シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

映画好きが一生され続ける質問TOP10

映画好きが一生され続ける質問TOP10を大胆に発表。

※この記事の所要時間は約15分です!

クソみたいに長いわりには無利益な内容なので読んだフリだけしてくれても一向に構いません。

それじゃあ、レッツゴー!

 

 

映画好きが人から映画の話を振られると、決まってこの10個の内のどれかが飛んでくる。

少なくとも「好きなレイティングはなんですか?」「あー、PG-13ですね」みたいな会話がなされることもなければ、「フィルム派ですか? デジタル派ですか?」と訊かれることもない。

「好きな画面アスペクト比はスタンダードですか、ビスタですか、シネスコですか?」と訊かれることもないだろうし、「ビッグ6(ワーナー、ソニー、ユニバーサル、パラマウント20世紀フォックス、ディズニー)の中でいちばん好きな映画会社はどこですか?」と訊いてくる奴がいるとすれば、そいつは映画会社の手先に違いない。


いわんや、だしぬけにジョン・フォードを見るときは馬や人間を見ますか? それとも雲の形を見ますか?と訊いてくる奴がいれば、それは恐るべきシネフィルなので逃げた方がよい。

 

本日は、とかく回答に困りがちなこのTOP10の質問に対する僕なりの回答を一方的に公表します。

 

質問①好きな映画はなんですか?

 

曖昧模糊の極致みたいな質問である。

この質問をされるたびに、私なんかは「8 1/2も好きだし狼たちの午後も好きだしなぁ。うわぁ、なんて答えよう…。映画に対する溢れんばかりの気持ちが喉に詰まって出てこない」などと大パニックに陥った挙句、もうむりだ、好きな映画なんて一問一答でおいそれと説明できるものではないと悟り、「黙秘権を行使します」と言って容疑者みたいに押し黙ってしまう。

なぜこんなことになるのかと言えば無理に映画のタイトルを挙げようとするからだ。

べつにピンポイントで生涯ベスト映画を訊かれてるわけではないのだから、この質問には理想の異性像を訊かれたときのようにざっくりしたタイプを答えるのがよいでしょう。


したがって「好きな映画はなんですか?」と訊かれたときは「やさしさの中にも凛々しさが垣間見える映画ですね」などと回答するようにしています。

 


質問②いちばん好きな映画はなんですか?

 

さぁ、お次はピンポイントで生涯ベスト映画を訊かれた場合。有史以来、最もタチの悪い質問です。

これまで観てきた数千本、数万本の中から選び抜かねばならない渾身の一本。

それすなわち政治表明

「私はこういう者ですが」と言っているようなものだ。映画好きにとっていちばん好きな映画とは名刺のようなものなのだ。


この質問の怖いところは、答えた作品名によって無条件でこちらの人格まで規定されかねないという点である。

タイタニックが好きです」と答えれば「あぁ、イタいロマンチストなんだな」と思われ、「ハリー・ポッターです」と答えれば「あぁ、ピーターパン症候群なんだな」と思われる。

かといって、少し背伸びして「彼女について私が知っている二、三の事柄です」と答えれば「スノッブな奴だ。鼻につくぜぇぇぇぇ」と憎まれ、ならばと「一周して逆にアルマゲドンです」と答えれば「あぁ、ロクな教育を受けてこなかったんだな」といって憐れみの眼を向けられる。

八方塞がりだよ!

やってられるか!

 

一応、私は「アレハンドロ・ホドロフスキーホーリー・マウンテンです」と答えるようにしているが、べつにこの映画がナンバーワンというわけではなく、まぁ建前というか、私の映画観を端的に表しており、自己紹介に最も適した作品だから挙げているのです。

もちろんホーリー・マウンテンは大好きだが、「本当にコレがいちばん好きなのか?」と問い詰められると容疑者のように押し黙ってしまう。

結局のところ、いちばん好きな映画なんて決められないというか、決まらないものなのではないかしら。


質問③おすすめ映画はなんですか?

 

「逆に訊くけど、おすすめされたい映画はなんですか?」と思ってしまいます。

おすすめ映画の方法論には2つのメソッドがある。

ひとつは、自分が好きな映画の魅力を相手に知ってもらいたいという好み押しつけ型

もうひとつは、自分の趣味を度外視して相手が好みそうな映画を探してあげる接待型

 

前者の好み押しつけ型は、自分の感性や思想をすべて曝け出すに等しい行為なので、フィーリングが合った相手であれば一体感溢れる熱気を生み出して喜びをシェアーできるが、とかく首を傾げられて「観たけど、なんだかよくわかんなかった…」と言われるのが関の山である。

つまり好み押しつけ型はハイリスクな賭けなので、よほどお互いの相性を熟知している場合を除き、あまり無闇やたらにやるものではない。恥ずかしい思いをするぞ!

 

それに対して、相手の好みを汲み、ツボを押さえた上でそこにピタッとハマる映画をご紹介するのが接待型の真髄。

自我や意思など犬にでも喰わせて、ただ己を無にしたのち、カメレオンみたいに相手に擬態する。そして相手の好みそうなものだけを模索する!主体性の抹殺。

そう、いうなれば映画コーディネーターだ。

とはいえ、顔も体型も知らない人にコーディネートなどできないし、あまつさえ相手のストレートゾーンを見極める観察眼と、その弩ストレートに叩き込む制球力も必要。待型は情報戦なのである。

 

よって、ろくに知りもしない相手から「おすすめ映画はなんですか?」を訊かれたときは、「その前におまえという人間をざっくり教えてください」と、私なんかはつい思ってしまうン。

 


質問④最近なに見ましたか?

 

この質問だけは永遠の謎だ。

もうマジで。フォーエバー謎。それを訊いてどうするのだろう。

おまえはその情報を何らかの形で有効に活用し得るような特殊な背景を持った人間なのか? なんて思ってしまいます。


ただでさえ映画好きは、最近見た映画を列挙することを何よりも苦手とするデタラメな生き物である。

なぜなら、ほとんど連続、あるいは連日のように映画を見続けており、個々の映画の識別能力や、いつ何を観たかという記憶がぬたぬたに混濁しているからだ。

いわば、いちばん最近見た映画がSNSのタイムラインのように絶えず更新され続けているのだ。指が砕けんばかりに心のF5キーを連打ですよ。

例えるならこの質問は、ツイッター民に対して「直近のツイートを教えてください」と言ってるようなもの。

そんなすぐ思い出せるか!っていうね。

ただでさえ昨日の晩ご飯とか昨日着てた服が思いだせないのに!

 

そんなわけで、「最近なに見ましたか?」と訊かれたときは「心のF5キーを押してみないとわかりませんね」と答えます。


質問⑤洋画派ですか? 邦画派ですか?

 

「あえて申せばアンチ洋邦二元論派です」と答えます。

音楽然り、映画然り、ポルノ然り…、いつから人は洋邦で区別するようになったのだろう。文明開化の音がしてから? 杉田玄白蘭学蘭学言い始めてから? ペリー来てから?

洋画も邦画もおなじ映画なのである。なのに人は区別する。

おまけに洋邦という言葉には、日本以外の東洋が含まれていない。じゃあ中国やアフリカの立場は?

なんというか、「洋邦」という物言いにはまるでこの地球上に日本と西洋諸国しか存在しない、みたいな高慢ちきな気配を感じるのである。なんやその二元論(まぁ、洋画の語義には「外国映画全般」を指す意味合いもあるみたいだけど)


これと同じように、たとえば白人/黒人という対義語チックな物言いにもなんとなく違和感を抱く。え、じゃあ黄色人種の立場は…?

だいたい、なぜ黄色人種だけ漢字四文字も使わねばならないのか。せめて黄人だったら…、あ、でも黄人はダメかな。奇人を連想せしむる。

そうそう。小学生のとき、音楽の授業でビデオを見せられて以来、私が「ウィー・アー・ザ・ワールド」という曲に並々ならぬ胡散臭さを感じている理由は、<僕らはすべて神のもと、大きな家族の一員なんだ>とか大層立派なことを歌ってるわりには、その中に黄色人種が一人もいなかったからだ。

 

洋邦の話をしていたのに「ウィー・アー・ザ・ワールド」批判になってしまった。

 アンチ洋邦二元論こそが本当の「ウィー・アー・ザ・ワールド」ではないでしょうか。

違いますか?

違いますね。

ごめんなさいね。

 

質問⑥やっぱり字幕派ですか?

 

「やっぱり」っていう副詞はやめろ!

今すぐやめろ!

もう二度とやめろ!


私は字幕派でも吹替え派でもない。観る映画によって使い分ける両刀使いです。

でも字幕主義に対しては一家言あるのです。

映画好き=字幕派みたいな固定観念に囚われている人は、映画の本質を見誤っている確率が高いと思うし、「映画好きならやっぱり字幕派なんでしょ?」という先入観に対しても「そうとは限らんぜ」と言っていきたいのです。


字幕を追う行為は、絶えずスクリーンに映し出された映画」から視線を逸らし続けることにほかならない。字幕で映画を観ている間、その視線は映画だけに向けられているのではなく、字幕という映画ならざるもの=文字情報とも戯れている。

したがって、字幕主義者は映画を観ているのではなく文字を読んでいる。映画鑑賞というよりも限りなく読書に近い行為だ。

そして映画とは、ゴダールの言葉を借りれば「1秒につき24コマの死」であり、映画を観る行為とは24コマの死と再生にどれだけ立ち会いうるかという動体視力の問題に関わってくるのである。


だけど、べつに私は吹替え至上主義ではないから「吹替えには抵抗がある」という字幕主義者の気持ちもわかるし、現に私も字幕で鑑賞することの方が遥かに多い。

そもそも字幕か吹替えかという議論を始める前に、外国語がわからない時点で外国映画の鑑賞は原理的に不可能である、というバベル的諦念に留意せねばなりません。

字幕派も吹替え派も互いに手を取り合ってバベルの塔を壊した神を憎むべし!

 

というわけで、「やっぱり字幕派ですか?」と訊かれたときは「バベル的諦念に留意しろ!」と叫ぶようにしています。

なにをいってるかぜんぜんわからない、みたいな顔をされるけど。

 


質問⑦好きなジャンルはなんですか?

 

この質問に対しては「私はジャンルの檻から解き放たれたライオンです。どうぞよろしく」と答えてますね。

気が狂ってると思われるかもしれないけど、私は至って冷静ですよ。お酒を飲んで若干酔っ払ってますけど。

 

まず、私はジャンルで映画を選り好みしないジャンル不要論者です。

その割には犬死映画とか底抜けヴァルたん映画とか言ってるけどね!

「僕はアクション映画が好きなので基本的にアクション映画しか観ません」という人は多いが、それはその人の自由。イッツ・マイ・ライフ。その人のやり方、その人の哲学として尊重します。

だけど私は、新旧洋邦問わず(あ、洋邦って言ってもうた)映画全体をフラットに概観したいと思っているので、ジャンルで映画を食わず嫌いしてしまうと視野狭窄になるし、趣味も偏ってしまう。何よりステキな映画と出会いそびれるのが嫌なので、観る映画はなるべく選ばないようにしている。ジャンルも年代も製作国も関係ない。映画であれば無条件で観る。節操もヘチマもねえな!


そもそもジャンルとは、特定の映画を大雑把に規定するためにカテゴライズされた便宜上の基準人の性格みたいなものである。

我々は他人に対して「あの人は謙虚」とか「おっとりした性格」といって、その人の性格を十把一絡げに単純化してしまうが、どれだけ謙虚な人にも決して曲げられない熱きハートはあるだろうし、どれだけ普段おっとりしてる人でも頭から灼熱のコーヒーをかけられて「ファッキュー、メーン」と言われたら取り乱すだろう。

人にさまざまな性質があるように、映画にもさまざまな側面があるのです。


そもそも論として、この世に存在する99.9%以上の映画はすべてのジャンルを網羅している。突き詰めて考えれば、被写体の運動という意味においてはこの世のすべての映画はアクション映画なわけで。

たとえば、一般的にターミネーターSF映画とされてるけど、構造的にはモロにホラー映画だし、アクション要素もあればちょっとしたコメディ要素もある。サラ・コナーとカイル・リースのラブストーリーという見方もまたアリだよ!

ジャンルのアパルトヘイトはやめろ!

 

たしかに、カンフー映画やスラッシャー映画など、容易にジャンル分けができるような極端な映画もあるが、そういうものは既にジャンル映画というジャンルで包括されている。

したがってこの質問、正確を期すならば「好きなジャンルはなんですか?」ではなく「ジャンル映画は好きですか?」という訊き方が正しいのではないかと愚考します。

屁理屈ばっかりでごめんなさいね。


質問⑧一年に何本ぐらい観るの?

 

これは嘘をつくべきかどうかで悩む質問。

正直に「300~400本です」と答えた場合、「ほかに生き甲斐はないのだろうか、この暇人は」とか「定年退職したお父さんじゃないんだから」と軽蔑されそうで、かといって「100本です」と少なめに答えた場合、それはそれで映画好きとしてのプライドに抵触する。

 

そこで私がひねり出したベストな回答は、「86400秒につき0.9041095本ですね」というややこし作戦

たとえば私が一年間で330本観たとして、まず1日あたりの鑑賞本数を割り出す。それが0.9041095本。次に一日を秒単位で換算する。86400秒だ

「年間330本です」とバカ正直に答えるのではなく、「86400秒につき0.9041095本です」とクソややこしい答え方をすることで、「そう言われても、それが多いのか少ないのかすら分からねえ。誰か電卓持ってこい、電卓!」と相手を翻弄することができます。

これによって相手に軽蔑されず、プライドも曲げることなく、しかも正直かつ正確に相手の質問に対応することができるのだ。

もし誰かが電卓を持ってきたら即刻取り上げて粉砕すべし。

 

 

質問⑨あの映画のタイトルを教えてください(断片的にあらすじを語り出す)

 

私が映画好きであるのをいいことに、こちらの脳内データベースを利用して、自分が思いだせないタイトルを教えてもらおうとする利己的かつ欲深い質問である。小悪魔め!

私はストーリーで映画を観るタイプではないので、あらすじをいくら説明されてもまったく分からない。

それよりも監督や出演者を挙げてもらった方がよほど手掛かりになるのだが、「誰か有名な俳優出てない?」と訊ねてみても「うーん…。ほら、あの背の高いイケメン!」って…、ゴマンといるわ。ヒントにすらなってねえわ。


で、結局わからずじまいだったとき、なんとなく相手の瞳の中に「チッ。頼りになんねーな、こいつ。本当に映画好きかよ?」という邪悪なメッセージを読み取ってしまい、「なんかごめん…」と萎縮してしまう。
ていうかさぁ、記憶呼び起こし能力が低い僕にも非はあるけど、キミの情報不足、棚に上げてない? という疑問も残る。

 「ほら、あの背の高いイケメン!」と言われても…。

 

結論、「あの映画のタイトルを教えてください」と訊かれたときのベターな回答はググれカス

Yahoo!知恵袋で訊いてみてはどうですか?(にっこり)」です!

 

 

質問⑩あの映画観ました?(タイトルを挙げだす)

 

確率論的に観てない場合の方が多い。そりゃそうだ。

映画史120年。日本だけで年間1000本以上も劇場公開されているのだ。これが全世界…、ましてやビデオスルーされたDVDやテレビ映画、自主映画も合わせると、この世にどれだけの映画が存在すると思ってんだ? っていう話になってきますよね、それは、どうしても。

数十万単位…、ヘタしたら百万本以上あるかもしれない。

そんな膨大な数の中からひとつだけピックアップして「この映画観ました?」と言われても、たぶん観てねえよっていう。

まぁ、大抵の場合「あの映画観ました?」といって挙がるタイトルは有名映画だけど、それでも確率論的には観てない場合の方が遥かに多いです。

 

そして「観てない」と答えると「え、観てないの!? 映画好きなのに!? 普段あれだけ映画映画言ってるのに? 観てない? ご存じでない? うーわ、恥ずかしい。うわっ、うーわ」みたいな目を向けられることも。あの雰囲気が妙に痛いのです。

人生70年、毎年300本鑑賞したとしても、人の一生で観れる映画の数なんてせいぜい2万本ですよ。

「うわっ、うーわ!じゃないよ!

そりゃ観てない確率の方が高ぇだろ! と叫びたい。

 

なので「あの映画観ました?(タイトルを挙げだす)」に対しては、相手がタイトルを挙げだす前に「確率論的にたぶん観てないから、もし観てなかったとしても「うわっ、うーわ!って思わないでください」と答えて予防線を張るのが吉でしょう。

 

 

というわけで以上、「映画好きが一生され続ける質問TOP10」でした。

長文を書きすぎて指が粉々になったので病院に行ってきます。しんど。