空想ガールと馬鹿豚ポップコーンが行く! わけのわからんデート。
2023年。レイチェル・ランバート監督。デイジー・リドリー、デイヴ・メルヘジ。
会社員の地味なガールの日常が地味に変わっていく中身。
ゴースト ゴースト ゴーゴー ゴースト
限りない宇宙に 限りないエネルギー
宇宙怪人ゴースト
たたかえば勝つ 必ず
腕に頼みのユーバンド
あふれる力はこれだ!
アランもケイトもついてこい
ピッキーおくれるな
ゴースト ゴースト ゴーゴー ゴースト
宇宙怪人ゴ~スト~
しもたっ! まだや思て「宇宙怪人ゴースト」のテーマ歌とてた~。ぽりぽり。
さ、やりましょか。
暑ぅなって、ムシムシして、梅雨やぁゆうて、今年もイヤな季節が訪れているよねえ。
けったくその悪いよぉ~~!!!
先日。PC、つまりパソコン、すなわちパーソナルコンピューターの前でぱちぱち執筆していると、目の前にコバエのような、羽蟲のような飛行昆虫がファ~、飛んどって、反射的に「殺そ」思て、両手でパチン! 叩くも空振り。まあええか思て執筆を続けていると、またぞろ俺の眼前を先ほどの飛行昆虫がファ~飛びよるから、両手でパチン! 叩くもまた逃げられ、ええか思て執筆、またぞろファ~、パチンして三振…。
いよよブチ切れた俺。何をしたか?
説教をした。
以下の文言は、かの飛行昆虫に対してそのとき実際に俺が発した言葉である。読んでも意味がわからないかもしれないが、気持ちだけはわかってもらえると思う。
「しつこいねん。最前から。おまえ。おちょくっとったら、いてまうど。俺の両手パチンを三度も潜り抜けたおまえは、なるほど大した飛行昆虫だ。たぶん今ごろ俺の死角から俺のこと見ながら『ははは。余裕。人間ごときの両手パチンを避けることなど朝飯前。つまり夕飯後。てことは真夜中に食べるカップラーメンなんだよね。何度パチンパチンしても、その掌が吾輩を捉えることは決してない。すべては無駄なのさ。真夜中にカップラーメンを食べたあとにする後悔のようにね』とかなんとかわけのわからんことを思惟して悦に入ってるんだろうが、よう考えよ? いかな俺がノーコンでパチンパチンしてるパチン子だとしても、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるとはよう言ったもんや。つまり試行回数さえ重ねれば遅かれ早かれ俺の掌はおまえを捉える。俺の実力、すなわち反射神経やエイムとは無関係にな。なんなら俺はおまえを目視してもいない状態で気違いみたいに両手をパチンパチンさせながら小林幸子と美樹克彦の『もしかして PARTⅡ』を夜っぴて歌い続けてもいい。するとどうなるか? 最初のうちはおまえに避け続けられるかもしらんが、やがては、おまえが『次の瞬間、左へ行くと見せかけて右へ移動しよう』と判断したタイミングと、俺のデタラメの掌が同じタイミングでその軌道上のおまえを仕留めうる空間にパチンする可能性だってあるわけですから、だからやがておまえは遅かれ早かれ必ず死にます。俺が無作為ランダム気違いパチンを続ける限りにおいてな。つまり今この瞬間、タカを括って余裕をこいてるおまえは、しかしこの俺に生殺与奪の権を握られている鏡の中のマリオネットなんだよ。おまえは氷室京介なのか? 氷室京介じゃないよな。ただの飛行昆虫だよな? だったらあまり舐めない方がいい。俺がその気になってパチンパチンをやれば早晩おまえは必ず死ぬわけですから、その点に留意の上、調子の乗る/乗らない、ええ格好する/しない、値打ちこく/こかないを判断して頂ければ幸いに存じますゆえ何卒ご理解ご了承のほど宜しくお願い申し上げて候って感じで。ええ」
こういう風に説教したわけです。
そしたらどうなったか!?
当たり前だが、どうもならんかった。
飛行昆虫は人語を解さないからね。でも、いんです。俺は満足なんです。
それに、あまりにパチンパチンを避ける飛行昆虫のことが、段々いじらしくなっちゃった。
「そうまでして、そうまでひょいひょい避けてまで、おまえは生きるというのか! 開闢以来2025年、令和の日本にて、まこと生の希求を俺は見ました。感動した。ありがとう」
そう思いながらパチンパチンやってると、どっかのタイミングのどっかのパチンで、やっと愛着を持ち始めた飛行昆虫が掌の中でフツーに死んでた。
なに死んどんねん。
そんなわけで本日は『時々、私は考える』です。
◆静謐なりきヒューマニズムの詩◆
かつて貿易と漁業で栄えたオレゴン州アストリアの港町にぽつねんと佇むしょぼくれた会社。そこに勤務するデイジー・リドリーは同僚との関わりを持たず、誰とも話さず、いつも独りで仕事をこなしていた。ではデイジーが社内で浮いた存在なのかというと決してそうではない。同僚たちは彼女の性格を察し、ただ誰もデイジーを気にしないというだけだった。
家と会社を往復するだけの生活。
…と聞いて、そんな日常を“単調”と形容するのは第三者であるわれわれの傲りっしょ。当のデイジー自身はべつだん現状に何らの不満はない。唯一むかつくことがあるとすれば、オフィスの窓から見える山の美景が数日前から港に停泊している忌々しいクルーズ船によって遮られていることぐらいだった。
デイジーの私生活は謎に包まれている。
毎晩、ピザのように切り分けた食べ物にオートミールのようなどろどろを掛け、それをレンジでチンして食卓に運び、窓の景色を睨みつけながら立ったまま食べる。窓外メンチ切り立食スタイル、とでも命名すればいいというのか。
食後22時には就寝して、早朝に出勤。
仕事中、デイジーは夢想する。森の中で、あるいは浜辺の流木の囲みの中で自分が死ぬ妄想を。そしてふと我に返って仕事を続け、誰とも話さず、家に帰ってよくわからないものを食う。
このようなデイジーのルーティーンが序幕20分、えらくゆったりしたテンポで延々と打ち続く『時々、私は考える』に「もう、私は見たくない」と時々おまえは考えるかもしれないが、それでも“退屈を楽しむ術”を心得た読者にだけ、本稿は密やかに語りかけよう。
『スター・ウォーズ』続三部作の主人公レイを演じたデイジー・リドリーが自らプロデュース/制作を務めた本作。
人見知りガールの、ゆくりなくざわめく平穏な毎日を見つめた静謐なりきヒューマニズムの詩。だが本作が詠む詩は蚊の鳴くような小声、はっきりいってモスキート音同然なので、よほど耳を澄ませぬことには何も聞こえてはござらぬよ。
ちなみに、おれはデイジー側の人間だし、デイジーの気持ちがわかるから、この映画のモスキート音が完璧に聞き分けられるよ♪
職場に新しい同僚デイヴ・メルヘジがやってきた。
映画好きのデイヴは出勤初日から皆と打ち解け、驚異的な早さで職場に馴染んだ。だがホチキスの針外しのことを知らず、「これはなに?」と仲間に質問、「なにって、普通にホチキスの針外しよ」と教えてもらうと「やっぱりな。知ってるさ。分かってて訊いた」としらこいことを言った。
なんやこいつ。
その後デイヴは、わからないことがあるたび社内メールを通じてデイジーにがんがん質問した。人見知りのデイジーだったが、メールなら普通に受け答えができるし、ホチキス知らずの新人が頼ってくれていると思うと嫌な気はしなかった。
この映画はふしぎな映画だ。デイジーに寄り添うカメラは、しかしデイジーの視感ショットのようにも思え、主観なのか客観なのかが次第に判然としなくなってくる。いわば一人称と三人称がない交ぜになった文章のような、デイジーに寄り添ったショットなのかデイジーから見たショットなのか、そのへんが和え物みたいになっている。デイジーの酢味噌和え、みたいな。
普段おれは、映画とか見てても感情移入しない人間だし、そもそも特定のキャラクターに感情移入することは自ら視野狭窄に陥って映画全域を見逃す行為に等しいから本来的に感情移入なんてしない方がいいわけだが、この映画に関しては移入を余儀なくされる。だってそういう作りだもん。
夜が更ける…。
新入社員のデイヴ。
◆バターポップコーン食うな◆
2日後、デイヴと廊下ですれ違ったことで世間話に付き合わされたデイジーが「町の映画館には行った?」とおどおどしながら質問すると、にこりとデイヴ、「まだ。今夜行くつもり。キミも行く?」なんて、さらっとデートに誘ったもんだから、おれ、デイジーの気持ちがわかるから「行くわけないやろドアホ」と予想したところ、デイジー「行く…」。
行くん!?
デイジー今夜デイヴといっしょに映画行くん!!?
そんなシネマな…。
おれの知らないデイジーがそこにはいました。ショックでした。
デイヴ「じゃあ映画館に19時で!」
なんじゃこいつ。
入社3日で女子社員デートにさそとるがな。
映画デートをプロミスした二人。
その日の夜、19時。映画館で待ち合わせた二人。「コーラを買うけど、キミは?」と訊ねたデイヴに、デイジーは「いらない」と答えたので、映画館の売店でデイヴ、「コーラとポップコーン。バターも掛けて」と自分の分だけ注文した。
たらふく食うやん。
ポップコーンまで注文してるやん。それだけでは飽き足らずバター掛けてるやん。より美味しく頂こうとしてるやん。
デイジーが「えっ、コーラだけ注文するんじゃなかったの? ポップコーンも注文するなんて聞いてない。しかも贅沢にバター掛け? そうと知ってたら私もポップコーン食べたかったし、そしたら私もドリンク欲しかったのに…」って思う可能性を考慮せずにコーラとポップコーン(+バター)頼んで自分だけ楽しもうとしてるやん。
なんやねんこいつ…。
デートに誘った女性をさしおいて、自分だけバターポップコーンもりもり食べて、自分だけ渇いた喉をコーラで潤そうとしてるやん。お腹いっぱいなろうとしてるやん。貪欲の権化か。食の化身か。
そも、映画好きのデイヴが飲めや食えやの酒池肉林鑑賞をして、映画を趣味としないデイジーが飲まず食わずのまじめ鑑賞って…逆やねん。映画好きほど飲食しながら鑑賞せえへんねん。気ィ散るから。集中でけへんから。ポップコーン食べながら映画を見てる時点で“ながら見”、つまりミーハーの身振りやねん。本当に映画が好きなら先に食べてくんねん。せやのに、こいつ…。
ポップコーンにバターまで掛けて!
ぜ~んぶ一人で平らげて!
そんなわけで理解不能の映画デートを終えてデイヴ、「お腹すいたやろ? ごはん食べにいこ♪」とデイジーを誘った。
ポップコーンでは飽き足らず?
バターポップコーンぺろっといって、まだなんか食うんか、こいつ。そう言ってデイジーを連れていった先は深夜までやってるパンケーキ屋。
塩辛いのんいったあと甘いのんいこうとしてるやん。
夜にパンケーキ食うなよ。だって19時に待ち合わせて、映画見て、店行って、たぶん今22時ぐらいやろ? なにを22時からパンケーキ食うことがあんねん。インスタ女子かおまえ。
謎の深夜営業のパンケーキ屋でデイヴはデイジーに話しかける。
「さっきの映画、よかった?」
「ダメ」
「どこがダメ? 僕は気に入ったけどな」
「いいところがなかった」
「…………」
ガハハ! 言われてやんの!
うける。ぜんぜん会話弾まねえでやんの。ざまぁ味噌漬けだバカヤロー。自分だけポップコーン食うからや。
その後、デイジーから「なんで映画が好きなの」と難しい質問を投げられ、「なんでって…、好きだからさ。物語から本質を見つけ出す」、「物語から本質を見つけ出すことが好きなの?」、「まあ、そうさ…」などと上滑りの会話を続けるふたり。デイヴは「いまいち盛り上がりに欠けるな。なんでやろ…」と困惑した。
ポップコーン食うからや。
会話はポップしない。
ふたりでパンケーキをつついたあと、デイジーを家まで送り届ける道すがら、デイヴは不思議な持論を展開した。
「カッパを着る人が嫌いだ。雨のなか傘を差さないなんてヘンだよ。それなのにカッパを着る人は決まってこう言う。『カッパがあれば傘はいらない』。頭がおかしいよ。殺人鬼並みにヘンだ。絶対にバンで人を誘拐してるに違いない」
こいつ、ほんま…わけのわからんことをくちゃくちゃくちゃくちゃああああ!
ほんでそのあとデイジー、「私は傘を差さない…」つって余計に気まずい空気になるからな。ガハハ!
ほんまになんやねん、こいつ…。イライラ通り越してドキドキしてきたわ。
おれ、デイヴのことが何もわかりません。
思えばホチキスの針外しの使い方を聞いて知ったかこいてた初出勤のときから予兆はあったけどな。初デートの女性を尻目に自分だけ勝手にポップコーン買うて、オプションでバター付けて。夜なのにパンケーキ食うて。イキって「物語から本質を見つけ出す」とかわけのわからんこと言うて。ほんで脈絡もなくカッパ着用者を急にディスって「頭がおかしい」、「バンで人を誘拐してる」。
どんなデートやねん。
殺人鬼並みにヘンなのはおまえのデートプランやろ。
これにはさすがのデイジーもうんざりしたかと思いきや、後日、勇気をふりしぼって「今夜、予定は?」と自分の方からデイヴを誘った。
魅了されてるやん。
なんでやねん。どこにその要素…あったか? 魅了されポイント。「いいな」と思ってるやん。何がどうなってそうなんねん。すれ違い倒しとったぞ。
まあ…、夜は更けますっ。
◆パスタ残してるやん◆
二度目のデートはデイヴの家。
はや。二回目のデートでもう家?
デイジーを自宅に招いたデイヴは、キッチンから持ってきた薄汚いフライパンをデイジーに見せ「ねえ、これでパスタを茹でられるかな?」と訊ねた。
知らんがな。
それでパスタを茹でられるかどうかはおまえ次第やろ。それともアレけ、通常パスタを茹でるには鍋が相場だけどフライパンでも茹でられるか否かを問うたシンプル・クッキング・クエスチョンだったのか?
茹でられるわ。
鍋でもフライパンでも、どっちでも茹でられるわ。とっとと茹でろ。
デイヴがパスタ茹でをしている間、部屋を探索していたデイジーが映画サントラのレコードを眺めていると、キッチンの方からデイヴが「昔買ったソースでいいかな? スーパーに寄る時間がなかったんだ。味の保証はないけど。あ、音楽かけて」と言った。
賞味期限見ろよ。
そもそも昔買ったソースでパスタ作んな。人に振る舞うのに。
ほんで昔買ったソースの可否をデイジーが下す前にコロッと話題変えて「音楽かけて」なんて矢継ぎ早に要求すな。カスかこいつ。
おれが一番むかついたのは「スーパーに寄る時間がなかったんだ」、「味の保証はないけど」っていう言い訳クッションをふたつも敷いてるあたりね。
もしお腹を下しても「だからあんとき言ったじゃん。僕は悪くないよ」のヨギボーすごいな、おまえ。
とてもじゃないけど女性を家に招いてクッキングしてる男の身振りとは思えない。賞味期限きれてヤバいかもしれない“昔買ったソース”をどうしても使いたいからといってクッション2個用意してるやん。
一か八かやん。
最終的に“昔買ったソース”で作ったパスタを食わされるデイジーからしたら一か八かやん。お腹下してえらい目に遭うか、お腹は下さないけど劣化してるから味はそんなに…の、いずれにしても何の得もない丁半やん。
邪悪なパスタを茹でてる間、デイジーはデイヴに連れられ「ここはリビング。あそこが裏庭」とか「あれが洗濯機。トイレは二階」とか、いちいち言われずとも見たら分かるようなことを説明されながら強制退屈ルームツアーの客となり、「うわあ、デイジー可哀想…。早く逃げて」なんて俺が思ってると、なんとデイジーが唐突にデイヴにチュー。
魅了され尽くしてた。
なんで? チューしてるやん。
もうこうなってくるとデイジーの方も変やろ。でも、そうか。なるほど。変人同士の恋愛ってことか。互いにどこかズレてる。だからこそズレとズレがうまい具合に噛み合って逆に床ズレが起きないみたいな話か、これ。
場面転換して食後のリビング。ソファでぐったりするふたり。傍らにはパスタの残った皿。
パスタ残してるやん。
やっぱ美味しなかったんやん。
ここでデイヴは離婚歴があることを明かした。「実は結婚していた。若いときだ。ずっと昔の話さ」。
バツイチやった。
とはいえ、デイジーとさらに関係を深める前に自分から切り出したのは偉いとおれは思う。デイヴも言いづらかったはずだ。まあ「若いときだ。ずっと昔の話さ」ってあたりが言い訳がましいというか、大昔の若気の至りだから実質ノーカンね、と言っているようで若干ふてこいが、それでも自身の離婚歴を偽ることなく、それも割と早いタイミングで打ち明けたのはオネスティですよ。ビリー・ジョエルばりに誠実ですよ。
「二度目は最近だ」
バツ2やないか。
ええ加減にせえよこいつ。 褒めたん返せ。二回離婚してた。宇多田ヒカルと互角やった。
バツ2やのに自分だけポップコーンにバター掛けてうまうま食うとったんか。バツ2やのに昔買った味の保証はないソース使こてパスタ作って、ほんでパスタ残したんかっ!
バツ2をカミングアウトされたデイジーは、よその子たちが対戦しているべイブレードを「私、持ってないからようわからんけど」みたいな目で傍観するクラスの隅っこの子みたいな顔をしながら聞いていた。
おまえもおまえでなんやねん。
パスタ残してぐうぐう寝るデイヴと、よその子のベイブレード見てるクラスの隅っこの子みたいなデイジー。
もぉ~~~~!!!
デイジーの内面、その精神世界に釣瓶を落とすことで深化しゆくサイコロジカルな映画評、みたいな大人向けのしっぽりした記事を書くつもりだったのに、気がつけばデイヴを腐しただけで終わっちまったじゃないのさ~。
このバツ2の馬鹿豚ポップコーンが!
一個も映画評してませんやん。ただただデイヴの狂的生態を暴いただけだった。ガックシ。
…まあ、ぜんぶデイヴのせいにして「もぉ~~」なんて言うとりますが、ただでさえ静謐な映画ゆえ、サイコロジカル路線で大まじめに書いたら書いたで、たぶんガチトーン難文の真剣批評になっただろうし、そうなると読者を無視した“狭い記事”になるだろうから、あえて関西弁の口語文で薄っすい浅っさい筋紹介に留めた、というのが本当のところではあるんだけどね。
わざわざ言わなくていい事柄をいま言ったけど。
映画はこのあとも続くが、果たしてこんなデイヴとどのように関係性を発展させながらデイジー、死の妄想に取り憑かれた毎日を彩るのか…というあたりが見物ですよ。
映画は自意識過剰なまでに丁寧に作られている。
ドアが開いたときだけ入ってくる港のカモメの鳴き声。社内にこそこそと響く同僚の話し声。人見知りならではの、みんなの輪に交らないからこそ周囲の会話が鮮明に聴こえてくる…という音響効果の妙。
デイヴとのデートを終えた独りの自部屋で床に突っ伏してもぞもぞするデイジーに月光とも朝日ともつかぬ光がカーテンの隙間から差し込む。その抽象空間はデイジーの精神世界か。もぞもぞはデイヴを思いながらのマスターベーションか、あるいは自分とのセックスか。
死を疑似体験するアメリカ版人狼ゲームみたいな素敵な催しや、器用に殻を割ってカニを食べる食事風景といった、至って素朴なメタファーでデイジーの人物造形、その裸形性に肉薄しようとする洒落っ気のなさもいい。
そして“ドーナツの差し入れ”。
これはもう映画をご覧なすってください。たったこれしきのことで世界はクリアに開かれゆく。デイジーの日常はレコードのように回転する。
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