シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

RAW 少女のめざめ

心地よくセオリーを脱臼させた学園カニバリズムの怪作!

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2016年。ジュリア・デュクルノー監督。ガランス・マリリエール、エラ・ルンプフ、ラバ・ナイト・ウフェラ。

 

厳格なベジタリアンの獣医一家に育った16歳のジュスティーヌは、両親と姉も通った獣医学校に進学する。見知らぬ土地での寮生活に不安な日々を送る中、ジュスティーヌは上級生からの新入生通過儀礼として、生肉を食べることを強要される。学校になじみたいという思いから家族のルールを破り、人生で初めて肉を口にしたジュスティーヌ。その行為により本性があらわになった彼女は次第に変貌を遂げていく。(映画.com より)

 

『シネマ一刀両断』というブログ名をつけたからには遮二無二シネマだけを一刀両断せねばならないと考えてきたが、何人かのピープルから「それは固定観念だよ」とか「シネマ以外も語ってよし」とハートウォームなことを言って頂いたので、これからはシネマ以外の記事もアップしていこうと思う。

そもそも、記念すべき当ブログの第1回目(2回目も)は映画の話でこそあれレビューではなかったし。それに、いちびってハードロックとヘヴィメタルの違いについて講釈を垂れて、筋金入りのロックマニアから怒られたこともあるし。

 

で、「映画以外もOK!」というルールを適応することで、僕がずいぶん楽になるんですよ。なんとなれば、レビューストックが尽きた場合は、以前にmixiなどで書いてた随筆(日記)をこちらにコピペしまくればいくらでも時間稼ぎができるからです。

私はこれまでに箸にも棒にもかからないような随筆・日記・論文・世迷い事などをぶ厚めの本10冊分ぐらい書いてきたので、たぶん30年ぐらい時間稼ぎできます。

でもそれをアリにしちゃうと軸ブレブレの手抜きブログっていうか、無法国家みたいな体たらくになってしまうのでは…という危惧があって、なかなか書けないんですよね。 「最近、文化生活を送ってて頭にきた瞬間BEST10」とか「食器洗いの極意」とか「芸能ニュースでよく見る『熱愛』と『真剣交際』の違い」とかが。

 

2つのブログを使い分けるブロガーの気持ちが今になって分かりました。きっと皆さん、このようなジレンマに懊悩したのでしょうね。

最近、Gさんのブログも自己分裂してキメラのようになりました。頭はライオン、胴体はヤギ、でもどちらもG、みたいな。

でも私には、複数のブログを同時に運営するような器用さはありません。うーん、どうしようかなぁ。面倒臭いなぁ…。

面倒臭いな、ブログって!

mixiだったらひとつのアカウントで日記も呟きもレビューも写真も使い分けられるぞ!

mixi最高!

母校の同級生を探せる「mixi同級生」というお節介なサービスだってあるんだぞ!

以前、このサービスを使って某同級生が私のことを見つけて「〇〇小学校のふかづめ君だよね? 同窓会こない?」とメッセージを送ってきたことがありましたが、金剛力士像のような面持ちで無視してやりました。

同窓会に行くぐらいなら死を選ぶよ!

というわけで本日は『RAW 少女のめざめ』ですね。

ウェイクアップ、ガール!

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◆次のショットが予測できない◆

ベジタリアンの女子大生がウサギの肝臓やら鳥のササミを食って「デリシャス」なんて言ってるうちに人肉に目覚める。神戸ビーフでは満足できなかったのだろうか。

しかし、このショッキングな大筋からは想像もできないほど、最終的には「女になること」や「家族愛」についてのほろ苦い青春映画へと着地するのだから驚きだ。

監督はこれが長編処女作となったジュリア・デュクルノー。ぜひその名を記銘しておきたい。

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『RAW 少女のめざめ』のおもしろさは、次のショットが予測できないという点にある。

映画というのは、ショットの運び方からカットの重ね方に至るまで厳密なセオリーがあって、自由に撮っていいというものではない(自由に撮ってもメチャクソな映画になるだけ)。

たとえば、並木道を走る自動車が急に道に飛び出してきた「ある生き物」を避けようとして木に激突するファーストシーン。フランス映画なら長回し一発で撮るのがセオリーだが、ジュリア・デュクルノーはそこをちょっと外してきて、「画面奥に向かって走っていく車」と「画面奥から車が走って来る『ある生き物』の視点」を2~3回切り返してみせる。

この切り返しショットによって、道に飛び出してきた「ある生き物」が動物ではなく人間であることが分かるし、もっと言えばその人物が故意に車道に飛び出したということまで分かるわけだ。

したがってファーストシーンを観た者は、開幕早々に謎を突きつけられることになる。

いったい誰が何のために車の前に飛び出したのか?

101回目のプロポーズの真似をして失敗したのだろうか? ってね。

つまり、切り返しショットそれ自体がミステリーとして機能している。予測不能の身振りでセオリーを破りながらも、そこにはちゃんと別のセオリーが確立していたのです。

 

一事が万事この調子で、心地よい変化球でセオリーを脱臼させるジュリア・デュクルノーの映画の編み方に、観る者はただ鼻血を垂らしながら上目遣いで画面を見つめていればよい。本作のガランス・マリリエールのように。

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◆フランス製コリアンムービー◆

物語は、親の言いなりだった少女が自我と自由を獲得して大人の女性になるまでのイニシエーションが「学園カニバリズム」というファンシーなモチーフを通して描かれていく。

アレルギーで皮膚が剥がれる(生まれ変わる)とか、音楽を聴きながら厚化粧をして鏡にキスをする(自己愛の獲得)など、分かりやすいメタファーで精神的な変化と肉体的な成長も表現されている。

まぁ、ブラック・スワン(10年)ですね。ただし踊るかわりに肉を食う

 

個人的にとても気に入ったのは独特のユーモア感覚。

アネキの中指ロスト事件のフックとしてブラジリアンワックスを持ってこなくても…とか、なんやかんやで仲のいい姉妹関係を表現するために立ちション対決とかさ。

あと、何といっても新入生の寮を襲撃する上級生たちのシゴきがあまりに酷くて笑ってしまう。「先輩と呼べ!」って。ここは韓国か?

そして先輩はわけのわからない歌を歌わせながら新入生にジョギングをさせる。おまえはハートマン軍曹か?

そのほか、新入生の男女にそれぞれ青と黄色のペンキをかけて「緑になるまで出てくるな!」と言ってバスルームに閉じ込めるなど、意図も狙いもよくわからない上級生の身振りに前後不覚。

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とにかくすべてが過剰。人肉ぺろりのゴア描写はもちろん、ペンキで汚れたまま授業を受ける、口から毛髪マジック、それに痒みの表現など、生理的に不快な映像のつるべ打ちはさながら韓国映画のようである。

かと思えば、驚くほど美しいショットが紛れ込んでいたりするので、最初に申し上げたように予測不能なのだ。

エクストリームな怪作だけど奇を衒った印象を受けないのは、ジュリア・デュクルノー型を知ったうえで型を破っているからだ。

今後が楽しみな監督がまた一人増えたことに鼻血を垂らしながらの祝福。