さっぱり洗練されて、すっかりメジャー街道。
2024年。阪元裕吾監督。髙石あかり、伊澤彩織、前田敦子、池松壮亮。
殺し屋2人が宮崎で焼肉食べようとする話。
おえす。やろかー。
先日、近所ぷらぁ~歩いてたら、立ち飲み屋を見つけたから一杯ひっかけてきたよ。
へっへ。ほんと言うと昔から「一杯ひっかける」って言葉、使ってみたかってん。きしきしきし。晴れてこのたび夢が叶いました。おめでとうございましたありがとうございました。
立ち飲みって普段はあまり行かないけど、おれの前を歩いてたおっさんが吸い込まれるようにその店に入ってったから、おっおーん、立ち飲みでありますか、たまには立ち飲むでありますか~、ウン、たまには立ち飲も、おれは立ち飲むためだけに生まれてきた矮小でちっぽけな存在なのかもしれないね、なんて思い、おれも吸い込まれた。
まだ16時だったが、店内はエネルギーに満ちていた。立ち飲み用のカウンターにはおっさんが3名。端から順に、食いしんぼうのおっさん、何かを諦めたようなおっさん、常連通り越してこの地域一帯の守り神みたいなおっさんが、すきずきに飲み食いをしている。テーブル席もあるのだが、そちらには子連れの暇そうな家族が早めの夕飯を食べており、その斜め向かいのテーブルには男女のサラリーさんが一組。社内恋愛の関係にあるのか、不倫情愛の関係にあるのか、口をまぐまぐさせながら嬉しそうに見つめ合っていた。
さて。何かを諦めたようなおっさんと常連通り越してこの地域一帯の守り神みたいなおっさんに挟まれるかたちでカウンターの前に立ったおれ。「オセロやったらひっくり返ってるね」なんて思いながら壁に打ち込まれた木製のメニウプレートを閲して、まぐろ造り、山芋唐揚げ、生ビールを注文。注文をとってくれたのはthe GazettEみたいに顔を真っ白に塗ったピアスだらけの大学生ぐらいの男の子だった。珍し。メンズメイクしてんのに立ち飲み屋でバイト、珍し。
店内には中森明菜の「少女A」が流れていた。すてきやん。
配膳されたまぐろ造りと山芋唐揚げは、リーズナブルな価格帯にも関わらず、一切の妥協をあんまり許してないのとちがうかなってぐらい、味がしっかりしていた。まぐろも、よう捌かれたあるわ。山芋も、よう揚げられたある。感謝しながら頂こ。
ちらと右を見やると、守り神みたいなおっさん、スライスされたトマト食うてた。最前からずっとそれだけ食うてた。
ええんかそれで。
中森明菜の曲が終わると、こんだレベッカの「フレンズ」が流れてきた。すてきやん。正味、おれはあんまり好きな曲じゃないけど、守り神みたいなおっさんは好きだったようで、時おりNOKKOと一緒に小さく歌うなどしていた。
「今 時は流れて セピアに染まるメロディ」
黙れよ。
黙ってスライストマト食えよ。
おっさんが公共の場で口ずさむ鼻歌ほど聞いてられへんもん、ないねん。
そのあと、ゴーヤのおひたしも頼みました。顔まっ白のGazettEが「ゴーヤのおひたし!」と復唱した。顔まっ白やのに「ゴーヤのおひたし!」言うた、とおれは思った。
店内BGMは「フレンズ」が終わって、鈴木雅之の「違う、そうじゃない」が流れ出す。それを聴くともなしに聴きながら、守り神みたいなおっさん、黙ってスライストマト食うてた。
歌えよ。
レベッカの時、せんど気ぃよお歌とてたのに。鈴木雅之になった途端「おれは関係ない」みたいに黙りこくって。しらばっくれて。なに黙~ってスライストマト食うてんねん。
ていうかいつまでスライストマト食うてんねん。
スライスしたろか、この餓鬼ゃあ。時間かけすぎやろ。スライストマトに。後生大事にゆっくり味わって。形見なん? 大事な形見をついに食う日がたまたまこの日なん?
まあ、好きにしたらええけどね。
そのあと、中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」が店内を彩りました。好きな曲~。昔、絵を描いてたころ「Oh 持ち手の折れたペンシル」って替え歌してたから好き。
そこへさして、大将っぽいけど、おまえは怪しいな、大将ではないな、みたいな大将もどきが「うい、ゴーヤのおひたし!」つって先ほど注文したゴーヤのおひたしをカウンター越しに配膳してくれたのだが、小皿の中には出汁に浸かった鰹節。
当然「え?」と思ったが、大将もどきは、さも当然でありんす、ウチのゴーヤのおひたしはこういう感じよ?みたいな当たり前フェイスで出してきたので、一瞬「そういうもんか…」って丸め込まれそうになったが、うんにゃ、明らかにおかしい、ってんで「これは出汁に浸かった鰹節です」なんて翻訳英語のAI発音みたいな言い方をしたら、大将もどき、「きゃああああっ! ヘタこいたあ! すません、すません。すぐゴーヤを持ってきます」なんて、くにゃくにゃしながら厨房へ逃げてった。
そのとき、おれは「なんてゴーヤ…」と呟くのが精一杯だったのだけど、騒ぎし関西人の血潮、惜しいなぁ、もしこのハプニングが起きたのがあと3分早ければ出汁に浸かった鰹節を出されたときに「違う、そうじゃない」と言えたのになあ、つって。
人生、うまくいかねえモンデスキュー。
そんなわけで本日は『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』です。
◆ヒットチャートをかけぬけろ◆
シリーズ1作目『ベイビーわるきゅーれ』(21年) が公開されクチコミで広まりヒットして、わずか3年で早くも3作目。最近ではテレビドラマ版やドキュメンタリー映画まで作られる始末。商魂たくましいな。
ゆえにこの3年間、身近な人から「これ、『ベビわる』っちゅんすか? って、なんでこんな人気なんですかあ?」という質問をヤケにされる。
その時のあちきしの返しを意訳すると…
「ンーフーン? そいじゃ教えてあげようかな。アニメではよく見るけど日本映画にはありそうでなかったダラダラした百合トークと、海外映画ではよく見るけど日本映画にはありそうでなかったキレキレの高速ガン=カタ。わかるな? オフビートな日常シーンと、オンビートの戦闘シーンちゅこっちゃ。この2つが魅力の軸。な。ほんでオフビートからオンビートに切り替わる際のギャップ。な。この落差こそがヒットの要因ちゃうかな思てる。わかるな? 早い話が、この二本柱が足し算やのうて“掛け算”になっとんにゃわ。いわば弁証法的作品、ちゅこっちゃ。魅力と魅力がアファ…アフゥ…、アウフヘーベンしとんにゃがな。そこに、も一点つけ加えてもええんやったら、“映画”と“ドラマ”の中継地点をフィルム化した、ちゅうのが現代人の生理に合うたからこそヒットに結びついた、ちゅのが本質や思うけどな」
…という意味合いの返事になるのだけど、まあ大抵は「なにをいってるかぜんぜんわからない」とか「バウムクーヘン?」みたいにポカンとされてOWARI。
いずれにせよ、いくら言葉で説明したところで実際に見なきゃわからないのが映画なんだから「なんでこんなに人気なんだろ?」って思うぐらいには少なからず興味関心があるなら人に質問して頭だけで理解しようとするんじゃなくて家帰ってサブスク開いてさっさと見ろっつー話~。
ちゅうわけでシリーズ3作目。
宮崎県でバカンスを楽しむついでに暗殺任務をサクッと済ませるはずだった2人(髙石あかり&伊澤彩織)だったが、奇しくも同じターゲットを狙う野良の殺し屋と鉢合わせ、まさかの完敗を喫する…。
史上最強の殺し屋を演じた池松壮亮ほか、2人とチームを組む殺し屋協会宮崎支部の先輩役に元AKB48の前田敦子と、元テコンドー世界選手権日本代表の大谷主水が参戦。
前作を遥かにしのぐスケールでお送りする『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』。
良くも悪くも、さっぱり洗練されて、すっかりメジャー街道といった印象だな。
本作はどことなく、初期の粗削りなバンドサウンドに有名プロデューサーや作曲陣が一丁噛みしたことで一気にオリコンチャートを駆け登ってゆくアルバム、をおれに思わせた。エアロスミスの『パーマネント・ヴァケイション』みたいな。
奇しくも前作『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』(23年) 評で論じた「盛ってこその2作目に抵抗する“大きくしなかった”続編」とは真逆の指向性を持ったニンニクヤサイマシマシアブラカラメの二郎系ラーメンの味わいが、したですね。
◆ミートソース◆
なんだろなぁ。主演2人の据わりの悪さが気になっちゃって。
今度の舞台が“出張先の宮崎県”だからとか、にしては妙に匿名的な田舎の風景ばかりとか、そもそも阪元裕吾は風景撮れないとか、いろんな原因はあるんだろうけど、どうにも2人が馴染まないのよ。被写体として。画面に。
「あばばばばば」言いながらバナナボートでひっくり返って海辺を跳ねまわるMVみたいなオープニングでは無邪気に喜んでいたおれですし、その後の宮崎県庁での池松VS彩織の狭い廊下を使った銃の射線を通すための目まぐるしい技斗と駆け引きだってたっぷり楽しんだおれなんだけど、そのあとスン…って宮崎を感じなくなっちゃって。
スンとして宮崎死す、みたいな。
そもさぁ、『ベビわる』って本来シットコムで、シットコムとはとどのつまり“環境”で。
2人が部屋でダラけてるさまや、ダベりながら帰路に着く空間、それ自体が環境化され、ゆえに観客も2人と同じように弛緩し、見るに心地よく、笑うに気持ちよく、ついこの世界に居ついてしまいたくなる、脱力の伝播、グウタラの瀰漫をこそ持ち味とし、だからこそ2人が仕事モード(アクションシーン)に入ったときの緊張感や、その落差から生じる超絶怒涛の技斗に「カックイー!」と快哉を叫ぶカラクリになってるわけだが、今回はそこを悉く外してたかなぁ。
被写体と空間による環境の映画的造形。これに失敗してた。前田敦子と初会するカフェ。待ちぶせた池松の自宅。あと前田敦子が灰原哀の話をする廃墟。あの廃墟には律儀にソファまで用意していたのに。
このキメキメは好き(もはやMVとして)。
そして2人が馴染み損ねたスクリーンを簒奪したのが池松壮亮。
気が弱くて心根は優しいが、それゆえ仕事に対してはストイックで意識が高く、なるべく苦しまないよう効率的かつ迅速にターゲットを殺害し、その仕事ぶりを毎回ノートに自己採点して省察するような、およそヒップでフラッシーな悪役像とは真逆のキャラクターで。
役の解釈と肉付け、それを形にする構築力がムキムキの池松壮亮がすばらしい副旋律を奏でていた。
なんなら主旋律だったかも。
本職顔負けの身体能力や技斗の美しさも、伍して闘っているはずの彩織が“ちゃんとある種の必然性をもって競り負ける”というところまで表現した、じつに説得的なアクションだ。単に「ものすごいアクションこなしました」じゃなく、“役者 池松壮亮”を抜き身で突きつけてくるというか。
「ヒュッ!」ってなっちゃう。
おっちゃん、「ヒュッ!」ってなっちゃう。
もうおまえが『ラスト サムライ』だろ。
こんなどえらい敵キャラ創っちまって…。
この後どうすんのよ。
主演2人も決して悪くはなかったし、アクションパートに関しては完全に世界基準に達されました。タイとかインドネシアとか、あのへん。
特に髙石あかりのがんばり。前2作では「アクションパートは彩織ちゃんが引っ張ってくれるから、その分、あかりちゃんは日常パート頑張ってこ」とかなんとか言われたと思うんだよね監督に。たぶん。たぶんっつーか絶対言われたわ~。
でも今作では、これまで以上に技斗の量が増えていて。相当な努力と練習を積んだんだね。どうもありがとうね。
アクションがんばった髙石あかり。
伊澤彩織もアクションすごかった。
◆皮肉の箱に自意識の小箱を入れる二重メタ構造◆
アクションや製作予算だけでなく2人の百合感もスケールアップした本作。
前2作で女性ファンが増えたことでニーズが変化したのかもしらんし、元来ベビわるファンからすればイチャイチャ度が増すのは願ったり叶ったりかもしらんが、おれは少し胸焼けしてしまって、なんなら商売気すらそこに感じてしまって。
だってさ。「今日は溶けるまで甘やかせてやるよ」とかさ。
もうこのあとせっくすするやん。
せな辻褄合わんやん、とおれなんかは思うのだけど、たぶんネット民っていうかファンは「よきよき」とか「てぇてぇ」とか「えも~」と思うんでしょ?
だったら、まあ…ええんか。
そっか。
まあ、そこを差し引いてもダベりが弱くなったのはちょっぴり残念でした。
池松壮亮演じる史上最強の殺し屋相手に今度という今度は死ぬかもわからん…という作品のテンションだし、プロモーション的にも「完結編かもよ!?」という売り方なので、全体的に終始シリアスなんよね、2人が。前作のような記憶に残るダベりがなかった。
ドラマ版の『ベイビーわるきゅーれ エブリデイ!』も見てんだけどね、そっちは通常営業なのでダベりも冴えてる。酒で痴態を演じた彩織が「黒歴史だ。いや、歴史じゃないんだよなぁ…。現在進行形なんだよ。毎日黒歴史…。黒・現在進行形。黒現在進行形だ! 黒歴史とか言える人が羨ましい。黒将来…」とブツブツ呟くのは、白ダベり!
ドラマ版『ベイビーわるきゅーれ エブリデイ!』。
まあ、おもしろい台詞回しは幾つかあったけどさ。
特にメタ発言が多かったよね、今回。でもおれは根性わるきゅーれだから、たとえば…
「おまえら全員殺されるぞ! ヒャハハ!」
「なんかしょーもない邦画の敵みたい」
「邦画の台詞ってボソボソ喋るから聞き取りづらいよねぇ」
「それか大声で怒鳴るだけ」
みたいな会話劇のなかにも監督・阪元裕吾の自意識が多分に織り込まれていることが、まあ気になっちゃって気になっちゃって。
いかにも、我サイコ也、みたいな、わかりやすく狂った身振りでしか狂気を表現できない日本の映画/アニメ/漫画コンテンツの幼稚さを「しょーもない邦画の敵みたい」という一言で撃ちながらも「邦画ってボソボソ喋るから聞き取りづらい」という追撃がほかならぬ当シリーズの伊澤彩織その人へと向けられたブーメランになってて、ちょっとおもしろいナ。実際「ボソボソ喋っててなんつってっかわかんねーよ」という指摘は1作目から沢山あったのでね。
これって「とはいえ所詮『ベビわる』もここで言う“しょーもない邦画”の1本ってことですわ」っていう監督の自虐趣味、と捉えるファンが多いと思うんだけど、もしも阪元裕吾がおれと同等以上のひねくれ者だとしたら「っていう」まであると思うだよね。
とはいえ所詮『ベビわる』もここで言う“しょーもない邦画”の1本ってことですわ。…っていう自己批評によって“しょーもない邦画”の枠から抜け出そうとする自意識のコンゲームね。
皮肉の箱に自意識の小箱を入れる二重メタ構造、ちゅうかね。
それをやりかねないぐらい阪元裕吾はひねくれている(褒めてんで)。
現在28歳の超若手監督なので、おそらく世代的にも、意見を戦わせるインターネット掲示板世代ではなく、SNSっていうかTwitter世代ど真ん中で、そうした感覚がキャラクター造形や台詞回しにも照射していて。
おれはさぁ、匿名性が担保された掲示板で議論という名の口喧嘩に明け暮れた泥まみれ糞尿世代なので、Twitter特有の、たとえば「映画好きなのに〇〇見たことないの? みたいな価値観を押しつけてくる自称マニアさん、正直しんどい。何を見るかなんて自由でしょ」みたいな達観文化や冷笑文化を見るにつけ、ああ、よっぽど純粋培養された環境で育ってきたのかなぁ、なんて思うわけ。
自分を“こちら側(正しい側)”に置くことで、その領域からはみ出した者は自動的に“あちら側”ということにして一方的にレッテル貼ってこの勝負を“勝ったこと”にして悦に入るゲームね。
本当は勝負さえしてないのにね。
でも勝負なんかしなくても、イイネさえ集まれば勝った風に見えんのよ。一見。傍からは。それっぽいこと言ってる風に見えんのよ。核心ついた名言っぽく映んのよ。
オシャレなんだよ。
あと忘れちゃならねえ。思いがけぬ展開を迎えたホテルの駐車場でバリバリ銃撃戦をしながら、前田敦子が2人に向かって、つまりあれがこうなってそれがああなったからこうなったのよ! と事態を整理してやると、あかりが彩織に「理解した?」と訊ね、「えっと、だから…」と首を傾げながら一生懸命に考える彩織に、あかりが「要するにあいつをぶっ殺せばいいってこと!」とスーパー大掴みに現在の状況を要約する場面。
ここも二重メタになってて、「アクション映画に複雑な筋なんかいらない」という皮肉の箱に「筋立てとか好きじゃないし得意でもないから筋立ての必要性そのものをこの台詞によって失効させちゃいます」っていう自意識の小箱が入ってますな。
皆目見当違いだったら申し訳ないけど、おれ、なんか、たぶんわかるな、この人のこと。
たとえば自分が不用意な発言をしたとき、自らの失言を自ら茶化して「ってとこも含めて冗談ですやんか~」とすることで全てを帳消しにする、というか“帳消しにしたことにする”術というか。
ともに京都人ですなぁ。
話が逸れた。…べつに逸れてないか?
逸れてるよね。うん。ちゃんと逸れてる。
そんなわけで『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』。
映画単体としてより、一連のブームも込みでシリーズの変遷を辿ること自体が楽しく。
おれが劇場で観た回はなかなかの大入りだったけど、彼女に隠れて密かに『ベビわる』を楽しんでるイカつい見た目の兄ちゃんとか、毎晩ビール片手にNetflix見ることを癒しとする私ですが、みたいなお一人様女子が、なんかすごい良いなって。かわいいなって。
おれは映画批評とかしてる立場上、ベビわるファンからすれば白けることや艶消しなことも書かざをえない悲しきサイボーグボーイなんだけど、どうか君たちは…、君たちこそがおれの分まで「ええやんかー」ゆうて、「最高じゃんかいさー」ゆうてシリーズを盛り上げてってくれ。
アクリルスタンドを購入してくれ。
(C)2024「ベイビーワルキューレ ナイスデイズ」製作委員会