入学したての大学生に見せたい「いちびっとったらあかんど映画」の佳作。
1998年。ジェイミー・ブランクス監督。ジャレッド・レト、アリシア・ウィット、レベッカ・ゲイハート。
ニューイングランド州ペンデルトン大学で「都市のルールを知らない者には罰が下る」と、民俗学のウェクスラー教授が都市伝説への注意を促す中、学生たちが次々と謎の死を遂げていった。すべては都市伝説が原因ではないかと感づいたナタリーは、学生記者ポールとともに独自の調査を始めるが…。 (Yahoo!映画より)
『スクリーム』(96年)や『ラストサマー』(97年)の系譜に連なるティーンズ・ホラーだ。
学園を舞台に、教師や同級生たちが何者かによって都市伝説の通りに殺されていく…というB級スリラー丸出しの内容だが、音楽とファッションと来週のデートのことしか頭にないティーンがパジャマパーティしながら観るような映画にしては存外よく作られていた。
ちなみに私はホラー映画でビタイチ怖がれないという悲しき宿命を背負っている。映画好きとしては明らかに損している。
基本的にどんな映画を観てても撮影技法にまず目がいってしまうので、たとえば「カメラが人間と殺人鬼(幽霊)を同じサイズで切り返してしまうと殺人鬼が意思疎通できる対象のように見えちゃうからこのシーンの殺人鬼の被写体サイズは変えた方がいいよね」みたいなことを延々と思惟しながら映画を観てしまう。
面倒臭い観客でしょう?
あと、どれだけ怖いシーンでも「カメラの手前には大勢のスタッフがいる」とか「撮影後にみんなで軽く打ち上げしたんだろうな」なんて余計なことを考えてしまうとホッコリ安心してしまい、ビビるものもビビれないのだ。
あと、そもそも生に執着する人間に浅ましさを感じてしまうタイプなので、ぎゃあぎゃあ喚いて殺人鬼から逃げようとするヒロインを見ると「そこまでして生きたいかね? 仮に生き延びられたとしても多分今日の出来事は一生トラウマになるだろうし、だったらここでサッパリと殺された方が楽なんじゃない?」なんてことを思い、思いきり冷めた目で観てしまうのだ。
もう終わっとるな、観客として。
それはそうと、この手のスリラーを好む観客って「オチが読めた」とか「登場人物が全員バカばっかり」といって重箱の隅を突くみたいなツッコミ癖がついてる人がほとんどなので、本作に限らず、ホラー、スリラー、サスペンスあたりは映画としてあまり正当に評価されない向きがある。かわいそ。
…ということを10年ぐらい前から思ってます。
とかくホラーとかサスペンスって脚本の揚げ足を取られやすいよね。まぁ、突っ込む楽しみもあるとは思うけど、度を越した粗探しをしているレビュアーを目にすることも多くて。悲しいジャンルだなって思う。
さて、そろそろ本題に参りましょうね。
雨が降りしきる夜。カーステから流れるE-girlsみたいなポップスを口ずさみながら車を運転する若い女は、エンプティランプの点滅に気付いて近くのガソリンスタンドに寄る。
そこには見るからに怪しい風貌の従業員がいて、窓の外から車内をじろじろと覗き込んでいる。
警戒した女は「レギュラー満タン。支払いはカードで」と言って少しだけ開けたウィンドウからクレジットカードを手渡すと、カードを受け取った男は店の奥に引っ込んで行き、再び車のもとまで走って来て「なぜかカードが使えないからクレジット会社に電話してくれ」と言って女を店の奥に誘い込む。
いよいよマズいことになったと身をこわばらせた女は、しかし逃げ出すこともできないので、覚悟を決めて車から降りた。ポケットに催涙スプレーを忍ばせて…。
店の奥に通された女は電話をかけようとしたが、一歩ずつ近づいてきた男にはっきりと身の危険を感じて催涙スプレーをしたたか噴射。
「目ぇ痛い、目ぇ痛い!」と男がもがいている隙に店から飛び出して車に乗り込んだ女は、手が震えてキーを落としたりなかなかエンジンがかからなかったり…といったベタなコントに興じることもなく車を発進させて見事に逃げきった。
しかし這う這うの体で追いすがる男は、去りゆく車に「待ってくれ!」と叫ぶ。
「後部座席に誰かがいるんだ!」
果たして後部座席に隠れていた何者かによって女は惨殺された――。
この素晴らしいアバンタイトルの時点で、すでに私は「よし」と言って親指をグッと立てた。俗にいうサムアップというやつである。
※アバンタイトル…オープニングに入る前に流れるちょっとしたプロローグシーンのこと。
いやー、上手いよねぇ。掴みとしてはなかなか上出来ではないか。
ガソリンスタンドの怪しい男が車から女をおろして店の奥に誘い込んだのは、殺すためではなく守るためだったのだ。ミスリードとして優秀。
あと、車の後部座席に誰かがいるかも…という不安感って世界共通なのねぇ。僕は車に乗らないから分からないけど、これって生活の端々に置き換えうる恐怖だと思う。シャワー中に後ろに幽霊がいるんじゃないか…とか、シャワーカーテンの向こうに誰かがいたらどうしよう…とかさ。
ちなみに僕の場合、シャワー浴びてて頭を洗ったあと髪を掻き上げながらバッと上を向いたときに天井の点検口から誰かが覗き込んでいたら超イヤだな…という妄想をよくする。
わかってくれますか。
ほら、あんじゃんよ! 浴室の天井にボコッとフタを外せる所が。あそこ怖いわぁ。ヘンな女がいたり忍者が隠れてたらどうしようって。
天井って怖いよね。
「後部座席に殺人鬼が隠れている」をはじめ、この映画の犯人はさまざまな都市伝説の通りに若者たちをぶっ殺して回る。
おもしろいのは、都市伝説の講義を行っている教授が、「都市伝説とはモラルや常識が欠けた人間をお仕置きするための、ある種の訓戒なのです」と快弁を振るうファーストシーン。
教授の言葉は、この映画の基本理念を端的に表している。
つまり「これからいちびった大学生が大勢ぶっ殺されていくけど、すべて因果応報に帰結します」ということを最初に打ち出してるのね。
早い話が「いちびっとったらあかんど」という蓋しまっとうなメッセージに裏打ちされた良識的な映画なのである。
たとえば『13日の金曜日』(80年)をはじめ、多くのスプラッター・ホラーにも同じ理念がブッ貫かれている。つまりいちびりは死ぬべしイズムだ。
だから僕にとって『13日の金曜日』はスカッと爽やかになれるストレス解消映画なのだ。
あれって要するに、キャンプ場でセックスしてるガキどもに「風紀を乱すな!不純異性交遊はやめろ!」って言いながら鉈でお仕置きして回る風紀委員の話なんですよ。
ジェイソンは殺人鬼などではない。
純潔教育を重んじる風紀委員長だよ!
ただ、お仕置きの仕方がちょっぴりバイオレンスなだけだ。
いちびった大学生を片っ端からぶち殺し、クリスタルレイクの秩序回復と風紀向上に努めるジェイソン(えらい)。
話を『ルール』に戻そう。それがルールだ。
正攻法の演出と観る者を撹乱するツイスト(ヒネった脚本)の妙が有機的に絡み合っていて、犯人捜しよりもドタバタとした状況そのものを楽しむ作品でしょう。
ちなみに、誰が犯人なのか最後まで分からないようにも作られている。犯人の動機が終盤になってようやく示されるからだ(脚本的には反則スレスレだが)。
そんなことよりも、ヒロインと協力して犯人捜しをするジャレット・レトだよ。通称ジャレ坊ね。
この人はちょっと病気入ってる感じのアブない役を演じることが多い俳優なので、こちらとしては「こいつが犯人じゃないの?」と訝ってしまいがち。
もはやジャレ坊の起用それ自体がミスリードになっているという。
ジャレ坊の調理法が上手い。ジャレ坊の旨味がよく引き出されとるわー。
右がジャレ坊。
そんなわけで入学したての大学生に見せたい、いちびっとったらあかんど映画の佳作。
まあまあ褒めておいてなんだが、続編を観るのは一旦スルーさせてくれ。