マンブルコア、会心の一撃!
2017年。グレタ・ガーウィグ監督。シアーシャ・ローナン、ローリー・メトカーフ、ビーニー・フェルドスタイン。
レディ・バードと名乗り、周囲にもそう呼ばせているクリスティン。高校生最後の年に看護師の母と進学先を決めるために大学見学に行くが、帰りの車中で地元のカリフォルニア州サクラメントから離れて都市部の大学に進みたいと言ったことから大げんかになる。それ以来、母と衝突を重ねる一方、親友のジュリーとも疎遠になってしまう…。(Yahoo!映画より)
女優も監督もこなせるマルチ・ウーマンの中では、いま最も期待を寄せているグレタ姐さん。
そんなグレタ姐さんのメジャー初監督作ということで去年から楽しみにしていたので、公開初日に絶叫しながら映画館に飛び込んでいきました。
まずは監督グレタ・ガーウィグと、主演シアーシャ・ローナンについてペロッとおさらいしなければなりません。
もくじ
- ①インディペンデントのミューズ、グレタ・ガーウィグ。
- ②ナチュラル・ラブリーボーンことシアーシャ・ローナン。
- ③アンチクライストなデンジャラスガール。
- ④嗚呼、青臭き青春!
- ⑤記名性を獲得するまでの物語。
①インディペンデントのミューズ、グレタ・ガーウィグ。
基本的には女優だが監督もするし脚本家としても活動する、マンブルコア映画の中心的人物。
マンブルコアとはアメリカにおけるインディペンデント映画の一形態で、これといって劇的な展開がひとつも起きず、若者のリアルな日常を淡々と描いた低予算映画としてゼロ年代以降に台頭したムーブメントである(日本ではまったく浸透していない)。
グレタ姐さんの名を一躍世界に轟かせたのは、彼女が主演・脚本を務めた『フランシス・ハ』(12年)だろう。
税金の還付を受けた彼女が、友人とレストランに入ってメシをおごると言いきってみせたあとに、その店ではクレジットカードが使えないことを知り、慌ててATMを探して街中を疾走するシーン。
彼女の全力疾走を捉えた横移動のカメラ。そこにかかるデヴィッド・ボウイの「Modern Love」。言うまでもなくこれはレオス・カラックスの『汚れた血』(86年)のオマージュであり、今やカラックス的な映画が通用しない現代においてカラックス的なるものを復権させようとするマンブルコアの総意がほとばしった名シーンだ。
『汚れた血』と『フランシス・ハ』を繋ぎ合わせた動画。男が走ってるカラーシーンが『汚れた血』で、女(グレタ姐さん)が走ってるモノクロのシーンが『フランシス・ハ』。
ボウイの曲もシビれるほど格好いい!
また、グレタ姐さんがいかに独創的な人物かについては、一家団欒の席で「生理!」を連呼するパンキッシュな女性を演じた『20センチュリー・ウーマン』(16年) にも顕著だろう。
私はグレタ姐さんが大化けする方に魂8グラムを賭けている。シネフィルとしてのワシの勘が騒いどんねや。
「近い将来、何かしてくれるんじゃないか」という予感を大いに孕んだ、インディペンデント映画の次代の担い手だ。夜露死苦!
②ナチュラル・ラブリーボーンことシアーシャ・ローナン。
1994年にアイルランドで爆誕したシアーシャ・ローナンは透明感が売りの若手女優だ。
撮影当時13歳のシアーシャが学校の帰宅途中で変態親父にぶち殺される『ラブリーボーン』(09年)というスピリチュアル感動作で注目されたが、取り立てて眉目秀麗なわけでも鬼気迫る表現力を持っているわけでもない。
ただただ透明感があって可愛らしい。
「ナチュラルボーン♪ ラブリーボーン♪ ナチュラル・ラブリーボーン♪」という歌を考えたので、みんな随意に歌っていいよ。
そして、アイルランド系移民の少女がニューヨークで力強く生きる姿を描いた傑作『ブルックリン』(15年)で一皮むけたあと、『レディ・バード』ではソバカスだらけの顔でこじらせ女子を見事に演じ、本作を大成功へと導いた。今後は実力派女優として認知されていくだろう。
ちなみに私はキャリア初期からシアーシャを見守り続けた精神的な保護者である。
クロエ・グレース・モレッツやリリー・コリンズよりも断然シアーシャ派だ。
③アンチクライストなデンジャラスガール。
さて。『レディ・バード』はグレタ姐さんの青春期を綴った半自伝映画である。
レディ・バードが車内で母親と口論するファースト・シーン。怒りが極点に達した瞬間、不意にドアを開けた彼女は走行中の車から飛び降りてしまう。「きゃああああ!」という母親の悲鳴のあとに画面いっぱいに映し出される「Lady Bird」の字。
彼女のデンジャラスな性格を端的に表した、すぐれたアバンタイトルだ。
娘が車から飛び降りて絶叫する母ローリー・メトカーフ。
洗練された都市でもなければ退屈を嘆くほどの田舎でもない。そんな中途半端な街に嫌気が差しているレディ・バードは、大都市ニューヨークへの大学進学を夢見る高校生。
本名でクリスティンと呼ばれることを嫌い、周囲の人間には「レディ・バード」と呼ばせている。
本作はグレタ姐さんの高校時代の体験をもとにしているので、マンブルコア映画やパンク・ロックと出会う前の未だ何者でもない少女の時代が綴られている。
親友のビーニー・フェルドスタインと毎日つるんでいるレディ・バードは、カトリック系の高校に通っているが熱心な信者とは言えない。ミサで使う御聖体サブレをまるでポテチ食うみたいな気軽さでバクバク食いながら、ビーニーと教会でマスターベーション・トークに花を咲かせるのだ。
アンチクライスト!!
おまけに、「将来あなた達が妊娠しても、絶対に中絶をしてはなりませんよ。母が中絶しなかったからこそ、私は皆さんとお会いできたのですから!」と語るキリスト教の講演ババアに向かって「あなたの母親が中絶していれば退屈な講演を聞かされずに済んだのに」と毒づいて停学処分を受ける始末。
アンチクライスト!!
やけにゴッテリした親友ビーニーと。
④嗚呼、青臭き青春!
本作はガールズムービーだが、男の私でも身につまされて赤面するほど青春の青臭さが描かれた「思春期あるある映画」だ。
レディ・バードはなかなかイタい娘である。
親や学校への反抗。
赤く染めた髪に、ピンク色のギプス(車から飛び降りて腕を骨折したのだ)。
自部屋には雑誌の切り抜きやポスターがベタベタと貼られているが、具体的に何が貼られているかまでは目視できないことから、まだこれといって好きなものが定まっていないのだろう。
レディ・バードは「私は人とは違う」と思っているが、未だ何者でもなく我が道も見据えていない、ただの女子高生だ。それを取り繕うために個性的なファッションで小さなプライドにしがみつき、周囲の大人たちや退屈な町を呪ってみせるのだ。
この町で生きていくことを決めたビーニーや、ビッチ友達のオデイア・ラッシュの方がよっぽど自立している。
とくに自部屋にベタベタ貼られたポスターの無秩序性は、ティーンエイジャーのふわふわした生態を、さり気なく、しかし的確に描出している。
音楽、ファッション、映画スター、テレビ番組…。
好きなものが見つからないから、とりあえず色んなものに手を出した挙句、趣味が迷走してしまう…という思春期あるあるだ。
中学生の頃の俺じゃねえか。
「俺の中にもレディ・バードが、ほら、こんなにも!」ってことですよ。
色んな音楽や小説を片っ端から手に取っては「ピンとこねぇなー」といって投げ捨てていた中学時代。でもせっかく買った本やCDだからキチンと本棚にしまって、そうこうするうちにまるで一貫性のない本棚になっちゃって、友達が家に遊びに来て「趣味、迷走してるの?」みたいな。
当時の私の本棚は、柴田錬三郎の『三国志』と村上春樹と哲学書と『デビルマン』が一緒になってて、その脇にスガシカオとチャック・ベリーのCDが紛れ込んでいたのだ。
とっ散らかっとんなぁー。
つまり私の本棚は、レディ・バードの部屋のポスターと同じ。きっと彼女も、ああでもないこうでもないと自分の趣味嗜好を模索していたのだろう。
⑤記名性を獲得するまでの物語。
そんな彼女の恋や友情といった「青春の蹉跌」が爽やかながらも苦々しく活写されていく本作。色鮮やかなファッションもいい。
なにより「グレタ姐さん、偉い!」と思ったのは、さまざまなインディーズ映画で培ったはずの凝った映像表現や、大好きなはずのパンク・ロックを封印して、あくまで最大公約数としての青春映画で直球勝負した態度である。
誰の胸も打つ普遍的な中二病映画として、しなやかに屹立した快作だ。
そして『フランシス・ハ』で全力疾走したグレタ姐さんは、全力疾走のかわりに「車の運転」によってレディ・バードの心を目覚めさせる。
自動車免許を取得して地元をドライブするレディ・バードと、いつも車を運転している母親がオーバーラップするシーン。その瞬間、うんざりするほど見慣れた町の景色が輝いて見え、母との確執が静かに解きほぐされていくのだ。
その後、「母の手紙」と「レディ・バードの電話」によって、このすれ違う親子は間接的に和解を果たす。空港での見送りがすれ違いに終わってしまったからこそ、この間接的な和解が胸に響くのだ。
ニューヨークの大学に進学した彼女は、あれほど自分のことをレディ・バードと呼んでいたにも関わらず、そこで出会った人々に「クリスティンよ」と自己紹介する。クリスティンとは彼女の本名だ。
つまりこの作品は、思春期のモラトリアムを担保する「レディ・バード」というアダ名を捨て、自らを「クリスティン」と呼ぶことで記名性を獲得するまでの話である。
このあとレディ・バード=グレタ姐さんは、大学在学中にマンブルコア映画運動に参加し、ノア・バームバックやアイヴァン・ライトマンのメジャー映画への出演を果たす。
そして自身の少女時代をマンブルコア映画として作った。それが『レディ・バード』だ。
なかなか日の目を見ないマンブルコア映画がこれだけ注目されてヒットするのは珍しい。
マンブルコア、会心の一撃だ。
追記
演劇部の顧問を務める神父、スティーヴン・ヘンダーソンが妙なオモシロを漂わせていて最高だった。すげえパグ顔だし。
見た目がすでにおもしろいのに、演劇部の生徒たちに「早く泣いた者勝ちゲームをしよう!」と提案しておいて真っ先にスンスン泣き出すという。
おまえが泣くのかよ!