法廷映画なのに司法全否定。
1996年。ジョエル・シュマッカー監督。マシュー・マコノヒー、サンドラ・ブロック、サミュエル・L・ジャクソン、ケビン・スペイシー。
ミシシッピー州の街カントンで10歳の黒人少女が2人の白人青年に暴行を受けるという事件が起こった。娘の哀れな姿に心を傷めたその父カール・リーは、マシンガンを持って裁判所に出向き、その青年2人を射殺してしまう。新米弁護士として働くジェイクは有能な法学生エレンの助けを借りてカール・リーの弁護を務める事になるが…。(映画.comより)
おはようございます句読点がないと文章は読みにくい知ってましたかこんな感じですよ改行すればまだマシですけどそれさえしないという裏切り。
おはようございます。かんじをつかわずにかくとよみにくい。しってましたか。こんなかんじですよ。かたかなをつかえばまだましですけどそれさえしないといううらぎり。
およごいす。一字ばでく読にい。知てしか。こなでよ。間●入るまマでがれえなとう切。
(訳:おはようございます。一文字飛ばしで書くと読みにくい。知ってましたか。こんな感じですよ。間に●を入れるとまだマシですがそれさえしないという裏切り。)
おずまッ。むなむなはーちでいーとよみくッ。してまかッ。こなかんッ。もちとゆるりいーばつらわるどそーさえしゃーとぅうらりッ。
(訳:おはようございます。むちゃむちゃ早口で言うと読みにくい。知ってましたか。こんな感じですよ。もうちょっとゆっくり言えば伝わるんだけど、それさえしないという裏切り。)
おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…
もうやめるわ。
もうええ。飽きた。変なのに付き合わせてしまってすみませんでした。
さぁ。本日は『評決のとき』です。ちなみに私は氷結を飲むと頭が痛くなるんですが、そういう人ってわりに多いみたいです。何かよからぬものが入っているのかしら。
◆3位のシュマッカー◆
私が勝手に決めた「悲しいぐらい実力不足なのに間違って売れてしまった監督ランキングTOP10」で第3位に輝くジョエル・シュマッカーが最も図に乗っていたころの作品。
ティム・バートンが築き上げたバットマンシリーズを見事に台無しにしてくれた『バットマン・フォーエヴァー』(95年)と『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』(97年)の合間にチャチャッと作られた法廷サスペンスである。
この時期のシュマッカーはバカみたいな映画ばかり撮ってきたことの反省としてやや社会派にかぶれており、『バットマン・フォーエヴァー』の前には『依頼人』(94年)というこれまた法廷サスペンスも手掛けている。
ちなみにこの時期のシュマッカー作品の脚本を手掛けていたのが、初監督作の『ニューヨーク 冬物語』(14年)をクソミソに貶したことでお馴染みのアキヴァ・ゴールズマン(名前を思い出すだに虫唾が走る)。
すでに危険な臭いがぷんぷんしているわけだが、まぁ先入観なしで語っていこうと思う。
舞台はアメリカ南部のミシシッピー。2人組の白人青年に幼い娘をレイプされた黒人のパパンが「仇討ちだー」といって犯人2人をぶっ殺して逮捕される。パパンの弁護を受け持った主人公だが、アメリカ南部ではイカつい黒人差別が今なお続いているために苦戦を強いられる。陪審員は全員白人でKKKからも妨害され…という意味内容の作品である。
まぁ、筋を語っても仕方あるまい。この映画の値打ちはなんといっても豪華きわまりないオールスターという一点に集約されるのだから。
というわけでキャスト紹介から。
◆オールスター感謝祭◆
主人公の若き敏腕弁護士を演じているのがマシュー・マコノヒー。
ジェイク・ギレンホールと並ぶメソッドアクターで、役作りのためならハゲたり痩せたりデブったりは朝飯前。特に近年は『MUD -マッド-』(12年)、『ダラス・バイヤーズクラブ』(13年)、『インターステラー』(14年)などで黄金期を築き、すっかり名優の仲間入りを果たしたが、個人的にはまったくつまらない俳優としてほとんど無視している。
なお、私生活においては全裸でボンゴを叩き狂って通報されたというファンシーな経歴を持つ。
そんなマコちゃんを支える妻役がアシュレイ・ジャッド。
メグ・ライアンがラブコメの女王ならアシュレイ・ジャッドはサスペンスの女王。
一時期は『コレクター』(97年)、『ダブル・ジョパディー』(99年)、『ツイステッド』(04年)といったサスペンス映画の女神として君臨していたが、その後はガクンと低迷。今となってはヤングの映画好きにアシュレイ・ジャッドと言ってもほとんど通じないほど影を潜めた10年スターである。
ちなみに本作ではなぜか常に汗だくで妙にエロい。
そしてマコちゃんに無償で協力する若き法学生がサンドラ・ブロック。
私は『現代女優十選』で第4位に彼女を選ぶほどのサンドラーなので、これはたまらないわけだ。
一緒に仕事をするうちにマコちゃんと恋仲になりかけて…という恋の判決がサブストーリーを支えているが、本作を観たレビュアーからは「この役いる?」と疑問の声があがっている。だがこの時期のサンディーはあるまじき可愛さなので、必要な役かどうかなどどうでもよろしい。
その可愛さ、有罪!
さて、物語の中心ともいえる被告人を演じているのがサミュエル・L・ジャクソン(笑)
もはやこの字の連なりに笑ってしまうのだが、言わずと知れたマザーファッカー俳優である。「マザーファッカー」というスラングはサミュエルのためにあるといっても過言ではないぐらい、出演作の多くで「マザーファッカー」を連呼する歩くFワード。
本作では、娘をレイプしたマザーファッカーどもを片づけただけなのに何故か逮捕される…という極めてマザーファッカーな仕打ちを受けた気の毒なパパンを演じている。
そしてマコちゃんと敵対する検事にケビン・スペイシー。
90年代アメリカ映画を語る上ではまず欠かせない名優で、『ユージュアル・サスペクツ』(95年)、『セブン』(95年)、『アメリカン・ビューティー』(99年)など、挙げ出せばキリがないぐらい多くの代表作を持つ。
…という説明は普通のレビュアーならまずしてくれない。それぐらい有名な俳優だからだ。つまり私は親切なレビュアーとして評価されねばならない。
2017年には大昔の性的暴行事件を告発されてキャリアの危機に立たされた。もちろんこの行為自体はマザーファッカーだとは思うが、私生活の問題をあげつらって表現者の才能を潰し回るMeToo運動はまったく下らないし、これが道徳によって表現が圧殺されるという本末転倒な自家撞着であることに業界人たちは気づいた方がいい。
ちなみにケビン・スペイシーとサミュエルは『交渉人』(98年)でも敵対しておりました。
さらなる大物も控えている。法曹界におけるマコちゃんの師匠だが現在は弁護士資格を剥奪されて飲んだくれになっているのがドナルド・サザーランド。通称ドナルドランド。
いまいち馴染みのない読者のためにごく簡単に説明するとクリント・イーストウッドと同等以上の名優です。
『M★A★S★H マッシュ』(70年)、『赤い影』(73年)、『普通の人々』(80年)…。眩暈がするほど輝かしいキャリアに前後不覚。半世紀以上にも渡ってアメリカ映画の中心を支配し続けている怪物だ。死は依然として遠い。
また、サミュエルパパンに射殺された犯人の弟役としてキーファー・サザーランドが顔を覗かせている。
レイプ魔の兄を殺されたことに逆恨みしてKKKに入団し、マコちゃんを狙撃中で狙ったり家に火を放つといった妨害活動をおこなうドサンピンである。
キーファー・サザーランドといえばたったいま紹介したドナルド・サザーランドの息子にして『24 -TWENTY FOUR-』のジャック・バウアー。
なぜか監督のシュマッカーにいたく気に入られており、『ロストボーイ』(87年)と『フラットライナーズ』(90年)に続いて三度目の起用を果たしたが、今回はまさかのKKK役という辛酸をなめる。
その他、オリヴァー・プラット、クリス・クーパー、ブレンダ・フリッカー(『ホーム・アローン2』の鳩おばさん!)といった馴染み深いバイプレーヤーが脇を固める。
いったいギャラだけでいくらかかったのか。
◆シュマッカー・クオリティが火を噴くぞ◆
まぁ、あらすじを読めば分かるように 『アラバマ物語』(62年)と『ミシシッピー・バーニング』(88年)のいいとこ取りをしたような内容なのだが、やはり火を噴くシュマッカー・クオリティ、まとまりを欠くことおびただしい。
やはり気になるのは登場人物多すぎ問題。
マコちゃんと仲のいい弁護士オリヴァー・プラット(オリプラ)や師匠のドナルドランドは特にこれといった役割を担いもせず、冷やかすようにチラチラと画面に映りこむ。しかもよく見ると二人とも常に半笑いだ(シュマッカー作品だからやる気がなかったのだろう)。実際、主人公の窮地を救うのはいつもサンディーなので、そうなるともう親友と師匠の出る幕などこれっぽっちもないわけだ。
本来であればマコちゃんとスペイシーが罪の所在をめぐって法廷で争い、そこへKKKが絡んでくるという図式なのに、ほとんど無関係なキャラクターが次から次へとイワシみたいにくっ付いてくるのだ。
こうした枝葉末節と戯れるあまり上映時間は149分まで膨れあがっている。これぞ愚鈍。
また、マコちゃんが検察側証人の精神科医に苦しめられている最中に彼の病院に忍び込んだサンディーが証人の過去の汚点を見つけだして法廷に舞い戻り、その汚点をサンディーから教えてもらったマコちゃんが鬼の首を取ったように精神科医を攻め立てて大逆転する…というシーンも、カットバックがグッタグタなので時間の流れが不自然きわまりない。少なくとも画面を観るかぎりでは、マコちゃんはサンディーが法廷に現れるまで1時間も2時間も反対尋問を渋って時間稼ぎし続けていた…というふうに映ってしまうわけだ。
どうしてこんなカットバックが撮りえたのか。鈍臭いことおびただしい。
そしてサンディーは弁護活動の妨害を企むKKKに拉致されて山奥の木に縛りつけられてしまい、彼らは「夜になるとオオカミとかそのへんの怖い動物が寄ってきておまえを食うぞ」と言い残してサンディーを置き去りにするという動物任せの処刑をおこなう。
動物依存がすげえ。
べつにオオカミが来るとは限らないし、来たとしてもウサギみたいなカワイイ系の動物だったらどうするのよ?
まぁ、その場で殺さない時点でわれわれはサンディーの無事を確信するわけで、おそらくはオリプラかドナルドランドあたりが助けに来るのだろうと思っていたら、なんとサンディーを助けたのは親切なKKKだった。
なんやそれ。
完全なマッチポンプというか、それをやってしまうとこのシーンが存在する意味がないじゃないか。本来であればオリプラかドナルドランドあたりが彼女を助けて、それを知ったマコちゃんが悲憤慷慨する…というのがストーリーテリングの定石なのでは。
だけどこの映画では、KKKの怖い人たちがサンディーを誘拐して、その中に一人だけいた心優しいKKKが彼女を解放してあげたので、マコちゃんたちは一連のサンディー誘拐事件をほとんど感知することなく、ただサンディーが「なんかすげえ怖い目に遭った」という個人的な体験を胸の内に秘めるだけザッツオール。つまりこのシーンが存在する意味がない。
いまさらシュマッカーに訊くことでもないのだが…
アホなのか?
何を考えているんだ?
(何も考えてない、というのが正解になります)
木に縛りつけられるサンディー。ズボンを破られてパンティーが見えます。サンディーのパンティー、オシャンティー。
一事が万事この調子で、シュマッカー先生の手際の悪さがたっぷり楽しめる作品になっている。
また、構図の均整とか画面の美しさとはいっさい無縁のテレビドラマっぽさこそシュマッカー印なのだが、これはシュマッカーだけが悪いわけではなく、当時の職業監督の大部分は映画とドラマの区別すらついていなかった。80~90年代のアメリカ映画は限りなくテレビドラマに近い。
◆サミュエルが憎たらしい◆
最後は法廷ドラマの要素に切り込んでいきます。
法廷ドラマとは言ったが、口裏を合わせて全員が有罪票に投じようとしていた陪審員たちが最終弁論の日に「娘を犯された父親の気持ちを想像してみてください」などというマコちゃんの感情論にほだされて無罪に投じる…というあまりにバカげた結末なので、これが法廷ドラマと呼べるのかどうかは甚だ疑問なのだが。
サミュエルは二人殺して警官にまで怪我を負わせたのに無罪。これは端的にファンタジーだ。
実際、サミュエルと同じように幼い娘がいるマコちゃんは、サミュエルが犯した報復行為を「法的には許されることではないが心情的にはよくわかる!」といって同情を寄せ、裁判においても法的な妥当性を放棄してひたすら人間感情を訴え続ける。
「もしあなた達のお子さんがレイプされたら? 犯人を殺したくなるでしょう? レイプ犯は死ぬべき! 法律とか倫理とか関係あらへんねん。この際。サミュエルは人を殺してもうたけど、今回はしゃあないねん。もう無罪でええがな!」の一本槍。
司法制度、全否定。
もちろん心情的にはマコちゃんの言い分はよくわかるよ。むしろ私はヴィジランティズム(自警主義)を礼讃しているので、サミュエルがしでかしたことはすべて正しいと思っている。
でも…法廷ドラマですから、これ。弁護士が司法を否定しちゃったら成立しないの!
しかもマコちゃんは、最終弁論で陪審員(および観客)に向かってこのような切り口から話を始める。
「目を閉じて想像してください…」
いやだよ!
こっちは映画を観てるのになんで目を閉じなきゃいけないんだ。ミュージシャンが「オーケーみんな、耳を塞いでくれ」といって演奏を始めるようなものではないか。
シュマッカーがバカ映画監督と呼ばれる理由はこういうところにあります。
また、マコちゃんとサミュエルの異人種間の連帯。これは明らかに描写不足で、マコちゃんはサミュエルに同情を寄せるが、サミュエルの方は「おまえは俺が黒人だから憐れんでるだけだ」といって突き放す。
無罪評決を勝ち取るという一点のみで結びついた、その渇いた関係性を通して白人弁護士と黒人被告の間に横たわる人種的断絶を炙り出そうとする意図はわかるのだが、そうした二人のシビアな関係性とその奥に潜む人種差別問題に映画がまったくタッチできていないので、サミュエルがただ憎たらしい奴にしか映らない。
「弁護してもらってるのに悪態つくなよ!」という。
あと…これはかなり個人的な感想になってしまうのだが、この映画のサミュエルが嫌いだ。
娘をレイプされたことには同情するが、マコちゃんに「死刑はいやだ。極刑もいやだ」とワガママを言い、「絶対に無罪にしてくれよ? 頼んだで?」とも言う。
生きる気満々やん。
人を二人殺して警官にも重傷を負わせたんだから、甘んじて罰ぐらい受けろよ!
というか、罰せられる覚悟もなく復讐したの? という疑問が頭をもたげ始めるわけだ。私の中で、ほら、こんなにも。
普通、この手の復讐キャラというのは「娘の敵討ちさえできたら自分はどんな刑に処されてもかまわない」という悲壮な覚悟をもって行動するし、だからこそ観る側は応援したくなるわけだが、サミュエルの場合は是が非でも助かろうとしている。生にしがみついて「ワンチャン無罪かも」と期待している。明日を夢見ている。
嫌いだわぁー…。
しかも弁護士費用が払えず、ただでさえ良心的な額で弁護を引き受けてくれたマコちゃんに値切り交渉まではじめるのだ。
実にふてこい。
鑑賞中はずっとサミュエルにイライラしながら「え、生きようとしてるやん。しかも値切り始めたやん。その上こんなによくしてくれたマコちゃんを冷たい言葉で突き放すやん。マザーファッカーはおまえだよ!」と思ってました。
サミュエルを助けるために、マコちゃんはKKKに家を焼かれて何度も暗殺されかけ、サンディーは拉致され、弁護士事務所の従業員ブレンダ・フリッカーの夫はしこたま殴られて殺害されたのだ。
こんなことを言いたくはないけれど、まったく割に合わない犠牲祭りであった。ふてこいサミュエルを助けるために一体どれだけの人が…。
また、ラストシーンで無罪を勝ち取ったあとにサミュエルの家族が自宅でバーベキューしてるシーンにも勢いあまってイラっとしてしまった。
肉焼いてる場合か!
トング置け!
おまえを無罪にするためにボロボロになりながら頑張ってくれた人たちに挨拶しに行かんかい!
そんなわけで、最後までサミュエルがふてこかった。
生きる気満々やん。