紛れてそんなことしやがって! サイバーネットの火事場泥棒だよ!
広告ばっかりベタベタベタベタあ!!
YouTubeもそうだしさぁ。
賀来賢人もそう! CM出すぎやろ、あの子。
ケンタッキーばっかりむしゃむしゃむしゃむしゃあ!!
最近CMでしか見いひんぞ。あの子。こないだもCMで「どうも、俳優の賀来賢人です」言うてて、いよいよ辛抱たまらず「どこがやねん」言うてもうたわ。俳優? CMタレントだろ。ピザ食うてみたり。大仰に驚いてみたり。
それで「どうも、俳優の賀来賢人です」。
どこがやねん。
ば~くばくピザ食うて。
チーズ、にゅ~伸ばして…。
ほいで「俳優の賀来賢人です」
何を言うとるんだ、きみは。
あんま不思議なこと言うな。


何が言いたいかというと、明日からしばらくは無期限活動休止、賀来賢人はCM出すぎ、広告ばっかりベタベタ張りな、ということである。
まあ、映画とは無関係の記事でよければたまに更新できるけど、ここの読者はそういうのあんまり望んでないっぽいから、スパッと更新途絶えさす。
そんなわけで本日は『LAMB/ラム』です。
まあ、読んだってったりーな。



◆す~ごいのん産まれた◆

 まっすぐ過ぎるほどまっすぐにラファエロの『大公の聖母』(1505年—1506年) を思わせるすぐれて知的なポスタービジュアルのみならず、ドライヤー、ベルイマン、カウリスマキなど、神聖な作家群によって俗世とは隔てられた地平にだけ漂う北欧映画の香りにいざなわれた蝶ちょのように、私は『LAMB/ラム』をみる!
加えて、主演は『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』(09年)で頭角を現したスウェーデン出身のノオミ・ラパス。くだらない映画にも数多く出ているが、私はノオミの芝居が気に入っている。顔芸も気に入っている。現に当ブログでは『ラプチャー 破裂』(16年) 『アンロック/陰謀のコード』(17年) 『ブライト』(17年) 『セブン・シスターズ』(17年) 『ストックホルム・ケース』(18年) など、彼女の出演作を扱う機会がやけに多い。
ノオミどころかイエスミ・ラパスなのだ。
ありがとう。

右がらむ。

そんな私が「羊が1匹、羊が2匹…」と呟きながら夢遊病のように吸い込まれたシアターで掛かっていたのが『LAMB/ラム』
ある日、ノオミ・ラパスとヒルミル・スナイル・グドゥナソン演じる羊飼いの夫婦が1頭の綿羊の出産に立ち会ったが、産まれてきたのは…。
…これ、どこまで触れていいのかしらね。「それを言うことが既にネタバレだー!」と叫ぶネタバレタクナイ民がいる一方、公式トレーラーではしれっと種明かししちゃってるし。
ま、すでにいろいろ出回ってるし、いっか。

半人半羊が産まれるん♪



夫婦はその子に「アダ」と命名した。
妖怪人間ベムならぬ、名綿人間アダ。
予備知識ゼロで鑑賞した私は、映画中盤で開かれたアダのお披露目会で「奇妙ぉ~!」と思った。す~~ごい奇妙。半人半羊だからそう思ったのではない。
アダったら、ブッカブカのセーター着て、いつもキョトンとしてんの。
そのルックが奇妙なのぉぉ~。
セーターがやたら厚手でさ。鎧くらい分厚い…。ほんでブッカブカ。それでいてキョトンとしてる。



あっ…すご!
鎧くらい分厚い見たことないセーター着てるぅ~~~~。
なんやこの子。わけのわからんセーター着てキョトンとして。
なにこのこ~~~~~~?
「ねえアダ? それ、鎧に似たセーターなん? それともセーターに似た鎧なん?」って、アダを居間に呼びつけて正式に質問したいぐらいブ~カブカ。鎧くらい分厚い、見たことないセーター。
ほいでそれ着てキョトンとして。
いつだってアダはすっとぼけて!!
わけのわからんっ。

かかるアダファッションが奇妙で、可笑しくて、ちょっと腹立って…。劇中ずっと笑ってたわ。
“変なセーター着た羊人間がずっとキョトンとしてるさまを只々黙って見てなきゃいけない映画体験”がワケわからなすぎて。
これ何の時間ですのん、ゆうて。
一応、不条理系のフォーク・ホラーという触れ込みだし、劇場の観客も固唾を呑んで真剣に見入ってるから笑い声こそ堪えたが、私の頭のなかは「そのセーターなにさ」「どこで売ってるん」「す~ごいセーター着せられてキョトンとして…」「なんじゃこいつ」で犇めいていた。
とにかくアダのビジュアルが鮮烈。「かわいさ」と「おもしろ」をおしゃれに着こなしている。
ほんでキョトンとして。
なんじゃこいつ…。

鎧くらい分厚い見たことないセーター。

◆とうとう羊飼いが羊殺し始めた◆

 監督は『父親たちの星条旗』(06年)『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(16年) で特殊効果を務めたヴァルディマル・ヨハンソン。念願の長編処女作ということもあって、各方面のインタビューでは作品の意図をべらべら喋っていた(こういうのは喋らない方がいいのにねぇ。インタビューされて嬉しくなっちゃって。全部喋って…)。
しかし、この男の門出を讃えるには十分すぎるおもしろさを『LAMB/ラム』は持っていたと思う。
幽玄とさえ称しうる峰々が連なったアイスランドの大自然のなかで、登場人物3名、あとは羊人間のアダ1体と牧羊犬1頭だけで斯くもおもしろい映画を撮りえたヴァルディマル・ヨハンソンの研鑚はひとまず買っていい。相当苦労しただろう。
見様見真似の括弧つきの「ショット」、旧約聖書への目配せ、長編処女作ゆえの照れと誤魔化し。長くなるから多くは語らんが、『LAMB/ラム』はこの手の映画を撮ろうとした人間がとかくフィルムに振りまきがちな“生意気さ”を巧みに回避した、稀有な作品といえる。
ヨルゴス・ランティモスの『籠の中の乙女』(09年) やジュリア・デュクルノーの『RAW 少女のめざめ』(16年) を彷彿させる愛嬌と慎ましさ。そこに好感を持った。


アダが産まれた瞬間、もちろん夫婦は驚愕したが、すぐにそれを受け入れてアダを毛布に包み、抱きしめた。その後、ほとんどセリフもなく進行する物語の中で、どうやらこの夫婦にはかつて子供がいたが水難事故で亡くしたことが示唆される。ゆえに二人は羊から生まれた珍奇生命のアダを“神からの贈り物”として愛情たっぷりに育成することを選ぶのだ。
…と、このような物語の機微を無言劇の中で語りえた手腕。そして、かかる無言劇には「行間はそっちで読んでね」と言わんばかりに無口たらんとするアート志向のビチグソ監督ならでの傲慢さではなく、いわばわれわれが勝手に彼女たちの奇妙な牧羊生活を一方的かつ興味本位で窃視しているだけなのだから劇中人物が饒舌であろうはずがない…という純映画的構図が潜勢している。
いうなれば積極的に見ないと弾き返される映画だ。
鑑賞後、劇場のロビーにて、連れの下品な女に「きっしょい映画だったわ。わけわからね~!」と感想していたビチグソ馬鹿ファッカーがいたが、まあ、分からんだろうな。一生かかっても分からんだろう。“映画は与えてくれるもの”と信じている、いまだ乳離れできてない観客にはな。むしろ分かろうとしなくていい。
口直しに『それがいる森』(22年) でも見てこい。オマエぐらいには丁度いいだろ。

アダを育成する夫婦。

あっあっ! すげえ悪口書いちゃった。
とにかくこの映画、世間一般でいうところの「映画を見る楽しさ」が真空パックされた、すこぶる“見やすい映画”なのだろう。こっちから見ようとしない限りいつまで経っても視認できない…という意味でな。
映画はこちらから見ようとしない限り、絶対に見えんぞ。
それこそキョトンとして終わりだ。馬鹿のようにな。


その後、映画は三人家族の穏やかな生活を70年代フォークソングの如きやさしみで描いてゆくが、次第にノオミが毎朝家の前までちょこちょこ歩いてきてはメ~メ~啼き続けるアダの母羊に苛立ちを募らせるあたりから、やおら暗雲が垂れ込める。
「死ねえー!」
ついに神経がぶち切れたノオミは、アダの母羊を射殺。アダの母親は私なのだ。貴様ごとき羊風情が毎朝家まで来てメ~メ~やるな。しまいに、こうじゃあ!と言わんばかりに。

とうとう羊飼いが羊殺し始めたで。

やりたい放題やな。元はといえば母羊からアダを奪ったのはノオミ側なのに、アダを取り返しにきた母羊に向かって「私からアダを奪おうというのかー!」みたいな理屈で眉間バッコ~撃ち抜いてますやん。
もうロジックが…。
そのうえ、眉間をバッコ抜かれて思っくそ死んだ母羊のツノを持って草原をずるずる引きずり歩き、適当なところで死骸を捨ててえらくサッパリするノオミ。
ハチャメチャやな、この女。
天真爛漫の大バーゲンがすごい。

連れ去られたアダを追わんとした母羊に向かって「ついてくるなあッ!」と怒声を発するノオミ。

それでも毎朝家の前でメ~メ~やるから…

もう殺した。
す~ごい考え方。0から100までひとっ飛び過ぎる。

その後、夫ヒルミルの愚弟ビョルン・フリーヌル・ハラルドソンが借金苦から遠路はるばる二人を頼り、当面のあいだ家に住まわせることになるのだが、初めてアダ(半人半羊)を見た愚弟ビョルンは思わずキョトンとする。ビョルンともする。

「なんじゃこいつ」

理性人きたあー。
やっとアダに突っ込んでくれた人間の祝福さるべき登場!
もうコントだよ。こうなってくると。
ノオミとヒルミルは、さも半人半羊のアダに「皆さんご存じ、アイスランドの名物生命」ぐらい当たり前の存在として接しており、アダもアダで人間生活にすっかり馴染み、パパンのためにすばしこい動きで朝食を作ったり、入浴するとサッパリすることを覚えたり。よく見るとセーターの上からオーバーオールを着出したりもする。一丁前にコートまで着ちゃって、まあ。
そんな中、新参者の愚弟ビョルンだけがアダに面食らい、我が目を疑い、そしてキョトンとした。
「んんんん奇妙ぉ~!」ゆうて。
「ブ~カブカのセーター着てる!」ゆうて。
われわれ観客が40分前に通過したとこを、いま、愚弟ビョルンが走ってる。
わかるで、愚弟ビョルン。俺らも最初そうやった。み~んな思った。「そのルックが奇妙なのぉぉ~」って。
追いついてこい、愚弟ビョルン。
じきに慣れるから。

もうタダのシュールなコントの様相を呈しきった『LAMB/ラム』だが、依然暗雲は彼らの頭上でモサモサしてる。アダを我が物としたいあまり母羊を殺してしまったノオミ。そして愚弟ビョルンはかかる状況を「イカれてる…」と結論し、おまえは生まれてきてはいけない珍奇生命なのだとアダに銃口を向ける…。
そして遂に! セーターも眉間バッコ抜きもブッ飛ぶような、す~~ごい事がおきる!
思わず「メ~」と叫びながらひっくり返らずにはいられない前後不覚の『LAMB/ラム』! 衝撃というより只々キョトンとするばかりの結末を見届けろ。

の画像は映画鑑賞後の私のようす(参考にされたい)。


便利やな、この画像。

◆ニーチェの馬でした ~よもやま話がすぎた~◆

 解釈論についてはネットにはびこる考察厨たちに任せるとしようか。
まあ、解釈もヘチマもないと思うのだけど。頭が羊で首から下が人間なんて、露骨に悪魔(バフォメット)でしょう。あと母羊殺しの顛末に関しても、旧約聖書のカインとアベルをやりたかったのは分かるが、ちょっと危なっかしいセンスではある。
それはそうと映画の話よ。
霧に包まれた山間をパカパカと歩く馬の群れのファーストショットを観た瞬間『ニーチェの馬』(11年) じゃねーか、と思った私は、今回なかなか冴えていたと思います。
ベルイマンやタル・ベーラから爛々たる影響を受けたであろうという推測は、ショットが進むごとにその確度をむんむんに高めていったのだが、とりわけタル・ベーラの『ニーチェの馬』
もう、ほぼコレだと思った。


タル・ベーラの引退作『ニーチェの馬』

そして鑑賞後にコンピューターで調べたところ、監督のヴァルディマルはタル・ベーラによる映画制作の博士課程「FILM FACTORY」に在籍していた元訓練生だったことを知った。
はぅあう…!
我ながら、こういうところでピッとはたらく勘のよさにはゾッとするわ。
特技に加えよかな。「ファーストシーンを観ただけでその映画が影響を受けた他作品をピュッと言い当てることが可能」ゆうて。
ちなみに私が誇る映画の特技はこちらです。

【特技1】
特定のショットを見ただけでその映画の制作年を誤差3年以内で言い当てることが可能。
これは大得意中の大得意。
「1973年の映画?」とか「たぶん1945年あたり」とか。
確信はないけど、大体あたってるんよ。
説明するのは難しいけどね。時代の空気って可視化されてるんよ。見たらわかるんよ。フィルムの質感とか、街の風俗とか、エキストラの服装とか。その時々に流行った演出や撮影技法もあるし。あと役者の年齢もヒントになるしな。


【特技2】
特定のショットを見ただけでその映画の舞台となった国や都市名を言い当てることが可能。
これも可能です。ありがとう。
なかでも得意なのはアメリカの都市の当てっこ。
いろんなアメリカ映画を見続けていくと「サンフランシスコの坂は勾配えぐい」とか「ボストンはなんか茶色い」みたいな特色が掴めてくるよね。ただそれだけのこと。
逆に苦手なのは日本や韓国。都市部がぜんぶ同じに見える。


【特技3】
一瞬しか見えない乳首を誰よりも早く見抜くことが可能。
これは本当に早いです。「はい乳首」、「はい乳首」って。「ありがとう」、「ありがとう」って。
乳首の居合い斬りですわ。いつだって僕は、そういう覚悟で乳首を見ています。一瞬の閃光としての乳首。映画を観るって、そういうことやからね。一瞬ごとに像を変えゆくスクリーンにどこまで立ち会いうるかっていう勝負やん。
エッチな気持ちとかは、別にない。

あごめんごめん。
すごい無駄な話してたな。
で、なんだっけ? アダ? 『LAMB/ラム』か。大急ぎで総括に入るわ。らむ~ん。
ヴァルディマル・ヨハンソンが撮りあげた『LAMB/ラム』は、ラストシーンに出てくる“あいつ”のあまりに艶消しな演出や、『パーマネント・バケーション』(80年) の拙い模倣に思えるダンスシーン、なにより動物たちの思わせぶりな視線のショットの空振りといった多少の不満はあれど、古今東西のさまざまな前衛映画を渉猟した痕跡が“物語のすぐれて経済的な朧化”から見て取れるほどには、ひとまず「シュールな映画」として褒めそやしていい。
普段ならこの手の映画に対しては人一倍厳しい『シネマ一刀両断』であるが、いかな私とて無垢な瞳でキョトンとこちらを見てくるアダを一刀両断などできるはずもなく。
よろしい。ブカブカのそのセーターに免じて、本作を擁護しよう。
おっけおっけ。


キョトンとすな。
その「毎度おなじみ、キョトンとする
ことで知られる僕です」みたいな佇まい、やめえ。
(牧羊犬はかわいい~)

(C)2021 GO TO SHEEP, BLACK SPARK FILM &TV, MADANTS, FILM I VAST, CHIMNEY, RABBIT HOLE ALICJA GRAWON-JAKSIK, HELGI JOHANNSSON