先日の『古典女優十選』を読んでくれた方に、深く、浅く、ご御礼申し上げます。
クソ昔の女優ばっかり自己満足みたいに取り上げて、「つまんね、この記事。そろそろ長文に疲れてきたから結果だけチェックしようかな」と思い始めた読者様の心身の摩耗を顧みず、好き放題に8000字も書いてすみませんでした。
「すみませんでした」と言った端から第二波がやってきましたよ。
さてさて今回は、現代映画における存命中の女優の中からお気に入りを10人選んだ『現代女優十選』。
ある種、厳かな雰囲気を漂わせながら、しっぽりと開幕…。
第10位 マリオン・コティヤール
1975年生まれ、フランス出身。
こんなところにマリオン! 思わぬところでコティヤール!
どうにかしてこのギャグを流行らせたいのだけど、ビタイチ浸透する気配がないので拗ねてます。流行れよクソが。
現代フランス映画はカトリーヌ・ドヌーヴ(74歳)とイザベル・ユペール(65歳)の寡占状態で、その下の世代がなかなか育たない(ここ10年で出てきた若手といえば、エヴァ・グリーンとレア・セドゥぐらいだろう)。
そこで、フランス映画の未来を託したいのがマリオン・コティヤール。個人的な好みでいえばメラニー・ロランだけど、実力的にはやはりこの人でしょう。
マリオン・コティヤールは『エディット・ピアフ ~愛の讃歌~』(07年)で各賞を総ナメにして注目された中堅女優である。
キャリア初期は『TAXi』(98年)シリーズ、そしてクリストファー・ノーランの『インセプション』(10年)や『ダークナイト ライジング』(12年)といったどうでもいい映画に出演していたが、その後『エヴァの告白』(13年)、『サンドラの週末』(14年)、『マリアンヌ』(16年)といった優れた映画に多数出演して名女優としての地盤を固めに固めた。地盤固め女だ。
「世界で最も美しい顔100人」の第1位にも輝いたが、コティヤールの値打ちは美貌ではない。取り立てておもしろい芝居をする女優でもない。コティヤールがフランス映画の未来を担えるのだとすれば、それは彼女がフランスの伝説的女優ジャンヌ・モローの面影をその相貌に湛えているからにほかならない。
早い話が、美貌や芝居を超えた霊感をまとった女優なのだ。コティヤールはただ突っ立っているだけで映画を映画たらしめてしまう、映画の神に愛されたミューズだ!
第9位 カトリーヌ・スパーク
1945年生まれ、フランス出身。
私は原理主義的無神論者なので、宗教は全面的に否定するという態度で生きてます。イェイ。
たとえば好きな有名人が死んでもSNSなどでご冥福をお祈りしたりしない。「祈り」というのは宗教儀式ですからね。初詣にも行かないし、絶体絶命のピンチの時でも「神さまー」と言ったりしない。
だから当然、偶像崇拝もしない。大好きな映画監督やロックバンドでも偶像としては見ていないから、ダメな作品に対しては辛辣にダメ出ししていく。好きな人がすることなら何でも受け入れる信者が嫌いだ。
だから偶像崇拝=アイドルの文化には染まれない。
ただしカトリーヌ・スパークを唯一の例外としてな! どないやねん。
カトリーヌ・スパークは、私が夢中になった最初で最後のアイドルかもしれない。
『太陽の下の18歳』(62年)、『狂ったバカンス』(62年)、『禁じられた抱擁』(63年)、『女性上位時代』(68年)…。
映画としてはどれもこの上なく凡庸だが、カトリーヌ・スパークだけはスパークしていた。
一瞬の火花の中でうごめく獣のように、声を殺して奪い合えれば永遠なんて一秒で決まるんじゃないかなと思った。
なんだろうな。なぜこんなにもカトリーヌ・スパークが好きなのか、私にもわからないから誰か教えてください。前世でクラスメイトだったのかな。
ポップ歌手としても活躍していた彼女は、60年代のフランスを大いに賑やかせ、70年代の到来と同時に消えていった。
10年で消えること。それはアイドルの鉄則だ。
第8位 ユアン・マクレガー
1971年生まれ、スコットランド出身。
ハイ出た、ユアン・マクレガー! 数千人いる女優を押さえて堂々の8位!
「『現代女優十選』言うてるのに男が出てきた…」とお思いかもしれないが、そんなこと思うな。
たしかにユアン・マクレガーは生物学的には男性だけど、私の中では女性です。わかるか。
したがってユアン・マクレガーは女性専用車両に乗りこむ資格があるし、『現代女優十選』に出場する条件も完璧に満たしているというわけだ。わかるか。
「いや、でも生物学的にどう見ても男でしょ」だと?
なんだと!?
むぅー、生物学を引き合いに出すなんてずるい。
べつだん私に同性愛の気はないが、もし相手がユアンだとしたら、それはもう不可抗力ですよ。当たり前ですよ。わかるか。
もはや恋愛対象ですらあるよ。もう大好きなんだよ。ただそれだけ。ただそれだけの理由で『現代女優十選』の8位に無理くりねじ込みました。その熱意を評価してくれ。たのむ。
トマトに扮して突っ立っていたところ、掟破りのガキに腹を蹴り上げられたユアン・マクレガー。
「ユアン・マクレガーの腹を蹴り上げない」。それが人類共通の掟だったはずだ…。
文化的アイコンにまでなった『トレインスポッティング』(96年)の大ヒットを受けて、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(99年)、『ムーラン・ルージュ』(01年)、『ビッグ・フィッシュ』(03年)など、現在に至るまでメジャーからインディペンデントまで幅広い作品に出続けている、アメリカとイギリスの架け橋的俳優。
チャームポイントは大仏のような額のほくろだが、どうやら癌性だったらしく除去したらしい。
第7位 ジェニファー・コネリー
1970年生まれ、アメリカ出身。
これ以上ジェニファー・コネリーへの愛をこね回すことはできそうもない。
すでに先度書き散らかしたので、こちらを参照されたし。
↑の記事の中で、いけしゃあしゃあと「存命中の映画女優の中で4番目ぐらいには好きなジェニファー」とか何とかうそぶいていたが、7番目になっちゃいましたね。いやぁ、スカタン、スカタン。
でも『スパイダーマン:ホームカミング』(17年)でスパイダースーツの内臓IAの役で声優だけ務めた件について「実物を出さんかい、実物を!」と激憤するほどにはジェニファー愛は健在ですよ。
いつも髪が素敵なジェニファーを出さんかい!
第6位 カトリーヌ・ドヌーヴとイザベル・ユペール
第6位は2人います。
この時点で十選ではない。
きっと皆さまにおかれましては「もう何でもありやないか」と呆れ返っておられるでしょうが、8位に男がランクインしてるのだから6位が2人いたとしても何ら不思議ではないよねぇ。
まずはカトリーヌ・ドヌーヴから。
1943年生まれ、フランス出身。
もしカトリーヌ・ドヌーヴを美しくないと言う奴がいるとしたら、間違いなくそいつは謙遜したカトリーヌ・ドヌーヴ本人だろう。
言わずと知れたフランスの生ける伝説。
言わずと知れた人間パリ。
ブニュエル、トリュフォー、ドゥミ、ポランスキー、オゾンら大物監督たちが彼女を取り合ってサーベルで斬り合いの大喧嘩をした…という逸話は私が今でっち上げた作り話だが、それくらいしても何ら不思議ではないっていうか、むしろそれぐらいしろよ。
基本的にドヌーヴはモノクロが映える女優だと思っている。誰が? 私が。
イチオシは映画初出演の『パリジェンヌ』(62年)と、ポランスキーの初期の傑作『反撥』(65年)だ。一般的には『シェルブールの雨傘』(64年)や『昼顔』(67年)で認知されているが、あれはカラーだからダメだ。
近年は思いきり太ってどこかの国の共和党議員みたいになってしまったが、私は全然平気だ。そんなもんは効かねぇ。
お次にイザベル・ユペール。
1953年生まれ、フランス出身。
『エル ELLE』(16年)評の中で「ミシェテリー」というわけのわからない言葉を私に生ませた張本人だ。
現在65歳。この世代のぎりぎり元気なフランス女優というのが存外少ない(10歳下ならジュリエット・ビノシュやソフィー・マルソーがいるけど)。
年々ずんぐりむっくりしていくドヌーヴとは対照的に、昔から線の細いプロポーションと、その冷たい顔つきから、ゴダールやシャブロルといったフランスの大重鎮に重宝され、21世紀以降もミヒャエル・ハネケやフランソワ・オゾンの映画で錦上花を添えている。
華のあるドヌーヴがフランス映画の陽ならば、その陰となるのは妖艶かつ淫靡なイザベル・ユペール。
ドヌーヴがゴールデン番組なら、ユペールは深夜番組。
ドヌーヴが藤子・F・不二雄の『キテレツ大百科』なら、ユペールは藤子不二雄Ⓐの『笑ゥせぇるすまん』。
そのぐらい好対照な二人である。
この人の顎をあげて下目遣いになるツンとした見下し方がベリークールだ。
もしもドヌーヴが亡くなったら、人々は「偉大な女優でした」とか「またひとつの時代が終わった」などと紋切型の追悼をして『シェルブールの雨傘』や『昼顔』といった全盛期の作品を観返し、過去を懐かしむだろう。
だがユペールが死ぬと、過去を懐かしむ暇もないほどフランス映画界が大打撃を被ることになる。
なぜなら彼女は65歳にして現在進行形でフランス映画の舵を取り、最前線に立って映画史を紡ぎ上げているからだ。
ユペールがいなくなれば、フランス映画界は一度完全にストップする。それぐらい今のフランス映画はユペールの双肩にかかっているのだ。
だって65歳の今なお、コンスタントに映画に出続けて、その多くが傑作なんですよ(配給会社は何でもかんでも傑作と呼ぶが、真の傑作なんて100本に1本あるかないかの確率だ)。
第5位 ケイト・ブランシェット
1969年生まれ、オーストラリア出身。
90年代末に現れた、やや遅咲きのケイト。
『エリザベス』(98年)でさまざまな賞を荒らし回って以降、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのエルフ役をはじめ、『アビエイター』(04年)、『ブルージャスミン』(13年)、『キャロル』(15年)など、破竹の勢いでキャリアを切り拓いている女傑。
ハリウッド版の天海祐希と言えば分かりやすいかもしれない。
『ワンダーウーマン』(17年)のガル・ガドットなんて、言っちゃあなんだけどケイト様に比べれば小娘同然。彼女に勝てるのは『グロリア』(80年)のジーナ・ローランズぐらいでしょう。
シャーリーズ・セロンやジェシカ・チャステインといった「猛女の会」の会長ですよ、ケイト様は(前会長はジョディ・フォスター)。
今年48歳。このまま順調にいって、あと15年もすれば大女優と呼ばれる器だろう。
ケイト様の女優論を少し。
この人はハリウッド黄金期(30~50年代)に最も近い女優だ。
見るからに1950年代の顔立ちだし、芝居もクラシックに忠実だ(良くいえば伝統的、悪くいえば大時代的)。だからこそ50年代が舞台の『キャロル』は神々しいまでの傑作になったのだ。
ぜひともケイト様に嘘を告発されてみたい。
「この嘘つき!」
嘘つきですみません。
また、過去に「SNSは小学校の校庭」としてSNSを痛烈に批判したことも。
「みんな常に自分の写真を撮って、『私のこと好き?』と言わんばかりにその写真を人に見せている。病気みたい。みんな他の人がどう思うかだけを心配しているなんて。私にはできないわ。もちろん自分が作った映画は人に見て欲しいし、楽しんでもらいたいと思う。でも私はそこで『私がどう見えるか? みんな好き?』とは言わない。『これが私の作ったものよ』というべきよ」
格好よすぎるぜ、ケイト様。
ケイト様好きにだけこっそりとオススメする穴場的マイナー映画→『ギフト』(00年)、『あるスキャンダルの覚え書き』(06年)、『ハンナ』(11年)。おわり。
第4位 サンドラ・ブロック
1964年生まれ、アメリカ出身。
メグ・ライアン、ジュリア・ロバーツ、キャメロン・ディアス、ジェニファー・アニストンらとしのぎを削った、一騎当千のラブコメ女優。
『あなたが寝てる間に…』(95年)、『デンジャラス・ビューティー』(00年)、『トゥー・ウィークス・ノーティス』(02年)などラブコメ映画が主戦場だが、ブレークスルーのきっかけは、いつもボンヤリしているキアヌ・リーブスと共演したバス走らせ映画『スピード』(94年)。
その後も『ザ・インターネット』(95年)、『しあわせの隠れ場所』(09年)、『ゼロ・グラビティ』(13年)など、ジャンルを問わず幅広く第一線で活躍し続けている。
ラブコメ女優は、30代半ばを過ぎた頃に必ず大きな岐路に立たされる。
女優としてひとつ上のステージにあがるために演技派への転向を試みるのだ(そもそも俳優を「演技派」と呼ぶこと自体がちゃんちゃらおかしいのだが)。
「ラブコメの女王」と呼ばれたメグ・ライアンは、猟奇的なスリラー映画『イン・ザ・カット』(03年)でヌードまで披露したが結局失敗したし、キャメロン・ディアスも文芸映画に活路を見出そうとしたが「やっぱり私は軽い映画でこそ真価を発揮するの」とかなんとか言い残して元の古巣に帰って行った。ジュリア・ロバーツは正統派女優として輝かしいキャリアを築いたが、ここ数年はめっきり勢いが落ちている。
そんな中、サンドラ姐さんは硬派な映画での芝居が評価され、能天気なラブコメ映画にも出続けている。
結局、ラブコメ女優たちの熾烈な生き残りゲームはサンドラ姐さんの一人勝ちに終わったのだ。
だが本当にすごいのは、演技派に転向しようとして躍起になるラブコメ女優たちを尻目に、あくまでラブコメ一本で勝負し続けるジェニファー・アニストンなのだが、この話はまたどこかで…。
サンドラ姐さんの魅力は、「ガール・ネクスト・ドア(隣りの家のお姉さん)」と呼ばれているように、身近にいそうな飾らない性格。
多くの受賞者が欠席することでお馴染みのゴールデンラズベリー賞(最低映画に与えられる不名誉な賞)の授賞式に異例の出席を果たし、自虐ネタを連発して会場を大いに沸かせるほどの器の広さとユーモア精神の持ち主だ。
自身が主演を務める映画では、大阪人のようながめつさと、おっちょこちょいな性格を兼ね合わせた役が多い。
個人的に『トゥー・ウィークス・ノーティス』で、ホームレスが持ってた紙カップに硬貨を入れて金を恵んだところ、中に入ってたコーヒーがビシャッと跳ねて「何すんだ、飲んでるのに!」と怒られるシーンが妙に好き。
アメリカ同時多発テロ事件、スマトラ島沖地震、ハイチ地震、東日本大震災など、事件や災害が起きるたびに多額の寄付をすることでも有名。
いわく「これまで意味をなさなかったお金を必要な人たちに回しただけ」。まさにスターの鑑。世界中の金持ちは皆こうなれ。
ヘンにセレブぶったり大女優ぶったりしない血の通った庶民的な人柄こそが、25年以上に渡ってサンドラ姐さんが愛され続ける所以なのだろう。
第3位 ニコール・キッドマン
1967年生まれ、アメリカ出身。
美の化身として一世風靡した、90年代アメリカ映画を代表するトップ女優。
毛をクリンクリンにさせたら右に出る者はいないことでお馴染みのクリンクリン女優だ。
『デイズ・オブ・サンダー』(90年)で共演したトム・クルーズに「ハリウッドで仕事をあげるから結婚してちょんまげ」というトム条約を持ちかけられた一人目の女優(ちなみに二人目はケイティ・ホームズ。トム公は新人女優に対して、結婚を条件にハリウッドでの仕事を紹介するという悪徳プロデューサーみたいなコスい手をよく使うのだ)。
同年にトム・クルーズと結婚。身長160cmちょっとのトム公と180cmのキッドマンの凸凹夫婦として話題になったが、それはトム公の心を著しく傷つけた。
「俺がチビに映るからヒールを履くな!」と再三に渡って釘をさされていたにも関わらず、キッドマンは「遠近法を駆使しなさいよ」とばかりに一蹴してヒールを履き続けた。
悪徳プロデューサートムPの暗躍・根回しによりデビューから順風満帆で、『遥かなる大地へ』(92年)、『アイズ ワイド シャット』(99年)、『ムーラン・ルージュ』(01年)などで輝かしいキャリアを築くが、2001年にトム公と離婚。離婚の原因はトム公が今でも熱中しているサイエントロジー(ヤバめのカルト宗教)。
離婚翌年の文芸映画『めぐりあう時間たち』(02年)で多くの賞をかっさらったことに気をよくしたキッドマンは、ハイブロー気取りで文芸映画に多数出演するも軒並みダダ滑り。高額なギャラに見合う興行収入を稼げないことから「コストパフォーマンスの悪い俳優1位」に選ばれてしまう。あじゃぱー。
おまけにこの頃から美容整形に凝り始め、顔面にボトックスを注入しすぎて表情筋が動かなくなってしまい、鉄仮面女優としての茨の道を歩んでいる。
美しさを保っていたころのゼロ年代のキッドマン。
ニコール・キッドマンを嫌う人もいるが、僕は好きですね。
たしかに出演映画の2本に1本は失敗作で「おいおい、頼むぜ…」とゲンナリさせられることも多いが、彼女は自分がやりたいと思えば無名監督とも組むし、低予算映画にも進んで参加する前衛精神の持ち主だ。
女優としては、なまじ芝居が達者なだけに技巧に走りすぎる節もあるが、彼女が何もしなくてもカメラを向けるだけでそのショットを映画たらしめるような霊感をまとった稀有なスターだ。
ちなみに私はキッドマン主演の『インベージョン』(07年)を観て映画女優の髪型評論家というわけのわからない肩書きを自称し始めた。
第2位 ティルダ・スウィントン
1960年生まれ、イギリス出身。
で、出たぁ~。生きる彫刻! 歩くアート!
ティルダ・スウィントンについては過去にmixiでさんざん熱論を振るったのだけど、そっちを読めというわけにもいかないので、改めて私が残したティルティル評論語録を総括してみますね。
ティルティルは美の隠蔽工作員である。
わざと美を隠すのだ。
彫刻のように美しいのに、出演映画ではほとんど化粧をしていない。それどころかわざと醜く見せようとする。
脇汗をかいたり、脇腹をぶよぶよに太らせたり、歯抜けの老婆になったり、出っ歯の老婆になったりと、スーパーモデルのようなプロポーションにも関わらず、進んで肉体の醜さを曝け出すのだ。
『スノーピアサー』(13年)でイカれババアに扮したティルティル。端的に最高だ。
まぁ、もともと美しいからこそできる芸当なのだが、それにしても凄い。すっぴんでカメラの前に立てる女優が果たしてどれだけいるんだって話ですよ。ましてやクソババアに扮するなんて。
私はよく「美しいものと醜いものはイコールである」という持論を展開して憚らないが、ティルティルを見れば多少なりともその意味が分かって頂けるかもしれないし、分かって頂けないかもしれない。
映画女優が最後の切り札として使う「女の色気」にもまったく頼らない。美に執着しない姿勢はきわめて脱俗的だ。
それは、もはやティルティルが俗気や欲望すら超越して、仙人や妖精のような神秘の領域に達していることを意味する。
中性的なルックスと前衛アートへの興味という点において、どうも私にはデヴィッド・ボウイから分裂した双子のように思えて仕方がない。もう完全に生き写しだよ。
ボウイが死の3年前に発表した「The Stars」のPVでは共演まで果たしている。
ティルティルの不思議な世界。
また、近代美術館の一角を使ってガラスケースの中で8時間眠り続けるというパフォーマンス・アートを定期的に披露する睡眠アーティストでもある。
来場者は「あ、ティルティルが寝てる~」といって、ガラスケースの中ですやすやと眠るティルティルを眺め、何かを学んで帰って行ったという。
人目をはばからず爆睡するティルティル。
代表作に『オルランド』(92年)、『コンスタンティン』(05年)、『フィクサー』(07年)、『少年は残酷な弓を射る』(11年)、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』(13年)など。
ティルティルについては改めて特集を組まねばなるまい。
第1位 ナオミ・ワッツ
1968年生まれ、イギリス出身。
アメリカ映画なんか観てますと、よく俳優が眉間にしわを寄せて「ワッツ!?」なんて言ってるシーンがあるけれども、そのたびに私は「ナオミ・ワッツのことを言ってるのかな?」などとパラノイアみたいな想像を巡らせてしまうよね。
だもんで、やはり私の場合、存命中の映画女優の中だとナオミ・ワッツが最高峰と、こうなるわけですよ。それは。どうしても。
髪型評論の観点から言っても、ナオミ・ワッツの髪質はこの上なく映画向きだ。
若くして芸事を極めた天才もいいが、どちらかといえば大器晩成型の天才が好きだ。
若いエネルギーは確かに強力だが、深みが足りない。音楽家は50歳からが一人前だし、文学者や映画監督は70歳から妙境に入る。芸術家に至っては死んでからがスタートだ。
ナオミ・ワッツは遅咲きだった。
オーストラリアの学校でクラスメイトだった親友ニコール・キッドマンが若くしてハリウッドのトップにのぼりつめ、左団扇で「おほほほほほほほほほほほほぼぼぼぼぼぼボボボボb」なんつって高笑いしているのを尻目に、日本のモデル事務所やオーストラリアのデパートで働きながら演劇を学び続け、わけのわからない自主映画に出るなどして下積み生活を続けていた。
そんな下積みワッツに最初に目をつけたのがデヴィッド・リンチだ(さすがリンチ先生、この慧眼たるや!)。
難解映画として有名な『マルホランド・ドライブ』(01年)で売れない女優の役という、まさに日の目を見ない当時のワッツとまったく同じ役を演じて、まずは手裏剣一発、「伏龍ここにあり」という楔を打ちつけた。
その後、ブレークスルーの契機を作ったのが『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズで知られるピーター・ジャクソンの超大作怪獣映画『キング・コング』(05年)だ。
主演に大抜擢された抜擢ワッツは「37歳のヒロイン」として話題になった。そしてこの映画でも失業した貧乏女優の役を演じている(ほかの映画でも売れない女優の役をよく演じている)。
『キング・コング』で一気に知名度が上がり、親友のキッドマンから実に15年遅れでトップスターの仲間入り。
トップ・オブ・ワッツ!
以降、『イースタン・プロミス』(07年)、『J・エドガー』(11年)、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(14年)、『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(15年)など、商業主義におもねらない良質な映画に多数出演している。
僕が始めてナオミ・ワッツに衝撃を受けたのは涎と鼻水。これを堂々と垂れ流す女優なんですね。
今でこそ慟哭するシーンで恥も外聞もなく涎や鼻水を垂れ流す芝居をする役者は多いが、その走りとも言えるのがナオミ・ワッツだろう。
これはティルティルにも通じるが、汚いものや醜いものを曝け出すというメソッドだ。
ナオミ・ワッツは美醜を越境する。
綺麗なシーンでは綺麗な芝居をするとか、汚いシーンでは汚い芝居をするとか、もはやそんな次元で芝居をしている女優ではない。
「美しいものほど醜い。醜いものほど美しい」というパラドックスをそのまま体現している、正真正銘の名女優だ。
ぅワォ!!
宴もたけなわですが、これにて『現代女優十選』は以上です。
惜しくもTOP10に漏れたのはミシェル・ウィリアムズさん、アンナ・ムグラリスさんなどでした。ざんねん。
需要があれば『若手女優十選』も書きたいなぁ。
でもその前に、野郎どもにも光を当ててあげないと可哀想なので『映画男優十選』でも書こうかな。