人生の寄り道はいかが?
2016年。エレノア・コッポラ監督。ダイアン・レイン、アレック・ボールドウィン、アルノー・ヴィアール。
子育てを終え、人生のひと区切りを迎えた女性アン。映画プロデューサーの夫マイケルは仕事では成功を収めているが、家庭には無頓着だ。ある日、アンはマイケルや彼の仕事仲間と一緒に、車でカンヌからパリへ向かうことに。たった7時間のドライブのはずが、美しい景色や美味しい食事、ユーモアと機知に富んだ会話を楽しむうちに、人生の喜びを再発見するかけがえのない旅になっていく。(映画.com より)
やぁ、みんな。機嫌はどう!
渾身のレビューほど評価されない。不満が残ったレビューほど評価される。
とかく映画レビュアーを悩ませる出来と反応の反比例問題。
べつに映画レビューなんて書いてない人にも、きっとこういう経験はあるはず。全力を出しきったものほど「あー」みたいな淡泊な反応が返ってきて、なんとなく言ったことやテキトーにやったことが「すごいね!」とか「おもしろいね!」って褒められる。
もどかしいわぁ。
特に映画レビュアーなんて、良い評論をしたから良い反応が返ってくるわけではないからね。ええ、ええ、分かっておりますとも。
「話題の映画」に「浅い感想」をつけ足したような「中身のない記事」がいつも勝つんだ!
実際、すぐれた映画レビュアーほどフォロワーがいなくて、孤独な職人のようにせっせとタフで美しい映画評を書き続けている。
でも私は気づいてますよ。そんな、日の目を見ないレビュアーの素晴らしい文章に刺激を受けながら、今日も私は映画評を綴るのです。
参ります。『ボンジュール、アン』。
◆『トスカーナの休日』の精神的連作◆
ダイアン・レインがゆったり休暇を送る映画といえば『トスカーナの休日』(03年)が思い出されるよね。…思い出されるよね?
思い出されるよね!?
イタリアのクソ田舎で毎日ダラダラしてるだけの、きわめて観光性の高い牧歌的な作品である。
『トスカーナの休日』から13年が経ち、今や50歳を過ぎたダイアン・レイン。近年ではDCエクステンデッド・ユニバースからお声が掛かってスーパーマンの養母役を演じることで辛うじてメジャーシーンと繋がっている女優だ。
はじめて『ボンジュール、アン』の存在をレンタルビデオ店の新作コーナーで知ったとき、私は無性に嬉しくなった。これは『トスカーナの休日』の精神的連作に違いないと確信したからだ。
イタリア・トスカーナでの生活がダラダラ描かれる『トスカーナの休日』。明日が休みだって日の前日の夜10時半ごろに観るにはもってこいの作品です。
本作は、映画プロデューサーの夫(アレック・ボールドウィン)に付き添ってカンヌにやって来たダイアン・レインが、ひょんなことから夫の友人アルノー・ヴィアールとともに車でパリに向かうまでの道中を描いたフランス観光映画だ。
フランス人のアルノーにガイドされるまま、サント・ヴィクトワール山、リュミエール兄弟の映画研究所、リヨンの町などに連れられ、そこでチーズを食ったりワインを飲んだりする様子がのんびりと描かれる。
老齢とはいえ腐ってもフランス男のアルノー、ダイアン・レインが友人の妻だろうがお構いなしでコマす気満々、「いつになったらパリに着くの?」と言う彼女を言葉巧みに丸め込んで寄り道の限りを尽くす。そうこうするうちに人妻レインも楽しくなってくるが、そこで「一線を越えない」のが本作の品のよさ。
たとえばイザベル・ユペールが旅行先のパリでアヴァンチュールを楽しむ『間奏曲はパリで』(14年)と見比べると、アメリカ人とフランス人の恋愛観がまるで好対照であることが分かっておもしろい。
レイン「アメリカ女のガードが固いわけじゃなくて、フランス男がパンチ打ちすぎなのよ」
※劇中にこのような台詞はありません。
なんやかんやで楽しむ人妻とその友人。
◆夢を見るのは水曜日の昼下がりだけ◆
なぜダイアン・レインは、この映画や『トスカーナの休日』のような取り立てて何も起きないのんびり観光映画が似合うのか。それは彼女のキャリアを見れば一目瞭然だ。
ダイアン・レインは、ボーイ・ミーツ・ガールの傑作『リトル・ロマンス』(79年)でデビューした(当時14歳!)。
その後、巨匠フランシス・フォード・コッポラの『ランブルフィッシュ』(83年)や『コットンクラブ』(84年)に起用され、今なおカルト的な人気を誇る『ストリート・オブ・ファイヤー』(84年)は『リトル・ロマンス』に次ぐ代表作となる一方、興行収入の面で惨敗を喫して19歳の若さで一度映画界から退いてしまう。
3年後に「あたい、やっぱり女優する! もっぺん夢見させてぇな!」と言ってカムバックするが、鳴かず飛ばずの低迷期が延々続く。どれぐらい続いたかといえば15年も続いた。
2002年の『運命の女』でようやく注目を浴びた頃にはすでに37歳。しかも、それ以降の出演作はまたしても鳴かず飛ばず…。
で、『ワンダーウーマン』(17年)や『ジャスティス・リーグ』(17年)でお馴染みのDCエクステンデッド・ユニバースに拾ってもらった(←今ココ)。
あどけなレインと、あかぬけレイン。
要するに、女優として脂が乗りはじめる30代がまるっきり残念なことになっているわけです。ここ一番の勝負どころで思いきり低迷してるっていう…。
いわば90年代はダイアン・レインにとって「失われた時代」だ。
私はダイアン・レインのビッグファンですが、認めましょう。彼女にはこれといった黄金期もなければ受賞歴もない。『リトル・ロマンス』と『運命の女』のプチヒットを除けば生涯低迷女優なんです。
ロビン・ライトやモニカ・ベルッチといった同世代の女優からは完全に追い抜かれているし、今後再ブレイクする見込みもないでしょう。
もはや打つ手なし。
だからこそだよ!
だからこそ、慌ただしい都心から離れて異国の辺境に安らぎを求める『トスカーナの休日』や『ボンジュール、アン』のようなのんびり観光映画にはダイアン・レインしかいないのだ。
どちらの映画でも彼女が演じている役は、心のどこかで不満や後悔を抱えながらも惰性で結婚生活を続けている女だ。
夫は浮気性のスットコドッコイだが、それはとうに割りきっているのでべつに不幸というわけではない。
ただなんとなく満たされない。
なんとなく水曜日の昼下がりにコーヒーを飲みながら「あの人と結婚してなければ別の人生もあったかも…」とぼんやり夢想に浸っては「そんなことより夕食の準備しなきゃ!」とすぐに頭を切り替えて日常の慌ただしさの中に帰っていくような…、ある意味ではとてつもなく生々しい主婦像を体現していて。
そんな彼女が演じたキャラクターは、引くに引けない立場から女優業を続けているダイアン・レインの実人生を照射しているのです。中規模の映画で中ヒットを飛ばして「中くらいの女優だ」と評価され続けた30年のキャリア。それは30年の結婚生活と同じだ。
何事によらず、物事を長く続ける秘訣は「妥協」と「諦念」。夢を見るのは水曜日の昼下がりだけ。そのあとは現実に帰っていく…。
ダイアン・レインの実人生と映画内での役柄は、まさにそんな感じなのだ。
良くも悪くも哀愁があって、苦み走っている。
浮気性の夫を演じさせたら当代随一のアレック・ボールドウィンと。ダイアン・レイン演じる妻は、半ば無理やり笑顔を作っている。本当の意味で「関係が冷えきった夫婦」とは、存外こういうものかもしれない。
◆何らかに対する何らかの讃歌!◆
『ボンジュール、アン』は、気持ちはアルノーに向いているが結婚生活をぶち壊すわけにはいかない…というダイアン・レインの葛藤が終始無言のうちに描かれる。
彼女の気を引こうと何かにつけて寄り道をするアルノーに「ねぇ、いつになったらパリに着くの?」と辟易しながらも、内心ではアルノーとの寄り道を楽しんでいる自分もいる…というアンビバレントな感情が上品にスケッチされているのだ。
アルノーに手招きされるままに付いて行く人妻レインのフランス観光は「人生の寄り道」なのでした。
別れの日に「来週、この国を出るんだ。もしキミが本気なら空港に来てくれ」と言われてアルノーから貰ったゴムのブレスレット。そのブレスレットで髪を束ねた彼女が、カメラに向かって愛らしく微笑むラストシーンに「観る者に解釈を委ねる結末だ!」とまるで頓珍漢なことを言っているレビュアーがいるが、いやいや、これはもう「そういうこと」ですよ。お察し。
映画好きとしては、本作の監督がエレノア・コッポラというところが何とも感慨深い。
『ランブルフィッシュ』や『コットンクラブ』などで当時駆け出しのダイアン・レインに役を与えた恩人フランシス・フォード・コッポラの妻で、なんと80歳にして長編映画デビューという!
「遅咲き」どころの騒ぎではない。Majiでdieする5秒前に咲いた花だ!
また、仕事人間で浮気性のアレック・ボールドウィンのタイプキャストもよい(近年こんな役ばっかり)。
何より役者の顔が非常によく撮れている。ダイアン・レインなんて10歳以上若く見えるし(ロケーション撮影でこれはすごい)、近年すっかり太ってしまったボールドウィンも元は色男だったことを思い出させてくれるほどシャープなカメラ使いだ。
御年80歳のエレノア・コッポラの「街」と「自然」と「食」と「人」に対する愛が詰まった何らかに対する何らかの讃歌。
世界中のくたびれた主婦の心に寄り添う、ホッと息が抜けるようなステキな映画です。
今日のレビュー、なんか…感じイイ!
いつもチャーミングなダイアン・レイン。小指かわいい。