ギャグ、シリアス、スプラッター。全部ごった煮の血迷った快作。
2018年。アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ監督。ロバート・ダウニー・Jr.、クリス・ヘムズワース、マーク・ラファロ、クリス・エヴァンス、ベネディクト・カンバーバッチ、トム・ホランド。
アベンジャーズたちがサノスというゴリクソ強いおじさんにしこたまド突かれるという充実の内容。
ハロー、おまえたち。今日はアメコミですよ。
困ったなぁ。弱ったなぁ。困りながら弱ったなぁ。
困ったときにどうにかしてくれる元気100パーセント坊ちゃんを召喚しようと思ったけど、アメコミ映画を取り上げるたびにこいつを召喚してたらアメコミの申し子としてお馴染みのワキリントさんからブチ切れられそうなので、今回は一人で書きました!
昨日観たばっかりの『デッドプール2』評も一人で書く予定です。
ひとりでできるもん!
アメコミに興味のないインテリ層やシルバー層のためにあらすじを補足しておくと、この映画はサノスというむちゃむちゃ怖いおじさんがヒーロー達からインフィニティ・ストーンと呼ばれる6種類の石を奪って願いごとを成就させようとする、まぁ、『ドラゴンボール』みたいな話です。
ていうか、シルバー層は『ドラゴンボール』さえよく知らないかもしらんが。
そもそもそんなインテリ層やシルバー層はうちの読者にはいない。
うちのブログを読んでいるのは、ようやく人生が安定して人間的にも熟成・発酵してきた第二次ベビーブーマーが4割、休日は寿司を食ったりクラブで踊ったりして人生をエンジョイすることなく一人で映画ばかり観ては不気味な笑みを湛えているボンクラ映画好き3割、バカな筆者が恥を晒しながら映画レビューしているさまを失笑と嘲笑で楽しむ暇人3割、あと高校生1名だ。
そんなわけで『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』である。
いくぞぉー。
◆リアリティ・ストーン◆
個人的にはマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)が終わったあとのルッソ兄弟の身の振り方にこそ興味津々で、それゆえに早くMCUが終わってほしいという邪悪な願いを夜空にかけています。
アメコミ映画が撮れる監督は2~3人いるが、このクロスオーバー企画が始まって唯一「映画」が撮れるのはルッソ兄弟のみ。ゆえに彼らが『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(14年)という純映画的な傑作を撮った時点で、どちらかと言えばDC派の私は「あ、もうDCに勝ち目はないな。残念無念」と観念した。ろくでもないアメコミ監督を暗黒物質にしたルッソ兄弟の独壇場である。
そして、そんなルッソ兄弟にヒーロー大集合祭り第三弾の『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』を撮らせるというこの上なく妥当な采配がマーベル・スタジオの鑑識眼の鋭さを物語っている。マーベル・スタジオの采配はリアルにすごい。
バイセクシャルのブライアン・シンガーに『X-メン』(00年)を撮らせたり、当初『アントマン』(15年)の監督にエドガー・ライトを打診しただけのことはあるよなぁ。
リアリティ・ストーンはコレクターではなくルッソ兄弟が持っていたのです。
アベンジャーズのリーダー、アイアンマン(ロバート・ダウニー・Jr)。
◆タイム・ストーン◆
アベンジャーズたちが強敵サノスにしたたかボコられるだけの150分。
私が「近年のアメリカ映画に見られる長尺問題」を懸念していることを知っているGさんは、ご自身の評の中で「ふかづめさんが怒り出すんじゃないかな」と冷や汗を垂らしておられたが、無問題ザッツオールである。
本作の150分に関してはむしろアリでしょう。鬼のように強い敵からひたすら150分間ボコられ続けるという構成はついぞ例を見ないほど前衛的だし、何よりこのボコられ通しの150分が続編への大いなるフリになっているからだ。
実際、「意図された長尺化」というのは、たとえば『ファニーとアレクサンデル』(85年)や『愛のむきだし』(09年)にも認められる。あと2020年公開予定の『アンビアント』とかね。ちなみに『アンビアント』の上映時間は720時間=30日(予告編だけで7時間あります)。
タイム・ストーンを持っているのはドクター・ストレンジではなくルッソ兄弟なんだなぁ。
そろそろ趣旨が分かってきたと思うけど、こんな感じで最後までいきますよ。
ブラック・ウィドウ(スカーレット・ヨハンソン)をナンパするキャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)。
◆マインド・ストーン◆
黄色の文字って見えづらいでしょう。ごめんなさいね。でもマインド・ストーンのカラーは黄色だからしょうがないんですよ。我慢せえ。
さて。マーベルヒーローの共闘が描かれる本作は、スパイダーマンやドクター・ストレンジに加え、ついに『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(14年)の愉快な面々が本格参戦。
今回の『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』は従来のテイストとは打って変わってかなりウエット&シリアスなのだが、バカ揃いのガーディアンズたちが当シリーズの楽天性を担保していて、物語の気分が躁鬱のように上下する。味方がバタバタ死んでいってるのに全編ギャグだらけ…という不条理劇を「違和感なく不条理なもの」としてまとめ上げるルッソ兄弟の妖しい手つきに前後不覚。
おそらくMCUファンは興奮もしくは慣れによって感覚が麻痺してるだろうが、映画として一歩引いたところから眺めている私に言わせればけっこうおかしな実験映画すよ、これ。
悪夢のように凡庸だった『アベンジャーズ』(12年)に比べれば素晴らしいほど血迷っている。
だが作品としてのベースカラーは徹底的に陰惨。ヴィジョンは二度も槍で刺され、ハルクバスターは腕をもぎ取られ、ドラックスはサイコロステーキにされる。その他、首が折れたり枝が折れたりと大忙し。そしてソーが目玉をゲットする。
スプラッター映画やないか。
なんやこれ。
なんかもう『死霊のはらわたII』(87年)を観ているような喜劇と惨劇のハイブリッドに精神が侵されて頭がグラグラしてくる。
マインド・ストーンはヴィジョンのデコではなくルッソ兄弟の手中にありました。
アベンジャーズ最強の神、ソー(クリス・ヘムズワース)。
◆スペース・ストーン◆
ルッソ兄弟の強味といえば説話的活劇。
要するにアクションがそれ単体として終わらず、スペクタキュラーな戦闘シーンを展開しながら物語も同時に進めるという経済的な作劇のことだ。これが出来ないと『アベンジャーズ』のようにアクションシーン(活劇)と会話シーン(説話)が分離してしまってその都度映画のリズムが寸断されてしまうのだが、たとえば説話的活劇がめっぽう巧いディズニー/ピクサーなんかは、ドタバタした活劇の中でも物語が綺麗に進んでいく。
そして今回。
『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(14年)に比べるとやや見劣りするものの、苦戦を強いられるヴィジョンとスカーレット・ウィッチにキャップが加勢する流れや、ヴィジョンの額に埋められたマインド・ストーンを摘出&破壊するための時間稼ぎとして一人ずつサノスに薙ぎ倒されていくスローモーションなど、アクションによるストーリーテリングは相変わらず冴えている。
特に、ブラック・オーダーに追いつめられたヴィジョンとスカーレット・ウィッチの背後で列車が通り過ぎると黒い人影が…というキャップの加勢シーンは鳥肌モノだよ!
「日本よ、これが映画だ。」という惹句はこういう時に使うのですよ、配給会社の皆さん。
ただ、今作は6つのインフィニティ・ストーンを集めようとするサノスを食い止める…という筋ゆえに、どうしてもアクションそのものが目的化した活劇が大部分を占めるので、映画というよりは漫画的な快楽に近く、鈍重なカットバックがことさら個々のアクションを停滞させてもいる。
だがまぁ、数十人ものヒーローがあっちゃこっちゃでウダウダやっているというコンセプトの群像劇なので、映画としてのふくよかさは元より織り込み済みなのでしょう。
そうそう。本作の構成はモロに群像劇で、ルッソ兄弟自身がインタビューで明言しているにも関わらず、本作の血脈にロバート・アルトマンが流れていることを指摘した評がほとんど存在しないことに軽く驚いています。
たぶんアルトマンを観るような映画好きはMCUなんて観ないのだろうし、MCUを観るアメコミ好きもまたアルトマンなんて観ないのだろうけど、『ナッシュビル』(75年)と『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』を両方観るといい感じに相互補完できると思います。『コンドル』(75年)と『大統領の陰謀』(76年)を観ていた方が『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』を10倍楽しめるように。
話が脱線してしまった。
とにかく本作は、アクションやカットバックで縦横無尽に空間を処理しつつ、位置関係や視覚情報がまったく混乱することなくヒーロー総出の乱痴気騒ぎを見せきる…という空間の映画だ。
スペース・ストーンを所持しているのはロキではなくルッソ兄弟だったという裏切り。
色んな映画で浮気するハルク(マーク・ラファロ)。
◆パワー・ストーン◆
はいはい、次はパワー・ストーンの話をすればいいのね。若干面倒臭くなってきたのでササッといきます。
私はこの作品、あのどうでもいいラストシーンよりも事実上の主人公であるサノスがどんなヒーローよりも人間的な魅力を湛えていたということが何より衝撃だった。
これまでは単なる記号としてしか描かれなかったヴィランを、その内的葛藤や行動原理に釣瓶を落とすことでMCU屈指の「活きたキャラクター」になっているあたりが素晴らしすぎて。
人口爆発を懸念するサノスは、インフィニティ・ストーンを6つ集めて「人類の数を半分まで間引きしてくれぇー」とシェンロンにお願いして宇宙の均衡を保とうとする環境過激派である。
次代のキッズたちがより良い暮らしを送れるように、食糧難で経済破綻しかかっている惑星の住人の半数を虐殺することで財政再建を目論むという、ある意味では「人類滅亡」というおバカな野心を持った悪役よりもよっぽど恐ろしくてタチが悪いキャラクターなのだ。
そしてサノスは自らの虐殺行為を「慈悲」と称する。
おまえは麻原彰晃か?
サノスの虐殺行為はどこか「ポア」にも通じるし、サノスを崇拝して殺人をも厭わない幹部もいるわけで、もうなんかオウム感たっぷりで恐ろしくなってきます…。
結局のところ、強大なパワーを持った奴よりも強大な思想を持った奴の方が怖くて強くてタチが悪いという。
そして、そんなキャラクターを容赦なく描き切ったルッソ兄弟の腕力に、観る者は心地よくねじ伏せられます。
パワー・ストーンの持ち主はノヴァ軍ではなくルッソ兄弟だったというのかっ。
日米問わずマンガの実写化に出まくっているサノス(ジョシュ・ブローリン)。
◆ソウル・ストーン◆
「おい。どうした、ルッソ!」と思ったのは、女優陣の撮り方がかなり雑になっているあたりだろうか。
とりわけスカーレット・ヨハンソンとコビー・スマルダーズという『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』の二大ミューズが大幅に劣化(ただしスカヨハのメイクや髪型が明らかに従来のスタイルから逸れているのは、もしかすると次作で〇〇するためかもしれない)。
今回、作劇上の瑕疵や不満をあえて指摘しなかったのは、それが次作への布石になっている可能性を孕んでいるからだ。
ビジュアル変化やキャラ不在は明らかに意図的なものだし、なんだったら全体的にローキーすぎるという映像設計すらも次作へ向けた演出になっているのでしょう。
2年前からアメコミ疲れを起こしている私に対して、この映画はまさに荒療治だった。
たとえアメコミに疲れても映画としての快楽を約束してくれるルッソ兄弟は、やはり信頼の置ける監督だ。ナイスな兄弟だと思う。まさにMCUの魂そのもの!
こじつけ感が尋常ではないが、まぁそんなわけで、ソウル・ストーンを持っているのもやはりルッソ兄弟なのでしょう。
ブラック・ウィドウのスペシャルフォトを作りました。
今作だけ赤髪じゃない、画像右下のブラック・ウィドウ(スカーレット・ヨハンソン)。これが次作へのギミックになっているのかも。
はい、お疲れさんでした。
すべてのインフィニティ・ストーンが無事に揃ったので、この世に存在するろくでもない映画監督の数を半分に減らしたいと思います。
パチン。