シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

5時から7時までのクレオ

ヌーヴェルヴァーグ左岸派を三人で語った。

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1962年。アニエス・ヴァルダ監督。コリーヌ・マルシャン、アントワーヌ・ブルセイユ。

 

シャンソン歌手のクレオは、自らの癌の疑いに怯えていた。7時に医師と会う約束をしている彼女は、診断結果を待つ間パリを彷徨い、死について考えをめぐらせる。 (Amazonより)

 

はい、おあよー。

カッターナイフを使ってキーボードの隙間や側面に付いた埃を取り除くという地道な作業をさせたら右に出る者がいない男、ふかづめです。

厳密にはカッターナイフではなくトーンナイフ(漫画制作時にスクリーントーンを切るナイフ)なのだけど、どうでもいいか、そんなことは。

ちなみにトーンナイフは新品のCDをぴったりと包んだ(あの忌々しい)ビニールを開けるときにも便利。ジッポ用オイル缶のノズルを起こすのもお茶の子さいさいである。大車輪の活躍やないか。まあ、トーンナイフの方もこんな使われ方をするとは思ってもみなかっただろうが。

そんなわけで本日お送りする『5時から7時までのクレオ』ですが、元気100パーセント坊ちゃんとキャサリン・キャサリン・ランデブーとの3人体制でお送りしようと思っている。読みやすさを追求するあまりCSSを弄ってフキダシをつけてみたけど、スマホからだと反映されないくさい(がっかり)。

坊ちゃんは青字、キャサリンは赤字、私の発言は黒字です。

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◆左岸派ヌーヴェルヴァーグ◆

 今日は三人でやって行こうって事になったんだけど。

 

しれっと始まりましたね。

 

大体、あんたが対談形式を選ぶのって手抜きしたいときでしょ。

 

鼎談(テイダン)ね。3人で語り合うときは対談じゃなくて鼎談。

 

早速やかましいわね。イライラしてきた。

 

まぁいいじゃない、3人でやっていこうよ。ゴダールだってジガ・ヴェルトフ集団を組んで映画を撮ったり語ったりしてたわけだし。

 

カイエ派左岸派とか!

 

早速ハナシについて行けないわ。イライラするから説明してくれる?

 

今回取り上げる『5時から7時までのクレオ』はヌーヴェルヴァーグの作品なんですけど、この映画を手掛けたアニエス・ヴァルダは左岸派と言って…。

 

ちょい待て待て坊主。そもそもヌーヴェルヴァーグって何なのよ。名称はよく聞くけどいまいち意味が掴めきれずにいるわ。

 

うわぁ、そっから入るのか~。

 

(キャサリンがピンヒールでしばいた為にふかづめ失神)

 

じゃあイチからザッと説明しますね。ヌーヴェルヴァーグというのは1950年代後半から1960年代前半にかけてフランスの若者たちが起こした映画革命、および革命中に撮られた一連の映画群のことです。

 

そこまでは何となく知ってるわよ~~う。

 

当時のフランス映画はとても権威主義的で、年功序列と懐古趣味によって1930~40年代のフランス映画黄金時代を延命させようとしてたんです。
そんな保守的なフランス映画界に“テロ”を仕掛けたのが『カイエ・デュ・シネマ』という映画批評誌に寄稿していた若きシネフィルたちです。彼らは既存の映画文法・体制・伝統に異を唱えるべく一斉蜂起して次々と映画を撮り始めました。

 

それがゴダールとかトリュフーとかでしょ?

 

トリュフォーですね。勝手に三大珍味にしないで頂ければと思います。
ヌーヴェルヴァーグ作家の特徴は、何といっても素人を使ったゲリラ撮影です。あとはゴダールのように映画という構造そのものを解体する作家も多いですね。ヌーヴェルヴァーグという言葉は『新しい波』という意味ですが、まさに戦前の世代がしがみついていた旧価値を破壊したわけですね。

 

さっき坊ちゃんが言ってたカイエ派とか左岸派というのは?

 

ゴダールやトリュフォーらは『カイエ・デュ・シネマ』誌のグループなのでカイエ派と呼びます。彼らのオフィスはセーヌ川の右岸にあったのですが、その反対側、つまり左岸のモンパルナス界隈にもヌーヴェルヴァーグ作家たちが集っておりましたので、彼らを称して左岸派と呼ぶわけです。

 

どっちが強いの?

 

どっちが強い…?
困った質問ですね。左岸派には『去年マリエンバートで』(61年)のアラン・レネや『シェルブールの雨傘』(64年)のジャック・ドゥミがいるけど、カイエ派にはゴダール、トリュフォー以外にも大勢いますからねぇ。

 

カイエ派の方が…強い…。

 

あ、起きた。

 

おもろ。顔、血だらけじゃん。ほら鏡見てみ。

 

あ、ほんとだ。おもろ。

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◆パリの上沼恵美子◆

なんの生産性もなく第一章を終えたわけですが、そろそろ本題に入らないとマズいですよ。

 

本題に入るまえにピンヒールでしばき倒されたからね。私が失神してる間にもっと話を進めておいてくれればよかったのに。

 

ヌーヴェルヴァーグのことは軽く分かったつもりではいるけど、それにしても不思議な映画だったわね、『5時から7時までのクレオ』

 

タイトル通り、午後5時から7時までのクレオをほとんどリアルタイムで映した、左岸派アニエス・ヴァルダの代表作ですね。

 

映画が始まると、癌検査の結果待ちでソワソワしてる歌手のクレオ(コリーヌ・マルシャン)がタロット占いで不吉な予言を受けてしまう。このクレジットタイトルがすごくお洒落だったわ。テーブルの上に並べられたタロットカードをカメラが真上から撮って、その一枚一枚に製作者の名前がちょんちょん…とクレジットされてくの。
あと、この真上からの構図だけがカラー映像なのよね。あとは全部モノクロなのに。

 

エッ?て思うような演出が多いですよね、ヌーヴェルヴァーグって。僕は被写体との距離に注目したんです。思いきり接写したかと思えば、次のカットでは突き放したようなロングショットが配置されていて、どういう風にクレオを見ればいいのかイマイチ分からない……というより『どう見てもらいのかな?』と思っちゃいましたね。

 

これ撮ったアニエス・ヴァルダって女の人なんでしょ?

 

ええ。去年3月に90歳で亡くなった女性作家です。夫は『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』(67年)のジャック・ドゥミ。非常に可愛らしい人ですよ。

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アニエス・ヴァルダとジャック・ドゥミ。

 

坊ちゃんが言った「被写体との距離」はよくわからないけど、わりと気分屋な映画よね。検査結果にやきもきするクレオは「きっと私は死ぬんだわ」つってしくしく泣いちゃうけど、そのあと作曲家と新曲の話をしたり友達とドライブしちゃったりして、癌の不安どころか自由気儘な日常に帰っていくじゃない? さっきまで泣いてたかと思えば急に怒りだして、そのあとケロッとした顔で服を着替えてパリに飛び出していく。このさっぱりした人物像がカメラワークに反映されてるんじゃないかしら。

 

なるほどね。カメラがクレオの奔放さに振り回されているのではないか…ってことですよね。

 

だとしたら車中のカメラはどうなんだって話だがな!!!

 

あ、うるさいジジイが出てきた。

 

私が気になったのは車で移動するシーンだよ。
この映画はクレアの2時間がリアルタイムで進行していくからジャンプカットが使えないわけ。A地点からB地点までポンッとジャンプできないので、移動するには(つまり場所を変えるためには)その都度クレアがタクシーを拾って実際の乗車時間を体験しなければ目的地に着かない。だから上映時間のうちの10分の1ぐらいは車中のクレアをジーッと映してるだけの映像がひたすら続くよね。もはやクレアよりも車窓からの風景が主役みたいな。

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友達とタクシー移動するクレア(画像2枚目、右)。

 

剥き出しのパリですね。ゲリラ撮影ですから、エキストラではなく実際のパリ市民のリアルな営為がそこに映ってます。

 

ここで私は、クレア役のコリーヌ・マルシャンの顔が適度にブサイクであることを指摘したい。

 

ひどい奴だな、おまえ。

 

ヌーヴェルヴァーグ作家って素人主義を掲げながらも結局は美人女優を引っ張って来るのよ。ジーン・セバーグ、アンナ・カリーナ、ジャンヌ・モロー、アンヌ・ヴィアゼムスキー。でも本作のコリーヌ・マルシャンってどうなんだろ。海原千里・万里時代の上沼恵美子じゃないですか。

 

どちらに対しても失礼ですね。

 

その言葉が一番失礼なのよ、坊ちゃん…。

 

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上沼恵美子 コリーヌ・マルシャン

 

なぜこんなヘンな女優を起用したんだろうって思いながら観てたんだけど、多分それっぽい答えは3つあるのね。
(1)顔の美しさに性的価値を見出すのはもっぱら男性監督であること。
(2)美しくないことが却って映画を洗練化させる条件だから。
(3)美しさの求心力を戦略的に分散させるため!
この中で最も比重が置かれてるのは多分(3)なんだよ。

 

主演女優に対する観客の視線を景色に分散したんですか? つまり、クレオがブサ…地味であれば、観客の目はヒロインから移ろい景色に向けられる。ブサ…地味であることが“よそ見”する契機になってるわけですか。

 

知らねえけど、なんとなくそんな気がしてる。
だってヌーヴェルヴァーグ左岸派って人間よりも“環境”を重視するでしょ。ルック・アット・パリだよ。クレオもいいけどパリを楽しめってこと。そういう映画って結構多くて。たとえば車窓からの景色をひたすら映した映画をつい最近われわれは観たばかりだよ!

 

タラちゃんの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19年)

 

正解したキャサリンには骨付きテントが贈られます。

 

骨付きテントってなに?

 

とは言え、アニエス・ヴァルダのクレアに対する愛情は只事ではないよね。「撮りてぇだけだろ、おまえ!」って思うぐらい、とても愛おしそうに撮ってる。

 

細かい身のこなしの可愛さでは『女は女である』(61年)のアンナ・カリーナに負けるけど、あの映画のアンナにはゴダールのしたたかな計算が見えるのよ。本作のコリーヌ・マルシャンはもっとラフだわよね。女が女を撮ると媚びたような可愛さは出ない。むしろ「女なんてこんなもんよ」って具合に、クレアの可愛くないトコだけをあけすけに露呈しちゃうの。

 

そういえば、劇中でクレアが観ていた映画にはゴダールアンナ・カリーナが友情出演してましたね。

 

あれ、びっくりするよね。ゴダールが嘘みたいにシュッとしてて、アンナ・カリーナはめちゃめちゃ可愛かったー。

 

ね? だからそういうことなのよ!

 

どういうことでしょう…?

 

早く骨付きテントに入って寝ろ。

 

キィィィィイィィィ!

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チョロッと出演しているジャン=リュック・ゴダールアンナ・カリーナ(新婚ホヤホヤ期)。

 

◆大家ミシェル・ルグランが見れます◆

全体としてはどんなもんでしょう?

 

終盤20分がよかったわね。クレアが公園ですきっ歯の兵隊アントワーヌ・ブルセイユと出会って、恋には落ちないまでも癌疑惑の不安を和らげてくれるような交流を通じて希望を取り戻していくっていう心情の変化。この場面がなかったらチョット退屈しちゃってたかも。

 

アントワーヌが「大いなる感動にも小さな虚栄があり、偉大な精神に愚行もある」つって、ラ・ブリュイエールを引用するんですよね。

 

素敵だったわああああ。すきっ歯のくせに。

 

セリフといえば、訊かれてもないのに自分の恋愛観をべらべら語るアントワーヌが若い女をディスり出したセリフが好きだった。
「若い女は愛されることを愛するだけ。自分を投げ出しません。跡を残すことを恐れます。出し惜しみの愛です。彼女たちの身体は玩具で、生命ではない。だから僕も途中でやめます」

 

一端のことを言うわね。すきっ歯のくせに。

 

アニエスは男性心理もお見通しなんですね。

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クレオとアントワーヌ。

 

坊ちゃん、坊ちゃん。僕にも感想聞いてー。

 

ふかづめさんはどう思いましたか?

 

そうねー。時間と空間が退屈になるほど心地よく流れてた! 特に時間の流し方がすごく落ち着き払っていて、わけもなく焦燥感に満ちているカイエ派との違いが皮膚感覚で理解できたような気がする。

 

何言ってやがんだ、こいつ。

 

数分起きに字幕で時間経過を示す演出が独特でしたね。

 

あれって何か意味あるの?

 

意味っていうのは説話機能のこと?

 

ジジイがまたうるせえ。

 

僕はミシェル・ルグランが動いてるところを見れただけでも満足でした!

 

出てたねぇ、作曲者役で。

 

フランスの大作曲家でしょ? 本作の音楽も手掛けてるルグランがクレオのまえでピアノを弾き狂うシーンがひたすらクドいのよね。

 

キャサリンも知ってたんだ。

 

そりゃ知ってるわよ~~~~ぅ。ルグランが音楽を手掛けた『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』は大好きだもの!

 

ルグランの登場シーンをはじめ、随所で弛緩した空間がぼってり横たわってるので人によってはかなり退屈な映画だと思うんですけど、カメラ、演出、ファッション、会話、パリの風俗など見所は多いです。

 

あれ、音楽は?
ルグランの話をしたばっかりだろ、このガキ!

 

それに音楽も忘れてはなりません。

 

間に合ってねえよ。

 

アニエスはこの後『幸福』(65年)を撮ることになるわけですが、当然ふかづめさんはこっちもレビューするのでしょう?

 

ああ、その予定だ。

 

頼むからもう私たちを呼ばないでね。

 

その予定だ。

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のちに大作曲家となってゆくミシェル・ルグラン(2019年没)。