シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

暗黒街の顔役

ギャング映画の原点。そこらじゅう✖だらけだが完成度は◎。

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1932年。ハワード・ホークス監督。ポール・ムニ、アン・ヴォーザーク、ジョージ・ラフト。

 

N.Y.の南地区を仕切るギャングのボスが殺害される。犯行は、新興ギャング・ジョニー・ロボに寝返った用心棒トニー・カモンテによるものだった。トニーはその後、ロボの片腕となり、銃と暴力の力で勢力を伸ばしていくが…。(映画.comより)

 

おはようございます。音楽の話がしたいです。でもしないよ。

本日は『暗黒街の顔役』だよ。手前味噌ですが、まあまあ読み応えのある評だと思っているんだ。とはいえ「読み応えがある」というのはオブラートに包んだ表現であって、ありていに言えばおよそ次の通りです。

読み応えがある=ボリューム満点=激烈なる長文=ダルい。

言い直します。本日はダルい評です。ともに6000字を駆け抜けましょう。

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◆ギャング映画の原点にして到達点◆

1927年。サイレントからトーキーに移り変わったことで、ふたつの映画が隆盛を極めた。ひとつはミュージカル映画で、もうひとつがギャング映画だ。

映画が音を獲得したことでミュージカル・ブームが到来したというのはわかるが、なぜギャング映画までブームになったのか。

理由は3つあって、ひとつはさまざまなキャラクターが犇めきあって複雑な勢力図を描き出すギャング映画は「台詞(音声)」がなければなかなか成立しないからだ。実際、サイレント期に作られたギャング映画はジョセフ・フォン・スタンバーグの『暗黒街』(27年)だけだったが、台詞を獲得したことで複雑なプロットが可能になったトーキー以降はギャング映画がアホみたいに急増した。

二つめの理由は、禁酒法の施行によって犯罪組織が急増したという時代背景が挙げられる。映画は時代を映す鏡なのでね。

そして三つめの理由が1929年に起きたウォール街大暴落。つまりアメリカ社会が闇に覆われていた時代に、人々は現実の苦しさを忘れようとして映画館にビャーッと駆け込んだ。夢を売るミュージカル映画とインモラルな快楽を提供するギャング映画は、まさに社会的困窮の反動として産み落とされたのである。


この時期にギャング映画の基礎を築いたのは『民衆の敵』(31年)『犯罪王リコ』(31年)、そして『暗黒街の顔役』の3本。

なかでも未だに根強い人気を誇っているのが本作で、ハワード・ホークスの名を一躍有名にした。私のように『スカーフェイス』(83年)のリメイク元と知って後追い的にご覧になった人も多いのではないかしら。

ちなみに本作の主人公はアル・カポネをモデルにしており、ホークスはこの映画を観たカポネから「自分、めっちゃおもろい映画撮るやん」と激賞されたらしい。ところが劇中では「近親相姦」「師匠殺し」といった際どいエピソードを盛り込んでいて、最後は主人公がぶざまに射殺されるというフィクションで締め括っている。もしカポネが本作を観てぶち切れてたらホークスは殺害されていたかもしれないのだ。

ホークス…、あんた命知らずにもほどがあるよ。

おまえはヒトラーが現役バリバリの頃に『独裁者』(40年)でナチズムを風刺したチャップリンか?(ちなみにヒトラーは『独裁者』を二度鑑賞して「おっほ」と笑ったらしい)

f:id:hukadume7272:20181217094455j:plain伝説のマフィア、アル・カポネ(左)と『アンタッチャブル』でカポネに扮したロバート・デ・ニーロ(右)。


◆間に合った天才 ハワード・ホークス◆

本作は若きギャングのポール・ムニが敵の大親分を殺し、自分の大親分も殺し、相棒まで殺しながら裏社会でのし上がっていく…という殺しまくりエンターテイメントである。殺人もここまで度を超すとエンターテイメントだろ。


最近、個人的にホークスを再研究しているのでずいぶん久しぶりに観返したのだが、やはりとてつもなく面白い。よう作られたあるわ『シネ刀』で研究発表する予定はないので安心してね)

ギャング映画といえば『ゴッドファーザー』(72年)『スカーフェイス』『アンタッチャブル』(87年)『グッド・フェローズ』(90年)あたりが定番だが、そうした作品に見られるマフィア映画のパターンがすべて網羅されているのが本作。まさにクラシック。

とかくクラシックというのは現代の感覚で見ると「古臭い」と感じるものだが、そもそも「古臭い」と感じてしまったクラシックなどしょせんマガイモノ。

本物のクラシックとは長い年月をかけてより輝きを発するのである。

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ギャング映画の代表格『スカーフェイス』(左)と『ゴッドファーザー』(右)。どちらもアル・パチーノ。


惚れ惚れするようなクレーン撮影やディゾルブ。スタイリッシュという語では追いつかないほ流麗なカッティング。ユニークな仕草で細やかに感情を重ねていくポール・ムニは暴虐の限りを尽くす悪党だというのにどこか憎めず、二人のミューズも特権的な美をまとって物語進行の大きな役割を担っている。

また、機関銃や軋るタイヤの音も迫力があってすばらしいのだが、何といってもポールが人を殺す前の口笛が印象的。ファーストシーンでは影だけ映った男がハリー・J・ヴェハー演じる大親分を暗殺するが、この姿なき暗殺者の口笛によってその正体がポールだということが後にわかる…という仕組み。まさにトーキーをフル活用した音演出であるよな。

そしてこのファーストシーンは約4分間の長回しが使われている。ホークスが長回しを使うのは珍しいので、このショットは5回ぐらい巻き戻して観た。


現代人の感覚にあっては「大昔の映画は迫力がない。正直ヌルい」とする向きもあろうが、『暗黒街の顔役』は凄惨な暴力に血塗られている。

この映画が幸福だったのは1932年に製作されたこと。1934年にヘイズコードが施行されてセックスやバイオレンス描写が規制されるので、いわば本作は間に合った暴力映画。そしてホークスもまた間に合った天才なのだ。あと2年遅ければ確実にイかれてたからね。

アクションシーンもずいぶん派手で、とりわけ現代の映画よりもスピードを出したカーチェイスには驚いてしまう。この時代の映画にチェイスシーンがあるだけでも珍しいのに(基本的にスタジオ撮影なので)、夜間ロケで猛スピードを出して抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げるのだ。

現代映画やん。もはや。

車ごと店に突っ込んだり、壊した消火栓から水が噴き出したりして、最後は車が落下してスクラップになるのである。

現代映画やん。だから。

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強力な機関銃を手にしたポールがいよいよ調子に乗って敵対勢力の大殺戮に乗り出す「殺しの季節」は、なんとも奇想天外な省略技法によってサラっと処理される。

日めくりカレンダーと機関銃をディゾルブして、銃の連射に合わせてカレンダーが次々とめくれていくのだ。

機関銃、ダダダダダダダダ!

カレンダー、バラバラバラバラ!

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おしゃれやん。

このショットひとつで瞬く間にポールがのし上がっていったということが端的に表現されているわけだね。なんぼほど映画脳が発達したらこんな演出を思いつくのか。

一を語って十を伝えるような経済的説話によって引き締められた本作は、その内容の充実度に反して上映時間はわずか93分

ごっつ短いやん。

ちなみに本作をリメイクした『スカーフェイス』170分。ギャング映画の最高峰と名高い『ゴッドファーザー PARTⅡ』(74年)に至っては200分である。ごっつ長いやん。

格の違いが一目瞭然であろう。

私はギャング映画マニアなので、デパルマの『スカーフェイス』もコッポラの『ゴッドファーザー』も大好きだが、どうしてもホークスと比べねばならないとしたらこの名匠たちですら二流と言わざるをえない(好きなのにヒドいこと言ってるやん)

もちろん『スカーフェイス』『ゴッドファーザー』も相当よくできた作品ではあるけれど、ホークスの映画はひとつ次元が違う。「どちらが巧いか」とかそういう話ではなく、ホークスはただ混じり気なしの映画を撮るのである。デパルマやコッポラとはレベルが違うと言っているのではない。レベルの話はしていない。

次元やん。

そもそも次元が違うねやん。

したがって「映画を知りたければホークスを観よ」という大胆不敵な捨てゼリフを吐いてこの章は締めるとしよう。


◆電話番ヴィンス、あるいは笑いと涙のテロリスト◆

本稿の最後にはとっておきの論考が控えているので、その前に少し寄り道話を。

脇役に注目したい。

まずは女優陣なのだが、この映画にはヒロインが二人いる。これはちょっとした事件だ。

普通ヒロインは一人だし、ましてやギャング映画ともなればヒロイン不在というケースも珍しくないのだが、本作には二人いて、一人はポールが自分の親分から略奪したカレン・モーリーという恋人。どえらい別嬪さんである。

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パッと見は大女優っぽいが大成しなかった。脇役としていくつかの映画に出演したのちに消滅する。

 

いま一人はポールの妹アン・ヴォーザークで、この女が本作の裏側を紐解くキーパーソンになっているかもしれないよ。

妹のアンは兄ポールによって男とのデートが禁じられ、露出の多いドレスを着たり夜遊びでもしようものならバチクソに怒られる。妹がよその男とダンスしているところを目撃したポールは火の玉になってその男に殴りかかり、アンを家に連れ帰ってガミガミ説教するようなシスコンギャングなのだ。

この妹への倒錯した愛『スカーフェイス』でも踏襲されているが、兄アル・パチーノによる妹メアリー・エリザベス・マストラントニオへの束縛は、辛うじて恋盛りの妹を心配するあまり つい口出ししてしまうアニキという常識的な範囲におさまっていた。

だが本作のポールは明らかに異常。妹思いというレベルを越えて、もはや近親相姦願望すら感じさせるほどの執着ぶりである。

そのうえアンが兄に会いにきたオフィスが警察に包囲されて銃撃戦に発展するラストシーンでは、あれほどポールに反発していたアンが兄のために機関銃にせっせと弾を込め、挙げ句に流れ弾を受けて死ぬ行く際には兄の腕に抱かれたまま昇天するのである。

もちろん直接的には描かれないが、これは近親相姦の成就にほかならない。

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まるまるとしたお目々で兄を睨みつける妹アン。


もう一人おもしろいキャラクターがいて、ポールの秘書であるヴィンス・バーネットを紹介させて頂きたい。よろしいか。

彼も一応ギャングではあるが電話番としてポールにこき使われており、しかもロクに電話も取り次げないような無能まるだし男なのだ。

ポール「誰からだ?」

ヴィンス 「忘れてしまいました…」

ポール「メモしてないのか!?」

ヴィンス 「字が書けません」

ポール辞めてしまえ

電話番なのにとにかく電話が取り次げない男。しまいには癇癪を起こしてピストルで黒電話を撃とうとするようなポンコツ一等賞。

電話応対している最中に敵勢力からマシンガンの奇襲を受け、ようやく敵が去ったあとにポールに向かって「銃声がうるさくて聞き取れませんでした…」と答えるシーンがなんとも可笑しい。当のポールは「電話なんかどうでもええわい。死にかけとんねん、こっちは」とご機嫌ななめ。もはやコント。

そんな電話番のヴィンス、オフィスが警察に包囲されたラストシーンで外から撃たれた銃弾がドアを貫通して腹に当たってしまうのだが、深手を負ったにも関わらずドアのカギはしっかり閉める。

えらい。

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カチャ。

 

ヴィンス、一世一代のカギ閉め。

ようやくダメっ子ヴィンスがいい仕事をした。クソの役にも立たなかったヴィンスが初めて気の利いたことをした。まぁ、ただカギを閉めただけのことなのだが、これだけでも感動を覚えるぐらいマジで何ひとつ満足にこなせないポンコツだったのだ。

鍵を閉めてほうほうの体で二階に上がると、憔悴した顔で佇んでいるポールの脇で電話がリンリンと鳴り響き、ヴィンスは撃たれた腹をおさえながら電話ににじり寄って受話器を取る。

「ポ…、ポール兄貴。カレンさんからお電話です…」

そしてこう呟いて絶命する。

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ヴィンスぅぅぅぅぅぅぅぅ!

 

先方の名前を聞いた端から忘れる、メモしようにも識字能力なし、敵からマシンガン撃たれてるのに電話を取り次ぐことに必死で「もっと大声で話してくれるか! 今こっちマシンガン撃たれてて聞こえねえんだわ!」とか言ってたポンコツヴィンスが最期の最期でようやく電話を取り次いだぁぁぁぁ。

で、死んでゆくぅぅぅぅ。

取り次ぐだけ取り次いで死んだぁー。

もはや「笑い泣き」なのか「泣き笑い」なのかという先後関係を曖昧にしたまま、私の顔面は涙と笑いのテロリストにやられてしまいました。

誰よりも電話応対を苦手としていたヴィンス…、携帯電話が普及せし21世紀では確実に生きていけないであろうヴィンス…、カギの閉めっぷりにかけては他の追随を許さないヴィンス…。

俺はおまえを忘れない。少なくとも年内一杯は忘れない。

 

◆恐怖の✖サイン◆

ようやく最終章です。ここまで読んでくれるなんて、ご苦労さんです。

前章で「最後にとっておきの論考を用意している」などと大口を叩いてしまったが、まぁ普通に観ていれば誰でも気づくような単純な話である。


誰かが死ぬ瞬間には十字架とも取れる✖印が画面のどこかに刻印されている。


ポールが大親分を暗殺するファーストシーンでは画面左の窓木の影が十字架を模っている。

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病院での暗殺シーンでも画面左に✖印の影が浮かんでいるのがお分かり頂けるだろうか。

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路上で死んだ男には標識の影が描いた十字架がぴったりと重なる。

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そしてポールが相棒のジョージ・ラフトと妹が極秘結婚したことを知り、激怒して相棒を射殺するシーン。

ドアを開けたジョージ・ラフトの背後には光が模った✖印がくっきりと映りこんでいる。

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✖もしくは✚。

このクロスは死を意味するモチーフとして、いわば死神のようにフィルムの全域に不吉な影を落としている。

トドメはこのシーン。

クロスを模る木にクローズアップしたカメラがゆっくり後退していくと、そこには7つのクロスが横並びになっている。そのままカメラがティルトダウンすると、ホールドアップした7人の男の影。けたたましい銃声が瞬く間に7人の命を奪い去ると、今度は天高くティルトアップしたカメラが再び7つのクロスを捉える。フェードアウト…。

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7つの✖印は7人を消すということ。

実際、射殺された多くのキャラクターは「両手を広げて足を揃える」という姿勢でクロスを描いたまま死んでいくのだ。

この映画の原題は『Scarface(傷のある顔)』で、その名の通りポールの顔には切り傷の痕があるわけだが、この傷痕も十字架を模っている。

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見えづらかったら、それはごめん。

 

ところが、刑事に命乞いをしたポールが隙を見て逃げ出したところを警官が仕留めるラストシーンでは、ぶざまにも暗黒街の顔役は真一文字に路上に倒れて絶命するのである。

両手を広げて足を揃えた「十字のイメージ」ではなく真一文字というところがポイント。

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なれの果て。


十字架とはキリストの死の象徴であると同時に、愛と正義の交差点でもある。

出世のためなら平気で仲間を裏切るポールには愛も正義もない。この男に十字架的な死など贅沢なのだ。だから十字のイメージも与えられぬまま、ドブネズミのように背中を丸めてみじめに朽ち果ててゆくのである。

もちろん最後のショットは『スカーフェイス』で有名なあの皮肉の文言。

The World is Yours.(世界はあなたのもの!)

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