ワインスタインのことは忘れて気軽に観てほしい快作。
2017年。ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス監督。エマ・ストーン、スティーブ・カレル。
73年、女子テニスの世界チャンピオンであるビリー・ジーン・キングは、女子の優勝賞金が男子の8分の1であるなど男女格差の激しいテニス界の現状に異議を唱え、仲間とともにテニス協会を脱退して「女子テニス協会」を立ち上げる。そんな彼女に、元男子世界チャンピオンのボビー・リッグスが男性優位主義の代表として挑戦状を叩きつける。ギャンブル癖のせいで妻から別れを告げられたボビーは、この試合に人生の一発逆転をかけていた。一度は挑戦を拒否したビリー・ジーンだったが、ある理由から試合に臨むことを決意する。(映画.comより)
おはようございます。
『ひとりアカデミー賞』を読んで頂いた方に改めて御礼申し上げます。粗品とかあげます。
さて、三が日ぐらいはブログを休ませてもらおうと思ってましたが、暇な人たちがしきりにアクセスしてくるのでアップしますね。
休業日なのに店の前でウロチョロされて鬱陶しいのでシャッター開けて営業する、みたいな店主の気持ちです。
三が日ぐらいアクセスすんなよ。ちょっと目を離した隙にすぐアクセスしようとする。親の仇みたいにアクセスばかりしようとして。何かにかこつけてはアクセス、アクセスと。子供が生まれたらアクセスと名づける覚悟がおまえにあるというのか? それともサクセスと名づけるつもりだとでも?
本日は『バトル・オブ・セクシーズ』だ。
アクセス、サクセス、セクシーズ。これでいきましょう。新年一発目から好調です。
◆“今”に繋がる世紀のテニス試合◆
1973年にビリー・ジーン・キングとボビー・リッグスがおこなった男女対抗のテニス試合「Battle of the Sexes(性差を超えた戦い)」の映画化である。なお、松岡修造も錦織圭も出てこないので期待されぬよう。
すぐれたスポーツ映画とはスポーツそれ自体を描いているのではなく、スポーツを通してなんか別のサムシングを描いているわけだが、その意味で本作は典型的なスポーツ映画である。
ビリー・ジーン・キングはテニス協会に賃上げストをおこなう傍ら、夫がありながら美容師の姉ちゃんと禁断の恋に落ちてしまう。
テニス協会の悪徳プロモーターはビリー・ジーンのストを叩き潰すために男子世界チャンピオンのボビー・リッグスと結託し、男性優位主義を掲げて男女対抗試合を組む。「女にテニスは出来ない。女の居場所は台所と寝室だけだ!」というイカつい差別に押されながらもボビーに立ち向かっていくビリー・ジーン。
彼女を突き動かすものは勝利を求むる心ではない。女ナメんなや!という怒りである。
ロマンスもあるよ。
これはすべて今のハリウッドで実際に起こっていることだ。
超大物映画プロデューサー ハーヴェイ・ワインスタインの過去30年にわたるセクハラ・レイプが発覚したことで多くの女優が「MeToo! MeToo!」と怒りの告発、芋づる式にほかの俳優や監督の過去まで暴かれた。
また、アカデミー賞でパトリシア・アークウェットやフランシス・マクドーマンドが「女優のギャラが安すぎる!」と叫んだことで業界内の男女賃金格差が露呈し大問題に。
そしてビリー・ジーンのような性的マイノリティの人権問題を扱ったLGBT映画がここぞとばかりに作られた。
世紀のテニス試合「Battle of the Sexes」はさまざまな面で近年の時流に重なる。いま作られるべくして作られた映画、いま観なければならない映画なのだ。よろしくお願いします。
まぁ~、とはいえねぇ…、世の中全体が権利だ差別だとナーバスになり過ぎて若干辟易してもいるんだけど。
その点、我が国は大らかでいいですよ。不倫にはナーバスになってるけどね。
平和な証拠です。
◆スポーツ映画としても素晴らしい◆
この映画の見所はやはりテニス。あくまでテニス。
すでに全米選手権で優勝しまくっていたビリー・ジーンの強さはあえてクライマックスの男女対抗試合まで示されず、もっぱら好敵手ボビーのスーパープレイだけが画面を彩っていく。
ビリー・ジーンは選手としてではなく人間として描かれているのだ。賃金格差に異を唱える「ウーマンリブの闘士」であると同時に、レズビアンであることをひた隠しにせねばならない「マイノリティの女性」として、心のうちに強さと弱さを飼った生身の姿が映し出されていく。
この主人公をエマ・ストーンが元気いっぱいに演じており、キャリアハイの名演と絶賛されているね。
なんだかんだで少年漫画やスポ根ものに弱い私にとって、女子1位のビリー・ジーンが2位のマーガレット・コートに惨敗を喫し、そのマーガレットがボビーに完敗する…という流れは鉄板の胸アツコースでございます!
かつてロッキーを返り討ちにしたアポロがドラゴにぶち殺されたのと同様、主人公を下したライバルが更なる強敵にあっさり倒されるイムズである。
憎らしいほど強かったマーガレットがぶざまな負け方をしたことで、敵対しながらも彼女をリスペクトしていたビリー・ジーンの心は千々に乱れる。ここでビリー・ジーンとマーガレットは「女子選手」という共通項から無言のうちに連帯を築き、ボビーは「共通の敵」となるわけだ。
実話だから言ってしまっていいと思うが、まぁ、最後はビリー・ジーンがボビーを下す(わりと余裕気味に)。劇中ではマーガレットに惨敗したビリー・ジーンがマーガレットに圧勝したボビーに勝つことは理論的に不可能と言われてきたが、スポ根ものにありがちな根性論に冷めてしまう身としては「なぜ勝てたのか?」というロジックがきちんと用意されているのが嬉しい。ただ遮二無二がんばって勝つ…という脳筋プレーではないあたり。イカすぜっ。
一方のボビー、コートの中ではお調子者を演じるという典型的な道化である。
話題作りのためにテニスコートに羊を放ったりふざけた仮装をするなどして飄々と舐めプに興じるような天才プレーヤーで、たびたび失言が取り沙汰される問題児。分かりやすく「いけ好かない奴」だ。
だが私生活では夫婦の危機に立たされており、度重なる女性蔑視の言動もすべてプロモーターの意向によるもの。しょせんはテニス協会のお偉方によって作り上げられたヒールに過ぎないのだが、ビリー・ジーンとの真剣勝負ではセットを重ねるごとに敬意と真剣さが宿っていく…。
この道化師ボビーをコメディアンのスティーヴ・カレルが演じており、笑いと哀しみの二面性をうまく表現しています。
右が本物のスティーヴ・カレルです。左はモデルとなったボビー・リッグス。
ビリー・ジーンと美容師の姉ちゃん(アンドレア・ライズボロー)との同性愛描写には「LGBTですよ! 性的マイノリティについて考えねばなりませんよ! 殺しますよ!」といった説教臭さはなく、わりと純粋なロマンスとして処理されているあたりも風通しがよく。エレベーターのなかで手を繋ぐ二人が、人に見られてはならないとドアが開いた途端に手を放す逆光ショットがなんとも切ない。
ちなみにこの映画、よそ様のレビューを覘くとあたまの賢い人たちが「フェミニズム」とか「男女平等」という言葉を援用して真剣に論じてらっしゃるが、あくまで直球のスポーツ映画として作られたフツーに楽しい映画なので、どうかあまり構えずに観て頂きたいと思います。
基本、球打ちあって「しゃー」つってる映画だからね。
この要約はさすがに雑か。
まぁ、監督が『リトル・ミス・サンシャイン』(06年)のジョナサン&ヴァレリーなので、そりゃあ楽しいわけです。私みたいにテニスのルールすら知らない無知蒙昧のスポーツ暗愚でもばりばり楽しめますよ。
第一章の「“今”に繋がる世紀のテニス試合」の項は読まなかったことにしてくれ。LGBTなんて気にすんな。
気軽に観ろ! ラケットで叩くぞ!
◆髪型もうちょいどうにかならんのか問題◆
ウザい話を少し。
エマ・ストーンとスティーブ・カレルが実際の本人と見分けがつかないほど似すぎ! という話は措くとして、70年代を再現するために35ミリのフィルム撮影に臨んだ…というあたりにジョナサン&ヴァレリーの進化をみとめたい。
驚くのは何度か映されるマジックアワー(日没前に数十分間だけ薄明になる時間帯)のシーン。
マジックアワー…こういうやつです↓
異論はあろうが、私はマジックアワーはデジタル撮影でこそ映えるものと思っていたので、アナクロでローファイな35ミリの肌触りとこれほどマッチするのかと惚れ惚れしながら観ておりました。
フィルム撮影でマジックアワーを撮った映画といえばエマ・ストーンにオスカーをもたらした『ラ・ラ・ランド』(16年)が記憶に新しい。実際、どちらの作品でも原色を使ったオールドアメリカンな衣装や美術がフィルムの上を跳ね回っていたが、『ラ・ラ・ランド』の場合は50年代的心象を借景した擬古典主義であって、本作のようにゴリゴリに根詰めて70年代を再現していく…という手つきで作られたものではない。
70年代の夕陽や当時の風を使ってるんじゃないか…などとバカな錯覚に陥るほどの古典愛で作られたビジュアルは70'sマニア必見でございます。
本作のマジックアワーの画像が見つからなかったので『ラ・ラ・ランド』のマジックアワーでご勘弁。ヒィ! ごめんなさい。
一方で、伝記映画において役者が実在のモデルに似せることには美徳を感じない。
本作のエマ・ストーンとスティーブ・カレルはごく控えめに言ってやりすぎである。
スティーブ・カレルの方はナチュラルボーン・ボビーと言えるほど元々そっくりだからいいとして、エマの方はバキバキに肉体改造していて「もうエマじゃねえよ…」という別人の領域に突入しておられる。
ちなみに私は「エマ・ストーンを発掘したのはオレ」という狂気の妄想に取り憑かれた哀れなファンなのだが、初めてこの映画のポスターを見たときに感じたのは「髪型がヘン。これはナイ…」という失意。奈落。ダークネス。
もちろんビリー・ジーンに似せようとしてわざとこんな感じにしているわけだが、ヘンになるぐらいなら似せる必要はないと思うわけで。
そもそも大して似てないからね。
実際のビリー・ジーンは「ジギー・スターダスト」の頃のデヴィッド・ボウイみたいな鳥頭ですよ。
エマ・ストーンの優位性は変幻自在のヘアーにあって、彼女は金髪と黒髪と赤毛を使い分けられる数少ない女優なのだ。だが本作では黒染め丸出しの鈍臭ヘアーを振り乱してボールを追いかけてらっしゃる。
髪型をもうちょいどうにかして欲しかった。
この画像は比較的キレイな髪型を選んでおります。
少々厳しいことを言ってしまいました。まさかエマも髪型だけでここまで言われるとは思わないだろうね。
とはいえ芝居自体はたいへん素晴らしいので、再びオスカーを手にする日もそう遠くはないだろう。
『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』(17年)といい本作といい、女子スポーツ映画が盛り上がっております。
『クリード 炎の宿敵』(18年)も負けてられへんで!!