ドキュメンタリーの腐乱死体
2005年。マイク・シーゲル監督。ドキュメンタリー作品。
スローモーションを駆使した暴力的な描写で「血まみれのサム」という異名を持ち、『ワイルドバンチ』、『戦争のはらわた』などの傑作で知られるサム・ペキンパー監督。厳格な法律家の家に育った少年時代から繊細な青年時代、妥協を許さない映画製作の姿勢や私生活まで、自身や関係者の証言を交えて彼の生きざまに迫る。(映画.com より)
映画を知るには映画を観なければならない。
サム・ペキンパーを知るなら、やはりペキンパーの映画を観るのが一番だ。
『ワイルドバンチ』、『わらの犬』、『ゲッタウェイ』、『ガルシアの首』、『戦争のはらわた』…。いずれも容赦ない傑作だ。
そして、すでにペキンパーを観たという人間が、より見識を広げ、論究の取っ掛かりを得るためにこそ本作は存在する。
だがこのドキュメンタリーはあまりにお粗末。
私、憤慨してます!
資料的価値にも思量的価値にも乏しい。観て楽しいものではないし、得るものもない。
はっきり言ってウィキペディアの方が情報の質・量ともに充実しているぐらいだ。
ちなみにウィキペディアの情報は明らかに本作を基にして書かれたものだが、本作では語られなかったこぼれ話や作品の背景などが(他の資料を参考にして)丹念に書きこまれている。
集合知サイコー!と叫ばざるをえまい。
本作がドキュメンタリーの腐乱死体と化した具体的な理由として、構成の凡庸さと内容の踏み込み不足、それに妥協した映像素材と編集のモタつきが挙げられる。
つまり全部ダメ!
ペキンパーの生い立ちに軽く触れたあと、時系列に沿って作品の撮影秘話が語られる。そこには省察や批評性はなく、ペキンパー印の最たる象徴としてあまりに有名なスローモーションと編集という革新的な映像技法へのしたたかな視点すらも欠く。なんならペキンパーがキング・オブ・バイオレンスとして名を馳せた所以にもほとんど言及しない。
はっきり言って浅い。
やる気のない母親が3歳の子供のために用意した家庭用プールの水かさぐらい浅い。
そしてインタビュイーの数が異常に少ないというショボさ。これは本当に、ただただ侘しい。
インタビュイーはわずか数人のペキンパーを知る同業者に集中しており、その数人がローテーションで延々クソみたいな話をするという画にもならないみすぼらしさ。
しょうがないので、しまいには監督が一人で三人分ぐらい喋る始末。
なんだこれ。
中途半端な顔ぶれしか集まらなかったロックフェスかよ!
まぁ、ペキンパー作品の常連俳優はおおかた死んでるからねぇ。アーネスト・ボーグナインとクリス・クリストファーソンがインタビューに応じてくれただけでも僥倖だと思え、ということなのか。
できればダスティン・ホフマンやアリ・マッグローも出してほしかったなぁ。
左:アーネスト・ボーグナイン(『ワイルドバンチ』、『コンボイ』)
右:クリス・クリストファーソン(『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』、『ガルシアの首』、『コンボイ』)
だが俳優は集められなくても、世界中に数多のフォロワーを持つペキンパーなのだから、彼の影響を受けた映画監督ぐらいは登場させるべきではないのか。今こそウィキペディアでは賄いきれないドキュメンタリー映画の優位性を示すときなのに、ただの一人も出て来やしねえ。
契約上のトラブルなのか、はたまた監督の怠慢なのか、人望のなさなのか…。
満を持してのペキンパーのドキュメンタリーなのだから、ジョン・ウーやタランティーノぐらい引っ張ってこなくてどうする。馬鹿垂れ。
(ちなみに日本だけでも北野武をはじめ、大林宣彦、崔洋一、黒沢清、犬童一心、井筒和幸など錚々たる映画作家がペキンパーのファンを公言している)
ドキュメンタリーではじめて知ることができるマニアックなこぼれ話というのは実にありがたいものだが、ドキュメンタリーにおけるこぼれ話とはなみなみ注がれて溢れ出た話だからこぼれ話なのである。つまりそこに至るには溢れ出んほどの情報という名の美酒が注がれなければならないわけだが、我々はその美酒がほとんど一滴も注がれない侘しさをまたもや感じるはめになる。
たとえば『わらの犬』にまつわる話の大部分は、撮影中にペキンパーがナイフ投げに夢中になっていたというエピソードだ。
…どうでもいい情報、どうもありがとうだよ!
「彼が撮影用のドアにがんがんナイフを投げつけてドアを駄目にするので、困ったスタッフがナイフ投げ専用のドアを買ってきてペキンパーに与えた。あれには参った」、みたいな話が気だるげなトーンで延々と語られるのだ。ナイフ投げの話だけでよくそんなに喋れるなぁと思うぐらい。
このドキュメンタリーを監督したマイク・シーゲルという人はペキンパーの伝記を執筆した映画史家であり、自身の膨大なコレクションの一部を売り飛ばして得た資金で本作を制作したらしい。
私財をなげうってまでインタビューして得た話がナイフ投げかい!
BGMとして終始ギターのアルペジオが流されている。120分、ほぼギターのアルペジオ。抒情的なアルペジオも、ここまでやられるとさすがにウザい。
それにボブ・ディランの曲を使わないという糞詰まりの発想力には涙が出る。監督は『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(ボブ・ディラン出演)を観ていないのだろうか?
それとも「あなたの曲を使わせてください」と頼みに行って「ノー!」って言われたのだろうか。