シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

愛という名の疑惑

だいぶ調子悪いときのヒッチコックを模倣したような亜流作品。

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1992年。フィル・ジョアノー監督。リチャード・ギアキム・ベイシンガーユマ・サーマン

 

精神科医アイザックが、患者の姉ヘザーと知り合って恋に落ちる。だが、彼女は夫殺しの容疑者として捕らえられてしまう。アイザックはヘザーに精神障害があるとして無罪を主張するが…。完全犯罪を目論んで近づいた美しい姉妹に翻弄される精神分析医の愛と葛藤を描くサスペンス。

 

おはようございます、市原隼人です。

昨日の前置きの続きですが、結局、洗顔剤と食器洗い洗剤は見つかりませんでした。クソが。何を洗えというんだよ、今の俺に。

パクった奴がいたら首を洗って待っておけよ。俺は身元を洗って見つけだしてやるからな。しかるのちバチバチに折檻して盗人から足を洗わせてやる。その代わり、おまえは俺の心を洗ってくれ。洗い洗われのエブリデイだよ。

あー、犬を洗いたい。

 

って、こんな話はどうでもよろしい。

本日は苦手な女優ランキングの第29位に輝くキム・ベイシンガーの2発目です。3発目はないから安心されたい。俺も安心してる。

でも近日、デミ・ムーアをデミっと取り上げた「デミ映画3連発」をお送りするから、そこは覚悟しておいてください。俺も覚悟するからキミも覚悟してくれ。これで五分五分だ。フェアネスというやつだ。

そんなこってパンナコッタ『愛という名の疑惑』に怒って候。

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◆生ハムの臭いがする愚作◆

まったく、だらしがない。

生ハムメロンを食いながら撮影したような「セレブの余裕」が映画から緊張感を奪っている。

主演は、意識が吹っ飛ぶほどつまらない『ノー・マーシィ/非情の愛』(86年)に続いて二度目の共演となるリチャード・ギアキム・ベイシンガー

ベイシンガーのことだから撮影中に何度も生ハム休憩を要請したに違いない。そうしてスタッフ、キャスト揃って生ハムメロンに齧りつきながらテキトーなノリで撮ったものだから、この映画には絶えず生ハムの臭いが漂っているのだ。

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緊張感のない映画は無前提的にゴミだと思う。そんなものは即刻廃棄されるべきだ。

たとえ脱力コメディだろうが腑抜けのようなラブストーリーだろうが、「脱力した緊張感」や「腑抜けのような緊張感」は必要なのだ。私の言っていることがわかりますか。

良い意味で使われる「ゆるい映画」というのは、決していい加減な態度でゆるく撮られたわけではなく、緊張感を持って「ゆるさ」を表現した映画のことである。

引き締まった映画というのは生ハムのような臭いを漂わせたりはしないし、主人公と敵役の俳優が撮影の合間にふざけ合って笑う…みたいな撮影現場の様子が画面越しに透けて見えたりもしない。

だが本作は、映画そのものというよりも「映画を撮る態度」からして致命的なまでに緊張感が欠けているので、すべてのシーン、すべてのショットがだらしない。

これは推論という名の暴論だが、こういう映画を撮る奴はだいたいニヤけた顔をしている確率が高い。

監督のフィル・ジョアノーを画像検索してみたところ、やっぱりちょっとニヤけてました。

ニヤけながら映画を撮るんじゃない!

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生ハム監督、フィル・ジョアノー


◆ギアもベイシンガーもダメ◆

さて、本作はヒッチコック『めまい』(58年)を勇敢にもパクって派手に玉砕したファム・ファタールものだ。

精神科医のギアが、患者のユマ・サーマンから「姉に会ってほしい」と言われてベイシンガーに会い、うっかり情事を重ねてしまったことから事件に巻き込まれていく。ベイシンガーがDV夫を殺害してしまったのだ。

夫殺しで捕まったベイシンガーを八方手を尽くして無罪にしたギアだが、彼女が夫に多額の保険金をかけており、妹のユマもその犯罪の片棒を担いでいたことを知って「俺は利用されていたのか!」とショックを受けてぷんぷん怒る…という充実のストーリーである。

 

ふざけやがって。

何が『愛という名の疑惑』だ。

 

ベイシンガーは、いわばギアを誘惑するファム・ファタール(男を破滅させる魔性の女)だが、もうひとつ決定打に欠けるなぁ。ただゴージャスなだけで奥ゆかしさがないというか。

この映画に必要なのは生ハムの臭いではなく女の匂いだというのに、ベイシンガーはといえば「ファム・ファタール」と「セレブリティ」を履き違え、きゃっきゃ言いながらギアに甘えて抱きついたりするのだ。大学生カップルのごときイチャイチャぶり。

正視に耐えない。キムという名の疑惑。

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他方、そんなベイシンガーの「ある罠」にあっさりと引っかかるギアはとても精神科医には見えず、そこに何の駆け引きもない。

ギア「人を見るとつい分析してしまうんだ(キリッ)」

どの口が言うとんねん。

おまえ、最初から最後までダマされ通しやないか。やめてまえ、精神科医

当時のリチャード・ギアは「顔はいいけど鈍臭い」というがっかりハンサムばかり演じていたが、まさに本作はその代表格だろう。ギアという名の疑惑。

生ハムメロンばかり食っているとバカになるから気をつけた方がいい。

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◆『めまい』がするほどのヒッチコック三流模倣◆

ベイシンガーが夫殺しに手を染めた中盤からはひたすら法廷劇が続く。だが、彼女が無罪を勝ち取ってからがこの映画の本筋なので、いわば法廷シーケンスは死に時間。だったらポンッと省略すればいいものをやたらと執拗に法廷シーンを描き込む…という愚劣なことをしているので、観る者は睡魔との戦いを強いられる。

 

そして触れぬわけにはいかないのがヒッチコックの模倣

まぁ、それっぽいことをしているのだが、下手なモノマネの域を出ず。

たとえば、獄中のベイシンガーと同じ髪型をして面会に現れたユマが、看守の目を盗んで姉と入れ替わり、自分が面会室に残る代わりにベイシンガーを外に出すというそっくり作戦の稚拙さ。

あるいは、ギアとベイシンガーの灯台デートで最頂部の手すりと足場が壊れかけていることをこれ見よがしに強調したあと、クライマックスでは同じ場所でギアに拳銃を突きつけるベイシンガーがうっかり手すりに凭れて足場崩壊、「あー」などと言って落っこちていく…というギャグにもならないほどブザマな演出には涙が出る。

だいぶ調子悪いときのヒッチコックをパロディにしました!」というのならまだ分かるが、こういう子供も騙せないような演出を大真面目にやっているのだから噴飯モノである。

 

灯台、断崖、精神病…。そうしたヒッチコック的モチーフと戯れては亜流以下に甘んじるという堕落ぶりは、もっぱら脚本家ウェズリー・ストリック(どうしようもないヒッチコック・フォロワー)の貧しい知性に依る。

この映画をブライアン・デ・パルマ(世界一のヒッチコック・フォロワー)が観たらどう思うだろうか。きっと私のように腹を立てたりせず、むしろ満足げな笑みを浮かべるだろう。

「こういうバカな映画のおかげで私の見栄えがよくなる」

そもそも『めまい』をパクり倒したにも関わらず、なぜ画面アスペクト比がビスタではなくスタンダード・サイズなのか。生ハムメロンを食いすぎて思考力が低下したとしか思えない(低下するだけの思考力を持っていればの話だが!)。

めまいがするわ。

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クライマックスへの布石を打つためだけに灯台デートをする二人。

ギア「足場が不安定で危ないなぁ」

ベイシンガー「手すりに凭れたら落っこちそうよね」

 

ユマ・サーマンだけはサーマンサーマンしてた

当時駆け出しだった22歳のユマ・サーマンだけはなかなか良かった。このろくでもない映画に感謝することがあるとすれば、ユマ・サーマンがサーマンサーマンしているさまをフィルムに焼きつけたことザッツオールである。

とはいえ、ユマが演じた役はメチャクチャの極致。共犯関係を結んだ姉に協力しつつもギアに惹かれているユマは、やがて対立する姉とギアの両方に協力する…という一貫性なきことおびただしい分裂症的行動原理で物語を掻き乱す。ユマという名の疑惑。

だが、もういいよいいよ!

ベイシンガーよりよっぽどファム・ファタールに近い妖しさを纏っていたユマに、生ハムメロンを食しながらの祝福!

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 パルプなフィクションを演じるユマ、ビルをキルするユマ、ガタカがガタガタになるユマなど、さまざまなユマがサーマンサーマンしているユマ・サーマン