シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

おとなの恋は、まわり道

結婚式を控えてる方は離婚したあとに観ましょう。

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2018年。ヴィクター・レヴィン監督。ウィノナ・ライダー、キアヌ・リーブス。

 

式場のあるリゾート地へ向かう空港で偶然出会い、口論を繰り返していた2人は、やがて互いが同じ結婚式に向かっていることを知る。現地でもホテルや食事のテーブルなど事あるごとに隣同士にされた2人はうんざりしながらも、口論や会話を重ねるうちに互いの共通点に気づきはじめ…。(映画.comより)

 

おはようございます。

もう一切料理する気が起きないです。暑さによる食欲減退のため。

そもそも料理してる時間を映画鑑賞や執筆に当てたいので、私の栄養不足は本腰入れて映画を見始めた15年前に始まっているわけです。外食したいなと思っても、外食に費やす1時間があれば映画評でも書いていた方が遥かに有意義だし楽しいな、嬉しいな、と、こう考えてしまうのであります。シャワーも短いし、睡眠も削るし、服もありません。映画と関係のない生活の諸要素はなるべく削ぎ落としていきたいです。

そう、昔、そう、お婆ちゃんの家に行ってもずっと映画を観ていました。『カジノ』(95年)とか観てましたね。

親戚がいっぱい集まっても『カジノ』とか観てましたね。

『カジノ』ばっかり観ていないで従兄弟と遊びなさいよ。イヤな子だね!」と言われても『カジノ』とか観てましたね。人間より映画の方がおもしろいですから。なんてったって映画を作ったのは人間ですからね。人間のおもしろさをすべて吸収して、より美しく、より醜く、効率的かつダイナミックに組織された映像の連続体が映画ですからね。こうなった以上、もう手がつけられないのです。観るしかないわけです。従兄弟を無視するほかはなし。外食を諦めるほかはなし!

「映画をたくさん観れば人生が豊かになる」なんて言いますが、あんなもんは大ウソだから信じてはいけないよ。

基本的に映画というのは与えるもの以上に奪うものの方が多い。われわれが「与えてくれた」と思っているものは奪い返したものに過ぎないんです。

 

前置きには勿体ない話になってきたのでやめます。

ヘンな話してごめんなさいね。

さてさて、本日は『おとなの恋は、まわり道』

結婚式の幸せムードを87分かけてぶち壊し続ける映画なので「近々結婚します♡」という方は離婚したあとにご覧になってくださいね!

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◆ハミ出し俳優ウィノナ&キアヌ◆

よく路上に座り込んでボーッとしているところをパパラッチされるキアヌ・リーブスと、デパートで万引きしてキャリアを失ったウィノナ・ライダーの4度目の共演作である。

私はいつも、心のどこかでこのダブル黒髪俳優のことを考えているのかもしれない。考えていないのかもしれない。ウィノナもキアヌも好きなのだが、正確には好きというより気になる俳優なのだ。なぜならこの二人がハリウッドのメインストリームにはいないハミ出し者だからだ。


ウィノナ・ライダーの凋落ぶりは有名だろう。

キャリア初期にして『シザーハンズ』(90年)『ドラキュラ』(92年)のような大作でヒロインを射止め、私生活ではジョニー・デップと交際。まさにサクセスロードをひた走る「人生のライダー」であった。

ところがアカデミー賞主要7部門を奪い尽くした『恋におちたシェイクスピア』(98年)の主演を大親友のグウィネス・パルトローに盗られて自暴自棄、2001年に高級デパートで服を万引きしてあえなく御用。一夜にして地位も名声も失う。

その後の出演作は端役ばかりで、ついに『ブラック・スワン』(10年)では「プリマを奪われた哀れな年増バレリーナ」という実人生そのまんまの役を演じた。見事なハミ出しっぷりである。

当ブログでは以前「ライダー映画4連発」というウィノナ強化週間を設けたほど、私はこの凋落女優のことがいつも気になっているんだ!

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ウィノナ・ライダー。『万引き家族』(18年)を観て何を思うのか。


一方、キアヌ・リーブスのキャリアには傷ひとつないが、彼がハミ出し者なのは人間性ゆえ。と言っても別にワルい人間という意味ではなく、むしろ浮世離れし過ぎているという意味でハミ出し者なのだ。

キアヌの代表作『マトリックス』(99年)はとても深遠で形而上的な内容ゆえに、オーディションを受けにきた主演候補の役者たちは監督のウォシャウスキー兄弟(のちに性転換したので現姉妹)から映画のプロットを説明されてもまったく理解できなかったという。

だが、キアヌだけが目をひん剥きながら「要は仮想現実だろ? 分かるよ! オレも同じことを考えてるんだ! オレたちが現実と思ってるこの世界は脳が電気信号として感じてるだけの幻覚じゃないのかってね! うおおおおおおおおおおおおおおお」と発奮。完璧に映画のヴィジョンを理解していたキアヌに、ウォシャウスキー兄弟は「イカれてる。コイツでいこう」と即決、そして見事主演を射止めたのである。

このように、自分の好きなものに対しては惜しみなく熱を放散するが、それ以外では魂が死滅したかのように覇気も生気もない男で、なぜかひとちぼっちで街を彷徨っている姿をよくパパラッチされる。とてもハリウッドスターとは思えない見すぼらしさ。その物悲しさと浮世離れした独特の雰囲気から「ぼっちキアヌ」は大人気を博し、ついにフィギュア化もされた。

見事にメインストリームからハミ出している。

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ひとりぼっちのキアヌ・リーブス。


どうですか。気にせずにはいられないでしょう。この奥ゆかしさ。どことなく漂う半笑い感。

ちなみに、ウィノナは海外ドラマ『ストレンジャー・シングス』(16年-)での芝居が評価されてゴールデングローブ賞ドラマ部門女優賞にノミネートされ(賞にノミネートされたのは23年ぶり!)、近年低迷していたキアヌも『ジョン・ウィック』(14年)シリーズで見事に返り咲いた。おめれとー!

そんな二人が4度目のタッグを組んだのが本作『おとなの恋は、まわり道』。かなり楽しみにしていた作品なのでウキウキしながら鑑賞したんだで。

 

◆フィックス+長回し+会話劇◆

空港で口論した見知らぬ他人同士が偶然同じリゾートウェディングの招待客であることを知り、反目し合いながら目的地に向かう…といった中身である。

よくあるロマンティック・コメディ? ノンノン。

じゃあロードムービー? ノンノン。

本作がどういう映画か、それは開幕5分で分かるだろう。

空港の搭乗口に据えた固定カメラが二人の口論を長回しでひたすら捉え続けるファースト・ショット。続く機内のショットでもカメラは固定されたまま口論を続ける二人を5分近く静観している。つまり本作はワンシーン・ワンショット主体の会話劇ということだ。ポップな言い方をすれば黒髪コンビによる漫才映画である。

ヘンクツ男のキアヌとヘリクツ女のウィノナの掛け合いをただジーッと映しただけの87分。ミニマリズムの極致。要するに『フルハウス』『フレンズ』のようなシチュエーション・コメディなのだね。

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なんかこれと似たような映画があったなー。そうそう、日本映画の『セトウツミ』(16年)である。池松壮亮と菅田将暉が川辺の階段でひたすらダベってるだけの映画だ。しかし『セトウツミ』は単調さを回避するために細かくカットを割っていたように思うが、本作はそんな小賢しいマネはしない。「どうせ退屈するヤツは退屈するんだ」とばかりにワンシーン・ワンショットを決め込んでいる。

そんなわけで映画の構造上かなり好みが分かれる作品なのは間違いないだろう。この映画空間を心地いいと思えるかどうか。それはおまえ次第である。

特に、固定画面とか長回しに眠気を感じるようなヤツは要注意だ。あと、わりとロジカルな議論がずっと続くので論理的思考が苦手なヤツ…要するにバカも要注意だ。主舞台となるカリフォルニア南部サンルイスオビスポの景色は楽しめるが、その道中の旅景色はサクッとジャンプカットされてしまう(気がついたら目的地に着いてる)のでロードムービーをこよなく愛するようなヤツも要注意だ。

一体いくつ注意すればいいんだ。


でも私はこの映画がお気に入りである。何と言っても飾りっ気なしのウィノナ&キアヌをひたすら眺めることができるのだからァ。

そして全編に漂うアンニュイな空気とオフビートな笑い。ちょっぴり知的で洗練された大人向けの小品といったところだろうか。

ちなみに某映画サイトでは「女子会でBGM代わりに流しておくにはもってこいの映画♡」と書かれていた。こういうナメたことを平気で書くような人間はしょせんBGM代わりとしてしか映画を見れないので可及的速やかにくたばって頂くとして…、とはいえ言わんとすることは分かる。実際、気の利いたインテリアのような映画なのだ。

 

じゃあ映画としての評価はどうなの? って言うと、意外や意外、わりと前衛的な作品なのかもしれないぜ、奥さん。

仲の悪い男女がマシンガントークをしてるうちに結ばれる…という点ではスクリューボール・コメディの系譜に連なるが、映画のテンポは真逆。どちらかと言えばウディ・アレンに近い緩慢なエスプリ会話劇である(知識人ほど滑稽という自虐やエンドロールのジャズという共通点からもウディ作品に影響を受けているのは間違いない)。だけどウディは長回しを使ったりしない。それで言えばジム・ジャームッシュの『コーヒー&シガレッツ』(03年)にこそ近いが、同作ほどの即興性はなく台詞をトチったら全部撮り直しの世界…。

そういう意味では「似たような映画」なら多々あるが「似た映画」が意外と見当たらない。

つまり妙な前衛精神に支えられた珍奇映画ということが言えると思います。アバンギャルドでいこうよ。

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◆皮肉、卑屈、嫌ごと、こじらせ!◆

二人が招かれたリゾートウェディングは、おひとり様のキアヌとウィノナにとっては最悪の結婚式。何を隠そう、二人を招待した花婿はウィノナを捨てた元婚約者であり、キアヌと絶縁中の異父弟でもあるのだから。ただでさえ仲の悪い二人は、最も嫌いな人間の結婚式でさらに嫌な気分を味わうあまり、やがて強い連帯意識をもって陰口の共犯関係を結ぶ。敵の敵は味方。


キアヌ 「リゾートウェディングほど傲慢な行事はない。僕たちの幸せを祝うために数千キロも遠くからはるばるやって来い、と言ってるようなものだからね」

 

ウィノナ「私たちの結婚式は特別なんだから週末を潰してでも来い、ってなもんよね」

 

キアヌ 「ひどい花嫁だ。いかにも頭がカラッポといった感じだな。胸も豊胸だし」

 

ウィノナ「挙式リハーサルにまで付き合わされる私たちって何なの? こっそり帰ってもどうせ誰も気づかないわよね。先にホテルに戻ってるわ。アホらしい」


そして式のリハーサルから堂々と抜け出す二人。

いちばん後ろの席から幸せそうな人々を見て腐しまくる…という構図が映画中盤をまるっと支配するのだが、この毒舌に次ぐ毒舌はある種の人間にはこの上なく楽しめると思う。

かく言う私もまさにこの二人と同じで、みんなが盛り上がっているところを隅っこの方から冷たい視線を送って「バカばっかりだな」なんて友達と毒づいてるような隅っこ人間。それゆえに斜に構えた二人の強烈な皮肉がこの上なく気持ちいいのだ。

とりわけ私が共鳴したのはキアヌが演じた厭世的な恋愛否定論者というキャラクター。

まんま私であった。

キアヌは皮肉と詭弁を弄してこじらせ全開の恋愛否定論を展開するのだが、その思考回路が私と寸分違わず同じなのである。びっくりした。映画を観ていて「これ俺じゃねえか!」と思うほど自分そっくりなキャラクターが出てくることって稀にあるけど、ここまで近似値を叩き出したのは本作のキアヌぐらいだ。

それでは、私からお墨付きをもらったキアヌの恋愛否定論をどうぞ。キアヌのイケメン画像もたっぷり用意しておりますよ。

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キアヌ語録 ~恋愛否定論~


「運命の相手だと思ってた人(花婿)からフラれた!」と嘆くウィノナを慰めようとしたキアヌの言葉。

「この地球上には70億人いる。そのうちの1人がキミを振ったのなら、それはキミの為でもある。時間節約のために『キミでは僕に相応しくない』と教えてくれたんだ。だからキミはただ『教えてくれてありがとう』と言って残りの69憶9999万9999人の中に良い人がいないか探せばいいんだよ。何人かアタリがいるだろう」

 

なにひとつ慰めになってない気もするが、「運命の相手」などという馬鹿げた幻想を真っ向から否定しながらもキアヌなりに彼女を励まそうとした素晴らしい言葉であるよなぁ。

恋する人間は口を揃えて「運命の相手」などと言うが…70憶分の1なめんなよ。

偶然の相手を運命の相手と思い込むことこそが恋なのだろう。

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ウィノナ「誰にでも運命の人がいるって信じないの!?」

キアヌ 「惜しいな。誰にも運命の人はいないと信じてるよ」

 

さすがキアヌ、シャープな返しである。ああ言えばこう言う!

「惜しいな」というのが皮肉を後押ししていて、この一言があることで相手をイラッとさせることができるわけです。

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「人間は哀れで滑稽だ。僕たちは愛を高尚で奥深いもののように思いたがるが、相手を選ぶときに決め手になるのは結局『見た目が自分の好みかどうか?』なんだ。まったく、くだらないよ」

 

狂おしいほどに同意見である。もはや私の口から補足のしようがない。

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「いつも、人がキスやセックスをしてるときの姿を想像すると吐き気がする。人間であることは美しくもなければ優れてもいない。必死に生き残ろうとする極めて不快な種族だ。人がモノを食べてる姿を想像してみろ。排泄中に鏡で自分の姿を見たことは? 僕の言ってること分かるだろ?」

 

完全にわかる!

ヒトは三大欲求を露わにするときが最も醜い。人前でグーグー寝たり、発情したり、食い物を貪ったり。人間を人間たらしめるのは理性と羞恥心だが、それが剥がれ落ちたときのブザマなことと言ったらない。

特に食事である。人が料理にがっついてるのを見ると「あぁ、生きようと必死なんだな」という感じがしてキアヌと同じく吐き気を覚えてしまう。

しかもそこまでして生に執着するわりには、たまに「生きてる意味がわからなくなった」とか言って思い悩んでもみせる。だがメシはしっかり食う。

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ウィノナ「子供を持ちたいと思う?」

キアヌ 「持つぐらいなら死ぬ方がいい。子供が気の毒だよ。この世界は生きるには最低の場所だ。僕は生まれてしまったから最低だと分かる。でも生まれてない子供は何も知らないんだから守ってやるべきなんじゃないか? そもそも生まれたりしないように」

 

人によっては不快感を抱くセリフなんだろうけど、私は弁舌爽やかなキアヌ節に胸がすく思いです。そこまでハッキリ言うか? っていう。

「生まれくる子供の幸不幸問題」については親の意思に依拠しているからこそキアヌのような考え方をする人間がいるのでしょう。子供を「ほしい」とか「つくる」と表現するように、多くの人間は親の願望が形になったもの。良くいえば望まれて産まれてきた、悪くいえば望んでないのに産み落とされた(鬼束ちひろの「月光」イムズ)

人間存在の基底を見つめ直したときに、考えようによっては「うっかりデキちゃった(授かる)」という方がよっぽど理に適っているのでは…と思うこともある。デキ婚さいこー。

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ウィノナ「でも幸せになってる人たちもいるわよ!!」

キアヌ 「まあね。指が6本ある人たちもいるし」

 

憎たらしすぎて逆に笑みがこぼれます。

なんとウィットに富んだ返しなのでしょう。要するにキアヌは「幸せになってる人たちの数は指が6本ある人ぐらい少ない」と言ってるわけだね。皮肉のレベル高すぎ。私も咄嗟にこういう返しができる人間になりたいな。もっともっとイヤな人間にな!

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いかがだったでしょうか。ほんの氷山の一角ではあるがキアヌのこじらせっぷりをご紹介しました。

この映画は声優さんの言い回しが本当に素晴らしいので、これからご覧になられる方は日本語吹替えで観ることをオススメします(おびただしい台詞量なので字幕だとかなり端折られているのです。リスニングができる奴はそのままいけ

ウィノナもなかなか良いキャラをしていたけど、舌鋒鋭く恋愛をぶった斬るキアヌがあまりに強烈すぎて霞んでしまったかも。とはいえ「この馬鹿げた結婚式が終わればキミとはお別れだ」とか言っていたキアヌも結局はウィノナに心惹かれて恋のルーザーとなる。そこが可愛いところでもあり、厄介なところでもあるよね。結局のところ理性は感情に負けてしまう。それが恋の味であり、人間が動物たる所以。

たまに思うときがある。「人間」なんていやしないのだ、と。

俺たちは「人間」という普通名詞で括られただけのタダの動物だ。野を駆けるぜ。しゅ。

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