シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

狂気の行方

混ぜるな危険の禁断コラボ

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2009年。ベルナー・ヘルツォーク監督。 マイケル・シャノンウィレム・デフォークロエ・セヴィニー

 

若い男が女性を殺し、人質をとり立て籠もったという知らせを受けたハヴェンハースト刑事は、すぐに現場に向かう。男は実の母親を殺したようだったが、誰を人質にしているのかまったくわからなかった。ほどなく男の婚約者イングリッドも現場に駆け付け、ハヴェンハーストと一緒に説得を試みるが…。(Yahoo!映画より)


監督がベルナー・ヘルツォークで製作総指揮がデヴィッド・リンチという、想像するだに恐ろしい雷神と風神の危険同盟

その背後に控えるのはレボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで気が狂った隣人を演じたマイケル・シャノン気が狂ったような映画に多数出演しているクロエ・セヴィニー狂気の世界によく人をいざなうウド・キア、存在自体気が狂っているようなウィレム・デフォーと、まさに最強のイカレ布陣

そのさま、まるで百鬼夜行のごとし。

 

イカレ男が母親をで刺し殺し、人質をとって自宅に立て籠もった。

映画は過去と現在をカットバックしながら、イカレ男が犯行に及んだ経緯と事件の顛末を並行して描く。1979年にアメリカで実際に起きた実母殺害事件から着想を得た作品である。
…と、映画の概要を軽くまとめてみたが、実際はこう単純ではない。

風神ヘルツォークと雷神リンチがコラボレーションすることの危険性を予め覚悟しておかねばアッと言う間に竜巻に吹き飛ばされ、雷撃に焼かれて死にます。


Q.ヘルツォークとリンチ、そもそもこの二人って相性いいんですか?

A.いいわけあるか!

どちらも映画界の狂人である。

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左:ベルナー・ヘルツォーク 右:デヴィッド・リンチ

 

ベルナー・ヘルツォーク(1942年-)

ブチギレ、近親相姦、なんでもござれの怪優クラウス・キンスキーと殺し合い寸前の対立関係を維持しながら、キンスキーの狂気を撮り続けたドイツの巨匠。

代表作に『アギーレ/神の怒り』(72年)『カスパー・ハウザーの謎』(74年)ノスフェラトゥ(79年)『フィツカラルド』(82年)など。

 

~たのしい逸話~

カリブ海のスフリエール火山が爆発するというので島民が島を脱出しているさなか、カメラを持って爆発寸前の火山に突っ込んでいった。

『ガラスの心』撮影中に、俳優たちに催眠術をかけて演技させただけでなく、何を思ったのか自分にも催眠術をかけ、寒中、氷の張った河の中に飛び込んだ(死にかけた)。

・『フィツカラルド』のアマゾンロケが難航を極め、主演のクラウス・キンスキーが「もういやだ。帰らせろ」と言って撮影放棄しかけると、「帰るならキミを射殺して、そのあと私も死ぬ」といって拳銃を突きつけた。

クラウス・キンスキーの殺害計画をよく立てる。

・アマゾンの奥地でロケをしていた『フィツカラルド』撮影中、スタッフが毒蛇に足を噛まれたのでチェーンソーで足を切断した。

 

デヴィッド・リンチ(1946年-)

シュルレアリスムとバイオレンスを掛け合わせた不条理な世界観を持つアメリカの映画作家。90年代の海外ドラマを代表するツイン・ピークスは世界中で大ブームを巻き起こし、日本でも社会現象になった。

代表作にイレイザーヘッド(76年)エレファント・マン(80年)ブルーベルベット(86年)マルホランド・ドライブ(01年)など。

 

~たのしい逸話~

・映画を撮らずにコーヒー豆の有機栽培ばかりしている。

・40年以上に及ぶ超越瞑想の実践者である。映画を撮るときは瞑想を使ってインスピレーションを得る。

・女優のローラ・ダーンが初めてリンチに会ったとき、リンチは人差し指を立て「トイレに行ってくる!」と言い残し、そのまま消えてしまったという。

・毎朝、自身のホームページで天気予報をストリーミング配信している。

・アイス・バケツ・チャレンジをおこなった際は、リンチがトランペットで「虹の彼方に」を吹き、横にいたスタッフがエスプレッソを混ぜた氷水を演奏中のリンチにぶっかけるという意図不明のパフォーマンスを披露した。

 

確かに二人の間には、悪夢的イメージ、心身症、畸形に対する執着など共通点は多いが、ヘルツォーク人間の狂気を撮り、リンチは世の不条理を撮るという決定的な違いがある。

また、ヘルツォーク人を寄せつけぬ峻厳な大自然を、リンチは人間性を蝕む機械工業を繰り返し主題化するいう特徴もある。

 

そんな二人が混ぜるな危険禁断コラボを果たした唯一の作品が『狂気の行方』だ。

もう徹頭徹尾、奇天烈な世界観

シュルレアリスム耐性がある観客にとっては多幸感で失禁するほど心地よい作品だが、シュールでも何でもないものに対して「シュールw」とか言っちゃうような観客はたぶん泡吹いてブッ倒れます。

 

もう全編に渡ってヘルツォーク&リンチの総ざらい的映像群で埋め尽くされている。

 

映画冒頭、事件現場に急行する刑事ウィレム・デフォーが、部下のマイケル・ペーニャ「警察官と犯罪者のどちらが本当の悪者か、ときどきわからなくなるときがある」と呟く。

心情吐露というより思索的な独り言に近いこの言語感覚は、たとえばマルホランド・ドライブにおけるウィンキーズで男が夢の話をするシーンや、カウボーイハットをかぶった男(死神)が若い映画監督に「俺に話を合わせようとするな。言葉にする前にまず自分の頭で考えてから話せ」と説教かますシーンに符号する。

実際、マイケル・シャノンが瞑想するヒッピーに対して「瞑想はよせ。自分でモノを考えて、一貫した主張を持つんだ」と説教垂れるシーンまであるのだ(瞑想狂いのリンチに対するヘルツォークなりの批判なのでしょう)。

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また、マイケル・シャノンの母親がいかにもリンチ映画に登場しそうな気っ色悪いババアだったり、スーツを着た小人が突拍子もなく現れるところなんて露骨にリンチ的記号。

かと思えば、マイケル・シャノンがゆるやかに狂っていくさまはヘルツォークお家芸。濁流の撮り方なんて『アギーレ/神の怒り』だし、思わぬ所に思わぬ動物がいるという対位法もバッド・ルーテナントのイグアナを彷彿させる。

サンディエゴの暖かな気候と、長閑で小さい町、そんなささやかな日常の薄氷一枚隔てた下に狂気の種が宿る…という不穏な描写はリンチのブルーベルベットだし、マイケル・シャノンの自宅のやたらファンシーで鮮やかな外観や、銀残しで撮られた殺風景な線路沿いの荒野、そしてわざとらしい青空のファーストショットなどはヘルツォーク的映像作法の賜物といえるだろう。

 

どちらも超現実的な映像感覚で観客の常識を叩き潰す達人だが、両者の超現実主義を分析してみると、ヘルツォークの場合は哲学、リンチの場合は心理学に依拠しているという試論に辿り着く。

なんにせよ、このふたつが綯い交ぜになったワケのわからん映像がフィルムの全域にドロドロと流し込まれているのだから、混乱するなという方が無理なのだ。

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本作には、シュルレアリスムの向こう側にイってしまった圧倒的にきちがい染みたシーンが3つあるので、ご紹介するね(ネタバレ注意)。


ひとつめは、本作の目玉ともいえる自力ストップモーション

映像は停止しておらず淡々と時間は流れているのに、あたかもストップモーションがかかったかのように役者たちが身体運動をやめて急に静止する…という奇妙なシーンが二ヶ所ほど出てくる(よく見ると若干ぷるぷるしている)。もちろん、なんの脈絡もなく。

ブルーベルベット頭を撃たれて立ったまま死んでる男を彷彿するわー。

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ふたつめは、マイケル・シャノンが人質にとっていたのが実は人間ではなく、自宅で飼っていた二羽のフラミンゴだったというズッコケ必至の終盤。

缶詰に描かれたおっさんを「彼こそが神だ」と崇めたり、通行人に自分のリュックサックをあげちゃう様子からして相当クレイジーな男だとは思っていたが、まさかフラミンゴを人質にとって籠城するほどのクレイジーだったとは

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人質に食料を与えるマイケル・シャノン


そしてみっつめは、警察に自宅を包囲されたラストシーン。フラミンゴを解放して投降する際に、マイケル・シャノンが忌々しそうに呟いた一言。

 

「太陽が東から昇るのが許せない」

 

おまえは『異邦人』のムルソーか?

でも不思議とこのフレーズに深い魅力を感じてしまう。名言だとさえ思うよ。

将来、私も警察に囲まれて投降する機会があれば、ぜひ忌々しそうな顔で呟いてみたい。

「太陽が東から昇るのが許せない」

 

つうこって、ヘルツォークファンおよびリンチファンおよびシュールなものが好きな人または凝り固まった常識を揺さぶられたい人ならびに泡吹いてブッ倒れたい人は必見!

超越瞑想の実践者自力ストップモーションの実践者にもすすめられる作品です。