シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ジェーン・ドウの解剖

 生きとったんかい、ワレ!

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2016年。アンドレ・ウーブレダル監督。エミール・ハーシュブライアン・コックス、オルウェン・ケリー。

 

バージニア州の田舎町で息子のオースティンとともに遺体安置所と火葬場を経営するベテラン検死官トミー。ある夜、保安官から入った緊急の検死依頼は、一家3人が惨殺された家屋の地下から裸で発見された身元不明女性、通称「ジェーン・ドウ」の検死だった。解剖を進めていく中で、遺体に隠されたある事実が判明し、閉ざされた遺体安置所にさまざまな怪奇現象が発生する。(映画.com より)

 

ヘイみんな、調子どう。

先日、けっこう大事にしてたグラスをうっかり割ってしまったショックでブログを55ヶ月ぐらいお休みしてやろうかと思ったけど、よく考えたらそのグラスは100均で買ったしょうもないモノなので買い直せばいいか、と思ってすぐに立ち直りました。

おはようございます。朝っぱらからホラー映画のレビューですよ。

 

今回取り上げるのは、観よう観ようと思いつつも放ったらかしにしていたけど先日ついに観たことでお馴染みの『ジェーン・ドウの解剖です。

巷ではかなり怖いと評判らしいが、『ルール』評でも告白した通り、私はホラー映画で怖がれないという因果な体質なので、ただ客を怖がらせることに主眼を置いただけのホラー映画には「ごめん。俺には効かないんだ、そういうの…」って感じでひたすら退屈してしまうのだけど、ジェーン・ドウの解剖はけっこう楽しめました。

 

私がホラー映画で怖がれない理由についてベラベラと語ってます。けっこう良い記事です。

 

それでは、ジェーン・ドウの解剖を解剖していきます。

「メス!」

 

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ブライアン・コックスエミール・ハーシュ演じる解剖医の親子が経営する死体安置所に運び込まれてきた美しき死体、通称「ジェーン・ドウ」

舞台は死体安置所のみで、ひたすら検死解剖だけで進んでいくという、紛うことなき解剖映画である。

 

解剖親子が他の死体を解剖するファーストシーン。

メスでザクザク切り刻んだり、臓器をグチョグチョ取り出したり、頭蓋骨をバリバリ切開するなど、めちゃめちゃきしょいゴア表現がふんだんに盛り込まれているので、元気だけが取り柄だけど意外とすぐ泣くみたいな小学1年生のキッズには見せてはいけない作品でしょう(小2からはオッケー)。

とは言え、解剖室のラジオからはゴキゲンなロックンロールが流れているのでいい感じに中和されてると思う。

そんな彼らのもとに、まったく外傷のない美しい死体「ジェーン・ドウ」が運ばれてきて「明日の朝までに死因を究明してくれ」と刑事に言われたことで、コックス父ちゃんとエミール坊やによる解剖オールナイトがはじまった…。

 

ちなみにジェーン・ドウとは名前のわからない女性を指す仮名のこと(男性の場合はジョン・ドゥと呼ばれる)。

いわゆる「名無しの権兵衛」というやつですね。日本でいうところの田中太郎や山田花子みたいな。

ちなみに映画界ではアラン・スミシーという架空の監督名がある。その映画を手掛けた監督が、何らかの理由で自分の名前をクレジットしたくない場合に使われる偽名だ。

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さて、この映画。

まず単純に驚いたのは死体役のオルウェン・ケリーだ。

もうまったくの死体。

この作品は急に死体が動きだしたり生き返ったりする類の映画ではないので、言ってしまえば本作のオルウェン・ケリーはただ解剖台の上に横たわって死んだふりをし続けているだけ。

もはや「芝居をしている」と言っていいのか、むしろ「芝居をしていない」と言うべきなのか、それさえ分からない。

ある意味では、これまでになかった「俳優の在り方」を提唱した作品と言えましょう。

 

次に驚くべきは死体ひとつで86分持たせたというアイデア一発勝負の豪腕ぶり。

先述した通り、この映画の舞台は死体安置所のみで、ひたすら検死解剖だけで進んでいくという内容だ。

おまけに登場人物は解剖親子の2人だけ。死体をカウントするなら3人だが…(息子の恋人と刑事がチョロッと出てくるが物語の大筋にはコミットしない)。

もう引き算に次ぐ引き算。ミニマリズムの極致みたいな作品である。

こういうものを観ると、足し算に次ぐ足し算でゴテゴテした鈍臭い超大作ばかり作っているハリウッド映画が馬鹿臭く思えてくる。

 

この解剖親子いわく、検死解剖は四段階に渡っておこなわれるそうな。

第一段階は外部の検証。続いて心臓と肺、次いで消化器官を確認し、最後に脳を解剖するのだ。

そして、フェイズを重ねるごとにジェーン・ドウの身体に不可解な点が見つかっていく。

切り落とされた舌。丸焦げの肺。両手足首の骨折。不自然にくびれた胴。

…などなど、体の内側はムチャクチャに損傷しているのに、なぜ外傷はなく美しいまま保たれているのか?

百戦錬磨の解剖医であるコックス父ちゃんをしても「さすがに分からん」と言わしめ、息子のエミール坊やも「死体としてあり得ない! 死体としてあり得ない!」と騒ぎまくり、二人仲良く大パニックに陥っていく。

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胸パッカァー、くちカッポーってなってるジェーン・ドウ。

 

さて。リアルな検死解剖の描写を通じて医学的な矛盾にぶち当たる…というここまでの展開はミステリータッチで描かれてきたが、ここから先はやおらオカルトじみた話になっていく。

医学では到底説明がつかない検死結果に戸惑ったコックス父ちゃんは、「これ、セイラム魔女裁判で犠牲になった人の遺体ちゃうけ?」という推測をおっ立てたのだ。

※セイラム魔女裁判…17世紀のニューイングランドで20人以上の村人が魔女として告発されて処刑された、近世における魔女狩り

 

ジェーン・ドウの体内の損傷は、舌切りや焚刑など拷問の痕と一致する。また、女性がコルセットを着用していた時代なら胴のくびれにも説明がつく。

そして極めつけは、ジェーン・ドウの体内から出てきた布に書かれた聖書の一節が魔女に言及していたこと。

コックス父ちゃんの推論を「そんなことあるわけナイアガラ」と一笑に付したエミール坊やが、「こんなもん、脳調べれば分かるんや。脳調べれば」といってジェーン・ドウの脳細胞を顕微鏡で観察したところ…

息子「細胞、動いてますやん」

パパ「そんなわけアルカイダ

息子「いや、ほんまに、ほんまに。よう動いてるわ」

自分の目で脳細胞を確かめたコックス父ちゃん、ぶったまげて思わずジェーン・ドウに話しかける。

「生きとったんかい、ワレ!」

どうりで死因がわからなかったわけだ。ジェーン・ドウは生きていたのだ!

…なんやそれ。

 

ここからはバリバリのホラーになっていきます。

「よくぞ正体を見破りました」とばかりに本領発揮したジェーン・ドウは、解剖室を霊力で停電させて、電話回線も霊力で混線させ、逃げられないように遺体安置所の扉まで霊力でロックする。

通常、ホラー映画での「電話が繋がらない!」とか「外に出られない!」といった外部との連絡手段が絶たれるシーンにはそれ相応の理由付けが必要なのだが、もうぜんぶ霊力で片づけるというね。これぞ豪腕。

 

怖くなった親子は、ジェーン・ドウの遺体に灯油をまいて火をつけるという蛮行に出る。

パパ「燃やしてまえ、燃やしてまえ」

息子「燃やしたら仕舞いなんじゃ、こんなもん。しょうもない」

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解剖医として一番やっちゃいけないことじゃない?

死体解剖する側が死体損壊するって…。

ていうか、ついさっき彼女の脳細胞が生きてることを確認したばかりなのによく燃やせるよね。殺人の意思まる出しじゃねえか。

だが、火だるまにされたにも関わらずジェーン・ドウの皮膚はまったく燃えない。

息子「あかーん。炎攻撃ぜんぜん効いてへん」

パパ「炎攻撃っていうか、物理全般あかんのちゃう? だって、もともと身体の外傷がなかったやろ? 物理で攻めても意味ないねん」

このあとジェーン・ドウはワァワァ騒いでる親子を恐るべき霊力で追いつめ、暗澹たる結末へと物語を導いていく!

 

事程左様に、アイデア一発勝負の豪腕ホラーなのだが、ミステリー要素をフックにして正統派ホラーを仕掛けるという大胆なミスリードが痛快だ。

ラジオから流れる「陽気な歌」や、死体の足につける「鈴」など、反復によって活きてくる小道具も充実している。

監督のアンドレ・ウーブレダは、私が唯一絶賛したモキュメンタリー映画トロール・ハンター(10年)のように堂々と嘘がつける監督だ。

ジェーン・ドウの謎を理詰めで解き明かしていた中盤から、霊力などという何でもありの設定でご都合主義的ホラーへと敷衍される気持ちよさ。されどホラー映画の定石には忠実で、ギミックや伏線なども的確に処理している。

デタラメなように見えてすべてが計算ずく。

これが映画の嘘だ。

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 トロール捜しドキュメンタリートロール・ハンターもまた、心地よく「映画の嘘」に塗り固められた快作。