風呂映画の金字塔にして、全人類対応型のデフォー映画。
2011年。ダニエル・ネットハイム監督。ウィレム・デフォー、フランシス・オコナー、サム・ニール。
ある企業の依頼を受けて絶滅したとされるタスマニアタイガーを狩りにオーストラリアのタスマニア島を訪れた凄腕ハンターのマーティンだが、生粋の風呂好きゆえに隙あらば風呂に入ろうとして、なかなか狩りをしない。
ウィレム・デフォーと風呂がコラボした奇跡の傑作である。
風呂場に置いた小型ステレオにiPodを接続し、優雅にクラシック音楽を聴きながら、しかしムッとした顔で肩まで水風呂につかるウィレム・デフォーが、いつものように悪鬼のような強面を活かした奇人の役ではなく、やたらと風呂が好きなハンターとしての魅力を惜しげもなく発散している。
いつものデフォー。
僕たちが見たかったデフォー映画という全人類共通の夢は、しかしごく一部の恵まれた作品を除いてはそのほとんどが脇役というキャリアに長らく阻止されていたものの、鬱病監督ラース・フォン・トリアーの『アンチクライスト』でメンヘラの妻に薪で性器を叩き潰されるという悲しい役を演じたことで、世界中の監督がいまさらデフォーの魅力に気付いた。
そんな世の監督たちを代表して、これまで誰もデフォーの魅力を完全には引き出せなかったという映画史的大罪を償うかのように、無名のダニエル・ネットハイム監督は全身全霊でデフォーの、デフォーによる、デフォーのための映画を撮った。
僕たちが見たかったデフォー映画がついに実現したのだ!
うれしいデフォ~!
人類史に刻まれるべきこの大慶を祝福することこそが我々人類の義務であることなど言うまでもない。
デフォーの芝居が100分間たっぷり楽しめるのだから、これ以上の悦びなどないのである。全人類対応型のデフォー映画だ。
タスマニアタイガーの発見を命じられた風呂好きハンター・デフォーは、まず山奥にあるホームステイ先の風呂を念入りにチェックし、度し難い風呂桶の汚れに憤慨、火の玉になって町までぶっ飛んで行きクレンザーを購入後、ムッとした顔で風呂掃除を始める。
そして風呂に浸かる!
ムッとした顔で!
…タスマニアタイガーは?
翌日、ホームステイ先のちびっこ達と仲良くなったデフォー先生(だが決して笑わない)は、そろそろ本業に身を入れようと狩りの支度を始めるものの、やはり風呂の誘惑には抗えない。
また風呂に浸かった!
そこへ可愛らしいちびっこ達がデフォー先生の聖なる湯に全裸で入ってくるが、先生は一瞬「ムムムッ!?」と狼狽するものの、べつだん拒否も承認もすることなく物静かにバスタブのシェアーを甘受し、粛々と湯を味わうのみ。
この厳かな気風とロマンに、我々はただ涙を流していればよい。
この都合三度に及ぶ入浴シーンだけでも充分なボリュームとスペクタクルだが、先生が山入りするシーケンスもまた絶品だ。
力なきものを容赦なく土に還してしまう大自然の厳威とデフォー先生の原始的な顔立ちが、笑ってしまうほど調和している。
これまで私はデフォー先生の顔面に対し、敬意を込めて悪魔崇拝顔と形容していたが、本作を観るにつけジャングル顔でもあったのだなと認識を新たにした。自然との溶け込み具合ではランボーすら凌駕している。
家と町と山。徒歩と車。移動と滞留と往復。
本作に与えられた100分間は、もっぱら空間移動と時間の静止だけを捉えていく。ハンティングの活動が空間移動だとすれば、長風呂は時間の静止にほかならない。
ある意味、映画の構成要素のなかで最も不要といっていい俳優。その俳優が純粋映画を成立させているという点において、本作のデフォー先生はチャップリン級にすごいことをしている気もするし、いま私はとてつもなくおかしなことを口走っている気もする。
とにかくデフォーづくしだ。
オードブルはデフォー。
メインディッシュもデフォー。
デザートもデフォー。
デフォーお腹いっぱい。
チョモランマの山頂から「デフォー」。
海に向かって「デフォー」。
川のせせらぎに「デフォー」。
ワン、ツー、スリー、デフォー。
「~でしょ?」をしきりに「~デフォ?」。