「おれは薬剤師か?」というパワーワードが素晴らしすぎて
1950年。ヴィンセント・ミネリ監督。スペンサー・トレイシー、エリザベス・テイラー、ジョーン・ベネット。
とうとう愛娘が新婚旅行へ旅立ってしまった。すっかり全身の力が抜けてしまった花嫁の父。彼の脳裏に娘が突然結婚を口にしてからの怒涛の数ヶ月間が甦る…。(Yahoo!映画より)
娘を嫁に出す父親の気持ちを92分かけて描きまくった嫁がせ映画の金字塔である。
監督は『巴里のアメリカ人』や『バンド・ワゴン』など、隙あらばミュージカルを撮ろうとするヴィンセント・ミネリ。
嫁に行っちゃう娘役に、当時ギリギリ幼さが残っていたエリザベス・テイラー。
マリリン・モンローやオードリー・ヘプバーンと同じ時代を駆け抜けた伝説の女優。
娘役がエリザベス・テイラーだからという不純な動機で鑑賞したのだが、まさか絶世の美女よりもくたびれた50歳のスペンサー・トレイシーにトキめいてしまうなんて夢にも思わなかった。
「大事な娘を婚約者に盗られる!」と悲憤慷慨した父は、「相手の男はどんな奴なんだ!?」ということだけが気がかりで、就寝時にがばと飛び起きて「DVを振るう男かもしれない!」と妻を叩き起こし、再び寝るとすぐにまた飛び起きて「浮気をする男かもしれない!」と叫び、再び寝るとまた飛び起きて「ギャンブルに身をやつす男かもしれない!」と喚くなど悲観的な可能性をマシンガンのように列挙、しまいには妻に「さっさと寝ろ!」と叱られて、ひとりベッドの中で絶望する。
自宅の庭にやって来た婚約者を二階の窓から眺めて「こりゃ見込みなしだぁ…」と頭を抱えてまたひとり絶望したりと、まあえらく可愛い父なのである。
婚約披露パーティではキッチンで特製マティーニを振る舞おうとして来客に勧めるが、どいつもこいつもオールドファッションドやスコッチを注文して全然マティーニを飲んでくれず、言われるがままに不本意な酒を作るS・トレイシーが「おれは薬剤師か?」と自虐気味にこぼす一言がばかにおかしくて5分ぐらい笑ってました。
このとき私の中で今年の流行語は「おれは薬剤師か?」に決定した。おめでとうございます。
そしてキッチンにやって来た若僧がコーラを注文し、「僕が栓を開けますよ」と慣れた手つきで栓を開け、それを見たS・トレイシーが真似してコーラの栓を開けると炭酸が噴き出して顔面および衣服がずぶ濡れになり、「クソが」と苦々しい顔で宙を睨む。
そんなS・トレイシーのおっちょこちょいな50歳の顔がまた可愛くて。
その後もこの父は、超くだらない理由で婚約者と喧嘩した娘を慰めるが、急に仲直りして「アイラービュー!」、「アイラービュー!」とイチャこき出す二人にまたしても「クソが」フェイスをしたり、予算がないためウェディングケーキや豪華な食事をケチって子供用パーティのお菓子をブライダル会社の人に注文して呆れられたり、20年前に買ったパッツパツの礼服を無理に着て「不自然よ。病院で吊るされてる人みたい」と妻に腐されたりと、情けない醜態を演じてしまう。男ぜんぜん立つ瀬ない。
そんな愉快な作品だが、父が悪夢にうなされるシーンはダリのような不条理世界の美術が凝っていて、ヒッチコックの『白い恐怖』を彷彿させる。
このシーンだけ異彩を放っていた。
でもやっぱり基本はコメディ。
知り合いに送った招待状の返事を妻と確かめる場面。自宅で式を執り行うことになったのであまり大人数の来客を望まない父は、できれば断りの返事が欲しかったが、どいつもこいつも参加表明をするのですっかり項垂れ、「ホワイトヘッドさんが他を断りこっちへ。嬉しいわ!」と喜ぶ妻に「奴らピッツバーグだぞ。馬鹿な。わざわざ来る気か?」と毒づく始末。
せっかく娘の晴れ舞台を祝いに来てくれる来客に対して「奴ら」、「馬鹿な」、「わざわざ来る気か?」という三大失礼ワードを淡々とぶっ込むS・トレイシーに大笑い。
だけど、これだけ笑ったからこそ、ラストシーンには不意打ちされる(ネタバレです)。
若き日に教会嫌いの父の頑固さのせいでロクな結婚式を挙げられなかった妻の「私も娘のように花嫁衣装を着たかったな」という本心を知ったとき、妻を抱きしめて「衣装を買ってもう一度式を挙げよう」と囁く場面だ。
娘の結婚式当日、美しく着飾った妻に惚れ直した父は、式が終わって娘が去ったあとの閑散とした自宅で妻の手を取り、不器用に踊る。娘が巣立ったいま、第二の夫婦生活が始まったのだ。
仲睦まじく踊る夫婦を捉えていたカメラは、徐々に後退しながらやさしくフェードアウト…。
娘が巣立つことで忘れかけていた夫婦愛に気付くという親サイドの心の結婚式にもなっているあたりが憎い。
娘の新婚生活のスタートは、残された夫婦のリスタートでもありました。