シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

【祝】50回突破記念として自己紹介しますわ【呪】

ハロー。いつも『シネマ一刀両断』を読んでくださってアリス(「ありがとうございます」を打とうとすると誤字しそうになるので、これからは「アリス」と省略することに今決めた。覚えておいてくださいね、このルール

 

50記事突破記念として自己紹介しますわ。

 

①自己紹介したくない

いきなりこんなことを言うのもなんだが、「自己紹介」というものに対して私は疑問を持っている。自己紹介なんてする奴はバカである可能性が高い

自分が何者かについて理解している人間がどれだけいるだろう。あるいは、自分が何者かについて一番わかっていないのが自分というものではないのか。だから人は他者と交流し、社会を生きることで「自分を規定しうる他者の目線」を獲得しようとするのではないか(人はこれを客観性と呼ぶ)。

少なくとも私はそうだ。私は私の思う莫迦げた思惟を此処にて開陳し、それを受け取ってくれた他者によって私が何者であるかを決定してもらう。
「私は何者か?」なんて私の問題ではないし、知ったことではない。

私と関係した他者の捉え方次第で、私は如何様にも姿を変えてあなたの前に現れるだろう。ほらね! こんな具合に!

 

…というのが自己紹介不要論者である私の本音の戯言なのだが、こうも言ってられない事態に直面した。
読者の方から「おまえは何者なんだ?(大意)という旨のメッセージをいくつか頂戴したので、そろそろというか、いよいよ自己紹介ぐらいしておいた方がいいような気がしてきたのだ。

というわけで今回は自分語りに終始します。あなたにとって何の益にも得にもなりゃしないったらありゃしない、完全無欠なるオレオレトーク

「筆者のおまえには興味ねえよ。映画のレビュー書けよ。豚骨で頭叩くぞ」と思う人がいるかもしらんが、諦めてくださいね。叩かないでくださいね。特に豚骨では。

豚骨で頭を叩くなんてひどすぎるだろ!

やめろ!

 

泣いてシネマを斬った過去

というわけで、私の世界へようこそ。

私ふかづめは、約50日前に初めてブログを始めた青二才の鼻たれブロガーといえる。
50日経った今なお、はてなブログの使い方がまったく分かってないので、コンコンチキのすっとこどっこいみたいな痴態を演じているかもしれません。何卒ご容赦ご勘弁のほどお願い・お慕い・お祈り申し上げたく奉り候って感じで。ええ。

わたくし、当ブログ『シネマ一刀両断』を始める前は、方々のSNSや映画レビューサイトで、かれこれ10年以上に渡って約3000本の映画をぶった斬ってきたシネマの辻斬りでござる。

シネマの辻斬り…映画とあらば見境なく観て、ケチをつけたり揚げ足をとったりブー垂れたり、ときに喜びすぎて失禁したり怒りすぎて失神などする救い難き人種。私もそうだが、評論なんてしている人間は一人残らず地獄に堕ちる。

ゆえに、映画の返り血を浴びすぎて皮膚の色クリムゾン。遠目から見れば「赤鬼なのかな? でも赤鬼にしては痩っぽっちだな」って思われるぐらいクリムゾンそんなルックスをしてますね、私は(このブログのテーマカラーである映画の血を表現しています。まぁ、こじつけですけど)。

とにかく、これまでに色んな映画をめったやたらに斬ってきました。泣いて馬謖を斬るなんて故事成語があるけれども、そのシネマ版というか、だから「泣いてシネマを斬る」ですよね。


ところが、他のSNSでずーっと続けていた批評活動が飽和化っていうか、行き詰ったので、友人に相談したところ「思いきってブログでも始めたら? はてなブログがいいらしいよ。気持ちよくなれるし、頭も賢くなるというよ」みたいな口車にまんまと乗せられて当ブログをぶっ立てた次第でありますれば、何卒ご愛顧ご贔屓のほどお願い・お慕い・お祈り申し上げたく奉り候って感じで。ええ。アリス
また、このブログに上げている記事は、過去に書いたレビューのアーカイブを母体に、可能な限りもう一度その映画を観返して、大幅に加筆修正したものも含まれています(とはいえ原型を留めぬほど書き直してるから毎日けっこう大変。世の映画ブロガーたちは日夜こんな不毛なことをしているのかと思うと脱帽。そして着帽)。

 

私は映画と同じぐらい映画評論も好きで、評論の可能性について日々研究しておるよ。
この10余年、幾度となく文体を変えながら様々な評論スタイルを模索してきたのだけど、模索しすぎてついにわけがわからなくなりました。アリス。
映画評なのに映画について一言も触れなかったり、架空インタビューをでっち上げたり、2000文字ワンセンテンスで映画評を書き上げたりなど、飽くなき実験精神で映画評の限界に挑み続け、そして燃え尽きた
まったく正気のSaturday Night。
ロジャー・イーバート、ポーリン・ケイル淀川長治蓮実重彦町山智浩といった高名な映画評論家の影響を多いに受け、「彼らのスタイルをぜんぶ合体させたら最強になれるんじゃないか」という悪童のごとき発想に至った結果がこのザマ。

 

③好きな映画や監督など

好きな映画は、ひとつだけ欠点のある映画、謙虚で品のいい映画、謙虚で品のない映画、「多分あかんやろうけど、俺はこれがしたいんや」というワガママを通した映画、度を越した駄作など。

基本的に天才の作品バカの作品以外はあまり興味ありません。

 

好きな映画を時代別に分けると、30~50年代のアメリカ映画、または60~70年代の映画全般に密集しています。ちなみに80年代の映画は一番ナメてます(ショットが弱い=画が軽いので好きになれない)。

 

好きな監督は、ハワード・ホークスビリー・ワイルダールイス・ブニュエルイングマール・ベルイマンロバート・アルドリッチフェデリコ・フェリーニサム・ペキンパーシドニー・ルメットアレハンドロ・ホドロフスキージョン・カサヴェテスクリント・イーストウッドルイ・マルロマン・ポランスキーウディ・アレンブライアン・デ・パルマデヴィッド・リンチジム・ジャームッシュクエンティン・タランティーノなど。

日本映画だと小津安二郎溝口健二木下恵介鈴木清順伊丹十三。最近の人だと石井裕也、5年前までの園子温など。

 

「過大評価されてるのでは」と警戒している監督は、リドリー・スコットマーティン・スコセッシヴィム・ヴェンダースティム・バートンクリストファー・ノーランなど。

 

観ると拒否反応を起こすアレルギー監督は、フランク・キャプラフランソワ・トリュフォーテレンス・マリックハーモニー・コリンソフィア・コッポラ(克服中)、ギャスパー・ノエ、山田洋二、岩井俊二など盛り沢山。

 

とりあえず生涯BEST映画を3本挙げるとすれば、明日に向って撃て! 』(69年)ホーリー・マウンテン(73年)狼たちの午後(75年)と相成ります。

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6年前に作った「生涯ベスト映画TOP30」ではホーリー・マウンテンが堂々の一位に輝きました。おめでとうございます。

 

 

④レビューリクエストについて

あ、あとですね、レビューリクエスについてもご質問を頂いていたので、これを機にお答えいたします。
レビューリクエストは受け付けます。疲れきった受付嬢の何を考えてるのかわからないような無表情で受け付けたいと思います。
「おいボケ。この映画や監督について語れ」とかヌーヴェルヴァーグについて特集しろ」など、要望・命令・脅迫等ありましたら、当ブログのコメント欄に書き込んで下さってもいいですし、念を飛ばしてくれても構いません
可能な限りお応えしていきたいという気持ちだけはあります

 

あとは、そうだなぁ、何について語ろうかしらね。

我が魂にタトゥーとして彫り込んでいる「映画についての私の十ヶ条」でもドロッと発表しちゃおうかしら。誰の得にもならないけど。

以下はあくまで映画に対する私なりのスタンスであり、「こうせえ」といって他に強いるものではございません。

というか、ここからはひたすら長ったらしいのでもう読まなくていいです。もう充分です。充分アリス

老犬みたいに暇を持て余した方、もしくは映画に対する暑苦しいまでの何かを持っている方はどうぞ。スクロールどうぞ。

 

⑤映画についての私の十ヶ条

 

【1、古い映画を観ない理由などない】

映画史という学問があるように、映画はれっきとした歴史。ゆえに今の映画を知ろうと思えば、まず昔の映画を知るしかない。
20年前、50年前、100年前…。そうやって遡っていくと、結局サイレント映画に行きつく。
幸いなことに、映画は芸術の中ではいちばん若い。たかだか120年ちょっとだ
モノクロ映画を「古い」といって敬遠する人は多いが、そもそも映画に歴史の厚みなどないのだから、60年前のモノクロ映画だって相対的にはちょっと前の映画なのだ

そう考えると「古い映画」なんて存在しない、という悟りを開けます

 

あ、そうそう。こないだ90年代の映画を今の若い人におすすめしたら「うわぁ、古い映画なんですね~…」と言われて吃驚した。

映画史120年のスパンで見たら90年代なんてついこないだだろ!
昔の映画とか今の映画とか、色が着いてるとか着いてないとか、どうでもいいんだよ。そんな括りは捨てて、何にでも手を出していこう。
時空の旅、してる?

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実際、モノクロ映画の方が映像的には美しかったりする。

 


【2、映画はそれ単体では語れない】

私はたびたび関連作品と紐づけながらレビューを書くことが多いけど、それは一本の映画から広げられる論考には限度があるからです。
たとえば殺しのドレス(80年)だけ単体として観ても楽しめるが、引用元の『サイコ』(60年)を観ていれば、より深く理解できて味わいが増す。
あるいはインセプション(10年)という作品はさまざまな映画から影響を受けていて、去年マリエンバートで(61年)ラスト・タンゴ・イン・パリ(72年)『パプリカ』(06年)といった関連作品を観ていないと「あそこのシーンの意味がよく分からなかったけど、まぁいっか」といって無知スルーしてしまうこともあるよね。
だけど、いろいろな映画(それこそ昔の映画)を片っ端から観て脳内データベースをがんがん強化、次第に「どこからでも来い状態」が出来上がっていくうちに、映画を観るのがさらに楽しくなる。

すべての映画は、過去の映画が血肉になっている。
人間と同じで、すべての映画には必ず血筋があるのだ。あとはそれを辿っていくだけ。
血筋の旅、してる?

 


【3、思ったことを四捨五入しない】

当ブログでは今のところ控えるようにしてますが、私の批評はかなり辛辣です。

「なんで私の批評は辛辣なのかな?」と考えた結果、「思ったことを四捨五入しないから」なのかもしれない(「汚い言葉を使うから」というのもひとつの理由でしょう)。
たとえば飲み会で、本当は60%ぐらいのテンションなのに80%のハイテンションを演じてみたり、ちょっと嫌いな奴を「大嫌い」と言っちゃったり、そういう誇張があまり好きじゃなくて。

人は往々にして、99点のものを見ると「ほぼ100点みたいなものだから、1点ぐらいオマケして100点にしとくか」と四捨五入しがちだけど、そこでオマケしない勇気というか、融通を利かせない勇気というか。
何事によらず正確厳密を期していきたいのです。
確かに99点は実質100点みたいなものとはいえ、「1点取りこぼした何か」はどこかにあるわけで、そこを見つけ出して「これは99点です」とハッキリ言う。自分の気持ちを四捨五入で誇張しない。

 

たとえ基本絶賛の映画でも「あのシーンの撮り方はちょっと不味いんじゃないか」と思えばそこにも触れていきます。以前、基本絶賛のラ・ラ・ランド(16年)でもいくつかダメ出しはしました。逆も然り。酷評モードの作品でも良いと思ったところは褒めていきます。

ましてや最近さぁ、Twitterなどで持てはやされる祭り映画というのがあって―近年だとキングスマン(14年)『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』(15年)など―、祭りのムードに流されてむやみに話題の映画を持ち上げる風潮に対して疑問を持っている。

ネットの評判がどうであれ「良いものは良い」、「ダメなものはダメ」と、なるべく理性的に評論していきたいよね、って私なんかは愚考してます。

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SNSでやたらに話題になる祭り映画とはあまり反りが合いません。

 


【4、観る映画を選ばない】

ビデオ屋に行く前にあらかじめ「あの映画を借りよう」と決めず、とりあえずビデオ屋に行って、その場でほとんど無作為に選ぶ。いわば現地調達というか、目が合った奴を殴るみたいな、見境もヘッタクレもない選び方をしている。
昔は興味のない映画は避けていたけど、今は苦手な映画や興味のない映画も当たり屋根性で観てます。
やっぱり好きな映画だけ観てると偏食家になるし、得手不得手が極端化してしまう。「あなた、MP高くて魔法使わせたら強いけど、HPと防御めちゃめちゃ低いですやん。ド突き合いになったらすぐ死にますやん」みたいな魔法使いにはなりたくなーい!
なにより、苦手といって遠ざけることで「実は観てみるとすごく良かった映画」まで無視してしまうことにもなってしまう。可能性を閉ざすなよ! 選り好みするなよ!ってことですよ。

これに関して、ライムスターの宇多丸さんというラッパー兼シネフィルがむちゃむちゃ良いことを言ってたので引用します。

 

「みんな、人がいいって言った映画だけを観に行ってるわけでしょ? そんなのはもう死んでますよ。人の死んだ評価を鵜呑みにしてるのも同然。『オレはそうじゃない』って言う人だって、観る映画を選んでる時点でそうなんだよ。なんで観る前からこっちの映画よりこっちの映画がいいって決めつけられるんだ、ってことですよ。」

 

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『ザ・シネマハスラーの頃は、よく宇多丸さんの映画評を聴いてました。

 


【5、1秒でも見逃せば何も観てないのと同じ】

これはいくら何でも厳しすぎるかもしれないけど、要するに、ながら観早送り一部見逃す…等の行為は自決級のタブーということ。あくまで俺ルールだけど。
少なくとも、もしも私がながら観一部見逃しをしたとして、その映画を「観た」とは口が裂けても言わない(というか言えない)し、ましてやレビューするなんて以ての外。
でも、居眠りは不可抗力だよね。私も映画を観ながら居眠りすることは多いけど、「はぅあ!」つって目を覚ましたあとには絶対に観返します。仮に映画館で居眠りしちゃった場合は、起きてすぐに観返すことができないのでただ泣きます。泣きながらDVDレンタルを待ちます。

 

そういえば昔、友人の友人が「基本、本数稼ぎのために映画は倍速で観る」などと信じられないことをほざいてらっしゃってて、怒りを通り越して呆れ返ってしまった。
たとえば120分の映画があるとして、そこには監督の「第一幕はたっぷり37分見せたい」とか「このシーンは何分見せて、このショットは何秒見せる」という明確な意図がある。
一本の映画を観るということは映画に流れる時間を共に歩むということ。
何より映画は「空間芸術」であると同時に「時間芸術」でもある。
だから早送りで時間をコントロールする行為は、絵画に落書きするのと同じ。彫刻をハンマーで破砕するのと同じ。劇の舞台に上がって全裸になりピカチュウ努力値振り間違えたぁー」とわけのわからないことを叫ぶ行為と同じ。
その友人の友人とはいっさい面識はないけど、僕が牛なら助走をつけて突き殺してますよね
ご心配なく。心は穏やかです

 


【6、観る前から過度に期待したりナメたりしない】

映画を観る前からバイアスをかけない。最大限フラットに観る。

「あの監督だからどうせつまらないだろう」
「前作がダメだったから今回もダメだろう」
そういうバイアスをかけたまま観ると、たとえ本当に駄作だったとしても「それ見たことか!」と鬼の首を取ったように大はしゃぎして、必要以上に酷評、30点の映画でも0点とみなしてしまう。これを私は先入観によるオーバーキルと呼ぶ。

反対に、期待しすぎるのもいけない。
「ハードルを上げすぎた」
「期待しすぎて肩透かしを喰らった」
そんな言葉をよく聞くけど(特にYahoo!映画のレビュアーに多い)「おまえが勝手に期待して勝手にがっかりしただけでは?」と思ってしまいます。
それは観客サイドの都合であって、映画の質とは何ら関係ない。
70点の映画を勝手に期待して、勝手に90点と思い込んで、勝手にがっかりして、勝手に50点まで下げるというのは、俗にいうムチャクチャというものだ。独り相撲も甚だしい。

なので私は必要以上に期待しないし侮りもしない。ただ仏のような態度で映画を観るだけ。それだけだ。無。

 


【7、目に見えない物語よりも、ひとまず目に見えるものを見る】
映画は物語(ストーリー)ありきだとする観客は多い。

映画を観るとき、あなたはどこを観るだろうか。
この質問に対して「ストーリーです」と答える人は、たぶん超能力者である(すごい)。
なぜならストーリーは見ることができないからだ。
ストーリーとは、いわばスクリーンに投射された映像を観ながら観客が脳内に作り上げていくイメージである。
たとえば10人の人間に同じ映画を観せたあと「いま観た映画はどんなストーリーでしたか?」と訊ねれば、10人全員がまるで異なるストーリーを好き勝手に話し始めるだろう。
当たり前といえば当たり前の話だが、映画にストーリーなんてものはもともと存在しない。原理的に存在しようがない。観る側が「ストーリーはある(あってほしい)」と盲目的に信じこんで、スクリーンの中で不断におこなわれる光と影の明滅にストーリー=イメージを読み込んでいるだけだ。
ストーリーが真に存在を許される場所は、映画の中ではなく観客の頭の中だけだ。

 

にも関わらず、多くの人はストーリーを展開するのが映画だと信じきっている。映画の魅力とはストーリーの面白さだとされ、スクリーン上の運動はストーリーを説明するための手段にすぎないと考えている。
これに対して蓮實重彦という映画評論家は、「ストーリーなんて不可視で曖昧なものよりも、実際にいまスクリーンに映し出されてるものを見ましょうよ」と提言した。これがいわゆる表層批評というやつだ。
ストーリーもいいけど、ひとまず目に見えるもの(スクリーン=映画)を見て、その後で物語やテーマ(映画に附属するもの)について考えても遅くはないはず。
つまり映画とはストーリーである前にショットである。まずはショットに目を向けることから映画は始まる。

ゴダールに言わせると、映画は「1秒間に24の死」から成っているんだと!
よって映画を観る行為とは、その「24の死」にどこまで立ち合いうるか、という動体視力の問題になってくるわけです。だからながら見したり早送りしたらダメなの!
また、ゴダールはこんなことも言った。
「人々は自分の目を、見ることではなく読むことに使っている。人々は今に見ることができなくなるだろう」
なるほどな、と思う。ストーリーだけなら別に映画である必要はないものなぁ。ネタバレ・あらすじサイトだけ読んでいればいいわけで。

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映画好きが必ずぶち当たる壁、ジャン=リュック・ゴダール

ゴダールの映画がまったく分からない」と思っている人は、「映画には必ず物語がある」という先入観を捨てれば何かが掴めるかもしれません。かくいう私も研究途上なのであまり偉そうな事は言えないけど。

 


【8、財産は体験と思い出】

つまらない映画を観たあとに「金返せ」とか「時間返せ」と言う人の気持ちがいまいちよくわからない。
金返せ族に対しては「えっ? もし金を返した場合、あなたが映画を観たことで得た記憶と体験も返さなきゃいけなくなるけど、そんなこと物理的に可能なんですか?」と思う。

時間返せ族に対しては「えっ? あなたは映画によって自分の時間を奪われたと思ってるんですか? でも映画を観たのはあなたの意思ですよね? あなたが勝手に自分の時間を映画に投資したんですよね? 余計なお世話かもしれませんが、仮にこのつまらない映画を観ていた時間をあなたに返したとして、このつまらない映画以上にあなたはその時間を有意義に使えるんですか? どうせYouTubeで動画見てカップラーメン食うだけですよね? だったらつまらない映画を観ている方がよっぽど有意義だから、映画観ましょうよ、お兄さん!」なんて思ってしまいますねぇ。

まぁ、金と時間を支払う以上は良い映画を観たい、というギブ&テイクの気持ちは僕も同じだけど、「観る」という体験と「観た」という記憶さえあれば、たとえつまらなくてもお釣りが返ってくるのではないでしょうか。「こんなヒドい映画を観た!」という衝撃はある意味では貴重だし、話のネタとして二次利用することもできるしね。
旅は旅自体が目的化しているように、映画の場合も映画体験そのものが財産なのですよ。
だから「映画を観ない」よりも「死ぬほどつまらない映画を観る」方が遥かに楽しい。それが良い映画なら楽しさは天井知らず。
すべての映画にシェイシェイだよ。

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ちなみに『ニュー・シネマ・パラダイス』(88年)は嫌いな映画です。


以上、映画についての私の十ヶ条でした。
十ヶ条と言ってるのに八ヶ条しかないって?
数をかぞえるのが上手いですね、あなた。

 

ていうか、もはや自己紹介ですらなくなっている。当初のコンセプトがすっかり失われている。
次回からは通常営業。飄然と映画レビューを載せていくので、性懲りもなくまた読んでくだされば嬉しい嬉しい!