奇策、不意打ち、ハッタリ、トリック…なんでもござれの悪の華。
1990年。マーティン・スコセッシ監督。レイ・リオッタ、ロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ。
ヘンリー・ヒル、1943年ブルックリン生まれ。大物ギャング、ポーリーのアジトで育った彼は、物心ついた頃からマフィアに憧れていた。やがて念願の「グッドフェローズ」の仲間となり、強奪専門のジミー、野心旺盛なトミーと共に犯罪に犯罪を重ねていく。が、麻薬に手を出したことから育ての親ポーリーに見放され、さらにジミーたちが起こした600万ドル強奪事件を追うCIAの捜査の手もヘンリーに迫る。(Amazonより)
おはようございます。
言うことをよく聞くモンスターを飼育したいです。部屋の片づけができるタイプが望ましい。できれば控えめな性格であれば尚良し。ご飯はあまり食べないでほしい。エサ代がかさむから。ていうかむしろ外に出て働いて来てほしい。いつも家の中でゴロゴロしないでほしい。邪魔だから。あまりベタベタ甘えてこないでほしい。鬱陶しいから。
いらいらしてきた。
モンスターなんか要るか!
たまったもんじゃねえわ!
そういうわけなので本日は『グッドフェローズ』です。フアンも多いのではないでしょうか。
◆スコセッシの「育ちの悪さ」◆
皆まで言うな。マーティン・スコセッシ中期の代表作にして今なおコアなファンを持つマフィア映画である。言うてもうた。
良くも悪くもマフィア映画の様式美に背を向けた作品で、ここには『ゴッドファーザー』(72年)の格調高さや『スカーフェイス』(83年)の悪の美学はない。救いようのないクズしか出てこないのだ。ファミリーという概念すら有名無実化した掟破りの男たち。もはや組織として機能すらしていないので、厳密にはマフィア映画ではなくチンピラ映画である。
そう、これは『ミーン・ストリート』(73年)の変奏。
ニューヨーク下町のクイーンズに生まれ、最盛期のロックを浴びるように聴きながら映画館に通っていたシネフィル少年スコセッシの「育ちの悪さ」を決定づけた初期作である。
そんなスコセッシは、のちにロバート・デ・ニーロとジョー・ペシを続投して『グッドフェローズ』そっくりの『カジノ』(95年)というギャング映画を撮る。
つまり『ミーン・ストリート』、『グッドフェローズ』、『カジノ』は精神的連作。
ところが、後年の『ギャング・オブ・ニューヨーク』(02年)、『ディパーテッド』(06年)、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(13年)もコレとまったく同じ系譜で、時代設定やモチーフは違えどやってることは結局いっしょ。おそらくデ・ニーロとアル・パチーノが共演した最新作『アイリッシュマン』(19年)も…。
えらいもんで、あまねく表現者というのは無意識理に初期のテーマを繰り返してしまう生き物だ。二作目以降に作られた作品はすべて一作目のセルフリメイクといっていい。
そんなわけで、スコセッシの原点とも言える下町×ロック×ピカレスクを多分に含んだ『グッドフェローズ』。
はっきり言って、熱狂的ファンが「映画史に残る傑作!」などと過大評価しているのがちゃんちゃら可笑しいほど至って普通の出来栄えに収まっているのだが、スコセッシの底意地は傑作に擬態するための装飾能力の高さにある。ばかな連中はマーティン・スコセッシを巨匠と崇めているが実際のところは中の下の監督。だが、なんてことのない凡作を傑作に見せかける仕掛けの天才なのだ。
白シャツの口髭男がスコセッシ。
この映画はマフィアの世界で生きたヘンリー・ヒルの半生を映画化したものである。
ヘンリーはわずか11歳でマフィアの使いっ走りとなり、裏世界で健やかに成長、数々の犯罪に手を染めたあと麻薬取引でパクられたが証人保護プログラムを受けることを条件にFBIに寝返って仲間を売った実在のマフィアだ。映画はヘンリー・ヒルの独白と共に一人称で進行していく。
そしてこの主人公を当時無名だったレイ・リオッタが演じている。
目がキラキラした俳優です。
「少女マンガか?」というほどキラキラしている。「両目にミラーボールか?」というほどピカピカしている。レイに見つめられた人は「眩しいから見やんといて」と言っていやんいやんするという逸話はあまりに有名。
何を隠そう、私はレイ・リオッタ世代で、この俳優には一際強い思い入れがあるのです。『不法侵入』(92年)とか『コップランド』(97年)とかよく観てたなぁ。
更にどうでもいいけど私のママンもファンです。親子揃ってレイ・リオッタ世代というわけのわからない図式が出来上がってしまいました。
両目にミラーボールを持つピカリスト。
そんなレイを子供のころから可愛がってきたのが強盗自慢のギャングスター、ジミー・バーク(彼も実在のマフィア)。演ずるはロバート・デ・ニーロ。スコセッシ作品の常連俳優である。皆まで言うな。
この男は殺人よりも盗みにこそ生き甲斐を感じる裏社会の石川五右衛門。他のファミリーからも尊敬されるようなカリスマだ。
ところが、仲間と共にルフトハンザ航空現金強奪事件(1978年)を起こし、口封じのために片っ端から仲間を暗殺するような冷酷な一面もある。
ロマンスグレーで決めております。
お待たせしたね。しばしば本作のMVPに挙げられる裏主人公のトミー・デヴィート。
演じているのは強面チビ俳優のジョー・ペシ!
で、出たぁ~~。僕らのジョー・ペシ。あしたのジョー・ペシ。
実際のトミー・デヴィートは恰幅のいい二枚目だったらしいが、それを演じたジョー・ペシはチンチクリンの腐ったニコちゃんマークみたいな風貌。
『グッドフェローズ』=ジョー・ペシといっても過言ではないほど本作の代名詞にまでなっているこの俳優…、何がそこまで凄いのかというとメチャンコ怖いのだ。
普段はジョーク好きで気のいいムードメーカー。ところがほんの一瞬でも自分を侮辱するような他人の言動には人一倍敏感で、やおら鬼の形相で相手の言葉尻を捕らえてネチネチと論駁して最終的には銃で殺害するような全力イカレのアブない奴なのである。
例えば自分の失敗談を自ら笑い話にして、それが予想外にウケまくったときなんかに彼はキレる。自分が「本当にバカにされている」と思い込んでしまうのだ。
「なに笑ってやがる。おかしいか? 何がおかしいんだ。ええ? 言ってみろ。具体的に言え。何がおかしいんだ? 答えろよ。何がそんなにおかしいんだ? オレがマヌケだって言いたいのか? おいコラ。なんで笑ってんだって聞いてんだろ!」
見てるだけで胃が痛くなってくる。このしつっこさと、いつキレるか分からない怖さ。この手のヤバいタイプってたまにいるよね…。
同年に作られた『ホームアローン』(90年)では泥棒コンビのチビをユーモラスに演じていたが…『グッドフェローズ』を観たあとでは笑うに笑えない。
怒りの沸点謎男。
◆殺しの赤と日常の青、あるいは独白と音楽の双輪◆
物語はレイ・リオッタの少年時代…1950年代半ばから彼が組織を裏切る1980年代までがジェットコースターのように描かれていくが、何から何まで時系列に沿っているというわけではない。わずか2分のアヴァンタイトルではレイが最も勢いに乗っていた1970年代に始まり、そのあと「Goodfellas」というタイトルバックが浮かび上がって本編が始まり、そこでようやく少年時代から時系列通りに話が進んでいくのだ。
ではアヴァンを飾った1970年代のパートでは何が描かれているのか?
ウルトラバイオレンスであるっ。
夜に自動車を走らせるレイ、デニーロ、ジョーペシが森のなかで車を停めてトランクを開けると、血まみれの男が「助けてくれぇ…」としくしく泣いていた。真っ赤なテールライトが画面を鮮血に染め上げる。
「まだ生きてやがったのか、ゴキブリ野郎!」と絶叫したジョーペシが包丁で男をメッタ刺しにして、さらにデニーロがピストルを4発撃ち込む。
ヘッドライト・テールライト、旅はまだ終わらない♪
トランクに積まれた無抵抗な男を殺害する…というあまりに惨たらしい開幕。このわずか2分のアヴァンは『グッドフェローズ』の本質を穿っている。
たとえば、返り血のようなテールライトを浴びて真っ赤に染まる三人がメインキャラクター=血と暴力の世界で連帯を築いた運命共同体であることを示唆しているし、ここで早くも三者の性格が端的に描き分けられてもいる。罵声を浴びせながら何度も包丁を突き立てるジョーペシの残忍性と、トドメに4発撃ち込んだデニーロがどこまでも用心深い性格であること、そして手を下すことなく事態を傍観していたレイが相変わらずヘタレの使いっ走りに過ぎないこと。
実際、ジョーペシのキチガイ武勇伝はこのあとイヤというほど語られていくし、デニーロは現金強奪事件のあとに逮捕を恐れて疑心暗鬼になるあまり共犯者を次々と暗殺し、レイはそんな二人にくっついて甘い汁を吸う無力な昆虫としてこの下品極まりない物語の語り部となるのだ。
本作の名シーンといえばレイが恋人を連れてレストランの裏口から店内に入っていく様子をロングテイクでおさめた約3分の長回しだが、そんなものより遥かに優れているのがこのアヴァンなのである。マフィア映画に欠くべからざる「破滅の予感」が開幕1秒から打ち出されているのだから。
その後はレイ、デニーロ、ジョーペシの悪童生活が軽快なタッチで描かれていく。
今回10年ぶりに鑑賞したことで初めて気づいたのだが…本作はマフィア映画のシンボルカラーとも言える黒を基調としながらも、実は赤と青の映画だった。
裏稼業のシーンでは赤い照明が画面を覆い、妻との日常生活では青い色彩が画面を埋めつくす。本作はただひたすら犯罪を繰り返すマフィア映画ではなく、仕事と家庭を行き来するレイの二重生活を描いた人生譚。だから「家の中」と「家の外」が色彩によって対比されているわけ。そして当然、仕事と家庭に失敗したラストシーンでは赤も青もくすんでしまう。
画像上が日常シーン、画像下が裏稼業シーン。
驚くべきは映画の疾走感である。いちびった言い方をするならドライブ感っつうの? ライド感っつうの?
画面も物語もビュンビュン進んでいって気がついた頃にはエンドロール。「マフィア映画は胃もたれしそう…」と敬遠している人に『ゴッドファーザー』だの『スカーフェイス』だのを勧めるつもりはまったくないが、『グッドフェローズ』ならペロッと観て頂けるでしょう。人が『ウルフ・オブ・ウォールストリート』が3時間もあったことに驚くように。
この疾走感の秘密は2つあって、まずは独白形式ということ。
レイが自身の半生を振り返りながら「起きた出来事」を時系列に沿ってよどみなく語っていき、それと同期するように画面が組み立てられているので、まるでドキュメンタリー映画のようにシーンがサクサク進むのである。ワンシーンの情感とか美しさに執着することなく、次から次へと「出来事」だけを見せていく無機的な手つき。まさに深作欣二の『仁義なき戦い』(73年)がそうだった。例えるなら、そう…フィルムの回転寿司よ!
そしてもうひとつの加速装置が音楽である。
本作では40曲に及ぶロック、ジャズ、R&Bといったポピュラー・ミュージックが矢継ぎ早に流れまくる。そうした既存の曲をサンプリング的に塗すという手つきは今でこそタランティーノのお家芸になっているが、本作の勢いたるやその比ではない。
トニー・ベネット、シャングリラス、ダーレン・ラヴ、マディ・ウォーターズ、ザ・フー、クリーム、ローリング・ストーンズといった多種多様な音楽のごった煮状態。観る者は音楽の激流に飲まれながらラストシーンまで運ばれることになる。
なかでも水際立っているのがゴミ収集車から死体が出てくるスローモーション・シーンで流れるデレク・アンド・ザ・ドミノスの「いとしのレイラ」のピアノコーダ。最も残酷なシーンで最も流麗な音楽をかけるという異化の企みは、このシーンを最も美しい映像技法=スローモーションで処理したことによって達成される。イェイ。
他方、エンドロールで使われるのはシド・ヴィシャスの「マイ・ウェイ」、つまりパンク丸出しの汚い曲というのがポイント。この上なく哀れなラストシーンを「自業自得だッ!」とばかりに引き裂く最終楽章であった。
二人同時に腕時計を見るというあまり意味のない行為をするジョー・ペシ(左)とレイ・リオッタ(右)。
どっちか一人が見たらええやん。
◆スコセッシ入魂の魔球◆
事程左様に「独白と音楽」の双輪で疾走する『グッドフェローズ』。
これぞ傑作に擬態するための装飾能力であり、スコセッシが仕掛けの天才たる所以だ。
言うまでもないが、当然こんなものは邪道である。
実際、この双輪に頼らなかった多くのスコセッシ作品は「疾走」とは真逆の緩慢極まりない凡作~駄作の死屍累々だし、本作でも相変わらずショットが撮れないことを自白するかのような自堕落な画面が果てしなく連鎖している。
だが、スコセッシの「育ちの悪さ」があらゆる面において良い方に転んだのが本作なのだ。独白、音楽、名優、異化、それにベタな色彩対比とウルトラバイオレンス…。
邪道だろうが何だろうが使えるものは全部使う。
奇策、不意打ち、ハッタリ、トリック。「面白けりゃ何だっていいんだよ」と言わんばかりに、持ちうる限りの邪道のすべてを注ぎ込んだスコセッシ入魂の魔球。それが『グッドフェローズ』だというのか!
今でこそ古典映画の復元・保存に貢献するようなシネフィルとしても活動しているこの76歳の老人も過去にはこんなメチャメチャなことをやっていた…と思うと、いかなアンチ・スコセッシの私も感情を高ぶらせないわけにはいかない。
ちなみに、スコセッシ作品のなかで私が「すてきやん?」と思ったのは『キング・オブ・コメディ』(83年)と『ハスラー2』(86年)。やはり脂の乗っていた80年代中期の作品になってしまうのである(『タクシードライバー』や『レイジング・ブル』のころは作家として痩せすぎで、逆に『ディパーテッド』や『シャッター アイランド』のころは贅肉が付きすぎ)。
ちなみに本作はコメディ映画としてもお楽しみ頂けます。
カっとなってバーテンダーの足を撃ち抜いたジョーペシが、後日退院したバーテンダーを今度は射殺する…というのが完全にギャグとして撮られていて。冗談みたいなノリで人がバタバタ死んでいくのだ。そしてFBIのヘリにマークされながらもなぜか家でミートボールを作りまくるレイの必死さに大笑い。また、ジョーペシと一緒に幹部の男を蹴りまくるときのデニーロの動きにも注目。
一方、シニカルな冷笑を誘うのはやはり主人公のレイ・リオッタ。
憧れのマフィアになったはいいが万年使いっ走りでうだつが上がらず、なのに妻には大物ぶって浮気三昧。果てはヒステリーを起こした妻に拳銃を突きつけられて「おおお落ち着け!」と激しく動揺。
自分をギャングスターだと勘違いしたチンピラ風情ならではのイタさが炸裂した主人公である。
その後、「麻薬には手を出すな」という掟を破ってコカインに溺れ、それがもとで逮捕、挙げ句の果てには我が身可愛さに仲間を裏切ってFBIに情報提供。シャバに出たあとも仲間の報復を恐れて終生怯えながら暮らす…という見事な小物ぶりが渇いた笑いを誘ってやまない。
ちなみに「グッドフェローズ」とは「気の置けない友達」の意。まさに仲間を売った主人公そのもの。ミートボール専門家としての道を歩んだ方がいくらか幸せな人生を送れただろう。