シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ベルベット・バズソー 血塗られたギャラリー

シンプルな話だ。芸術を食い物にする奴らは呪われて死ね!

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2019年。ダン・ギルロイ監督。ジェイク・ギレンホール、レネ・ルッソ、トニ・コレット。

 

ロサンゼルスの画廊で働くジョセフィーナは、同じアパートの住人である老人ディーズが死亡しているのを発見する。ディーズの部屋には、彼が生前に描いた大量の絵画が残されていた。不気味な魅力を持つその絵画が類まれな傑作であることに気付いたジョセフィーナは、勤務先の画商ロドラとともに高値で売ろうとする。一方、美術評論家のモーフは謎の多いディーズに興味を抱き、調査を開始する。やがて、彼らの周囲で不可解な事件が次々と起こり…。(映画.comより)

 

おはようございます。「シンプルな話だシリーズ」が確立しようとしています。新たなるめざめ。

あ、そうそう。新しい電子レンジが届きました!

おめでとうございます。ありがとうございます。ようやく俺ん家にレンジが! 俺ん家レンジってバンドを結成して「ピョンヤンハニー」って曲を出そうかな。

さぁ、しこたま温めてやるぞと腕まくりして、試しに冷凍食品のチンを試みたところ、途中で電源が落ちてウンともスンとも言わなくなった。まぁ、ある意味ではチーンである(合掌的な意味で)。言うてる場合やない。

どうやら新品のレンジが壊れていたわけではなくて、電源タップが寿命を迎えたようなのだ。

レンジ買い換えたと思ったら今度は電源タップかよ!!

いい加減に城田 優。よくもまぁ飽きもせずに次から次へとぶっ壊れていきやがって。あちらを立てればこちらが立たず、とはよく言ったものだよね。誰だよ考えたやつ。

つうわけで本日は『ベルベット・バズソー 血塗られたギャラリー』をチェキ! チョキチョキ!

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『ナイトクローラー』は嫌いなんです◆

現代美術界を風刺したダン・ギルロイの最新作はNetflixオリジナル映画として製作された。新人ディーラーのゾウイ・アシュトンが、死亡した同じアパートの住人の部屋から大量の絵画を発見したことでその絵の魅力に取り憑かれた画商や批評家たちが絵画争奪戦をおこなうが、やがて「絵の呪い」によって次々と変死を遂げていく…といったホラーテイストの作品である。

『ナイトクローラー』(14年)に続いて美術評論家役にジェイク・ギレンホール、したたかな画商役にレネ・ルッソが続投。ほかにもギャラリー運営のトニ・コレットや画家のジョン・マルコヴィッチなど、贅を尽くしたオールスターキャストでアート業界の裏側をシニカルに撃ったダン・ギルロイだが、この男に対する私の評価はきわめて懐疑的である!


ダン・ギルロイはもともと脚本家として『トゥー・フォー・ザ・マネー』(05年)『リアル・スティール』(11年)『ボーン・レガシー』(12年)などのシナリオを共同執筆してきた男だが、初監督作の『ナイトクローラー』が自称映画マニアから絶賛されたことで一躍期待の新星となる。これが今から5年前の話。

当時の私はmixiレビューで『ナイトクローラー』に星3点(5点満点)を差し上げながらも文章ではかなり厳しいことを言ってしまった。mixi時代に書いたものなので今とは文体が違うが一部引用。

 

「体よくまとまった小奇麗なパッケージがせっかくのジェイクの怪物性を捉え損ねており、脚本、撮影、芝居といった各セクションはそれなりの仕事を果たしているものの、その中核をなす『監督ダン・ギルロイ』という役職には何の意思も感じず、空虚なテクニックのお披露目会に終始している。優秀なスタッフたちに監督や映画自身が牽引されており、その中にあって『監督ダン・ギルロイ』はますます失語症を深刻化させる。

物言わぬ監督によってもたらされた中心部の陥没は、ジェイクの怪物性を捉え損ね、マスタングの凄艶な香りを見落とし、レネ・ルッソに赤い口紅をひかせない。いい映画というより欠点の少ない映画という表現こそ適当だが、欠点の有無以前に満艦飾の誤謬によってその誤りが掩蔽された映画とも言える。ゆえに人はまんまと絶賛してしまう」

 

ふーむ、いま読み返すと何言ってっかよくわかんねえな。

とにかく辛辣にこき下ろしてる…というニュアンスだけは伝わった。要するに監督ダン・ギルロイのお行儀のよさと自己主張のなさに対して怒ってるんだと思います、過去の私は。

それにしても昔の方がちゃんとした批評を書いていた気がするなぁ。落ち込む。それに比べて『シネマ一刀両断』における批評の切っ先の鈍さたるや。ブログを始めたことで批評眼・文章力ともに絶賛低下しております。イェイ。

まぁ、そんなわけで『ナイトクローラー』はあまり快く思わなかった作品なので、お手並み拝見という感じで鑑賞に臨んだ『ベルベット・バズソー』。参ります。

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ジェイク・ギレンホール(左上)…バイセクシュアルの美術評論家。おしゃれ。

レネ・ルッソ(右上)…熟練の画商。おしゃれ。

トニ・コレット(左下)…ギャラリー運営者。おしゃれ。

ジョン・マルコヴィッチ(右下)…スランプの画家。きたない。

 

ジェイクのJは「柔」 ギレンホールのGは「剛」

ダン・ギルロイは玉か石か?

この問いに決着をつけるべく、内心「石っしょ」と半ば決めつけながら鑑賞したのだが…

割とおもしろかったね。

レビューサイトではしょっぱい反応が目立つが個人的には好きな毛色の作品だった。

スノッブな商売人たちが利己的な身振りでアートを利用する俗物根性が嫌らしく描き込まれているし、映画そのものが商業アートに対する自己批評になっているあたりも興味深い。要するに、ここに出てくる絵画はすべからく映画(表現物)に置き換えることができる。主要人物たちはそれぞれに映画プロデューサー、投資家、配給会社、映画評論家の比喩…というヒネった見方で楽しさ倍増。

で、「芸術を食い物にする奴らは呪われて死ね!」というあまりにシンプルな結論に辿り着く物語。何事によらず趣旨が明確な作品は気持ちがよい。私が『ナイトクローラー』を腐した理由は「監督ダン・ギルロイ」の記名性をまったく感じなかったからだが、本作ではそれがよく出ている。俗物に対する嗜虐性だとか心身症的な世界観といったように、ダン・ギルロイを規定しうる主題群が終始一貫した、まるで名刺のような作品だ。


また、ロバート・アルトマンを思いきり模倣しているのでカットバック主体の群像劇になるわけだが、呪われた絵に魅了された人々が金銭欲や名誉欲を剥き出しにして狂騒を演じつつも動態豊かな画面がアルトマン群像劇の暑苦しさをうまく取り除いているのでアルトマン・フォロワー作としては及第点以上ではないだろうか。

壁の絵に取り込まれそうになるゾウイ・アシュトンと庭の立体造形作品に押し潰されそうになるレネ・ルッソのクロスカッティングでは強風を吹かせることを忘れておらず、互いに危機を感じた二人がケータイで連絡を取り合おうとするサスペンスも申し分ない。その同時間帯にジェイク・ギレンホールが倉庫でオートマタに襲われる並行モンタージュもいい。

この大仰なクロスカッティングで「3人いっぺんに死ぬの!?」と思わせておいて1人だけが生き残るのだが、その1人もラストシーンの直前に思いがけないタイミングで呪い殺されてしまう。そして一片の邪心もなく芸術と向き合った某人物だけが気楽に休暇を過ごす…というシニカルな事この上ない着地点。

好きです。

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『ナイトクローラー』でも共演したジェイク&ルッソ。


実力派俳優大集合みたいな作品だが、とりわけ異彩を放っていたのが美術評論家のジェイク・ギレンホールとギャラリー運営者のトニ・コレット。

例によってジェイクは狂気に取り憑かれた男(毎回コレ)を演じているが、今回は群像劇ということを考慮して狂気炸裂はかなり抑えている。他のキャストを喰ってしまわないようにね。むしろナイーブでバイセクシュアルな毒舌家というトリッキーな役柄を軽妙に演じていて、「剛」一辺倒だったジェイクが「柔」の芝居で物語の潤滑剤を買って出ている。

ジェイクのJは「柔」、ギレンホールのGは「剛」ではなかろうか。

今回お楽しみ頂けるのはJのジェイク。

そんなジェイクにアートアドバイザーに転職したことを報告してキャッキャ言いながら喜びを分かち合うのがトニ・コレット(このシーンの二人はめちゃめちゃ可愛い)。

『シックス・センス』(99年)のお母ちゃんにして『リトル・ミス・サンシャイン』(06年)のお母ちゃん。『ヘレディタリー/継承』(18年)でようやく単独主演をモノにしたことでお馴染みのトニ・コレット!

彼女が演じる外ヅラだけは一丁前の打算女がどうも憎めず「実はそんなに悪い人じゃないのでは?」なんて思ったところでスゴい死に方をなさる。ヒントは『ローマの休日』(53年)の「真実の口」。あれをトニ・コレットがやるとこうなるわけですねぇ…。くわばら、くわばら。

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「アタイ…転職すんのよ!」と聞いたジェイクが「ぎゃあウッソまじー!? やったじゃな~~~~い!!」と狂喜乱舞してトニコレを祝福するシーン(喜びすぎて何故かメガネを外す)。


◆好奇心のヨダレを垂らしやがって!◆

わりとお気に入りの作品になっちゃったのであまりケチはつけたくないのだが、ジェイクの批判精神に倣って「ダメなものはダメ!」と声高々に叫ぼうと思う。

すべてに於いて砂上の楼閣だった『ナイトクローラー』とは比べ物にならないぐらい活き活きとした作品だが、作劇上の最大の欠点は死んだ画家の正体に迫っちゃったこと。

呪われた絵の作者は開幕15分で死体で発見されるが、この人物は絵というマクガフィン(物語を進めるための道具)が要請した付随物でしかない。

だが映画中盤では、絵に取り憑かれた人々が作者の生い立ちを探ろうとしてミステリーじみた展開を迎える。

作者の生い立ちなんてどうでもよくない?

結局、幼少期に父親から虐待を受けていたとか精神病院で人体実験を受けた経歴がある…といった凡庸な人物像が浮かび上がっただけで、「作者をめぐる謎解き」は正体というほどの正体もないままに物語からフェードアウトしていく。

言わんこっちゃなくない?

迫らなくていい正体に迫る以上は物語を根底から揺るがしうるほどの何らかの作劇的ギミック(どんでん返しとか)がなければならないし、それでなければ作者の人物像などむしろ描かない方がよっぽどミステリアスなルックを保てたはずだ。とにかく、作者の正体を解き明かそうとする映画中盤がまるごと死に時間と化しているのがたいへん惜しい。

触らなくていいところを触る…というのが脚本家上がりの悪い癖やで、ギルロイ。

好奇心のヨダレを垂らしやがって。


ホラー演出についてはむしろ感心したぐらいだが、ホラー描写に関してはやや荒唐無稽で、「絵が動きだす」とか「カンバスの中に引きずり込まれる」といった呪い描写の突拍子のなさがこの物語のフィクションラインとあまり上手く噛み合っておらず、「それアリかよ! それがアリとされてる世界観なの?」の連続。受け入れがたいわ。

「自分のタトゥーに殺される」に至っては絵の呪い関係ないしね…。

すこし話が前後するけど、そもそも絵が自分を食い物にする人間を呪い殺して回る…という物語なら、そういう反商業主義の人物として作者を描くべきだったのでは。虐待とか人体実験の経歴とかどうでもいいんだよ、バカ!

また、「表現論についての映画」ではよく見られる傾向とはいえ、他者の批評を全否定するヒステリックな身振りにはうんざりする。冷静に考えるとジェイクが呪いを受ける筋合いなど毫もないわけだが「人の作品を批評する職業」というだけで問答無用で呪いの餌食になってしまうのだ。

美術評論家が絵を解説してくれるから我々凡人は「高尚な芸術」を身近に楽しめるんじゃないの?

なんて可哀そうなジェイクなんだよ。とばっちり呪殺だよ。こんなのってない。

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ジェイク100パーセント。おぼんの代わりにPCで股間を隠しながらの批評活動である。


そんなわけで『ベルベット・バズソー』には総論賛成各論反対のスタンスを取っていきたいと考えているよ。重箱の隅を突こうと思えばザクザク突けるんだろうけど、それをする気が起きないぐらい全体的には好印象を持った作品なので…うん、ゆるす。

大らかな気持ちでゆるしていく。

ダン・ギルロイが自身の記名性を打ち出したこと。アルトマンをやりながらもそれを乗り越えようとする意志。それに三者の運命を分かつクロスカッティングの妙。この三点をもって私はこの映画を擁護するものであるっ。

何より画廊の雑用係ナタリア・ダイアーのかわいさ。雇い主がどんどん死んでいって精神的苦痛を受け続ける…という不憫きわまりないキャラクターなのである(物語を俯瞰する最重要人物でもある)。

やや唐突だが、眠くなったので本日はここまで。『ベルベット・バズソー』でした。

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本作屈指のスクリーム・クイーン。

 

Claudette Barius/Netflix