シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

トップガン マーヴェリック

昔からオレたちが唖然としながらも何やかんやで見続けてきた「トム・クルーズがトムトムしてるだけのトムービー」の“埒が明かない最新作” ~郷ひろみ、ありがとう~

2022年。ジョセフ・コシンスキー監督。トム・クルーズ、マイルズ・テラー、ジェニファー・コネリー。

エンジンの回転をあげろ。彼女のうなり声が聞こえるらろ? 張り詰める機体。きみの合図を待ってるゥー。危険地帯へのハイウェイ♪ スリル満点の舞台へ突っ込むんだっ。


はいはい、おはよおはよ。
「コンピューターしててイライラするときランキング」の第5位でも発表するわ。
そろそろコンピューターするのやめよーと思って閉じようとしたとき、「更新して終了」か「更新して再起動」の二択しかないとき。
はあ?
別に更新したくない、というオレの意見の立場は?
オレの魂の立場は…?
なんですのん、これ。
例えりゃあ、そう…。オレは昔ながらの職人技術でいろいろアレする町工場の工場長なのに、そこへ唐突に押しかけてきたセールスマンが「全自動でアレしてくれる最新テクノロジーのアレを取り入れたマシンを導入してみては!?」と迷惑口上。
町工場だけに、チョット待ち口上。
されど「いりません」という選択肢は取れず、「購入して泣く」か「購入して再起」かを選ばねばならない。
もし、あなたが工場長の立場だったら?
もちろん、こう思うよね。
「別に購入したくない、というオレの意見の立場は?
オレの魂の立場は…?」
って!!!
本来3択であるはずの未来がなんで2択なん。
「はい」、「いいえ」、「どちらとも言えない」が用意されて然るべき答案用紙が、なんで「はい」と「どちらとも言えないが、まあ…はい」しかないん。
「いいえ」の立場はああああ?
「いいえ」のレーゾンテートルはああああ?
「いいえ」がミュージックステーションに出演するというのでワクワクしながら見てみたら、トップバッターゆえに司会者とのトークなし&ほかの歌手とのトークシーンの後列で見切れてる&「いかがでしたか?」と振られる最後の一言コメントでも謎のドリー撮影でほぼ流されたときのファンの心情のタチヴァはああああ?
なので、そういうとき、私は、コンピューターを、ぶっ壊したくなります。
なんでもかんでも更新更新…くそぉーッ!

そんなわけで本日は『トップガン マーヴェリック』よ~。す~ごいヒットだけど、シネトゥも負けてられへんわ。
そっちが『トップガン マーヴェリック』なら、こっちはこっちで『審美眼 フーカリック』じゃあ。死ねぇ~。



◆『トップガン マーヴェリック』は止まらねェ「おっとっと」◆

テロレロライ
テロレロらいトゥナーイ♪
メデメデらい
エゲエゲちゅーんゴーン♪
ハーウェートゥーザ、デンジャゾーン!
ハーウェートゥーザ、デンジャゾゥーン!

はぅああああ!!!

ケニー・ロギンスの「Danger zone」を歌ってる間に始まってた!
聴かれちゃったか、おまえらに。俺による「Danger zone」の歌唱が…。
まあ、聴かれちゃあ仕方ねぇな。
『トップガン マーヴェリック』だ。

サントラ映画の帝王ケニー・ロギンス「Danger zone」(YouTubeからパクってきた)。

それにしても80年代はケニー・ロギンスを中心としたディケードだったよな~。
『フットルース』(84年) における「Footloose」と、『トップガン』(86年) の「Danger zone」は当時のMTV人気も相俟って映画と音楽の一体化を実現せしめ、その前後で『フラッシュダンス』(83年) 『ストリート・オブ・ファイヤー』(84年)『マネキン』(87年) といったサントラ映画がうじゃうじゃ台頭。
その代表格が『トップガン』
キング・オブ・サントラ映画だ。
レコードが売れれば映画が売れ、映画が売れればレコードがまた売れる…という好循環は、90年代に入っても『ボディガード』(92年) 『タイタニック』(98年) といったロクでもない映画を生み出した。
かかるサントラ映画ブームによって80年代は映画も音楽も離乳食化したため、どちらも好きな私にとってはエライ迷惑な話なのだが、映画も音楽も、当時の熱気に“人を躍らせる力”があったのは確かだろうな。比喩としても物理としても。
だって、未だにオレは「Danger zone」や「Footloose」を聴けばだいたい踊るし、ボニー・タイラーの「Holding Out For A Hero」だって大概踊ってる。
アイリーン・キャラの「What a Feeling」に至っては踊りをやめて泣いちゃうもん。

あ、そうそう。聞いてけろけろケロッピー。
こないだ『ソー:ラブ&サンダー』(22年)っていうガンズのPV 映画がやってたでしょう。
ガンズ・アンド・ローゼズ必殺の3曲「Welcome To The Jungle」、「Paradise City」、「Sweet Child O’ Mine」をぜんぶ使ってることに驚いたが、なんと「November Rain」のギターソロまで挿入歌に使用。あー、もう“そういうこと”ねって思ったよ。
あまつさえナタリー・ポートマンを使ってMVのワンシーンを再現するという手の凝りよう。ほいでエンドロールではDIOの「Rainbow In The Dark」って。もはや音楽のために作られた映画であり、まさにその精神こそが良くも悪くもサントラ映画なのよね。なんたる豪快な“反映画の身振り”だというんだ。


さて。かかる反映画の原理上「サントラ映画」という言葉そのものが立派な語義矛盾を孕んだ異形の文化であることを踏まえた上で『トップガン マーヴェリック』
映画でした。
久々に映画だったわ。
尤も、ジョセフ・コシンスキーの名は『オブリビオン』(13年) 『オンリー・ザ・ブレイブ』(17年) で“決め技に欠けながらも映画を撮れるごく普通の職業監督”として記憶していたので特に懸念していたわけではなかったが、思った以上にタフな野郎だった。撮るか、撮るか、まだ撮るか?って。
撮られゆくほどに映画。たった60年前は当たり前だったことが、今やスクリーンのどこを見渡しても映画がない時代。骨の形した「おっとっと」みたいに出会えたらラッキー程度だもんな。
おっとっとっとっとっ、だもんな。
『トップガン マーヴェリック』は止まらねェ「おっとっと」。
なに言ってるかわからんか?出直して来い。



◆悩めるトムトム。癒さるるトムトム。悩めるトムトム。癒さるるトムトム◆

 まず“貌を揃えた”ことにいたく感動しております。
残念ながら準主役のマイルズ・テラーは相変わらずゴム草履みたいな顔をしていたが、ハングマン役のグレン・パウエルとフェニックス役のモニカ・バルバロが滅法いい。
本作はすぐ戦闘機乗る映画(乗るなと言われても乗る映画)という性質上、どうしてもコックピットからのアップ主体の画が続く…という明確な弱点を持っているが、弱点が明確なら対策も明確。

アップに耐えりゃいいんだよ。貌がよ。

G・パウエルの、憎たらしくも「こいつはエンドゲームで活きるナイト」と思わしむるには申し分ないニヤケ面パワーと、M・バルバロの“女神になりかけの悪戯娘”みたいなマイルドな微笑み。まずこの2つの貌。
この2つのジェットが映画を引っ張った。
言わずもがな、そのエンジンたり得たのが白い歯を剥きだせば大体万事OKのトム・クルーズ。白い歯の神通力は映画をさらに加速させる。
加えて特筆大書に値するのが、上官であるジョン・ハムエド・ハリスらおっさん勢。特に近年活躍中のジョン・ハムは…ホントお誂え向きの貌だな。こいつをボスの部屋にふんぞり返させたり指令室のちょっぴり後ろに突っ立たせておけば大概のハリウッド大作の画はもつ。それに鑑賞中、なんとなく80~90年代の映画を見てる錯覚に陥ったのは俺だけじゃないはずだ。
洋画劇場なんだよ。まず貌がよ。
実際、戦闘機に乗るシーンでは失神しそうになりながらも重力加速度に耐える…という描写が何度もあるが、それと同じくらいキャスト陣が無言のアップショットに耐え続ける映画でもあるんだよ。
そんな“映画の重力”に耐えきったからこそ本作のアップショットは尊いのである。わかるか。最近ネットで流行ってる方の「尊い」で理解するなよ。
この映画は役者とカメラの肉弾戦だ。「はっけよい」で踏ん張り続ける、貌とカメラの押し相撲。
なにが曲芸飛行……
ただのパワーじゃーん。

“いい貌”とはこゆこと。

次に、やたら腰の入ったドラマ。
ドラマが骨太なのは監督の手腕か、それともあえて “今” 続編を打ち出したトムトムの采配か。あるいは時代がそうさせたのか。
基本的にこのシリーズ、物語の大部分はトップガンと呼ばれる戦闘機専門学校での訓練、筋トレ、喧嘩、喧嘩、叱られ、なじられ、たまに色恋…といった汗だくエブリデイが描かれる「学園ドラマ」だ。命懸けの任務…つまり実戦はクライマックスの一度だけ。大部分がドラマパートなのである。
ヒューマン筋肉ドラマ(汗トッピング80円)なのである。

そんなドラマパートを司ったのがゴム草履野郎ことマイルズ・テラーと、36年前の前作で役名だけ登場したジェニファー・コネリー
テラー坊は、前作でトムトムが調子こいて死なせてしまった相棒の息子役として登場し、トムトムを自責スパイラルに縛りつけてしまう。そんな悩めるトムトムの心に居場所を与えてやるのがジェニファーだ。
つまり、テラー坊のことで悩んではジェニファーの膝で癒される…。
悩めるトムトム、癒さるるトムトム、悩めるトムトム、癒さるるトムトム…。
基本、このトムループがぐるぐるしてるだけの映画なのだが、それと並行してトムトム! 訓練生どもに空飛びの極意を授けるという日常業務ほか、定期的に上官のハムハムからばちくそ叱られたり、前作に登場した戦友アイスマンことヴァル・キルマーと『徹子の部屋』よろしくビミョーな空気感でスペシャル対談したりLINE返したり…と
とにかくハードスケジュール。
トムトム、疲れちゃう。

一応、ストーリー上の主目的は「某国が稼働させたウラン濃縮プラントの爆破」だが、そんなことより大事な予定がむちゃむちゃ立て込んどる。
なんせ、トムトムは忙しいんや。
某キャラの葬式には顔出さなあかんわ、クルーズ楽しまなあかんわ、訓練中に失神したアホ起こさなあかんわ、バーのツケ払わなあかんわ…。
そんなトムトムの日常を追った密着ドキュメントがお送りされていくわけ。
要は、昔からオレたちが唖然としながらも何やかんやで見続けてきた「トム・クルーズがトムトムしてるだけのトムービー」の“埒が明かない最新作”に過ぎない。
だが、質も量も濃密なタッチで描き込まれたうえ、80'sノスタルジーを刺激する語り口や物語配分、耳が透けるほどの逆光サンセット、西海岸サンディエゴやカリフォルニアのロケーションの見事も手伝い、なんというか…人々の中のハリウッド細胞が疼くのです。
せんど観てきた“あの頃のハリウッド映画”
そんな表情に包まれっ放しの131分を、私は過ごしましたねええええええええええええアホになりそう。

悩めるトムトム。



癒さるるトムトム。



よし復活。余裕っ。



また悩めるトムトム。



再び癒さるるトムトム。



あああしゃ復活よゆううう!



以下ループ。

なんじゃこいつ…。

◆ハリウッド映画の理論◆

 ギア一個入れて真面目に語ってみるか?
 この監督が、デヴィッド・ボウイの「Let's Dance」やT・レックスの「Get it on」が景気よく流れるバーでの複雑な視線劇を何分にもわたって引っ張ったのは職業監督としての矜持だろうか。ま、何でもいいけどよ。
ジェニファーが経営するバー、通称「ジェニバー」は円形カウンターになっており、そこで酒を飲んでいたトムトムは、久しぶりに再会したジェニファーの肩越しに店の奥のビリヤード台ではしゃぎ散らかす訓練生らを窃視する。奴らはまだトムトムが自分たちの教官になろうとは夢にも思ってない頃だ。
ここでは忙しなくカウンター内をくるくる動き回るジェニファーがカメラの役割を担ってトムと訓練生らのショットを繋いでいくが、トムの瞳は話し相手のジェニファーとその奥で奇態を演じる訓練生らの間をすばしこく往還する。
他方、訓練生らの瞳も複雑に交差し、G・パウエルとM・バルバロの固く結ばれた連帯≒対抗心の視線が途中入店したマイルズ坊へと注がれたかと思えば、パウエルの瞳は横にいた仲間へと、バルバロの瞳はビリヤード台の9番ボールへと、そしてマイルズ坊の瞳は寸でのところでトムをキャッチすることなく危うげに周囲へと散らされる。

ジェニバーでのトムトム。

誰と誰が目が合ったらどーなるこーなる…と大いなる可能性を孕んだ祝祭的サスペンスの持続は、各々が各々の戦闘機に乗っているがゆえにほとんど仲間と目が合わないドッグファイトの果てに“トムが結びえた瞳の持ち主”が一体誰なのか…というラストシーンのサスペンスをも未来に託すばかりか、“某国の敵役”などという匿名性でいかがわしくコーティングされた敵方パイロットの相貌が終始明かされない、という密事にまで活きてくるのだ。
要するに見つめ合う視線のレーザービームだ。
「2億4千万の瞳」で郷ひろみが歌っている歌詞は“映画の本質”なのよ。
視線。そして貌を見ろ。
郷ひろみは本質穿ってた。ありがとう郷ひろみ。何回聴いても「お嫁サンバ」だけはワケわからんけど。
戦闘機の映画だからF18に目がいくのは分かるが、そりゃただのモチーフだ。映画じゃない。
“映画を観る”なら、貌を見ろ。

どうせ何度言ってもすぐ忘れるから何度でも言うが、『トップガン マーヴェリック』貌の映画である。誰が誰に顔を向け、視線を投げ、そこでどんな貌を返したか。
顔だ。貌、かお、カオ。
メモっとくか。メモっても忘れそうならパスワードにしろ。「KAO」って。
チームトムの面々がキャッキャしながら海辺でアメフトに興じる多幸感トップガンのシーンでは、ようやく結ばれた彼らの連帯に水を差すまいとするように見事なまでの逆光サンセットが奴らの相貌を黒く塗り潰していたではないか。そして大団円ではトムから皆への目配せフォーユー。ここでも貌だ。

多幸感トップガンのシーン。

さらぬだに、ラストシーンではトムが飛行機の整備中にジェニファーの娘をみとめ、その視線に誘われるようにしてジェニファーと視線を交わらせる。かつてバーで“訓練生との視線の繋ぎ”になっていたジェニファーがようやくその対象となり、熱い接吻を交わしたところで映画は終わったろう?
これが“ハリウッド映画の理論”だ。
伝わってるだろうか?
キスしてメデタシメデタシだからハリウッド映画なんじゃない。
巡り合うべくして巡り合った視線のきわめて経済的な祝福としてキスが交わされるからハリウッド映画なのだ。

巡り合うべくして巡り合った視線のきわめて経済的な祝福として交わされるチッス♥

 ああ、結構しんどい。
ウンザリするほど当たり前の話を5000字にも渡って書いてきたが、冒頭でも触れたようにこんなウンザリするほど当たり前の話ができる映画すら近頃は滅多にないものね。
だからもう一度言うよ。
久々に、“映画”だった。
80'sハリウッドに批判的な私としては依然サントラ映画は“心躍るゴミの山”だが、こんな続編で奇襲を掛けられちゃあ、ねえ?
トップガン世代の皆、おめでと~。80年代に青春を過ごした映画好きの世代に、初めて羨望の眼差しを向けてみたいと思います。
ぎゅっ。

~うれしい追記~
劇中何度も流れたレディ・ガガの主題歌「Hold My Hand」がひたすらに素晴らしい。これは50年残るだろうな。
最初、ガガの曲だと分からなくて「どっかの懐メロ引っ張ってきたんか?」と勘違いしたほど。これぞ80年代AORサウンド。

「Hold My Hand」。再生回数、1億回突破!

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