シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋

『プリティ・ウーマン』を裏返したポリティカルコレクトネス・ロマンティックコメディ。

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2019年。ジョナサン・レヴィン監督。シャーリーズ・セロン、セス・ローゲン、オシェア・ジャクソン・Jr.。

 

アメリカの国務長官として活躍するシャーロット・フィールドは目前に控えた大統領選の選挙スピーチ原稿作りをジャーナリストのフレッドに依頼する。常に世間から注目され、脚光を浴びるシャーロットと行動をともにするうちに、彼女が高嶺の花であることがわかっていながらフレッドは恋に落ちてしまう。しかし、この恋にはクリアしなければいけないさまざまな高いハードルが待ち受けていた。(映画.comより)

 

おらぁ、世にも嬉しい2日連続更新じゃあ。

先日、居酒屋でお酒を飲んでいた。トイレに立ったときに厨房の方がチラッと見えたのだけど、店員さんが(おそらく店のWi-Fiを使って)ポケモン対戦をしてました。ランクマでしょうか。

私は心の中で「エースバーン対策してる? いま環境で猛威を振るってるからギャラやカバで対面操作した方がいいよ。HB特化のナモの実持ちブルンゲルで受け出ししても完封できるし。いま世界中のポケモンユーザーがエースバーンに苦しんでるよねー。もはや今のポケモンはエースバーンをどうやってバンするかゲームと化しつつあるよ。色んな人たちが色んな方法でエースバーン対策を考えて『エースバーンは強くない!』みたいな動画をYouTubeに上げてるけど、逆に言えばたった一匹のエースバーンに対してあの手この手で対策させてる時点で十分強いんだよねぇ」と思いながらトイレに向かった。

トイレを終えて再び厨房の前を通るときに店員さんのゲーム画面をチラッと見ると、まさに店員さんのナットレイがエースバーンから「かえんボール」モロに受けてぶち殺されてた。

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店員さああああん。

エースバーン対策は…してええええ!って思った。

私も何度コイツに泣かされたかわかりません。対策しないと容易に3タテされるファッキン厨ポケの中のファッキン厨ポケ。ロナウド気取りでボール蹴ってきやがって…このドブウサギがぁぁぁぁぁぁ。

 そんなわけで本日は『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』です。

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◆人はそれをポコと呼ぶ◆

ポリコレ、ポリコレ、ポリコレ、ポリコレ。

ここ10年間のハリウッドメジャーは“映画”を忘れて政治に走っているので、もし私が後世の人々にメッセージを遺せるとしたら「もうゼロ年代まででいいですよ。映画を観るのは」ということになるだろうし、なんだったらゆくゆくは私も死ぬから、そのときは私の墓石に「2010年代の映画は観なくていい」と刻みつければさぞかしファンシーな墓になるだろうナーなんて夢想しているのだけど、今回の『ロング・ショット』は少しく例外で、映画と政治がほどよく折衷されたポリティカルコレクトネス・ロマンティックコメディであったわ~。

ポリティカルコレクトネス・ロマンティックコメディ…「政治的に正しいうっとり笑い」を提供するラブストーリーの亜種の亜種。

略称はポリコレ・ロマコメ。さらに略したい者はポリコメ、究極まで略していきたいと考える者はポコと呼ぶが、そこまで略すと話が通じなくなるので注意が肝心である。

 

物語は、次期大統領選への出馬を決意した国務長官シャーリーズ・セロンが、新聞社を辞めたばかりの幼馴染みセス・ローゲンと数十年振りに再会し、選挙に向けてスピーチ原稿を依頼。同じ時間を過ごすうち二人は急接近するが、片や才色兼備で支持率も高いエリート国務長官、片やむさ苦しいBボーイ風の無職オヤジ。まさに美女と野獣。公職とニート。8頭身と6頭身。二人は身分差を跳ね返して結ばれることができるのか。そしてセロンは史上初の米女性大統領になれるのか?

まあ、『プリティ・ウーマン』(90年)を裏返してるわけだ。

世界中でメガヒットした『プリティ・ウーマン』は、実業家のリチャード・ギアが娼婦のジュリア・ロバーツと出会い、身分の違いから起きる問題を乗り越えながら愛を育んでいく…というシンデレラ・ストーリーの王道。本作『ロング・ショット』では設定も筋運びも衣装もセリフも思いきり寄せにいってて、なんならロクセットの「It Must Have Been Love」まで使われているのだけど、ただひとつ本家と違うのは男女の役柄。これがになっている。

本作では太っちょニートのセスが身分差に引け目を感じていたジュリア・ロバーツの側であり、メディアに社交界と華やかな世界で成功をおさめたシャリセがリチャード・ギアのポジションを担っている。

それだけでなく性格も逆転していて、セスは見かけによらず繊細で心配性、シャリセはドンと構えていて男前なのだ。きわめて現代的な翻案であるよなー。

特に近年では「白馬の王子様なんて待ってても現れない。つーか王子様なんていらん」というイデオロギーがディズニーアニメだけでなくフェミニズム全体の指針となっていて、とりわけ米映画界ではシャーリーズ・セロンがその先導者となっている。もし未見なら『スタンドアップ』(05年)を観て頂きたいのだが、彼女はMeToo運動をきっかけに数多の女優たちが決起する遥か以前から性差別と闘い続けてる女優で、セスと共に製作に携わった本作でもセクハラ問題や人種差別といったテーマを声高に叫んでいる。

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セス・ローゲンといえばアパトー・ギャング(ジャド・アパトーのコメディ映画に携わる一派)というイメージが先行するが、ジョナサン・レヴィンの常連組でもあって『50/50 フィフティ・フィフティ』(11年)『ナイト・ビフォア 俺たちのメリーハングオーバー』(15年)といった比較的ライトなコメディ作品に出演。

私はアパトー・ギャング(ウィル・フェレル、スティーヴ・カレル、ジョナ・ヒル、ポール・ラッドなど)の身内ノリみたいな空気がとても苦手なのだが、セス・ローゲンだけは抵抗なく見れる。表層的なおどけ芝居ではなく人間性から湧き出るユーモアと、そのあっさりとした味わいがいい。

ほかにもレヴィンが手掛けた作品では、ゾンビになった青年が人間の女性に恋する『ウォーム・ボディーズ』(13年)もよかったね。レヴィン作品では“身分の違い”がテーマになっていて、愛や笑いで身分差やハンディキャップを乗り越えようとする相互理解についての物語が多い。まさに今の時代に打ってつけの監督だろう。

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◆ポコどころかハードアクション◆

ファーストシーンでは、潜入取材したネオナチの集会で記者だとばれたセスがジェイソン・ボーンばりに窓ガラスを突き破って建物から飛び降りる…という決死のデブアクションが火を噴く。証拠音声の入ったスマホを手に満身創痍で会社に向かったが、上司から会社がメディア王に買収されたことを知り「ジャーナリズムは死んだ!」とニーチェ風に怒りを表現。新聞社を辞めたセスは会社経営者の親友オシェア・ジャクソン・Jrに誘われ、ボーイズIIメンを見るためだけに政界の大物が集うチャリティ・パーティーに参加したが、そこで幼馴染みのシャリセと再会(ボーイズIIメンの生歌あり)。

そこでセスは興奮のあまり大階段から派手に転落したところをYouTubeに晒されたが、そのお陰で国務省のスタッフから「このドアホは誰だ」とチェックされ、興味を持ったシャリセがセスの記事を読んでスピーチ原稿の執筆を依頼する…という流れ。

ここまでが物語のセットアップである。

このあと国務省に呼び出されたセスがシャリセの付き人として世界各国を飛び回りながら原稿を書き、時にマニラの反政府暴動に巻き込まれて滞在ホテルにロケットランチャーを撃ち込まれたり、また時にクラブでマリファナを決めまくったシャリセが米軍を拉致したテロリスト相手にラリった状態で交渉するなど、目まぐるしい展開が火を噴く。

セスは建物や大階段から落ちて二度も大怪我を負い、その後もロケランが飛んできたりテロと交渉するなど、とてもロマコメとは思えないほどロマンティック成分ゼロ。「ロマンティックあげるよ」と言われても辞退せねばならないレヴェル。

というか見様によってはハードアクション。

おまけに下ネタの過剰出荷で、言葉遣いも下品ときた。

だが、これが痛快なんである。ロマコメの甘ったるさを破壊するような、枠に囚われない野性味あふれる埒外な作劇。一歩間違えたらグチャグチャにとっ散らかるところを瀬戸際でどうにかまとめ上げ、それでいて物語終盤は政治劇と恋愛劇でしっかり畳む。

ただし随所にポリコレの息苦しさは感じる。性差別発言ばかりするテレビ司会者や無意識の黒人差別…といった主題が“説明セリフによって”ストレートになされていて、作り手の問題意識の高さには感服すれど映画としては芸がないという。

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事程左様に、ある意味では『プリティ・ウーマン』的な旧来のロマコメに真っ向からアンチテーゼを立てることで現代の価値観を訴えていて、過剰なまでの下ネタやポリコレがその起爆剤となった戦闘的な作品に仕上がっている。映画内外に対して中指立てて「マザーファッカー!」と唱え倒したロックな一本だ。

あ、そうそう。「マザーファッカー!」といえばサミュエル・L・ジャクソン。劇中でもシャリセがアベンジャーズにハマってMCU作品を見まくるシーンがあるほか、セスと結ばれるシーンでは友人のオシュアが「ワカンダ・フォーエバー!」と叫んで祝福するので、MCUダベンジャーズのワキリントくんは要チェックです!

というかワキリント風に言うと『ロング・ショット』はアメコミです。

そういえば、シャーリーズ・セロンって『イーオン・フラックス』(05年)とかいうアメコミ映画なのかそうじゃないのか判断ビミョーだけど多分厳密にはアメコミ映画に分類されるであろうことが予測されはするが正直どっちだっていいほどつまらないポンコツ映画に出ていたよね。出来はともかく、目の保養アイテムとしてはミラ・ジョヴォヴィッチの『ウルトラヴァイオレット』(06年)と並んですごく気に入っているよ。

f:id:hukadume7272:20200726041101j:plain『イーオン・フラックス』のシャーリーズ・セロン。ただひたすらセロン様の美しさにおののくだけの映画です。

 

まぁそんなわけで本作は、SNSで「恋がしたい恋がしたい恋がしたい」と半狂乱みたいに呟き続ける類の女性をうっとりさせることは難しいし、そもそも作品全体が『プリティ・ウーマン』というテーゼを知っていることが前提の大掛かりなアンチテーゼでもあるので少しクセの強い映画なのだけど、ゆくゆくは2010年代を代表する時事性の高いロマコメとしてその都度参照されるだろう。

ただ、『プリティ・ウーマン』的な旧来のロマコメを愛する人たち…通称せめて創作の中でくらい夢を見させて勢も大勢いらっしゃるので、“白馬の王子様”を過剰に否定することは現在のディズニー映画のように不自然で不自由な、まるでモラルの整形手術のごとき人工的な配慮による作品世界の自壊を招くことになるので程々にした方がよい。現にアメリカでは「ポリコレ疲れ」などというユニークな疲労現象が米人を襲っているというが、私の願いとしてはそのうち一周まわって旧価値の容認、テーゼとしての『プリティ・ウーマン』もアンチテーゼとしての『ロング・ショット』も等しく扱われることである。理想論は承知の上だ。

 

ポスター写真のシャーリーズ・セロンの横顔がいまいちシャーリーズ・セロンに見えないというか…どちらかと言えばジェシカ・チャステインに見えてしまうので、こっちの画像をポスターに使うべきだと思った。

f:id:hukadume7272:20200712031538j:plain二人ともかわいい。手なんか振っちゃって。

 

若干ジェシカ・チャステイン入ってる日本版ポスターのシャーリーズ・セロンがこちら。

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ジェシカ・チャステイン入ってるゥ!

 

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