【M・ベイ】バカだけど憎めない【擁護運動】
1995年。マイケル・ベイ監督。ウィル・スミス、マーティン・ローレンス、ティア・レオーニ。
犯罪都市マイアミ。ある夜、市警始まって以来の大胆不敵な窃盗事件が発生した。警察内部に保管してあった1億ドル相当の押収ヘロインが跡形もなく消失したのだ。内部調査班が動きだし外部に洩れる前の解決が至上命題となり、猶予は72時間しかない。麻薬調査班を率いるハワード警部は、この任をマーカス&マイクのコンビに命ずる。(Yahoo!映画より)
①ベイ擁護者としての私
私が映画好きだと知っている映画好きの知人友人から、たまに訊ねられる一言。
「マイケル・ベイとか嫌いでしょ?」
たしかに私は「マイケル・ベイ現象」という言葉の乱用者であり、映画を酷評する際、事あるごとにマイケル・ベイを引き合いに出すことから、ベイを目の敵にしているようなイメージを持たれてしまうのかもしれない。
だが、彼自身や彼の映画を強烈に酷評したことは一度もない。せいぜい『トランスフォーマー/リベンジ』(09年)に嫌気がさして3作目以降を無視しているという程度。
「むしろ!」と言いたいよ。
むしろ『ザ・ロック』(96年)は好きな映画だし、5年前には『アルマゲドン』(98年)をわざわざ観返してわざわざ再評価のレビューを書き直す労力もいとわず、近作『ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金』(13年)に至っては筋肉史学という魔術的な造語を使って大真面目に褒めるというベイ擁護運動まで起こす…ぐらいには憎からず思っているよ!
バカだけど憎めないんだよ。
マイケル・ベイ…血とメカと火薬が大好きな精神年齢11歳ぐらいのバカ監督。
カーチェイスを撮る為だけに開発した特殊撮影車両「ベイ・バスター」を乗り回しては、撮影現場を通りがかった市民から「あのバカは何してんだ」と冷たい目を向けられている。
そんな私が今回、ベイ擁護運動の俎上に載せたるは『バッドボーイズ』(95年)!
今となっては監督のベイよりも主演ウィル・スミスの方がしらこい人間として頭角を現している気がしないでもない、今日この頃。
さらには映画界にとって最も必要のないプロデューサー、ジェリー・ブラッカイマーも名を連ねるという、ウザい人材が3人も集結したハリウッド史上空前の激ウザ映画『バッドボーイズ』シリーズ。
ベイ! ウィル! ジュリー! ですよ。
ベイ! ウィル! ジュリー! のリズムでサンドバッグを叩きたくなるぐらい、ポンコツ・バカ・ナルシストの三位一体ぶりに前後不覚。失神しそう。
しかし、それゆえにバカ映画という印象論だけで片づけられているのではないか…と危惧したので、このたび改めて「『バッドボーイズ』とは何だったのか?」について論を展開していく所存なのです。
…というのは実は建前で、本当はヒロインのティア・レオーニの全盛期を今いちど観ておきたいという端的な欲求と、彼女をほったらかしにする眼識なきハリウッド人がのさばる中、諸手を挙げてティアを抜擢してブレークスルーの契機を与えたベイの功績を個人的に讃えるためにこそ、改めて私は本作を鑑賞したのである(ティアだけでなくウィル・スミスにもブレークスルーの契機を与えてしまったが)。
ティア・レオーニ…『ディープ・インパクト』(98年)、『天使のくれた時間』(00年)、『ジュラシック・パークⅢ』(01年)などゼロ年代前後に活躍。ちなみに筆者は勢いが衰えた御年52歳のティア・レオーニを再び映画会社に売り込むには充分なティア論を持っています。
どうして私は鑑賞の動機を述べるだけで既に1000文字以上も使っているのだろう。
②肩に優しい映画としての『バッドボーイズ』
さて、本題。
ベイのこの処女作は、自動車がバカみたいにトランスフォームする映画の2億ドル級ハイ・バジェットに比して、わずか2300万ドルで撮られた低予算映画である(当社比)。
そしてベイ映画といえば長尺。モッタラモッタラしていていつまで経っても映画が終わらない…という、あの肩こり感覚。
ハリウッドの悪しき風習でもあるが、腕がない監督ほど120分を越えてしまうのだ(実名は出さないけど、某ノーラン家のクリストファーとかね)。
したがって、人がベイ映画を観ようとするとき、たいてい2時間半は覚悟せねばならない。
ちなみに『アルマゲドン』は150分。
『トランスフォーマー/ロストエイジ』(14年)、165分。
『パール・ハーバー』(01年)、183分。
肩こり感覚、プライスレス。
アメリカ万歳とかお涙頂戴が問題ではなく「長い」ことが問題なんだよバカ。
しかし本作は…、なんと118分。
あのベイが…、あのベイが120分未満に収めたのである!
(ここでエアロスミスの「I Don't Want to Miss a Thing」を脳内再生してください)
120分を越えてない。目頭を熱くしての祝福!
まるで赤点小僧がちょっといい点数を取って帰ってきたときのママンの感動に似た喜びに胸が打ち震えるわー。「越えなくて越えなくて震える」という西野カナの名曲を口ずさみながらベイを胴上げしたいわー。マラカス振りながら石川さゆりの「天城越え」を「2時間越え」という題で替え歌にして身内だけに発表したいわー。
そのぐらい、私、祝福してます。ダイソーで買ってきたクラッカーばんばん鳴らしたろか。
すなわち『バッドボーイズ』は時間感覚と金銭感覚が麻痺してない頃の健全なベイが撮った、唯一のギリ正常なベイ映画なのである(当社比)。
ベイの間延びダラダラ超大作に心底うんざりしていた身としては、もう泣きながら感謝だよ。泣きながら「2時間越え」歌ってマラカスだよ。そのあとクラッカーだよ。
(※しかし120分未満のベイ映画は現時点でこれ一本だけ)
③ファッキン・ブラック・ブロマンスとしての『バッドボーイズ』
そんな本作は、黒人同士が協力して悪をやっつけるというアホみたいな内容だが、黒人同士というところがポイントである。
80年代以降、根強い人気を誇るバディ・アクション(バディ…相棒の意)。
『48時間』(82年)、『リーサル・ウェポン』(87年)、『ダイ・ハード3』(95年)、『ダブルチーム』(97年)、『ラッシュアワー』(98年)、『ショウタイム』(02年)、『マイアミ・バイス』(06年)、『2ガンズ』(13年)、『ホワイトハウス・ダウン』(13年)…その他、数限りなし。
白人と黒人がチームを組む映画は異常に多い。
これらはすべて白人と黒人のバディを扱ったものだが、人種的融和などクソ喰らえ精神を持つベイは、黒人映画一辺倒の黒人監督スパイク・リーの特権を鮮やかに分捕り、黒人同士による珍しいバディの形を築きながらも、決してブラックスプロイテーション(黒人映画)に自閉することなく、冗談と口論と下ネタの応酬によって絆を深める主演二人のファッキン・ブラック・ブロマンスを開花させた。
※ブロマンス…男性同士の極めて近しいホモソーシャルな関係。
よって「異人種間の融和」とかいうわざとらしいメロドラマがなく、腐るほど存在する異人種間バディムービーよりも一際カラッとしたバディムービーで、途方もない解放感に満ちている。それが『バッドボーイズ』。それがベイイズム。
この映画の気持ちよさの本質は恐らくそれだ。「人種なんてどうでもいい。黒人の方がクールだから黒人を使っただけだ」というベイのバカゆえの健全的無配慮に基づいている。
要するに、条件つきでバカは最高ということだ。
このベイイズムは、他のベイ作品を見ても一目瞭然だ。
『ザ・ロック』でもハゲとハゲのバディ(ショーン・コネリーとニコラス・ケイジ)、『ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金』でもマッチョとマッチョのバディ(マーク・ウォールバーグとドウェイン・ジョンソン)、そして『バッドボーイズ』の黒人と黒人のバディ(ウィル・スミスとマーティン・ローレンス)…。
マイケル・ベイは凸凹コンビではなく同系統の凸凸コンビでバディムービ―を作る。
なぜって? バカだから。その方がいろいろ二倍になる気がするのだろう。
黒人警官二人がワーワー叫ぶだけという非常に騒がしい映画『バッドボーイズ』。
④小津映画としてのマイケル・ベイ
改めて観返すとアクション一辺倒というわけでもなく、二人とも刑事なのに事件を追うことよりも家庭やプライベートを優先。事件をほったらかして夫婦喧嘩やカーペットの掃除などに明け暮れている。
はっきり言ってホームドラマなんだよね、これ。
ちなみに、本筋がおざなりになってあれよあれよという間に話が脇道に逸れてホームドラマに傾倒する謎の癖は『トランスフォーマー』(07年)にも表れてましたね。
もうね、小津。
『バッドボーイズ』とは、ハリウッドでベイが撮った、ちょっぴり死人が出たり建物が吹き飛んだりする黒人オンリーの小津映画である!
滋味深いなぁ。
小津安二郎…やたらとホームドラマにこだわる姿勢に定評のある、日本映画の頂点に君臨する映画作家。マンガ界でいえば手塚治虫。黒澤明よりも遥かに格上のキング・オブ・日本映画!
なお「マイケル・ベイは小津安二郎の後継者である」なんて言った日には待ったなしで精神病院にぶち込まれます。私は現在、精神病院の閉鎖病棟の中からこのブログを綴っているのです。チャオ~。