シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ウインド・リバー

ジョン・ウェインは雪原のガンマンに憑依する。

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2017年。テイラー・シェリダン監督。ジェレミー・レナーエリザベス・オルセン

 

ネイティブアメリカンが追いやられたワイオミング州の雪深い土地ウィンド・リバーで、女性の遺体が発見された。FBIの新人捜査官ジェーン・バナーが現地に派遣されるが、不安定な気候や慣れない雪山に捜査は難航。遺体の第一発見者である地元のベテランハンター、コリー・ランバートに協力を求め、共に事件の真相を追うが…。(映画.comより)

 

おはぺす! おはぺす! ヘルペスケルベロス

近ごろ『ハードロックとヘヴィメタルの違いについて講釈を垂れる。』が当ブログの注目記事ランキングの首位に輝いていて…たいへん複雑な気持ちです。

映画ブログなのに音楽記事が1位て。

なんやこれ。余技で書いたハンパな記事が本命の映画評をゴボウ抜きすんなよ!

立つ瀬がねえわ。

この記事はハードロックやヘヴィメタルをまったく知らない人に向けてあえてザックリしたことをアバウトに書いたものだけど、そのせいで筋金入りのメタラーから「全くピントがづれている」とかロキノン厨とはまた違う寒さやイタさがある」といった心温まるコメントを頂戴しております。

ちなみに「づれている」は「づ」じゃなくて「ず」ですけどね。日本語のピントがずれておられる。

過去に書いた記事って私の中では「もう終わったこと」で当時の熱量もすっかり失われているため、そこにコメントを頂いてもつい放置しがちになってしまうのだけど、このくそみたいな音楽記事には未だに肯定否定さまざまなコメントが届くので、昨日まとめてコメント返信しました。

コメントをくれた方々はブロガーではないけど『シネ刀』は読んでくれているらしいので、この場を借りてコメント返信のお知らせをさせて頂いた次第であります。

 

MCが長すぎたな。それじゃあ次の曲を聴いてくれ。ウインド・リバー

(ワァー)

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◆現代の西部劇◆

アメコミ映画に嫌気が差したホークアイとスカーレット・ウィッチ。

どうせアベンジャーズでは大した活躍もさせてもらえない…と思ったのか、二人でこっそり抜け駆けしてウインド・リバーという映画に出演なさったので、これを語る。

今回の評はまじめ路線です!

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念力女と弓道男。

 

先住民保留地で起きた殺人事件を通してネイティブ・アメリカンの厳しい現状を描き出した社会派西部劇である。

ここでは砂が雪に代えられているだけで、物語の骨子は西部劇と同じ。

雪深い山奥で女性の死体が発見され、FBIからやって来た捜査官エリザベス・オルセンが地元の猟師ジェレミー・レナーの協力を仰いで執念の捜査・追跡に乗り出す。

レナーは狙撃の名手で、雪の轍を手掛かりにスノーモービルをめったやたらに乗り回して犯人を追跡する雪原のガンマンだ。

もちろんスノーモービルというのは馬のメタファーとして「現代の西部劇」を表象しているわけで、なんだったらレナーが息子に馬の乗り方を教えるという見たまんまのシーンまで用意されているのだ。

そして彼には3年前に何者かによって殺された長女がおり、今なお喪失感を抱え続けてはシクシク悲しんでいる。だからこそFBI捜査官のオルセン以上に今回の殺人事件に執着するのである。


たしか町山氏あたりが本作を西部劇と紐づけた解説をしていたように思うが、なぜか誰ひとり指摘していないことは本作がジョン・フォードの『捜索者』(56年)の翻案だということ。

殺されたのが自分の子か他人の子かという違いを除けば、ウインド・リバーのプロットはほぼ『捜索者』である。

『捜索者』というのは、兄と義姉が虐殺され、その娘たちをさらわれたジョン・ウェインが復讐の鬼と化して敵を追跡するという筋で、アメリカのシンボルだったジョン・ウェインが無抵抗な敵を背後から撃ったり頭の皮を剥ぐといった残酷描写がたいへんな話題になった。

ちなみにこれ一本だけを批評・考察した『捜索者 西部劇の金字塔とアメリカ神話の創生』という分厚い本にもなっているほどアメリカ映画史における最重要作なので、映画好きなら絶対に押さえて頂きたいと思います。

『捜索者』における「敵」というのはコマンチ族、まぁはっきり言ってインディアンなのだが、この作品に限らず、アメリカの西部劇ではインディアンを野蛮人=悪役として扱ったものが多い。フロンティア精神こそが歴史を持たないアメリカ人のアイデンティティでもあるので、基本的に西部劇というのは白人優位主義によって支えられているのである。

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ミスター・アメリカことジョン・ウェイン(画像左、空に巨大な顔面を浮かばせた男)。たぶん映画史上最も有名な俳優。


だが本作では『捜索者』のような西部劇の古典様式が現代風にアレンジされている。

映画の舞台はネイティブ・アメリカンが暮らすワイオミング州の保留地で、ここは数キロ走っただけで肺出血で死ぬようなマイナス30度の極寒地獄。

レナーの死んだ娘とレイプされて殺された被害者は先住民の血を引いており、レナーは被害者の父親であるギル・バーミンガムとともにそれぞれの亡き娘を悼み、子を失った親同士として気持ちを通わせあっていく…。

事ここに至っては犯人探しなど二の次で、カメラはただ静かにギルとレナーの傷ついた魂の交感を見守り続けるのだ。

これまでの映画ではステレオタイプな悪役として描かれてきたネイティブ・アメリカンだが、本作ではネイティブ・アメリカンの魂に寄り添い、今なお現代アメリカに根深く横たわる先住民問題をえぐり出した作品になっている。

何が言いたいかというとわりと社会派っすってこったす。


◆最高難度の雪をいかに処理したか?◆

監督は今回が処女作となるテイラー・シェリダン。やけに悲しそうな顔をした男である。

日々激化するメキシコ麻薬戦争の実状をスリリングに活写した『ボーダーライン』(15年)や、銃社会のテキサスを舞台に銀行強盗の兄弟を描いた最後の追跡(16年)の脚本家として注目されており、本作で初めてメガホンを取った。

この男は意地でも社会派映画しか書かない脚本家なのだが、彼がシナリオを手掛けた作品はサスペンスとアクションを多分に摂取しており、絶妙な匙加減でエンタメナイズされている。

本作にしても中盤までは犯人探しのサスペンスでじっくり見せていくのだが、突拍子もないタイミングで回想シーンが挿入されて犯人の正体がサラっと明かされる。その回想のなかで犯人が一人ではないことが示され、再び現在のシーンに戻った途端にレナーの長距離射撃が犯人たちを次々と肉塊へと変えていくのである。

このサスペンスからアクションへのシームレスな画運び、いわば緊張と緩和こそがテイラー・シェリダンの映画術。

なお、カット割りに不満があるがその話はせずにおく。


それはそうと、絵とか映像をかじったことのある人なら分かって頂けると思うが、撮る側にとって雪というのは最高難度のモチーフだと思う。水(=雨、汗)も上手いカメラマンにしか撮れないが、雪の難しさは飛び抜けているよな。

雪に覆われた映画というのは高確率で失敗する。

なぜならあたり一面が雪化粧だから。当然画面は真っ白。白は背景色として弱いので画を持たせることがかなり難しく、二流のカメラマンがテキトーにカメラを向けたところでのっぺりと間延びした画面を晒すだけザッツオールなのだ。

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こんな風に。

 

これを回避するにはゲレンデが溶けるほど恋するほかはない。

半分冗談、半分マジである。要するに画面上の雪の割合を減らせばいいわけだ。この方法を採って成功したのが『ファーゴ』(96年)で、失敗したのがエベレスト 3D(15年)である。

しかしテイラー・シェリダンはゲレンデが溶けるほど恋したりはせず、色彩も遠近感も欠いた無方向的な白銀の世界を迷宮として比喩化し、オルセンの葛藤とレナーの彷徨える魂をあざ笑うかのように謎へと導いていく主題装置として「白」を処理した。これぞ逆転の発想。

事実、降り積もる雪は捜査を撹乱し、先住民たちの闇の歴史まで覆い隠してしまう。したがってギルとレナーの被害者同士が静かに語らうラストシーンでは、わずかに積雪を免れた庭に舞台を置くのである。彼らは雪の迷宮を切りぬけ、埋もれた歴史を掘り起こそうとしている。 

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◆レナーの上にジョン・ウェインが舞い降りた◆

最後は役者に触れておこうと思います。

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内に怒りを秘めた物静かな男をジェレミー・レナーが演じている。

バカな連中がレナーの抑制的な芝居を絶賛しているが、この芝居は恐らくジョン・ウェインを研究した成果と思われます。

シネフィル的言説を弄ぶなら、この映画のレナーが真に素晴らしいのは「芝居」そのものではなく「芝居をした」という事実にほかならない。

イーストウッド許されざる者(92年)ジョン・ウェインの記憶を映画史から葬り去ったあとは「みだりにジョン・ウェインをやるな」という無言の圧力が90年代以降の西部劇を支配していて、いわゆるマッチョなカウボーイというのがアメリカ映画から淘汰されてしまった。

ところが、決してベテランでも名優でもないジェレミー・レナーが、まるでイーストウッドの敷いた箝口令を破るかのようにジョン・ウェインの亡霊をその身に憑依させたのがウインド・リバーなのである。

本人にその自覚があるかどうかは分からんが、これはエラいことをやっているわけで、たとえ一時的なものにせよジョン・ウェインを継承したという点で本作のレナーは畢生の芝居を見せたと言っても過言じゃあるめえ、と思うわけです。

 

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そしてエリザベス・オルセン

私は自称エリザベス・オルセンの軽いファンであるし、当ブログにおいても「真っ当な作品選定をしてほしい」という願いもすでに込めているので、ウインド・リバーという真っ当な作品で真っ当な芝居をこなしたことを真っ当に褒めておきたいのだが…、すまん無理だ。

オルセンもすてきな芝居を見せてくれているが、今回ばかりはジェレミー・レナーの圧勝だと思う。オルセンがどうだったかなんてもう忘れちまったよ。

ゆえに私からオルセンへの賛辞は「ズボンを履くときに一瞬ケツが見えた」ということに留めておきたい。

この有益な情報をオルセンファンの某友人に捧げる。

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