デフォーのたわ言と懺悔がひたすら続くデフォイズム映画。
2016年。ポール・シュレイダー監督。ニコラス・ケイジ、ウィレム・デフォー、クリストファー・マシュー・クック。
長年の刑期を終えて出所したトロイは、刑務所仲間だったコカイン中毒のマッド・ドッグや巨漢の取り立て屋ディーゼルと再会する。3人はどん底の人生から這い上がるべく、地元ギャングのボスから75万ドルの報酬がもらえる仕事を引き受ける。それは借金を返さない男の赤ん坊を誘拐するという単純な仕事だったが、事態は思わぬ方向へと転がり、3人は追われる身となってしまう。(映画.comより)
ここ一週間ほど、ウィレム・デフォーのことしか考えられないわけだ。
あ、どうもおはようみんな~。
挨拶すら忘れるほどデフォーのことばかり考えて、心臓がデッフォン デッフォン高鳴っているわけです。
さて。昨日の『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』に続いて、本日もデフォイズム映画である。
『フロリダ・プロジェクト』のブクマコメントではどいつもこいつもデフォーデフォーと騒いでましたが、さもありなん! むべなるかな!
むしろデフォーと聞いて騒がない奴の方がおかしいわけで、そういう人たちの神経は明らかに麻痺しているので病院で診てもらった方がいいです。国立ウィレム病院のデフォー科に行った方が絶対にいい。悪いことは言わないから。
そして本日は、遅まきながらようやく観ました『ドッグ・イート・ドッグ』!
デフォーだけでなく、なんとニコラス・ケイジも出ているぞ。26年ぶりの共演。まさにデフォラス・ウィレジ。
◆デフォーの予感がする◆
銃規制派の司会者と推進派のゲストが議論するトーク番組をコカインでハイになったウィレム・デフォーがピンク色の部屋で見続けている。そこへ別れた妻と娘が帰ってきて「来ないでと言ったでしょう!」とデフォーを激しく責め、どれだけなだめても怒りが静まらないことに逆上したデフォーは妻をナイフで滅多刺しにしたうえに、リボルバーを取りだして泣き叫ぶ娘の頭を吹き飛ばす。
このアバンタイトルの惨劇はどぎつい色彩とグニャグニャに歪んだトリップ映像で描かれる。セリフが何度もリフレインして、デフォーの顔は水面に映し出したように揺れ、歪む。
善良なわれわれ観客は、コカイン中毒のデフォーから見た悪夢的世界の疑似体験を強いられるのだ。
アバンタイトルからデフォイズムが滑走する、素晴らしく狂ったシーンだ。
本当に怖いのはデフォーではなく巨漢の元妻(画像右)。
本編を観る前からこれがただのB級クライムサスペンスではないことなど百も承知だったが、まさかこれほどブッ飛んだイカレ映画だとは。嬉しい誤算だ。
なぜなら本作を手掛けたのは御年70歳のポール・シュレイダーなのである。
映画ファンの間では『タクシードライバー』(76年)の脚本家として知られているが、監督としても『ハードコアの夜』(79年)や『アメリカン・ジゴロ』(80年)といったハードボイルドな作品を残している。
ちなみに大の親日家で、ロバート・ミッチャムと高倉健の共演作『ザ・ヤクザ』(74年)の脚本を手掛けたり、三島由紀夫のドキュメンタリー映画『ミシマ :ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』(85年)を監督するなど日本との縁は深い。
シュレイダーの作品では、クソみたいな状況から抜け出そうともがくあまり却って肥溜めに嵌っていく人々がよく描かれる。
本作もまた、極悪人3人組が大金を稼いで真っ当な人生を手に入れようとするがクソみたいなアクシデントのせいで破滅に転落する…というタランティーノやコーエン兄弟のようなぐだぐだクライムサスペンスだが、一風どころかかなり変わったヘンテコ劇薬映画なのだ。
急にモノクロになったりする。
◆まっとうな人生とは程遠いバカ三人◆
刑期を務めあげて出所したばかりのニコラス・ケイジ(以下ニコジ)を、親友のデフォーとクリストファー・マシュー・クックがストリップ・バーに連れていって祝福する。
先ほどのアバンタイトルではピンク一色の毒々しい色彩のなかでデフォー大暴れの巻が繰り広げられたが、この出所パーティのシーンではなぜかモノクロ。本作はニコジのナレーションが随所に挟まれるので、このモノクロシーンは明らかにフィルムノワールを意識したタッチだろう。
おもしろいのは、ニコジが「出所祝いとしてデフォーとクックからスーツをプレゼントされた」と言ったときだけ当時の様子がカラー映像でフラッシュバックされるのだが、そこでニコジがプレゼントされた青いスーツが引くほどダサい。
最低だ。
三流エンターテイナーじゃあるまいし。今日日スタンダップコメディアンでもこんな恰好はしない。何が悲しくてこんなものを着なければならないのだろう。だがニコジは鏡の前で「おっほ」などと言って発奮しており、どえらく気に入った様子だ。なんでやねん。
デフォーとクックがこのスーツを選んでいる姿を想像すると涙が出る。なぜこんな最底辺のスーツを選んでしまったのだろう? ネクタイまで最低だ。
要するにこの三人はバカなのである。
三人はでかい仕事で一山当てたあとに裏社会から足を洗ってまっとうな人生を手に入れることを夢見ている。
だがもちろん無理だ。第一、こんなスーツを着たり選んだりして喜んでるような連中がまともな社会生活が送れるとは到底思えない。
それに、ニコジは誰彼かまわず「俺はハンフリー・ボガートに似ているんじゃないかと常々思っているんだが、あまり賛同を得られないんだ」なんてどうでもいい話をするような馬面マヌケ野郎だし、デフォーは衝動的に人を殺すコカイン吸いのサイコ野郎なのである。
唯一まともに見えるのはクックだけだが、仕事が成功するたびに3人でマスタードを掛け合うような奇妙な打ち上げをしているので、やはり全員バカなんだと思う。
これは一部の読者にしか伝わらないだろうが、ニコラス・ケイジとウィレム・デフォーという役者には妙な可笑しさが漂っている。
ちゃんとした役をまじめに演じていても、仕草や表情、あるいは佇まいや雰囲気がシリアスな笑いを誘発するのだ(キアヌ・リーブスもこの系譜)。デヴィッド・リンチの『ワイルド・アット・ハート』(90年)で二人は共演しているが、やはりそこでもニコジ扮するイカれ主人公とデフォー演じるイカれ悪党が奇妙な笑いを作り出していた。
そして本作では、もっぱらデフォーが「シリアスな笑い」を担当しているので、全世界のデフォーファン(それすなわち全人類を意味する)が心から満足するデフォー映画に仕上がっている。
ちなみにレビューサイトでの評価はすこぶる低いが、耳を貸さなくていい。
どうせブルース・ウィリスのアクション映画しか見たことないような無教養な中年親父層が、てっきりアクション映画と思って見たら不思議なデフォー映画だったから腹いせに低評価をつけているだけなのだ。
◆天然炸裂デフォー◆
本作のデフォーは常にコカインでハイになっていて、思いついたように人を殺害するような危険人物だが、ド天然の饒舌野郎というチャーミングな設定も付随している。
エジプト人の女はいいだの、自分はラップに詳しいだのと、箸にも棒にもかからないことをのべつ幕なしに喋りまくっているのだ。おまけにド天然。
一度目の仕事でギャングのアジトに踏み込んだとき、ニコジから「むやみに人殺すなよ」と釘を刺されたデフォーは、にっこり笑って元気よく返事した。
「わかった。二人殺してもいいか!?」
わかってない。
どうにかその仕事を成功させたあと、デパートのフードコートに集まってニコジが次の仕事の話をしている最中、急にデフォーは人差し指を立てて「俺の好きなことを教えてやろう」と言い出す。
「おまえたちよ。裸足でカーペットを触るとゾクゾクしないか? 俺はする。なんていうか、たまらない感触だし、自由を感じることができる。だって、ムショの床にはカーペットなんてなかっただろう? 俺は裸足でカーペットの感触を楽しむことが好きなんだ。おまえたちはどうか知らないが…」
ビビるぐらい脈絡を欠いたデフォーの発言にクックは呆れ果て、ニコジは無視して仕事の話を進めた。ところが、デフォーは自分の話が無視されたことで機嫌を損ねたりせず、それどころかニコジの話を真剣な顔で聞き始めるのだ。まるで自分が今カーペットの話をしたことなんて忘れたかのように。
狂った言論空間である。
裏社会の大物から「借金を返さない男から赤ん坊を誘拐してきたら75万ドルやる」と言われた三人は、この仕事を最後に裏社会から身を引く決意をして、薄暗いビリヤード場で計画を立てる。
ニコジ「悲観的な話はしたくないが、もし計画をしくじってこの中の誰かが逮捕されたとしても、口を割ったりするのはナシだ。サムライのように散るんだ!」
デフォー「ジャッキー・チェンかぁ~」
クック「ニコジが言ってるのは捕まりそうになったら死を選ぶってことだ」
なぁ、デフォー…。おまえに効く薬はないのか?
あ、コカインか。
「ジャッキー・チェンかぁ~」って、二重の意味でトンチンカンな発言やないか。「サムライのように散る」という比喩が理解できていないことと、そもそもジャッキー・チェンはサムライではない。
さて。ターゲットの屋敷に忍び込んだ三人はベビーベッドから赤ん坊を抱きあげるが、案の定泣きだしてしまう。泣きやまない赤ん坊に焦ったニコジが「口に突っ込むやつはどこにある!? あれだよ、なんて言うんだっけ…」と言っておしゃぶりを探していると、またしてもこの男が余計なことを言った。
デフォー「あー…。チンコ?」
真剣そのものといった真顔で言っているだけに、尚ひどい。
その直後、デフォーが屋敷に現れた家主の頭をショットガンで吹き飛ばしてしまったことで一気に計画は狂いだす。デフォーが殺したのは赤ん坊を誘拐して身代金を払わせるターゲットの男だったのだ。殺してしまっては元も子もない。
いまいちどデフォーの仕事ぶりを思い返してみよう。
・仕事の話をしてる最中にカーペットの話をした。
・「チンコ」と言った。
・殺してはならない男をうっかり殺した。
なんだこの仕事ぶり。
いらん事ばっかりしてまったく貢献しないデフォー。
◆懺悔炸裂デフォー◆
ここまでが映画中盤で、本作の真骨頂は終盤の30分にある。
デフォーとクックは誤って殺してしまった男の死体を捨てるためにニコジと別行動して車を走らせるが、その車中でデフォーがこれまでの人生を悔い改めるというシーンが約20分に渡って延々描かれるのである。
別れた家族を殺してしまったことをクックに告白し、「まっとうな人間になりたい」といった観念的な話を涙ながらに語りまくるのである。
「とてもたまらないんだよ。今の人生を終わりにしたいんだ。俺は生まれ変わりたいんだよ。強い意志で行動を起こして何かを変えることができれば、なれるはずの自分になれるだろう?
そのための手伝いをしてほしいんだ。鏡で自分の顔を見るたびに吐き気を覚えなくても済むような人間になりたい。
やるよ…。畜生、やってやる!
なぁ、クック。どうか俺の欠点を5つ挙げてほしい。俺が直すべきだと思う5つの欠点を教えてくれ。どうか頼む。再起っていうか…、とにかく俺はその欠点を直したい。何を言われたって構わねぇ。たとえ俺の欠点がお袋のせいでも親父のせいでも構いやしないから。だって自分の欠点を直したいんだ。それが償いになると信じてるし、それをやるつもりだ。明日から真人間になるんだ。さらばクズ人生という具合に」
セリフなっっっが。
(実際はこの10倍以上あります)
ひとしきりそんな話をして大いに反省したあと、クックに車を停めさせてストリップバーでヘロインを吸引する(生まれ変わるんじゃなかったのかよ!)。
そしてまたスンスン泣きながら我が身を顧みて「強い意志で行動を起こして何かを変えることができれば…」みたいなえらく観念的な話を始める。
このような懺悔タイムが約20分も続く。デフォーがただただ反省してるだけの20分間だ。さぞかし退屈なシーンと思うだろうが、決してそんなことはない。観る者はこの顔芸に満ちたデフォー漫談に心奪われ、気がついた頃には「あ、いつまでも見てられる…」と居心地のよさを覚えるはずだ。緩やかに回る麻酔のように。
だがデフォー漫談にイラついてる者が一人だけいた。クックだ。彼は前々からデフォーのくだらない長話に心底イライラしていたのだ。ついに堪忍袋の緒がぶっちぎれたクックは、「喋りすぎ」という理由でデフォーを撃ち殺した。
必死で命乞いをするときのデフォーの顔が素晴らしすぎるので、ぜひ皆さんとシェアーしたいと思う。
これぞデフォ顔の精髄。思いきり堪能してくれ。
何かの犬に似ている。ちなみにディーゼルというのはクックの役名ね。
◆デフォーとは概念である◆
デフォーが死に、クックも捕まり、最後に残ったニコジの末路を見届けてから映画は終わるのだが、このラストシーンではマジックリアリズムのような魔術的映像が花開き、われわれの度肝を抜き去ってゆく。
先述の通り『ドッグ・イート・ドッグ』はありがちなB級クライムサスペンスではない。むしろその対極に位置するアート映画に近い。
トリップ映像、ネオンサイン、歪む顔、濡れた路面…。観る者の知覚を拡大させる新次元的な映像体験だ。
なんというか、観ている最中 ものっっっっすごく気持ちよかった。
映像面からニコラス・ウィンディング・レフンとの類似性を指摘する評もあったが、あんなものと比べられては困る。この心身症的な映像世界の中にライアン・ゴズリングのような二枚目ではなく、ニコラス・ケイジとウィレム・デフォーというナチュラルボーン・クレイジーを置くという発想にこそポール・シュレイダーの年功を見るのだ。
もっとも、銃社会についてのトーク番組に始まる本作が近ごろなにかと話題になる銃規制問題を反語的に描いた作品であることは明らかだが、それにしては銃そのものや暴力描写がやけに軽快に描かれているので「デフォーのような人間に銃を持たせるとこんな恐ろしいことになる」という主題が皮膚感覚として伝わりにくい。もっとヒリヒリした見せ方が出来ていれば傑作だったのだが。
とはいえ、やはり本作の醍醐味はデフォーの懺悔とたわ言に尽きよう!
『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(17年)での呆れるほどの真人間と同じ役者とは思えないぐらい、本作で見せたコカイン吸いのお喋りサイコは強烈なインパクトを残す。確実にデフォー史に刻まれる一本となるだろう。
第一、撮影時のデフォーが61歳と聞いて果たして誰が信じるだろうか。おそらくデフォーは老いなどという自然現象から解き放たれた人間なのだろう。考えてみれば当然の話だ。
誰もが知る通り、デフォーは時空を越境して世界に遍在する「概念」なのだから。
そんな偉大なデフォーが、きったねえ顔をぐしゃぐしゃにして懺悔し、命乞いし、観念的なたわ言を繰り返す。
真顔で「ジャッキー・チェンかぁ…」と呟いたり「チンコ?」と発する。裸足でカーペットを踏む心地よさについて一人で熱弁を振るう(思いきりシカトされる)。そして罪なき人々を惨殺しまくる。
これ以上に素晴らしい映画がこの地球上に存在するだろうか。もし存在するとして、それは神への冒涜にほかならないので連帯責任としてわれわれ人類は明日の明朝にでも滅ぶべきだ。
いわく形容しがたい髪型と、いわく形容しがたい表情。デフォ顔ここに極まれり。
ダメ押し。